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カメリア  作者:
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 1.十一月




※ストーリーの進行上、あからさまではないものの性的描写が多々でてきます。ご容赦ください。










 1. 十一月


 修司のアパートには、椿、という男がしょっちゅう出入りする。彼の大学時代の同級生であったというこの男は、修司とは正反対の人間にみえた。立派な社会人のくせして髪色は派手だし、性格も派手だ。背は修司よりすこしだけ低い。それでも身長150センチあるかないか――ほんとうはないのだけど、公言するときにはついあると言ってしまう――のあたしからすれば、見上げるほどに背が高かった。修司の身長は180センチちょうどもある。あたしと修司がならぶと、兄妹にしかみえない、不服なことに。

 修司いわく、「椿は俺の唯一の友人だ」という。あたしの存在を気にかけることもなく、週におよそ四、五日のペースでアパートにやってくる。そのまま何泊も居座ることもあれば、夕飯や昼食、はたまた朝飯だけ食べに(椿いわく「シャワー貸して。ついでに飯食わして。いまから出勤なんだよね」) ふらりと寄り付いたりする。この一年、ほとんど家族の一員なみの頻度で顔を合わせているのだが、椿、というのがはたして名字なのか名前なのかはしらない。派手でお気楽で見境のない遊び人。ルックスはいいかもしれないが、最低な男だ。それがあたしの彼について持ち合わせているすべての知識だった。

 年頃の娘のいるたった八畳1LDKの狭いアパートに入り浸るなんて、非常識にもほどがあるのではなかろうか、とは(正直)思うが、あたしに文句を言える権利はない。ここは修司のアパートだ。居住年数は五年ちかく、彼の生活に突如として転がり込んできた闖入者はあたしの方だ。

 一年ほどまえ、あたしが彼のアパートの居候となってほどなく、修司は大学時代から付き合っていた、三年来の恋人に別れを告げた。律儀なのだ、椿と違って。そこまでする必要ないのに、とあたしはもぐもぐ言った――ほんとだよ、もったいねえ、と椿も呆れた。はじめてあたしが椿という男に会った日、あたしの歓迎パーティー兼修司の失恋パーティーの日だった――が、実際はすごく喜んでいた。物心がついたときから修司が好きだった。物静かで穏やかで、見た目もひょろ長く、ただやさしそうなお兄さん、といった風貌なのに、そのからだを巡る血はとても熱い。昔から近所のちびっこたちにとって彼は正義のヒーローだった。弱い者いじめが、なによりもゆるせない性分なのだ。穏やかそうにみえる内面、その情熱は燃えたぎるように熱い。幼いころからあたしの王子様だった修司。また一緒に生活ができるようになって、ほんとうにうれしかった。それにいたるまでの顛末がどのようなものであったにせよ――。




「やあ、わが妹よ」と椿の声がしたので、振り向いた。今日はテストの初日だったから、下校時間はいつもよりもはやい。自転車を漕ぐこと三十分。アパートに到着し、階段をのぼり、二階にある修司の部屋の鍵を開けているところだった。西日を真っ向から浴び、橙に染められた椿はまぶしいのをおくびにもださず、爽やかに手をあげた。反対側の手には、コンビニの白いビニール袋。

「なにしてるの?」とあたしは眉根をよせた。何時だかしってる? という意味だ。

「営業先が一件キャンセルになったんで、ちょっと休憩に寄った。みすず中間テストつってただろ、朝」

「堂々と“サボってます”宣言だー。それでいいのか社会人」

「修司みたいに肩肘張ってまっすぐ突っ切った人生送ってたらね、おれはすぐぺしゃんこになっちゃうから」

「修司はいい子だもの、椿とちがって」


 椿は朗らかに笑った。明るい茶髪、ふわふわのパーマ。それにスーツなんか着ていると、まるで新成人みたいだ。ちぐはぐ、というのではなく、とてもよく似合っているのだけれど。椿は年齢不詳にみえる(まさか七つも離れているようにはとてもみえないのだ)。ならんで歩くと、十中八九恋人と間違えられる、不服なことに。あたしは顔を赤くして顔を背けた。


「あーっ、なぜドアを閉める。ぼくも入れてくれよう」

「いやだ。はやく仕事に戻れ。馬鹿社会人」

「大変だ、もうだめだ、アイスの溶ける音がする」


 アイスが溶けるよう、という情けない声に、思わずあたしは施錠した鍵をふたたびあけてしまう。すぐさま椿が飛び込んできた。いきおいで、そのまま押し倒される。

 やめろ、淫行、犯罪だ、とあたしは目を三角にしてわめき立てた。あわててその口を椿の大きな手のひらがふさぐ。


「近所に誤解される!」


 誤解される、もなにも。紛れもない事実だ。手のひらがはずされ、あたしはふたたび罵りことばを口にしようとするが、それよりはやく、椿の唇があたしの口をふさいだ。すでに半開きだった唇に、椿のやわらかな舌がねじこまれる。はじめはこちらの様子をさぐるみたいにやさしく動いていたが、すぐに乱暴になっていく。すこしずつ角度を変え、長い時間をかけて、椿は攻撃的にキスをつづけた。こちらも果敢に応戦するものの、体力のないあたしはすぐにちからつきてしまう。そうなれば、あとは椿の独壇場だ。あたしはされるがままになってしまう。

「アイス……」かろうじて合間をみつけて、息絶え絶えに言った。「とけるよ」

「秋も深まってきただろ。そんなすぐに溶けるようなヤワなやつらじゃないぜ」椿は平然と言ってのけた。


 だましたね! とあたしはふたたび目をつり上げた。ごまかすかのように、椿はあたしの唇をついばんだ。上唇、下唇。そして上唇をぺろり、と舐め、へへへ、と少年っぽく笑ってみせるのだった。あたしはぐう、と不興げにうなる。


「ではアイスは冷凍庫に。時間のないぼくらは速やかにベッドへ移動しましょう」


 おどけてそんなことを言う。椿の言うベッドは、修司の、世間一般の言うところのソファだ。あたしの寝床でもある。ちびっこなあたしにはあつらえ品のようにぴったりのベッド。椿にはすこし窮屈そうではある。


 あたしたちがこのような関係に発展したのは、いまから一カ月ほどまえのことだ。

 修司と椿はリビング隣の寝室で眠り、あたしはこのソファのあるリビングで眠っている。ある真夜中に、なにかの重みで目がさめた。重いな、と思考がはたらきはじめたころには、すでに舌入りのキスをされている最中だった。はじめは修司かと思ったが、匂いがちがった(修司は香水なしでもあまい香りがする)。あたしはぎょっとして、あまり力の入らない両手両足をばたつかせ、全力で抵抗した。声もあげようとした。椿はキスを止めなかった。それどころか、あたしが起きたのをしると、さらに荒々しくそれを深めた。苦しかった。


 ――修司に気づかれるぜ。嫌だろ?


 酸欠状態になり、朦朧としてうまく抵抗できなくなると椿はようやくキスを止め、声をひそめてそんなことを、神妙な顔で言った。よっぽどましだわ、とあたしは驚愕に思ったけれども、ちからつきてしまっていて、言葉にできなかった。

 椿はその沈黙を承諾とみたのか、行為を再開しだした。しばらくおとなしくしていたあたしだったが、唇が首筋、鎖骨、と降りはじめたのにあわてて抵抗を再開した。椿に止める気配はなく、止める意思もないようだった。抗戦むなしく、あたしの暴れる両手は椿の器用な片手によって拘束され、もう片方の手でパジャマを脱がされた。無垢で純粋な七つも年下の女子高生を、なかば無理やり手込めにするなんて、なんてとんでもない男なのだろう。

 そのようにして――これがあたしの初体験だったのだけど――ほとんどちからずくで、あたしと椿は、一線を越えた関係になったのだった。




「時間ないから」と耳元で椿がささやいた。たちまち全身の肌がぞわぞわと騒ぎだす。「もういれるな」

 獣のような姿勢で、あたしはかたく目をつむり、うなずいた。性交中、あたしは相手に顔を見せたくないから、毎度が毎度この姿勢だった。

「たまには正常位が……」椿がしずしず口を開く。

「いやだ」きっぱり。


 椿はしばらく思案をめぐらすかのように黙っていた。油断していたら、突如、不意をつくかのように彼が体内に侵入してきた。あたしは声をあげそうになるのを、なんとか我慢した。

「じゃあさ」、こちらの苦悶にもどこ吹く風の椿がまぬけに言った。「最中ぐらい、名前呼んでよ」


 名前。


「……椿じゃないの?」だったら君は一体だれなのだ。

「それ名字だから」さらり、と椿は言った。一年越しの事実。椿、というのは、名前ではなかった。

「しらない」

「まじで言ってる……?」椿がすっとんきょうに言った。


 どうしてしることができよう? とあたしはからだをねじり、彼の顔をみた。椿はふてくされていた。


「修司が悪いんだ。あのシスコン野郎」

「こいつ椿。としか紹介受けてないからね」


 あの野郎、ともういちど悪態をつき、椿は腰の動きをはやめた。あ、と今度こそ声をあげてしまった。あわてて口をおさえる。

 変態の椿は、「その必死に声我慢してるのがたまらなくかわいい」と、にやにやとした声で言った。あたしは舌打ちした。椿の纏うものがとたんに悲しそうになった。


「みすず」


 名前呼んで、とせっぱつまった声で椿が言った。あたしに余裕はない。ちからなく首をふった。


「しらない、し」

「侘助」

「え」

「わ、び、す、け」

「わびすけ」

「そう」

「わびすけ」

「もっといやらしく」


 馬鹿のひとつ覚えのように、あたしは繰り返した。わびすけ、わびすけ、わびすけ、わびすけ。椿は満足そうに息をもらすと、ラストスパートにかかった。呼吸困難になりかけながら、あたしはうわごとのように繰り返した。

 わびすけ、わびすけ、わびすけ、わびすけ、わびすけ……。


「一緒にいこう」、苦しそうに椿が言って、あたしは限界を迎えた。




「椿の種類なんだ」アイスをつつきながら、椿は言った。あたしは横目で時計をちらり、一瞥した。いくら勤務中とはいえ、すこしはやすぎるのではないだろうか。でも言わない、こうみえて椿は傷つきやすい。


「なにが?」

「侘助」

「椿は椿じゃないの?」

「とても品種の多い花でね。日本人が一般的に椿、と認識しているのも、藪椿っていう種類の仲間なのだよ。春山茶花とか」

「くわしいね」

「だてに二十四年、椿をしてないから」と椿は胸をはった。「椿だけでなんと、二千種類以上もの仲間がいる。侘助も、その一種」

「ご両親はよっぽど椿という花を愛していらしてるのね」

「うちの父親のプロポーズにプレゼントした花でさ」と椿はほほえんだ。「婿養子なんだ、父さん」


 へえ、とあたしは言った。


「二度めのプロポーズなんだそうけどね。一度めで、ほら椿家は昔割と良家だったから、母が“あなたの家庭に入ることはできません”つって、嫁ぎ拒否してさ。それで出直しになって、侘助を持っていってプロポーズしなおしたんだそうだよ」

「すてき。なんて言ったんだろう」

「“僕は椿という花が大好きだ。君とおなじくらい愛している。この椿を知っているかい。もし生まれた子供が男の子だったら、この花の名前をつけよう”」

「ふむ」

「恋人とおなじくらい花を愛してるってのは嘘っぽいよな、どうしても」

「でもお母さまは感動なさったのね」

「で、鉢植えのおれが生まれたわけだよ」


 それにしても、とあたしは言った。自分のぶんをすでに完食してしまったので、椿のアイスを横取りする。意地きたねえ女だな、と椿は呆れた。

「君はぜんぜん、わびすけっぽくないのね」

「残念ながらよく言われる」と言った椿は、なぜだか、してやったりという顔をしていた。


「ギャップというやつさ、わかるか、みすず君。この容姿と名前のその差がね、ウケるのだよ。渋かわいーつってな」

「せんせーい、ぜんぜん理解できませーん」





 ――兄妹でとか、ついつい妄想してしまうじゃないか。いったい中でなにが起こってんだよ? つって。想像してたら、今夜はなんだかむしょうに興奮してしまってね。


 はじめて椿とそういうことになってしまった晩の、椿の言葉だ。ちょっと我慢できなかった、へへ、と椿は言った。へへ、じゃないよ、我慢しろよ、とあたしは思ったが言わなかった。

 まるで氾濫した川に落ちたときのように、至極あっさりと、流れにのまれるかのように経験を終えてしまった、ということに強いショックをおぼえたし、愕然としていた。セックス、というものはちょっとした、もっと一大事件のようなものだとばかり思っていた。聞いたところによると、はじめては痛いものだということだったけど、実際はちっとも痛くなかった。血もでなかった。気持ちよくはなかったけれど、気持ち悪くもなかった。隣の部屋には修司がいたのだから、逃げようだとか気づいてもらおうだとか、本気で思っていればなんだって打つ手立てはあったはずなのだ。だから、結局は、合意のうえで、ということになる。

 実際、それからというもの、夜はたびたび、ときには今日のように仕事の合間を縫って、椿はあたしを抱きにくる。濁流にのまれるまま、あたしは拒まない。

 隠そうとしているわけではなかったが、このことを、修司はまだしらない。あたしは相変わらず彼のことを愛していたし、じぶんから言えるはずもない。けれど椿が彼に事実を伝えるなら、そうしてくれて構わないとも思っていた。いくら風変わりな関係であっても、結ばれることも叶うこともゆるされぬ恋なのだ。こればかりはしかたがない、大昔からの禁忌。だれも責められないことだ。


「そろそろ行くな」と椿は立ち上がり、スーツの上着を颯爽と羽織った。

 玄関先まで見送りにでる。「夜は?」とあたしが訊くと、「当然くる」と言った。当然……。

「君の大好きな修司くんだけど」靴を履き終えた椿が唐突に言ったものだから、ちょっとどきりとした。


「とても好きな言葉がある」

「修司の言葉で?」

「『振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない』。」


 ああ、とあたしは言った。「寺山さん家の修司くんね」

 修司、という名は、あたしたちの両親が敬愛した寺山修司にちなんでつけられた(ちなみにあたしの名は、金子みすゞにちなんでつけられた)。


「みすずはさ、この言葉を忘れちゃいけないよ」

「……なぜ?」


 いい言葉だからさ、と大まじめに椿は言った。そして爽やかに手を振り、仕事に戻っていった。

 閉められたドアの内側で、あたしは思った。それって。


 ――こうなってしまった以上しかたがない。あきらめな。


 ってことかい?

 あたしは肩をすくめ、リビングに戻った。着替えて夕飯の買い出しに行かなくては。今夜修司は帰りがはやい、と言っていたし。くしゃくしゃになってしまった制服を脱ぎ、ジーンズに足を通しながら、つくづくあたしは思った。

 やっぱり椿はろくでなしなのだ、と。







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