【4夢目】夢物語の物語 『最西の古塔』
「ねぇ、海の向こうの王子様。貴方のお名前は?」
何日目のことだっただろう。彼女が俺に問いかけた。
「謎かけ姫。それは些か不公平だろう?此方だけ名乗って教えて貰えないのは」
「それでも海の向こうの王子様と言うのは少々長すぎないですか?」
「それならば、理とでも呼んでくれ」
「ことわり……理様?」
「ああ」
「ふふ、貴方にぴったりの素敵な名前ですね」
「だから偽名だ!通り名だと言っている」
「あ、はい!すみませんっ……」
少し大きな声を出した。それに脅えて王女はしゅんとなる。
少し強く言い過ぎたか。
「……別に、怒ってはいない」
「はい、理様……ふふふ、理様」
「何を笑っている?」
「わ、笑ってないです!今のはカウント入りませんよ!」
「知っている」
「そうですか……」
「落ち込んだり笑ったり、忙しいお姫様だな」
「そ、そうですか?普通のお姫様はそうではないんですか?」
じゃあもっと頑張らないと。そんな小さな呟きに、違和感など覚えなかった。彼女は何時も一生懸命生きている空気があった。籠の鳥に過ぎない彼女が何故そんなにも空回りのような演技をするのかが解らなかった。
「謎かけ姫……貴女は本当は嫌なのではないのか?」
「嫌、ですか?」
「こうして誰かに求婚されること自体、苦痛で仕方ないのでは?」
「…………そうですね。でも痛いって言うのなら、それは誰かが嫌なのではなくて、私が嫌なんです。嫌になるんです」
王女は妙なことを言う。
「嫌になる?」
「私のことなんか何も知らないのに。私のことなんか、好きだって言ってくれて。それは凄く有り難くて、嬉しいことなんだけれど……それに応えられない。応えたくない。そういう自分が嫌になるんです」
いっそ求婚者と同じ数だけ自分がいて、その人に仕えることが出来たなら、こんな思いになることはないのでしょうかと、王女が問う。
「王女……私は貴女が一人しか居ないからこそ、貴女は多くの人に求められたのだと思う」
「…………そう、ですか」
「そんなに大勢の貴女が居て、ありふれていたならば……貴女がそれだけ多くの者に必要とされることもなかった」
「……そう、でしょうか?」
「ああ。だから貴女は……今ここにいる、一人しか居ない貴女を誇れば良いのではないか?」
「誇る物なんて私には何もありません」
「一つくらいはあるだろう」
「……そうですね、それじゃあ……私はこの国を。この国に生まれてこうして今生きていること。生かしてくれていること。それが私にとっての守るべき場所で誇りなのかもしれません」
青い海と青い空。それを眺めて王女は寂しそうに微笑んだ。
何がそんなに悲しいのか。問いかけたところで彼女はあの空と海が青いから。それ以外の答えを口にはしなかった。
*
「くそっ!探せ!探すんだっ!」
鍵をかけ忘れた俺が悪い。取り乱したとは言えそこはしっかりしておかなければならなかった。王子は昨日の己の失態を詰る。
この一日の間に、王女は何者かに攫われた。鍵の有無を知って連れ出したのなら、そいつは兵の中の誰かだ。名簿を調べ上げれば行方を眩ました男の名前が見えてくる。
(このままじゃ……、あいつが危ない!)
背徳の王女は嘘を抱えている。この俺を憤らせるような嘘だ。騙されて攫っていったのなら、逆上されて殺されかねない。知っていて攫っていったなら、別の意味で王女が危ない。
「あのお姫様を攫うなんて、大胆な奴がいたもんだ」
「いや、どうだかな。殿下は姫を全然愛してやっていなかった。そこに間男が現れてって、騎士道文学的流れかもな」
「愛の逃避行だなんて、風情があるわ!」
何も知らない者達が、他人事で噂話。
王子は本当は王女を深く愛していて、誘拐者を生かしてなる者かと怒り狂っているとか。王女は自分を大事にしてくれない王子に愛想尽かして騎士と駆け落ちしてしまって、それに腹を立てた王子が王女共々犯人を殺しに行くつもりなのだとか。
(本当に他人事だ)
語られる物語など、こうして作られたまやかし。妄想と羨望と嫉妬と悪意。そう言った物が織り交ぜられた宝箱。真実はそんなに甘い話ではないのに。
(俺はあんな女、愛してなどいない!……だが、殺す価値もない!唯、それだけだ!)
だから生かしたまま助ける。助けなければ国の平和もままならない。王女に何かあったなら、従えていた全ての国が反旗を翻す。それを理解していない民達はこんなにも平和に浸っている!
そりゃあ嬉しいだろう!初めての平和だ!慣れない感覚に戸惑い微笑みたくもなるだろう。他人の噂話を口にしたくもなるだろう!あの千と一日間の俺のように。
だが、その平和は駄目だ。危機感を取り戻せ!この国を俺は王子として、終わらせるわけにはいかないのだ。
そう思えば思う度、王子は王女が許せなくなる。彼女を愛すると言うことは国の終焉を意味するに等しい。
絶対に言ってはならない言葉がある。けれど西へ西へと愛馬と駆ける内、胸から目から溢れ出す、この感情は何だ。解らない。解りたくない。認められない。それでもそれが心から溢れ、血管を巡って全身へと行き渡る。
それでも、それでもだ。こんなもの、断じて認められるはずがない。
最果てに至る手前。荒れ狂う海を背に、その塔は立っていた。
大陸の一番端のその古びた塔に逃げた騎士がいると聞いた。その男は王女に執心していた諸侯の一人。性格は気に入らなかったが、腕は立つので召し上げた。それが仇となった。
「最初に海を渡った諸侯は私。あの頃はまだあの国に妙な噂が流れていた」
「……話せ。それが遺言ならば最後まで聞いてやる」
塔の螺旋階段を上りきったその先に……その男は一人佇んでいた。途中で雇ったらしい手下は全て王子が斬り捨てた。これまでと観念したのか。いや、男は何処か恍惚とした表情、何かをやり遂げたような至福と達成感さえ纏っていた。
「審美眼の無い者共には解らないだろう!嗚呼!私が航海に出掛けた日から、姫が海を渡るまでにものの三年以上の月日が流れた!年頃の娘の数年は百年の月日に相当する!だというのにっ!我が姫は、今日まで変わらず可憐だった!」
年頃の娘にしては成長が遅れている。女と言うよりあれは少女と呼ぶのが相応しい。いや、違う。成長が遅れているんじゃない。そもそも最初からもっと年齢の小さな子供を、無理矢理年頃の女に見せているような、演じさせているような……
「つまり貴様はあれの正体を知りながら、知った上で攫ったと?知った上で絵を集めたと?……正気か?」
「はっはっは!正気でなどいられますまい!あの可憐な乙女を前にして、理など……人の道も道理など、取るに足らない些細なことっ!」
「……お前は、狂っている」
この男は王女に出会い、背徳の灯を灯された狂人だ。けれどお前はどう違う?狂った瞳が問いかける。
認められない俺よりも、認めたこの男の方が……王女にとっては……王女を笑わせられる存在なのか?
(それでも、俺は……)
俺が、嫌だ。
「…………背徳っっっっ!!!」
大声で叫んでやった。男の背が塞いでいる扉の中まで聞こえるように。王子は声を振り絞り王女を呼んだ。
与えてやった名前がある。その日からあの女は自分の物になったのだ。彼女が何を思って居ようと関係ない。奪われたものは取り返す。
「迎えに来てやったっ!さっさと降りて来い!貴様にはこれを見届ける義務があるはずだっ!」
大声を張り上げたのに、返事も聞こえない。もう、殺されてしまった?
王子は男を睨み付ける。それに男は満足そうににやついた薄気味悪い笑みを浮かべるだけ。
「残念ながら王女様は身も心も私の物になってしまったんですよ。ですから殿下の命令でも返事が出来ないのです」
その気持ちの悪い歪んだ笑みから、王子はまだ王女が生きていることを察知した。気色悪いことこの上ないが、この男は殺すために攫ったわけではないのだ。……ならば、出て来られるはずもない。
「……出て来ないならそこで待っていろ!お前が戦いは嫌いだなどと言っても俺はこれから戦う!この男を殺す!それでも良いならそこで蹲って泣いていろ!」
*
「……っ、……」
王子はゆっくり目を開く。そうして天蓋越しに天井を見上げて。それが揺れているのに気が付いた。
「まったく……」
ぼやける視界は欠伸の所為というには少々情けない顔をしている自覚がある。泣いていろなど言いながら自分が泣いては世話がない。
呆れて溜息を吐いて、咽が渇いていることに気付く。このまま待っていれば伝承が来てくれるだろうか?
そう思って耳を澄ましていると遠くから足音が部屋へと近付いてくる。いや足音だけではない。なにやら雑音のような話し声。
《あと二日だなぁ、召使いのお坊ちゃん!》
「……」
《おいおい、無視かよ。連れないねぇ》
《菫姫と王子様、お似合いよねぇ、ふふふ》
《本当のこと何も言えない気分ってどんな気分?》
「……」
《七日目に冥界の門が開く。その時お前はどうなるんだろうなぁ?》
《魂を食らうのを、みんな楽しみにしているそうよ!ああ!三日後が楽しみ!》
「消えろ、悪魔共。僕は僕の仕事を果たすだけだ」
《まぁ、怖い!可愛いお顔が台無しよ》
《何時までも調子に乗っていられると思うなよ》
足音が止まったところで、ノイズめいた声達は消える。扉の前に伝承がやって来たのだ。
扉に駆けようと王子は思ったが、すぐに取り止める。起きているのが伝われば、今の会話について尋ねられることになる。
「……理様?」
王子は何も答えない。寝ているような感覚で呼吸を繰り返すだけ。
そんな王子の対応に、扉の外ではほっと息を吐く気配がした。
「……今日は眠ってらっしゃるんですね。良かった。魘されていないなら、それでいいんです」
「…………」
「お水置いておきますね。明日の朝取りに来ます。知らないのならそれで構いませんから」
王子が起きていることに気付いた上で気付かないふり。伝承は水の器を扉の横へと置いて……また、元来た闇へと帰って行った。その気配が完全に消えた後、王子はそっと扉を開けて、水を部屋に入れた。
「……伝承」
王子は今日の出来事で、半ば確信を抱いていた。しかし彼と彼女を取り巻く状況はまだ不明瞭な部分も大きい。
(六日目……いや、七日目に何かがあると聞いたが)
菫姫が自分を六日間勝負に招いたのは何故か?勝負が六日ということは、夜中に話が終わることになる。必然的に、自分は六日目も宿を借りることになるだろう。そんな夜中に追い出すほど菫姫は不躾な城主ではない。
「菫姫は元々……俺に七日目を迎えさせるために、六日間の勝負を提案した?」
七日目に冥界の門が開くとあの雑音が言っていた。あの雑音を伝承は、悪魔と呼んでいた。冥界の門が開くというのはどういう意味か?開く以上、何かが出るか、何かが入るか。やって来るか連れて行くかのどちらか、それかどちらも。
(魂を食らうと言っていたが……)
狙われているのは誰だろう?流れ的に自然なのは王子自身だが、……それなら何故そんな話になっているのか。
(あと二日……)
よく分からないが目的は見えて来た。後はまた観察して確かめるしかないだろう。王子は冷たい水を一気に飲み込んで、気合いを入れた。
まだ朝日は昇らない。観察する体力をしっかり付けておくためにも、もう一度眠るとするか。
王子はここに来てから初めての、二度寝を決め込んだ。
五日目の夢で王女の正体と秘密明るみに出るはず。
現実での王女探しも段々と不穏な空気に。




