【4夜目】伝承の物語 『村人と硝子の家』
※無論、フィクションです。
「まぁ……」
菫姫が現れるのはやはり夕方。日も暮れかけた頃。食堂へと繋がる扉から出てきた彼女はわぁと感嘆の声をあげる。
「どうしたんですのこれは?」
驚いた顔の菫姫を見、王子は満足そうに頷いた。
「味にはそこまで自信はないが……世話になっている礼をさせて貰いたかったので、調理場をお借りした」
食卓の上には様々な種類のケーキ。バームクーヘン、カスタードたっぷりのシュークリームにプリンにモンブラン。ショートケーキにレアチーズ、ザッハトルテにタルトにアップルパイ。ちょっとしたお茶会にしては作り過ぎたようにも思う。
「ここの調理場は使い勝手が良いな。ついつい作り過ぎてしまった」
「折角ですし先にお茶会にしましょうか。やっぱり悪くなる前に頂きたいですもの。伝承、お茶の用意を」
「畏まりました」
パタパタと駆けて給仕の仕度に取りかかる召使い。それを見送り微笑む菫姫。やはり女の子なのだろう。甘い物には目がないらしい。こんな所は王女にそっくりだ。
王子は二日目の挑戦の時には、前日話したケーキを持参したことを思い出す。
(俺が無駄にこういうことだけ出来るようになったのは……王女のお陰だったな)
最初は失敗して不味かった。だから買った物を持っていった。それが悔しくて、366日目だったか。また同じケーキを持ってリベンジに行った。今度は手作りで。あの時王女は少し笑いそうになっていた。気付いてくれたのだろう。それが手作りであると。
「それじゃあ今日は早めに始めていまいましょうか?たまにはお茶をしながらお話というのも風情があって良くありません?」
「それはいい。だが、今日は伝承からだったな」
「うーん……それでは食前デザートにしませんか?ええと茶前デザート?」
「菫姫、皿に切り分けよう。まずはどれにする?」
「私は……ショートケーキとアップルパイとタルトが良いです」
「了解した」
王子は言われたケーキを綺麗に皿に盛りつける。仮面の下の菫姫は今にも笑い出しそうだが、これは話でではないのでやはりカウントされないだろう。
「お持ちしました」
カップにお茶を注ぐ少年にも、王子は尋ねる。
「伝承、君はどれが良い?」
「ええと僕は……バームクーヘンとシュークリームが良いです。あとプリン」
「そうか」
王子は頷き皿に装う。皿を渡されてから、召使いは我に返って慌て出す。
「すみません!お客様にこんなことをさせてしまうだなんて」
「いや、いいんだ。たまには俺にさせてくれ」
「まぁ、伝承お皿が黄色だらけじゃない。もっと華やかに装わないと可愛くないわ」
「菫姫様は果物ばかりじゃないですか」
「伝承?……ビタミンは、肌に良いのよ?」
「はぁ……」
「目にも良いのよ?」
両者の対立意見に王子は軽く吹き出して、自分もケーキを皿に取ろうとする。が、すぐに伝承に止められた。
「理様の物は僕にさせてください。理様は?」
「君と同じ物を。……と言いたいが、それでは他のケーキが可哀想だ。ザッハトルテとレアチーズとモンブラン。それとバームクーヘン。全部薄切りで頼む」
「はい、畏まりました」
「伝承、給仕が終わったのならまずは貴方からですよ?」
「はい、菫姫様」
「それで伝承、今日はどんな話を?」
「それじゃあ僕は……鏡の話を」
*
鏡とは真実を映すとよく思われていますけれど、それがそうでもありません。時々見えてはいけない物を映してしまうことってあるらしいです。
昔々あるところに、鏡を忌み嫌う人々の暮らす村がありました。確か名前はヒュアリンノンの村。彼らは姿を映すことを嫌い、水辺にも極力近づかない生活をしていました。
何故そこに映るのが真実であるかと誰に証明できるのだろう。彼らはとても疑り深い性格、何時も苛々して何かに対して怒り狂っていました。
「ほら、水面を見てご覧。あそこには私が映る」
「だけど、見てご覧。あっちには魚がいる。私の傍に魚はいない」
つまり見えていないだけで本当は陸の上にも魚がいる。そうしてあんな風に私達の周りを蠢いているんだよ。そう吹き込まれた子供はそれを頑なに信じます。そして大人になったとき、それを自分の子供に聞かせるのです。
そういうことが続いていって、彼らの常識としては姿を映す物はみんな嘘だと言うことになりました。
だからみんな自分はもっと格好いい男だとか、美しい女だと思っていて、自尊心が強く他人の粗探しばかりするようになってしまいました。
「お前その顔でその身体で何いい女気取りしてんだよ!」
「あんたの目が腐ってんのよ!あんただって禿げでふとっちょでチビじゃないか!」
こんな風に村の中は罵声口論が飛び交います。その種族の村には悲しいことに人を貶し続ける内に、愛という気持ちが失われていました。だから人を心で思う才能を無くしてしまっていたのです。
そんなある日、禁じられた森に忍び込んだ子供がいました。子供が言うには森の奥に不思議な家があるそうで、その屋敷は透明な不思議な壁で出来ていて、その向こうには不思議な物が映ると騒ぎ立てました。
様子を見に行こう。誰かが言いました。虚栄心も強い人々は我先に自分がヒーローになるべく、村人全員で森へと突進。誰一人止める者がいないのが、彼らの特徴でした。誰かに手柄を盗られるより、先に自分がそれを取る。我先に我先に人を押しのけ殴り蹴り、彼らは森の奥へと行きました。
ここまで来ると伝承の禁忌など何だったんでしょう。先人の残した言葉も知らず、彼らは森の奥へと進み……その不思議な透明の家の間に着きました。
その透明な家の中には美しい人々が暮らしています。それを見た、誰かが言います。
「これが本当の鏡だったのね!あの女は私よ!」
似ても似つかぬ美人を指差し女は宣言。
「はぁ!あれは私に決まってるじゃない!ていうか全部私!これは私のメモリアル記念館っ!」
「はぁ!?不細工が何言ってるの!?顔だけじゃなくて頭も可哀想なの!?」
「何ですって!?」
「じゃああの男は俺だな」
「おい、本気か?」
「本気だぜ」
「ふざけるな!あれは俺だ!」
「いや、俺だっ!」
村人達は老若男女入り乱れて、本気で戦い出しました。誰かが武器を取り出せば、もう収拾が付きません。透明な家で暮らす者が誰の鏡像なのか争い、彼らはまだ上手く物を話せないような小さな子供数人を残し、全員が全員を殺し合い……息絶えてしまいました。
(ああ、鏡って怖い!)
(大人はあれを見るとこんなにおかしくなってしまうのね!)
子供達はその場を這いずり逃げ出して、物を語れる年になった頃、森の恐ろしさをそれから後世に語り継ぎました。
そしてその少し後、また同じことが延々と繰り返されるのです。それを眺めていた神様はこの愚かな人間達を永久機関と嘲笑い、硝子の家を永遠の砦と名付けて悦に浸りました。
それでも神様にも一つ、解らないことがありました。
「どうしてこの永久機関は、全ての人間で成功しないんだろうか?」
うーんと唸る神様に、女神様は言いました。
「貴方それはね、全ての人間が思いやりを忘れているわけではないからよ」
「ああ、なるほど。それではこの仕掛けの前で殺し合いをする人間ほど、思いやりを忘れているわけだ。しかし妻よ。それなら彼らに思いやりを思い出させるにはどうしたらいいんだい?」
「彼らに自分がそこまで美しくなく、醜いことを教えて差し上げなさい。神である私達と比べたら彼らなんてまぁ、美人も醜女もドングリの背比べ。比べること自体が馬鹿らしいことなのだと気付かない人間は皆醜いのです」
心根の醜さが顔に表れるという女神に、それなら妻はもっと醜い顔をしているだろうにと神様は少し考えました。
「人間でも美人は美人だけどなぁ……」
「貴方!何てことを言うのですか!また浮気ですか!?」
妻に睨まれて神様は納得してしまいます。神でさえ思いやりを忘れた神がいるのだから、ちっぽけな人間が思いやりの心を取り戻すのはとても大変なことなのだ。
「それなら思いやりを忘れた人間から戦争でも起こして滅ぼした方がいいな」
そう考えた神様は世界のいろんな場所に、硝子の家を建てました。そこで天界の景色を映したところ、神の存在に気付き崇める村、よく分からないけど美しいので絵を描く村、建造物を褒め讃え観光スポットにする村、他の家を建てるのに邪魔だから壊そうとする村、家の素材を真似て新しい素材を生み出す村など多種多様の人間活動を観察することになりました。
「なぁ、妻よ。どうしてあの村の人間達だけは、あんなことをするのだろう?」
「直接聞いてきたらどうですか?後鏡は真実なのだと教えて差し上げなさい」
「おお、それはいい!」
神様は意気揚々と下界へ降りて行きました。あの村も復興していて人が増えていましたが、神様を見るや否やにたにたと笑い始めます。この辺りの歓迎は変わっているなと驚く神様に、村人達は腹を抱えて笑い出し、耳を澄ませてみれば彼らは神様を馬鹿にして笑っているのです。
「おいおいお見てみろよあの顔、ぶっさいくだなぁ!」
「うわ、酷い服っ!あれはあり得ない」
「よくもまぁあんな顔で外を出歩けたもんだな」
「可哀想に、あんな顔で生まれてくるなんて。きっとこの世に神様なんていないんだ」
女神達から大人気の超絶美形であるはずの……本物の神様を目の前に、神を馬鹿にし続ける村人達。怒りも通り越しとうとう神様は呆れ果てて、彼らの言葉を彼らしか分からない言葉に変えてしまいました。神様もあんな口を聞かれるのが嫌なので、二度と関わり合いにならないよう、自分でも解らないようにしてしまいました。彼らがいつか神を崇める日が来ても、何も助けてあげないためです。
それでも時々その意味の分からない言葉が聞こえてくると、それだけで神様は腹が立つので、別の国へとバカンスへ行ってしまうそうです。だから思いやりを無くした村の傍には神様などいないと人が嘆くような、荒れ事が溢れてしまいました。
その内文明は進み、硝子の仕組みを人は理解して、森の外へと飛び出してしまいました。当然思いやりを無くした村の人間達もです。彼らは神様が見ていないのを良いことに、彼方此方で好き放題。天罰を幾ら降らせても悪事に天罰が追い着きません。
人が思いやりを無くした村が広がれば広がるほど、神様はバカンスに行く場所が無くなるので、すっかり参っているそうです。
「まったく硝子の家の素材を完成させるとは、人間は恐ろしい。折角の永久閉じ込め機関が台無しじゃ。やっぱ全部焼き払おうかな……いや待て、美人のいる村は駄目だな」
「あーなーたーっ!」
「そ、そう怖い顔で見るな妻!ああ!手元が狂った!!儂の天罰が美人のいる村を焼いてしまったではないか!!」
「ふん、いい気味です」
*
「僕の話はこれでお終いです」
昨夜とは随分と毛色の違う話に、王子も菫姫も驚いていると……つまらなかったのかと心配そうに少年は狼狽える。
「あの、菫姫様?理様?」
「伝承、面白かったけれどこれは笑い話……?泣き話?」
「他人から見れば笑い話。神様から見れば泣き話です」
菫姫に答える伝承に、王子もそれはそうだと苦笑した。
「伝承、これは誰から聞いた話なんだ?」
「神官様が僕に話してくれたお話です。だから鏡に映る物のことは信じなさい。自分を知ることが他人を知ること。ひいてはそれが思いやる心を生むのだと」
外見の美しさを知れば、それに劣らぬ心を持とうと意識するようになる。外見の醜さを知れば醜い者を見下す気持ちも生まれない。伝承は笑いそう言うが……
(それは何処の平和呆けした国の話だ?)
王子は話の神同様、呆れてしまった。
外見の良い人間は思い上がり傲慢になる。そうではない人間は自分を卑下し心が貧しくなる。どちらにせよ人間などろくでもない生き物だ。全て等しく卑しく醜い。それが王子の認識だった。
どうせこの純真な少年をからかうため、身近な大人がでっち上げた物語だろう。王子は息を吐くが、召使いの少年はまだ続ける。
「思いやりを無くせば神様が息抜きバカンス出来なくなって、疲れてしまって……仕事をしなくなるんです。そうして人を助けてくれることもなく、滅んでも良いんじゃない?そんな風に人間から興味を無くしてしまう。だから世の中には神様を楽しませて、神様に愛して貰えるような人間が必ず居なければなりません」
そう語る伝承の口調は、少し寂しげになった。
「神様は目に止まった人間に神託を送って、その人生だけを絶対にそうなるように仕組む。そうして最小限の力で神の奇跡を知らしめるんです。私はまだここにいるんだぞって……みんなに信じて貰いたくて」
目を付けられたところで、最初からもう駄目なんですと諦めるような口調だ。
「人を幸せにしてあげて、肯定される神様はいない。みんな自分の実力だとか思ってしまう。だから神様は人を不幸にすることでしか、自分の存在を認めさせられないんです」
自分のいた国だって、信仰は薄れていたと伝承は呟いた。とても悲しそうなその様子に、王子はかける言葉がない。
「だから幸せな時ほど神様の存在を感謝し肯定してあげれば……いつかきっとそんなことも、なくなるのかもしれませんね」
思い上がった人間は喜びで神を崇めない。災いでしかその存在を恐れ敬わない。だから神は人を救わず、人を罰し続ける。それが人の行いの鏡なのだと……少年の横顔が語った。
「次は、理様のお話……でしたけど、先にちょっと片付けましょうか。夕食の品を運んできますね」
食堂を去った少年を見て、菫姫は王子に小さく囁いた。昨日より一昨日より、やはりテーブルは迫まっている。
「ねぇ、理様。貴方は神を信じますか?」
「……いるとは思った。だからこそ道はあるのだと思った」
そこから外れることが恐ろしくて堪らなかった。それで天罰があるわけでも無いのに、神の道に背くことがどうしても許せなかった自分がいる。
「しかし、例え神を否定してでも人は歩いていけるのだと……私は最近知ったばかりだ」
「そうですか」
「菫姫はどうなのだ?」
「神はいました。だけど私の中ではもう死にました。そうでも思わなければ、人は辛い時生きては行けません」
伝承と同じ髪色の菫姫は彼と真逆のことを言う。
「神はいない。だから神は私を救わない。憎むべきは神ではなく、憎むべきは人間です。その罪を全て神へなすりつけ、罪から逃れる人間が……私は一番嫌いです」
「……」
「理様、貴方はそんな人ではありませんわよね?」
「……君は伝承が嫌いなのか?」
「どうしてここでそうお思いに?」
「神を信じる伝承は、君から見れば神に何もかも押しつけているように映ったのかも知れないと……思ったまで」
菫姫の言葉はそのままそっくりあの少年に向けられている気がした。そして同時にそれは、彼女自身に投げられた風にも聞こえる。
「……別に嫌いではありません。でなければこんな所に一緒に暮らしているはずが無いでしょう?」
それもそうだ。王子は確かにと頷く。
夕食まではもう少し時間がありそうだった。
「それじゃあ菫姫、ケーキのお代わりは?」
食事前、食べ過ぎると……でも。悩みながら結局は皿を差し出す菫姫。その反応が愛らしくて王子は思わず微笑んだ。性格は多生異なるが……菫姫が似ていないわけでもないのだと、王子は軽い目眩を覚えた。
ナルシスと水鏡の話。
その反対を考えたらこんなことになってしまいました。
自己否定が他者否定になって最終的には神と世界も否定する。とんでもない話です。
思いやりって大事だな。
村人の性格は専らうちの姉です。主に他人を見下し馬鹿にすることしかしません。同じ血が流れているのが嫌になる。
時代背景でまだそんなケーキねぇよとかは言っちゃ駄目ですよ。
王女の国は神託時代のギリシャ風なのにみんな普通に中世ヨーロッパ以降の話とか余裕でかます。そんなぶっ飛んだ物語を物語る物語。




