1話:俺の幼馴染と幼馴染が廃人すぎる
突如、半透明の仮想体が俺のパーソナルIPスペース(個人のナノマシンが形成する小型の仮想空間)――《PIS》にふわりと出現した。
しかも二体。
『ねぇねぇ、翔ちゃん、翔ちゃん、うちと一緒にネトゲやろ? やーろーうーよーっ!』
俺の仮想感覚が、毎日のように目に、耳にする少女――千堂瑞貴の仮想体とその声を捉える。
その仮想体の容姿は現実の彼女と全く同じと言ってもいい、少しボサっとしたロングヘア、どこのモデルかキサマは、と思うぐらいの小顔で、ぱっちり二重の円らな瞳をしている。
ただ、現実の彼女とは髪の色だけが異なっており水色をしている。
現在、仮想の聴覚は10%以下、視覚は20%に設定している。
しかし、彼女の声が大きいために俺のそんなささやかな抵抗は無駄になった。
彼女の大声のせいで、俺の頭の中にあった大切な何かが吹き飛んでいく。
さらに、
『翔くん! 今なら初心者歓迎キャンペーン実施中のこのOver World Online略してOwOのパッケージソフト、私がおごってあげてもいいのだよ? やらない手はないだろう?
なんと、今開始すると混沌属性のバールのような物がついてくる! ……ていうかこれ、私も欲しくなって来たな! ―――はい、買った! 二つ買ってしまったよ!』
もう一人の女性型仮想体――姫神薫のアバターが目の前で何かのゲームソフトをこちらに向けながら真剣な表情で解説した後、人のパーソナルIPスペースでブラウザを開いた挙句、某通販サイトでテンション高く買い物を済ませていた。
そんな彼女の仮想体は完全に現実の姫神薫を再現している。
薫は日本人だが、腰まで届きそうな綺麗な金髪で、切れ長の碧い瞳をしている。
現在中学生のはずなのだが、北欧系の祖母から隔世遺伝したクォーターの彼女の肢体は、同年代の純日本人女性と比べて発育が良く実に卑猥だ。
しかし、そんな優れた容姿を神から授かった彼女たちは、
『ねぇ、翔ちゃんー!』
『翔くん!』
俺を同じ地獄へと引きずり込もうとする悪魔なのだ。
その二人の廃人が俺の足元まで空中を転がりながらやってきて、足を掴んでくる。
今は、肉体と仮想体の位置を同期させているため、現実の足も掴まれているような錯覚に陥る。
なんておぞましい光景だろうか。
ここ数ヶ月、こんな感じで、二人は挨拶代わりに勧誘してくる。
非常に鬱陶しい、というか今はこんなことをしている場合ではないはずだ。
なぜなら、
『今、入試テスト受けてる真っ最中なんですけどっ!? おまえら高校舐めてるの!? 俺を落とす気なの!? 今、そんなゲームどうでも良いし、バールとかいらないから!』
俺は白を基調とした綺麗な教室の中で、机の上にある紙の問題用紙と先ほどまで睨めっこしていた。
周りには同じように入試テストを受けている受験者が何人もいる。
受験者毎に現実もしくは仮想のどちらかで試験を解くか選択が可能で、最初教室を見たときは半々といったところだった。
廃人二人も本日が試験日で受験しているはずなのだが、奴らは仮想で会話しながら現実で問題を解くという器用な真似をしているのだろう。
それは俺には無理だ、仮想で話している間は現実の思考力まで手が回らない。
――――そして間違いなく、二人は仮想で話をしたいがために現実での受験を選択している。
そんなふざけた二人は、毎日長時間ゲームに時間を割いているというのに、俺に比べて勉強ができる。
以前、二人に聞いたことがあるが、毎日20時間近くVRMMOに接続しながら、日常生活を送っているらしい。
今、二人がハマっているネトゲOver World OnlineのPvPerのトップランカーとして彼女たちは有名だとか。
俺にはそういった知識が少ないので、それがどれぐらい凄いのかあまり分からない。
よく匿名の掲示板にキャラクターネームを晒されている、とは聞いている。
それから、試験中に仮想体で話をしているがバレたところで問題は無い、カンニングは完全な防止措置がとられているため、こうやって他の受験者と話すことも可能だ―――。
しかし、それとは関係なく、俺の集中力が容赦なく削られていっているので、常識的に考えて自重してもらいたい。
俺の嘆きに対して、薫が人差し指を立て横に振るのに合わせてチッチッチ、と言った後、
『間違えているよ翔くん、バールの「ような物」、だよ』
これ以上無いほど真面目な顔で、正しいアイテム名を教えてくれた。
『心底どうでもええわ!! ……じゃあな』
また無駄な情報が頭に入ってきてしまった。
二人の接続を拒否に設定した。
瞬く間に二人の仮想体が目の前から消え失せる。
最初から拒否にしておけば良かったと後悔したが、誰が試験中にネトゲの勧誘をしてくると想像できるだろうか。
俺には無理だった。
廃人共を排除した後、紙の解答用紙に筆を走らせていく。
今、受けている科目は数学で、一番苦手としている教科。
さっきので、いくつの数式が頭から抜けたのか考えたくも無い。
気を取り直して全身全霊で問題を解く。
試験が全て終わったら二人のPISにグロ画像でも送ってやろうかと思った。
◇ ◇ ◇
あれから試験も終わり、三人で帰宅の途についていた。
3月上旬。16時を回った今、陽も落ち始めていて少し肌寒い。
東京の隅っこにあるこの町も、最新技術による都市化が進んでいる。
空には円盤型の巨大ディスプレイがいくつか浮遊しており、企業のCMを流している。
周りの建物はどれも300mクラスの超高層。低いものは一戸建てか、コンビニぐらいだろう。
それらは全て地震対策を完備しており、地震が発生すると電磁力で宙から数cm浮く仕様になっている。
そうやって歩きながら、中学に通っていた時とは違う町の景色を眺めていると、
「ねぇ、翔ちゃん、昼間のことは謝るからさ、家に帰ったらOwOやろうよ」
「うむ、そうだぞ翔くん、どうせこれから春休みに入るのだし、部活もないのだろう? なら断る理由はないな!」
何百年も昔から存在する伝統の制服――上下紺のセーラー服に身を包んだ二人が再び勧誘を始めてきた。
「あるに決まってんだろ! もしおまえらみたいな廃人になったらどうすんだよ」
「「その時は、その時だよ」」
二人がそらおそろしい笑顔でハモった。
これまでは部活があるだの、受験勉強が忙しいだので断ってきていたが、ここに来て断る正当な理由が無くなってしまった。
二人とは幼馴染で家同士が隣だが、中学に入ってから俺はテニス部、二人は帰宅部で毎日のようにネトゲ三昧だった。
異性の幼馴染なんて普通なら疎遠になることもあるだろうが、二人はそうはさせてくれなかった。
俺が部活から帰って来て夕飯を食べ終えると、ネトゲをしながら人のPISで駄弁り始めるか、ネトゲを中断してVRテニスに付き合ってくれたりしたのだ。
中学に上がる頃に両親が海外で仕事を始めたため、半ば一人暮らし同然で寂しく過ごしていた俺には、そんな二人の気遣いは大変ありがたかった。
だから、特に断る理由が無くなった今、春休みの間ぐらい付き合ってやってもいいかなと思う。
「……しゃーねぇな、一ヶ月だけな」
俺は、なるべく嫌そうに溜息をついて、しばらく間置いてからポツリと口にした。
ただ、少しVRMMOにも興味があったので、言葉とは裏腹に声の調子が少し弾んでしまっていたかもしれない。
そして二人はそれを聞いて、お互いの手をとり合ってキャーキャー言っていた。
◇ ◇ ◇
部屋に着いた俺は現実と仮想の感覚を全て100%に設定して、現実の目を閉じ、ナノマシンが送り込んでいる映像だけを見ている。
目を閉じたところで、少し自室の明かりが瞼の隙間から入ってきているが、気にはしない。
普通は現実の感覚の強度を下げてプレイするらしいが、俺はVRゲームをする時は常に両方100%に設定している。
現実の感度を下げるのはなんとなく嫌なのでしたことが無い。
二人が言うには、そうやって仮想体感している人間は少数派らしい。
そして彼女たちも、感度は下げていないと言っていた。
仮想の五感は今、自室と同じぐらいの広さで茶色い四角い部屋のPIS空間に降り立っている。
すでに俺のPISには、両隣の自分の家から接続している瑞貴と薫が仮想体で、空間に設置してある仮想の炬燵でくつろいでいた。
『翔くん、インストールは終わったかい?』
『終わったけど、今パッチ当たってる』
先ほど、薫が試験中に購入していたOwOのソフトをPISで受け取り、そのままインストールしていた。
もちろん、薫に代金は支払っておいた、無料より怖いものは無い。
『ふんっ、パッチ完了したみたいよ、プレイすればっ?』
俺のPIS電子マスコットのみずきちゃんが、お知らせしてくれた。
彼女は昨年の俺の誕生日に、瑞貴がプレゼントしてくれた手作りの電子知的生命体。
見た目は瑞貴を3頭身に縮めてアニメチックにデフォルメしたような感じだ。
設定はツンデレらしい。
基本的にPISでメールの管理や、ナノマシンにインストールしているプログラムの管理をしてくれている。
そして彼女は瑞貴お手製のためなのか、たまにバグる。
『じゃあ、さっき決めたIDとパスワード入力したらいいんだよな』
『あ! 待って、翔ちゃん、さっきも教えたけどキャラメイクする時、ヒューマン、ハルピュイア、オーガ、デーモン、アンドロイドの中から選んでね、じゃないと、うちらのメインキャラと敵対しちゃうから!』
『わかっとうよ』
さっき、二人に説明されたのは、OwOは選んだ種族によって二つの派閥に分かれていて、PvPエリアで戦闘ができるらしい。
別に同種族と戦って殺すこともできるらしいがそうすると、名前が赤くなってしまい色々大変になると教えられた。
IDとパスを入力して、PIS上でOwOにログインする。
仮想の視界が、五感が、切り替わっていく。
目の前にスクリーンのような物が現れて、何やらこのゲームに設定されたおおまかなストーリーが流れている。
同時に渋いおっさんの声で、ストーリーが読み上げられていく。
とりあえず、スキップ。
すると、目の前に巨大な鏡が現れた。
鏡には裸でのっぺらぼうの人間が映っている。
どうやらこれが俺で、ここでキャラメイクしろと言うことらしい。
仮想体を設定するときもそうだが、俺は迷うとかなり時間がかかってしまうので外見も、声も、現実の肉体準拠で設定する、性別も勿論男性。種族はヒューマンに決めた。
それから、髪型と髪の色、鼻の形だけ現実と微妙に変更しておいた。
次にスキルの設定が始まった。
このゲームはレベルが存在しない完全なスキル制のゲームらしい。
キャラメイク時に1500のスキルポイントが与えられ、それを百種類近くあるスキルに割り振って自分好みにカスタマイズできる、と教えられた。
二人は、とりあえず武器スキルと魔法系のスキル、後1個は適当で良い、と言っていたので。
俺は、武器スキル『片手剣』に初期キャラ上限の500、パッシブスキル『鍵開け』に500。
他と比べて名前が浮いている魔法系スキル『超能力』に500を割り振った。
名前はカタカナでショウにして、キャラメイクを終わらせる。
すると、鏡に『ようこそ! オーバーワールドへ!』と表示されて、OwOの世界が映し出される。
どうやら、鏡を通ってあの世界に生まれるらしい、中々洒落が効いている。
そして勢いよく、鏡に突入すると――――そこはすでに別世界だった。
俺のキャラが生まれた場所は、中世の町並を再現しているらしく、煉瓦や石できた建物がそこら中に見える。
しかし、そんな周りの建物よりも、周囲の人間の数が凄まじい。
右を見ても、左を見ても、人、人、人で溢れかえっている。
地べたに座って会話している人や、忙しなく走っている人、なにやら手に剣を持って大声をだして商売している人が見えた。
さらには巨大なドラゴンを連れている鳥人間みたいなキャラもいる。
人ごみに酔ってしまいそうだ。
――以前から知っていたが、今の世の中VRMMOが人気というのは至極当然といえる。
『現実の脳』―――『ファーストブレイン』と仮想の脳『セカンドブレイン』、二つの脳の機能を使用している人間は、大量の熱量を消費する。
そのため、大昔には男性プレイヤーが圧倒的に多いとされていた、ネトゲのプレイヤー人口比が今では男女比5:5とほぼ同程度になっている。
もちろん、その理由はダイエットだ。
実際、アメリカ人の肥満が解消されたのはVRMMOのおかげと、保健体育のテキストに書いてあるぐらい抜群の効果がある。
VRMMORPGのように複雑な操作が求められる仮想空間の方が、より熱量を消費できるらしく、女性プレイヤーが群がっている。
で、その女性廃人プレイヤー二人を探しているのだが、見当たらない。
キャラ名は見ようと思えば、キャラの頭上に表示されるのだが、肝心のキャラクターネームを教えてもらっていないため、どのキャラか分からない。
二人のキャラは名前か外見を見れば一発で分かるらしく、二人はサプライズの意味も籠めて教えてくれなかった。
予め、俺の方は名前をショウにする、と言っておいたのでもうすぐ迎えに来てくれると思うのだが。
「あ、翔ちゃんみーつけた!」
「翔くん、君は外見も名前もほとんど一緒にしたんだな、一目で分かったよ!」
不意に横から聞き慣れた声をかけられる、どうやら二人も現実の声と同じにしていたらしい。
声の方を向くと、
悪魔の尻尾と翼を生やして、白いローブに白い帽子を被った小柄な少女と、巨大な黒いライオンに跨りファーがあしらってある革鎧を纏った二本の角を生やした少女がいた。
悪魔の方が瑞貴で、ライオンに乗っている鬼が薫だと一発で分かった。
容姿はほとんど現実の彼女たちと同じで、髪型や、髪の色、体の大きさが少し違っているぐらいだ。
「ふふーん、どう? どう? うちのキャラ、可愛いでしょ!」
「どうだね翔くん、この角、キュートだろう」
瑞貴は自分の尻尾を掴んで見せつけながら、薫はいやらしい手つきで角を撫でながら得意げになっている。
だが、俺はそれどころではない、二人のキャラクターネームを確認した瞬間、途轍もない寒気に襲われた。
千堂瑞貴のキャラネームは『諏訪部翔ちゃんLOVEミズキン』
姫神薫のキャラネームは『諏訪部翔くんの正妻カオル』
一度落ち着いて、冷静に思考する。
二人のキャラはどう見ても、先ほど作ったとは思えない。
普段からこのキャラで遊んでいます、と言わんばかりに装備が整っている気がする。
一時的に五感を、PISに戻す。
超特急でブラウザを開いて、某掲示板にアクセス、OwOのスレを発見そして『翔』でレス抽出すると、抽出レス数257と表示された。
レスを適当に流し読みすると、
『翔ちゃんまじUZEEEわ、だれかPKしろや』
『翔くんはチーター』
『諏訪部翔二人とも一年中INしてるけど、NEETのおっさんコンビかよwww』
『ダイエットしてるクソ豚女だろw』
その他、あること無いことあることないこと書かれていた。
OwOのマニュアルを確認、ヘルプ参照。
その後、OwOに五感を戻す。
「翔ちゃん、動き止まってたけどトイレいってたの?」
「翔くん、今のうちに言っておくが、トイレに行くのがいくら面倒くさくなっても、ペットボトルにしてはいけないよ! 人としての尊厳を忘れては駄目だぞ」
俺は先ほどヘルプで調べた通りに、目を閉じる。
暗闇の中にダイアログが現れた。
『ログアウトしますか? Yes/No』
Yes、ログアウト。
そのまま、OwOのプログラムをそっと閉じる。
現実の目を開け、嘆息。
「とりあえず、飯にするか」
俺の初めてのログインは5分持たずに終わりを告げた。