【4夜目】王子の物語 『悪魔と棺の花嫁』
その妙な訪問者が現れたのは、今正に晩餐を始めようという頃だった。何やら外で人を呼ぶ声が聞こえ始める。王子が窓を振り向くと辺りはもうすっかり暗い。
「伝承、見て来て貰えますか?」
「はい、菫姫様」
食堂を出て行った召使い。しばらくして彼は再び舞い戻る。
「菫姫様、道に迷われた旅の方がいらっしゃいました。如何なさいますか?」
「困ったときはお互い様です。招いて差し上げなさい」
「はい、畏まりました」
旅人が時折迷い込むとは聞いていたが、自分がいる時にそれがやって来るとは思わなかった。王子はなんとなく、そういう者は一人ずつ現れると思っていたのだ。
「奇遇だが、そういうこともあるんだな」
「そうですね、夜の森は深く暗いものですから」
「でも理様のケーキのお陰で、私達そこまで晩餐は進みそうにありませんでしたし、助かりましたわ」
「面目ない。確かに作りすぎた」
二人が談笑する内に、少年が現れる。彼は戸を開けて客人を招く。
どうやらそれは男のようだ。背の高いその男は全体的にほっそりしている。旅の者だからなのか黒いフードに黒いマントを羽織っているその姿は……何処か怪しい男の印象の所為か、この世の者には見えない。その顔にはやはり仮面を付けていて、二人と違うところは目と口の所が大きく開いていていること。
その目はギョロギョロと、城を城の中の者達を値踏みするような動き方。挨拶のため其方に赴いた菫姫を見つけると、男はにぃと微笑んで骨のように真っ白な歯を見せて笑うのだ。その男の異様な雰囲気も気に咎めずに菫姫。
「ようこそ、旅のお方。何もないところですが、今晩はゆっくりして行って下さいませ」
「これはこれは、お美しい城主様。それではお言葉に甘えさせていただきますよ」
黒衣の男はずうずうしくも、菫姫のすぐ傍の椅子へと腰掛ける。そうして挨拶も無しに勝手に食事を始めてしまう。
「おい、客人。如何にこの城の者が親切だからとはいえ、その振る舞いは些か失礼ではないか?」
「ひひひ、何を言うのやらお坊ちゃん。料理という物は冷めない内に食べて差し上げるのが最上級のマナーでしょう!貴方は今この瞬間にも食材と料理と料理人、そしてその全てを統べる城主様を軽んじているようなもの」
男は口の周りやテーブルをべちゃべちゃと散らかして、食べ物を口に運びながらそんなことを言ってのける。そんな男にマナーなど語って貰いたくはないが……
「そうですね。冷めてしまったら勿体ありません。私達も頂くことにしましょう」
菫姫に促され、渋々王子も席に着く。
「それで、旅のお方。どちらまで?」
「いやぁ、あっしはねぇ城主様。これからちょっと仕事なんだよ。それで出掛けて来たんだけれど、この森に迷ってしまってね。しばらく雨が降りそうだ。何処か休める場所はないかと探している内にこの城が見えてね」
「そうだったんですか。では雨が上がるまでどうぞごゆっくり。伝承、客間の仕度を」
「はい」
食卓を離れる召使い。彼が去った後、黒衣の男はギョロギョロとした目を残った二人に向ける。
「失礼ですが、其方のお坊ちゃん、貴方は?」
森の中の城の話は聞いたことがあるが、その話に王子は含まれていなかったはずだと新たな旅人。
「いや、私もここに宿を借りている身だ」
「そうですかい、いやね、城主様を差し置いてあまりに大きな顔をしていらっしゃるもんだから!てっきり城主様の旦那様かと!ひっひっひ!唯の旅人の癖にそんな態度だとは余程良い身分のお生まれか、厚顔無恥かひっひっひ!」
「それは失礼。だが私の感覚で言わせて貰うとお客人、貴方の方が随分と不躾だと思えるが」
食卓に流れる不穏な空気を察知して、菫姫が場を和ませるよう口元だけで微笑んだ。
「仕事と言われましたけれど、お客様は何のお仕事をされてらっしゃるの?」
美しい城主に微笑まれ気分を良くしたのだろう。怪しげな男はひひひと笑う。
「いやぁ、大した仕事じゃありませんよ。まぁ、言うなれば狩人のようなもの。得物を追いかけ山を越え谷を越え……探し歩くばかりの商売でさぁ」
「あら、それは大変なお仕事ですのね。でもそれならばお客様も色々な国に行かれますの?」
「そりゃあもう。西へ北へ北へ西へ」
「西と北にしか行っていないようだが?」
「あっしはそういう無駄が大嫌いなんでさぁ。西に突き進めばいつかは東と呼ばれる場所へ。北へ進めばその内南へ。それが世界というもんでしょう」
「其方の方が面倒だと思うが。人間時には振り返り戻る方が楽な事もあろうに」
「おやおや、なるほど。確かに仮面を付けていない。このお坊ちゃんは人間のお客人でしたか、いやはや」
「その言い方では貴方はそうではないらしいな」
「いやはや、これだから人間という種族は偏狭でいけません。すぐに人間と人間ではないものの二つで物事を捉えたがる」
王子を小馬鹿にした笑みを目と口に男は浮かべる。西へ東へ、北へ南へ祖国のために走り続けた王子を愚かだと嘲笑う笑み。
「あっしからしてみればね人間のお坊ちゃん。人間と何かではなく、何かの中の何か。その中の一部のほんの一握りの人間が何故もそんなに大きな顔をしていられるのか、全くわからないんですよ」
「そこまで言うのなら、お前はさぞかし素晴らしい種族なんだろうな。名を名乗れ。俺は理。遙かここより東方の、理の国の王子だ」
「ほぅ、本当に王子様だったとは。いやはや、それならそれも頷ける」
「俺は兎も角俺の国まで愚弄するならお前が何であろうとも、決闘を申し込むが?」
「ひっひっひ。戦ばかりの国の王子様らしい、凶暴な人だ。よくもまぁ、こんな乱暴なお客を泊める気になられましたなぁ」
「お二人とも、これ以上争うのなら城から出て行って貰います」
菫姫が凜と声を張り上げて、男達を睨み付けた。勿論そこには王子も含まれる。こんな風に声を荒げる菫姫を見たのは初めてで、王子は居たたまれない気持ちになった。
「私は私の城で暴力が起こされるのは嫌いです。喧嘩をなさりたいのならどうぞ雨の中語り合って来て下さい。湯殿仕度をさせておきますから」
「いやいや城主様、そいつは勘弁願いたい。こんな冷たい雨に打たれたら、あっしは凍え死んじまいやす」
「そうですか。理様は?」
「……相手がいないのなら、意味はない」
「そうですか」
二人が決闘を取り止めたのに菫姫は微笑んで、あっと小さな声を上げる。
「そうですわ理様。どうせなら暴力ではなくてお話で決闘をなさったら?」
「話?こんな怪しげな男を招くのか?」
正直御免被りたい。そんな気持ちで一杯の王子。折角の菫姫との語らいの時を、こんな雑音めいた男に邪魔されたくはない。
「おやおや、何やら面白そうなお話ですねぇ」
「菫姫様、仕度が調いました」
男が興味を持ったところに召使いが戻る。それを見て菫姫は頷いた。
「では今宵も物語を始めましょうか?お客様は勝手が分からないでしょうし一番最後に」
「菫姫、本当にこの男を交ぜるのか?」
「あら、この方が理様より早く私を笑わせてしまうのが嫌なのですか?」
「そ、それは……」
「ほほう。それはどういうお話ですかねぇ?」
また男は食い付いてくる。教えてやる義理もないのに、丁寧に教えてしまう菫姫。そういうところも背徳の王女に似ている。
「私と理様はゲームをしていますの。私を笑わせられたら私が仮面を外す。彼が泣かなかったなら私は彼の望みを何でも一つ叶える。それを六日間続けて、本日が四度目になりますわ」
「なるほど、そりゃあ面白い。そこのお坊ちゃん。それじゃああっしとも一つ賭けをしませんかい?」
「何を賭けてだ?」
「申し遅れやしたがあっしはねぇ、俗に言う死神って仕事をしていてねぇ。魂を狩ることと、来るべき場所に来ない魂を迎えに行くのが仕事でさぁ」
黒衣の男がにやついて、自らの素性を明かす。
「もしお坊ちゃんがあっしの身の毛もよだつような話で泣いたなら、その魂狩らせて貰いますよ。こっちもノルマがあってねぇ。王族の魂ならばあっしも昇進出来るでしょう」
「俺が勝ったら何か俺に都合の良いことはあるのか?」
「そうですねぇ。では一夜だけ冥界の門の中に貴方を入れて差し上げやしょう。親兄弟親友恋人なんなりと!お話して来ては如何ですかねぇ?」
「……よかろう。その勝負受けて立つ」
「「理様……」」
二つの声が重なる。菫姫と伝承が同時に同じ言葉を発したのだ。それでもその音は毛色が違う。菫姫は何故という疑問。伝承は心配そうな不安。
「何、長旅をした俺でも冥界へ旅をしたことはない。どんなところか見に行くのも一興だと思ったまで」
王子の答えに、二人は黙り込むが一応は納得したようだ。
「それでは今日は私からだったな。気にくわない相手がいるのはまぁ仕方ない。話をさせていただくことにしよう」
*
自殺を罪だという話は良く聞くが、実際何が悪いのか。その後どうなるのかを語る物語は少ない。地獄に落ちるとかそういう話でお終いだ。
しかし冥府の概念を知らない者に取ってはそれを教えるのは難しいことだ。我が国の周りにも死後の世界と言う概念を持たない国があって下手に奴隷にでもすれば皆自殺をして死んでしまう。これは私の先祖が昔実際に見たというものの話だ。
ある時王は他国を侵略し、美しい娘達を攫い、自分や家臣の妻とした。しかし敵国の男の慰み者になるくらいならばと、途中の船で身を投げる者、舌を噛んで死んでしまう者もいた。
折角の戦利品や奴隷に死なれては困る。そう思った王は忠臣に相談することにした。
「奴隷達を自殺させないためにはどうすればよいだろうか?」
「簡単です王。実際に人間を用意し、それを自殺で死んだ振りをさせます。その葬式を見せた後に、悪魔との結婚式をさせるのです」
自殺した美しい人間は、恐ろしい悪魔と結婚させられる。そうでない者はそれから本来の寿命の分悪魔の手下として扱き使われて暮らすのだ。そういう物語があることを忠臣は教えてくれた。それを再現して見せることでこの奴隷達は今の生の方がマシだと思えるようになるだろう。王もそれは良いと国へ帰るや否や、王妃に頼んで自殺をする振りをして貰うことにした。
「でも貴方、私が死んだふりをした後はどうしますの?」
「その後私が悪魔共を倒して助け出す劇をする。それでお前が生き返る。こうなれば奴隷達も死んだところで私からは逃げられないと思うだろう」
これで奴隷の自殺を防ぐことが出来る。労働力を確保できると王は笑った。
「まぁ!こんな女を連れてくるなんて!」
「お前!これは誤解だ!一番はお前だから!本当に本当っ!」
「もう信じられません!これ以上貴方の妻でいるくらいなら、死んで悪魔と結婚した方がマシですわっ!」
奴隷達の前で夫婦喧嘩を始める王と王妃。それを唖然と見ていた奴隷達も、王妃が自らを短剣で貫き、死んでしまったからこれは大変だと騒ぎ出した。
王はおいおいと泣いて、彼女の葬式を始めた。王妃の棺は、奴隷の牢がある地下室の、向かいの部屋へと入れられた。後は夜中に化け物共に扮した兵士達が宴を開いてどんちゃん騒ぎをすれば良い。奴隷達は震え上がるはず。
王は下から悲鳴が聞こえる頃合いを見て、地下室へと降りる。すると奴隷達が身を寄せ合って震えていた。これは効を成したか。王はそう思いながら奴隷達に問いかける。
「この騒ぎは何事だ!」
「悪魔が……悪魔が来てっ!悪魔が来た!最初の悪魔を後から来た悪魔が頭からバリバリ食べたっ!」
「何?」
計画と話が随分違う。王が驚き扉を開けば悪魔に扮した兵士達が皆、食い散らかされた残骸に。王妃の棺に駆け寄れば中身は空っぽ。
本当の悪魔がやって来て、ご馳走を食べ、花嫁を連れて行ったのだと知り、王は自分の浅はかさに涙した。
それ以来奴隷達は自殺をしなくなったが、王は嘘を嫌うようになり、特に悪魔相手に嘘は吐いてはならないと子に孫に語り継いだという。
だから私も嘘は好きではない。悪魔相手の嘘は、目の前に悪魔がいなくても悪魔を呼び寄せてしまう。これはそんな昔々の物語。
*
「以上が今日の私の話だ」
「理様にしては教訓じみた喜劇ですわね」
「そこで僕を見ないで下さい菫姫様……」
王子が語り終えると、菫姫が小さく微笑んだ。その視線は伝承に向き、昨夜の魚の話を思い出してか伝承は赤くなった。彼は胎生と卵生の違いに気付かないままあの話を真剣に語っていたのだから、我に返れば恥ずかしいだろう。王子も少し同情をした。
「あーはっはっはっはっは!いやはや、人間の話は滑稽ですねぇははははは!くくくくく!」
黒い客人は、ケタケタと腹を抱えて笑っている。それは話にというよりは、王子がそれを話したということに関しておかしくて堪らないと言っているようなもの。
「理の国の王子様。悪魔というものがどうしてそこにいないとお思いか?」
嫌味を言うためか口調を丁寧に改める黒マント。
「何が言いたい?」
「いやね、悪魔が聞いていないと思うことが間違い。悪魔の証明と言うでしょう?見えないからと言ってそこに悪魔はいないと限らない。悪魔がそこにいないと証明できない以上、そこにいないと誰にも証明できない。つまり悪魔という生き物は絶えず何処にでもいるようなもの。今日この城この部屋にも悪魔は潜んでいるかもしれません」
王子はその口調に気付く。この男は悪魔に関する話のみ、ちゃんとした言葉遣いになるのだ。まるでこの部屋に、本当に悪魔がいるみたいに……
「黒マント様、それはつまり理様のお話は……そこにいた悪魔に聞かれてしまったということですの?」
「ええ、そうなりますよ城主様」
菫姫ににたりと微笑み、含み顔で黒マントは答える。
「あの方々は嘘は付けない。けれど人に嘘も許さない。お坊ちゃんのご先祖は、嘘の言葉を口にした所で、城に悪魔を招いて晩餐をし花嫁を迎えて結婚しても良いと……そういう許可を与えてしまったんですな」
嘘を吐く時にはそれ相応の覚悟と報いに備える心構えが必要だ。そう言う意味で王子は話した。話をしている間に菫姫と伝承の様子を窺ったが、仮面の下の表情は窺い知れない。見えた口元を、菫姫は笑みの形に綻ばせ……伝承は固く一文字に曲げていた。解ったのはそれだけだ。
「さて、それでは次は私が話をさせて頂きますね。私も理様を倣って、悪魔のお話を一つ……」
悪魔の花嫁、悪魔の結婚式、悪魔と花嫁、地下室の悪魔。
思いつく限り検索したら既に色々出て来てこんなタイトル。なんでもありだなこんちくしょう。




