蟲がいない人
私は、きっと、頭がおかしいのです。
クラスメイトたちのおしゃべりでにぎやかな昼休みの教室。
その中で、私は一人うつむいてお弁当を食べていました。
今日のおかずは玉子焼きにウインナー。ご飯にはかつおのふりかけがちりばめられています。
お母さんが朝早くおきて作ってくれた、とてもかわいらしいお弁当です。
けれども、それを見てくれる友達も、今はいません。
俯きながら食べている私の机に誰かが軽くぶつかって、お弁当箱が小さく揺れました。
「あ、ごめん。柳さん」
さほど悪いとも思っていないような軽い謝罪は、男子のものでした。
私は「ううん」と口にしながら、ついうっかり――本当についうっかりと、顔を上げてしまい、
「――ひっ」
強い後悔とともに、息を呑み、表情を引きつらせ、あわてて顔を伏せました。
その直前、私の目に映ったのは、クラスメイトの男子の姿――などではなく、おぞましいほどの数の「蟲」で模られた、黒いひとがただったのです。
ひとがたから離れたのだろう数匹の蟲が、私の鼻先を飛び回ります。
ハエによく似た(ならばハエとどう違うのかと聞かれても、実のところ説明はできないのですが)その蟲を、蟲の塊を視界に入れないように、私は目をきつくつぶりました。
足音が遠ざかります。
幸いにして私の不審な行動は、さほど彼の興味を引かなかったのでしょう。
薄目を開け、目の前にあの蟲が飛んでいないのを確認すると、私は安堵の息をつき、再びお弁当に箸をのばしました。
「う……」
先ほど見てしまった気色悪い光景に、吐き気がこみ上げます。ですが、ご飯で無理やり押し流すようにして、どうにかそれを飲み込みました。
作ってくれたお弁当を残してしまっては、お母さんが悲しみます。心配します。
また私がおかしくなってしまったのではないかと、心を痛めます。
――ですが、そんなやさしいお母さんも、今では蟲です。
いいえ、お母さんだけではありません。お父さんも、親友だった久美子も、早苗も、先生も、私の周りの誰も彼もがみんな蟲なのです。
彼らが蟲なのだ――などとは、おかしいのかもしれません。
だって、あの見ただけで吐き気を催す蟲たちの下には、間違いなく私が本来知っているはずの人間がいるのですから。
そう、あの蟲たちは、人間に集るのです。
蟲が現れたのは、何か明確なきっかけがあったわけではありません。
はじまりは久美子と早苗と机を囲んでおしゃべりをしていた、そんないつもどおりの、当たり前の日常からだったのです。
「久美子。肩、なんかついてるよ」
「え、なに、ゴミ? 取ってー」
久美子の白い制服にぽつんと浮かぶ黒い点。
とても目立つはずなのに、それはいつからそこにあったのか、どうして私は今まで気づかなかったのかまるでわかりませんでした。
私は久美子に頼まれる前にはもう、その黒点へと手を伸ばしていました。そこで初めて、それが虫であると知ったのです。
「あ、ハエっぽい」
「うっそー、やだあ、早く追い払って」
「自分でやればいいじゃないの……」
なんて、つぶやきながらもそれを払おうとして――、
「あれ?」
虫が依然としてそこにいることにわずかな疑問を抱きました。
「うわ、ぜんぜん逃げない」
しぶといなあともう一度、今度はやや強めに払い除けようと試みて、「あれ?」と再び私はつぶやきました。
虫は逃げないのではありません。
そもそも、私の手など見えていないかのような……いいえ、そもそも私の手など、まるでその虫に触れてなどいなかったのです。
どうしてか、確かにぶつかったはずなのに。
「え、うそ、なにコレ」
半分パニックになりながらも、私は繰り返し虫へと手をやっていました。
しかし、結果は変わらず。「ねえ、まだあ?」と久美子が私をせかします。
そしてそのうちに、早苗がポツリと、とても怪訝そうにたずねてきたのです。
「ねえ、亜由……あんた、さっきからなにやってんの?」
「何って、見ればわかるでしょ。このハエを追い払おうとしてんでしょ。ってかなによこれ、ぜんぜん触れない。気持ち悪い」
「……私からすれば、今のあんたのほうが気持ち悪いよ。ハエって何よ、そんなもの、」
――どこにもいないじゃない。
薄気味悪そうにそう言う早苗に、私は引きつった苦笑いを返すことしかできませんでした。
「早苗、なに言ってんのよ。ほら、ここに、久美子の肩にハエが……虫がついてるじゃないっ」
しかし、口から出る言葉とは裏腹に、私は早苗こそが真実を語っているのだと気づいていました。
触れているはずなのに、触れることのできない虫。あるいは幽霊のようなそれを、どうして尋常なものとすることができるでしょうか。
私にも理解はできていたのです。ですが、認めることが恐ろしく、繰り返し、繰り返し、久美子の肩を払っていました。
「ねえ、結局どうなってんのぉ? 虫はとれたの? それともいないの?」
「いないわよ、そんなの」
早苗は久美子から私の手を引き剥がすと、そのまま心配そうに顔を寄せてきました。
「亜由、あんた、疲れてるんじゃない? テストが近いからって、根詰めすぎてない?」
「……うん、そうかも」
つぶやきながら、私は早苗に握られたままの手に視線を落としました。
伝わってくる体温は、まるで彼女の優しさをそのまま通したかのようで、ゆれた私の心を静めてくれました。
くれました、が、
「……あ」
そのとき、私は見てしまったのです。
浮き出る汗のように、早苗の手の甲ににじみ出た、ハエのようなあの虫を。
「また、虫が――」
目の前の非現実的な光景に、私は言葉をつむぎきることはできませんでした。
……いいえ、つむぎきることができなかったなどと言う生易しいものではありません。
このときの私は、言葉を忘却していたのです。
がくがくと足が震えます。口から漏れるのは「あ」だの「う」だのという単音だけ。もしかしたら、はしたなくよだれなど垂らしていたのかもしれません。
「どうしたのー、亜由? ……亜由ぅ!?」
よほどひどい様相を呈していたのでしょう。普段どこかのんびりとしている久美子の声が荒げられました。
「亜由、しっかり! しっかりして!」
早苗もまた、私の手を強く握り直します。
ですが、このときの私にはもはや彼女たちの姿は見えていません。
私の網膜に焼き付けられたのは、彼女たちの体の中から湧き出した、蟲の集団だけだったのですから。
――この瞬間、私はすべてが夢であることを心の片隅で祈りながら、意識を手放しました。
もちろん、現実はそれほど甘くはありません。その日を境界に、私の世界は大きく変わり果てました。
何せ、目に映る人々がみな蟲の塊なのですから。それは両親も例外ではありません。
いえ、むしろ両親の方がより多くの蟲にまみれているようにさえ思えました。
すでに家は、私にとって安息の地にさえなりません。
「亜由。今日は学校どうだったの?」
お母さんの声が、蟲の下から聞こえます。
私は食卓テーブルの上に並べられた皿だけを凝視して、「普通。別に変わったことなんて何にもないよ」と答えます。
「もう、『虫』がどうのこうの言ってないだろうな。前は三日も学校を休ませたんだ、治ってもらってなくては困る」
お父さんの声が、蟲の下から聞こえます。
私はやはり皿だけを見つめて、「うん、大丈夫」と返します。
「……ならいい。精神科にかかるなどされたら、世間体が悪いからな」
「あなた……!」
「何を言う、亜由の将来にだって関わることだぞ」
お父さんの言葉に、お母さんが小さく、けれども強く反応し、険悪な雰囲気になります。
私はうつむいたままに、それでも精一杯の笑顔を浮かべて、
「そうだね、私も恥ずかしいよ」
二人を安心させるように、きっぱりと言いました。
そう、安心させなければなりません。
お父さんは今日のように世間体を強く気にする人ですが、普段は家族思いのとても良い父親なのです。
お母さんは今日のように私のことをとても気にかけてくれる人です。けれども、気にかけすぎて自分の体調をも崩しかねないのです。
ですから、私は両親を安心させねばなりません。
おかしいのは私なのです。私の頭なのです。
私には蟲など見えていません。見えていないことにしなければ、ならないのです。
私はもう一度言いました。
「大丈夫」
それは両親に向けたのか、私自身に向けたのか、定かではありませんでした。
人に蟲が集るように見えてから、学校に行く以外に私はほとんど外出をしなくなりました。
買い物をするコンビニの店員さんがレジ袋を渡してくれる手は蟲だらけです。
いつも会えば挨拶をしてくれる近所のおばさんは、その笑顔も蟲で隠れて見えなくなっていました。
私が直接会う人たちは、みんなみんな蟲に集られています。
――どうして私だけ、蟲が見えるのでしょう。
私はカーテンも開けず、明かりも点けず、ただ薄い暗闇でまぶしく浮かぶテレビの画面を眺めています。
テレビに映る人たちは、私がよく知る『人間』です。蟲は見えません。
これは画面を通しているからなのでしょうか、理由はまるで見当もつきません。
しかし、私にとって動き、しゃべる、普通の人たちを見る少ない機会であることに、変わりはありません。
見たい番組がなくなれば、スマートフォンを手に取ります。
とあるSNSを眺めるのが、今では一番の楽しみです。
もともとアカウントは持っていましたが、今動かしているのは新しいものでした。
キラキラした友人を見ると、私が惨めに思えてしまうからです。
『今日も授業つかれたー! 学校行きたくないー!』
こんなくだらない愚痴っぽい投稿を、よくしています。
それでも、文字だけのSNSの中では、まるで早苗や久美子と一緒にいたときのような……自分がまともだった頃に戻れたような気分にさえなりました。
「あ、また」
ぽつりと、思わず独り言が漏れました。
私がしたばかりの投稿に、早くもコメントがついているのです。
『おつかれ~。学校なんて行きたくないよねー』
そのひとの名前は「コタロー」さん。私の投稿にほぼ毎回反応を返してくれる、定連さんです。
自分で言うのもなんですが、私の投稿はそれほど面白い物ではなく、せいぜい学校であった出来事を話しているくらいです。
なので、彼が私の投稿にいつもコメントをくれるのか、不思議でした。
コタローさんの投稿は私とは違って、友達と遊んだことばかりが書かれています。うらやましい、と思います。
プロフィール欄を見ると、彼は私と同い年で、住んでいる地域もまた同じでした。
彼は私に構ってくれるのは、そのあたりが理由かもしれません。
私は『そうですよね。誰も学校なんて好きじゃないですよね!』などと返信し、彼がした投稿にも『わかる〜!』とコメントを残しました。
普段は彼の友人たちが多く書き込んでいるのですが、今日は私が一番乗りです。
積もったばかりの雪に足跡をつけるような、そんな小さな喜びを感じました。
他愛のないコタローさんとのやり取りが、今はとても楽しいのです。
コタローさんが、私のことをどう思っているかまでは、正直わからないのですが。
「ふあ……」
あくびが出ました。スマホの時計へ目をやると、零時を回っていました。
前までは二時、三時と起きていたことも良くありましたが、暗い部屋でテレビやスマホばかりしていて目が疲れてしまうようで、このぐらいの時間になると強い眠気に誘われます。
私はスマホの画面を消すと、ベッドに潜り込んで目を閉じます。
――朝なんて来なければいいのに。
そんな事を思いながら、私は眠りにつきました。
夢の中だけは、蟲は出てきませんでした。
今日は現国で抜き打ちの小テストがありました。
ブーイングの嵐が教室中から巻き起こりましたが、蟲だらけの先生は気にするそぶりも見せず、
「授業をちゃんと聞いていれば、解るようには作ってある」
などと言って、用紙を配っていきました。
みんなは嫌がりましたが、ずっと下を向いて集中できる分だけ、私にはありがたかったくらいです。
そんなようなことを投稿してからしばらくたって、私はSNSのメッセージボックスに、一通メッセージが届いていました。
差出人はコタローさんです。
メッセージを開くと、私は軽く驚きました。
そこには、「もしかして」と前置きこそしてあったものの、私が通ってる高校の名前が書いてあり、私がそこの生徒ではないか? という問いかけでした。
何故解ったのだろうと、ほんの少し薄気味悪い物を感じました。
しかし、結局はなんということもない、コタローさんもまた同じ高校に通っていたのです。
『今日、俺も小テストあったんだ』
『え、そうなんですね』
『そうなの。前から同じようなイベント起きてるなーって思ってはいたんだ。だからもしかしたら同じ学校じゃないかなって』
しかし、もし間違っていたらという思いから、コメント欄にではなく、メッセージを送ってきたのだと。
私はなんだが嬉しくなり、「そうです。同じ学校です」と返信してしまいました。
会ったこともない人ですが、これまでのやり取りで私はほんのりとした好意を彼に抱いていました。
そんなコタローさんとの同じ学校という共通点があっただなんて。嬉しくて仕方ありません。
すると間もなくして、コタローさんから「良かったら、今度会わない? 実は前から気になってたんだ」とメッセージが届き、私はさっきの浮かれた気持ちも沈み、後悔をしてしまいました。
――生身の人には会いたくない。
私は、直接顔を合わせるのは恥ずかしいから――なんて適当な理由をつけて、断り文句を返しました。
幸いそれ以上にコタローさんが押してくることはなく、私は一人安堵の息を漏らしたのです。
ここ最近、ずっとそうしているように。私は床を向きながら歩いています。
トイレから教室に戻るとき、すれ違う人々の靴は蟲にまみれていました。それでも、顔を上げて歩くよりはよほど少なく済むのです。
ですが、
「え?」
私は思わず声を上げてしまいました。
――靴が見えたのです。私よりも大きめの、真っ白な上履きが。
見えるはずのないものを見て、私ははっと顔を上げ、振り向いてしまいました。
そこにあったのは、蟲にまみれた人型にはさまれた、一人の男子生徒の背中。
――そう、男子生徒の姿があったのです。
蟲がほとんど付いていない、今では画面の中にしか無かった、人間の姿が、そこに。
「あっ、あの――」
気がつけば私は、その背中に向かって声をかけていました。
蟲の塊と、男子生徒がこちらを振り返ります。
私は、その男子を知っていました。
クラスは違いますが、整った顔立ちで女子の間では有名な城山君です。
同時に、彼には女性関係が派手だという噂があることも私は記憶していました。
「何? こいつに用事?」
蟲が男の子の声で城山君を指差します。私はついと目をそらし、うつむいてしまいました。
「あ、いえ……」
以前の私ならそこまで気負わずに会話をすることができたでしょう。
でも、今の私はしどろもどろに言い淀むのが精一杯でした。
卑屈だな、と自分でも思います。
「柳さん……だよね、三組の」
すると、城山君が一歩前に出て私に話しかけてくれました。
「は、はい」
私はビックリして顔を上げます。柔らかく微笑んだ口元からはわずかに白い歯が覗いていました。
目が合いました。人と目を合わせるのは久しぶりでした。
「なにか、用があったんだよね。俺で合ってる?」
「いえ、その、用事というか」
挙動不審な私にこうも軽い調子で話しかけられるのは、やはり噂通り女慣れしているからでしょうか。
そして、私は特に用件があったわけではありません。ただ、
「蟲がいないから……」
手振りを添えて尋ねてきた彼の指先にはわずかに蟲が数匹。ですが、いつかの久美子のようにそこから増えていく様子はありません。
それが、私には不思議でたまりませんでした。
「え? 虫?」
顔に疑問符を浮かべた城山君に、私はかあっと頬が赤らんていくのを感じます。
「す、すみません!」
私は踵を返してその場を逃げ出しました。
背後からは戸惑いの声が聞こえます。
「あれ、コタロウに告ろうとしてたんじゃね?」
そんな蟲の声が遠く、耳に届きました。
思い返せば、城山君の下の名前はコタロウでした。漢字は分かりませんが、私はつい、SNSの「コタロー」さんを連想してしまいます。
私は家に帰ってから、今日あったことを投稿しました。
もし、コタローさんが城山君なら、きっと何かアクションがあるのではないかと期待して。
どうして城山君にだけ蟲がついていなかったのでしょうか。いえ、まるきりついていないわけでありませんが、とても少ないものです。
考えると、蟲の集まり方は人によって違いました。
一番多いのは両親でした。そして、私に近い人ほど多くの蟲が集まっていて、あまり関わりのない、少し評判の悪いような人たちは比べてみると少ない気もします。
気がするというのは、私がそこまでつぶさに観察をしているわけではないからです。
怖くて、気持ちが悪くて、そんなことはできませんでした。
――スマホの通知音が鳴ります。
画面に目を落とせば、コタローさんからの返信です。
『もしかして、三組の柳さん?』
――その時、私は運命を感じてしまいました。
「コタローさんは城山君ですか?」
私の問いにすぐに既読がつきます。
そして、彼の「そうだよ」という返信が届いたのはややしばらくしてからでした。
目の前がぱあっと明るくなりました。
蟲が集まらない城山君が、SNSで仲良くしているコタローさんだったなんて。
私は矢継ぎ早にメッセージを送ります。
今日は変なことを言ってしまって申し訳なかったこと、どうか嫌わないでほしいこと、できたらこれからも仲良くしてほしいことなど、思いついたことをただ並べ立てて送りました。そしてふと、
――もしかしたら引かれてしまうかもしれない。
と、冷静になってしまいました。
慌ててメッセージを取り消そうとしますが、すでに既読マークがついています。
私はここ最近で一番落ち込みました。
一筋の希望を、自分の行いで潰してしまった。自己嫌悪で胸が悪くなります。おえおえと、胃液が逆流してきました。
私が口の中に広がる酸味に苦しんでいた、その時です。
通知音ともに『そんなに気にしなくていいよ』『こちらこそ仲良くしてくれると嬉しい』というメッセージが表示されました。
私は有頂天になり、前に会わないと言ってしまったことを撤回したいと伝えました。
そうするとまた既読になってから間が空いて、
『実は周りにSNSをしていることは内緒にしているんだ。だからもし外で話しかけてくれるときもSNSの話はしないでほしい』
そんな言葉が返ってきました。私はほんの少しだけ不思議に思いながらも、そんなこともあるかもしれないと、わかりましたと返信をします。
『ありがとう。もし、柳さんがうっかりその話題を振ってきても知らんぷりをするかもしれないけど、合わせてくれると嬉しい』
今度の返信は、すぐに来ました。私はそれにもわかりましたと返します。
『ふたりだけの秘密だね』
――歯の浮くようなセリフなのに、胸が高鳴ります。
流石、浮き名を流す城山君の面目躍如といったところでしょうか。
いえ、この使い方が正しいかはよくわかりませんが、そのくらい私は興奮してしまっていました。
明日の学校が楽しみになるなんて、一体いつぶりでしょう。
私は心が浮き立って、この日は眠りにつくのが遅くなってしまいました。
夢には城山君が出てきて、私は夢の中でも楽しい気分になれました。
次の日の学校で私はすぐに城山君を探しました。
とは言っても、やっぱり下を向いています。
それでもわかるのです。
城山君は蟲が集らないので、綺麗なままの靴を探せばいいのですから。
「――あっ」
いました。恐る恐る顔を上げると、彼は蟲がいっぱい寄り付いた男女に囲まれ、楽しそうに笑っていました。
私は――、その輪に割り込むことができませんでした。
また下を向いて、私はトボトボと引き返します。
すると、
「あれ、柳さん? コタロウに用があったんじゃないの」
男子の声がしました。私は振り返らず、「いえ、何でもないです」と言って歩きました。
もしかして、昨日城山君と一緒にいた人でしょうか。
顔も見ずに去るというのはとても失礼だったかもしれませんが、そう思われる以上に蟲を視界に入れたくはなかったのです。
しかし、
「ちょっと待って、呼んでくる」
その彼は城山君に声をかけに行ってくれ、間もなくして城山君がやってきました。
「ああ、柳さん。昨日ぶりだね」
「あ、し、城山君。こ、こんにちは」
彼の切れ長の瞳で見つめられると、顔が赤くなります。城山君はそんな私が面白いのか、クスクスと笑いました。
「昨日は、変な感じでごめんなさい」
メッセージでは伝えていましたが、やはり面と向かって一度謝りたかったので、私は頭を下げました。
城山君は一瞬目を見開いたかと思えざ、「なんだ、そんなこと気にしてたの?」だなんていって、やっぱり笑うのです。
「ちょっと俺、柳さんのこと気になってきちゃったな」
言って、城山君はスマホを出してきます。その画面にはメッセージアプリの二次元コードが表示されていて、
「連絡先、交換しない?」
そう、ウインクを向けてきます。
私はそれが彼の合図だと解釈しました。
ふたりが繋がっていたSNSではなく、多くの人が使用しているアプリの連絡先を堂々と交換する。
SNSを使っているとバレたくない彼なりの隠蔽工作なのでしょう。
「はい、交換しましょう」
私は否やもなく、二次元コードをカメラで取り込み、彼をアプリの友人欄に加えました。
――虎太郎。
そのアカウント名とちょっとふざけた自撮りのアイコン。城山君らしいと、なんとなく思ってしまいました。
ああ、そういえば。あのSNSではアイコンはデフォルトの人型のシルエットだったな、なんてどうでもいいことも思い出していました。
「今度連絡するね」
そう言って、城山君は友人の輪へと戻りました。
私は「ありがとう」とお礼を言って、今度こそ踵を返しました。
ニヤニヤと彼のアイコンを眺めてしまいます。
「よかったね」
突然かけられた声に、私はビクッと肩を跳ねさせました。
咄嗟に振り返るとそこには蟲の塊があって、私は息を呑み、すぐにうつむいてしまいます。
「……上手くやりなよ。応援してる」
足音が遠ざかります。思えば、彼はさっき城山君を呼んできてくれた人なのでしょう。
――本当に、私は彼に失礼を働いています。
いつか、正面からお礼がいえる日が来るといいのですが。
私はそう思いながら、自分の教室へと帰りました。
この日の夜。早速城山君からメッセージが来ました。
『こんばんは、今いい?』
なんてこちらの都合を気遣ってくれました。
私は「大丈夫です」と返し、そこからは城山君のペースでトークが弾みました。
SNSに投稿するのとはちょっと違った軽い感じが、直接会った城山君らしさを感じさせて、私は目の前に彼がいるような錯覚さえ覚えます。
でも、蟲の話だけはできませんでした。気味が悪いと思われたくないのです。
そのトークをしている最中でした。
通知音が鳴り、SNSで城山君――いいえ、コタローさんの投稿が更新されます。
それは短い間隔でいくつか続きました。
その間にも、城山君は私とお話をしています。私はほんのちょっとだけ不思議に思いましたが、
――城山君は器用だなあ。
なんて、変な感心をして、納得しました。
やがて、
『おやすみ。また明日』
そう締めくくられて、やり取りが終わったとき。私はほおとため息をつきます。
――とても、楽しいひとときでした。
そして私は、あらためてSNSをチェックします。
彼の投稿は友達とのお話で楽しかった話題が中心で、私は「いいね」と簡単なコメントを残します。
私の話題が無かったのが、少しだけ寂しいと思ってしまいましたが、コタローのアカウントは秘密なのです。
納得した私は温かな気持ちを抱いたまま、眠りにつきました。
また明日もいい日でありますように。
その日から城山君とのトークは夜の日課になりました。私はクラスも違うし、蟲が集る人の輪に入ることもできない分、ここでたくさんお話をしました。
でも、廊下でばったり会ったりしたときには、
「やあ、柳さん。今日も下向きだね。可愛い顔なんだからもったいないって」
そんなふうに蟲の集らない笑顔を私に向けてくれるのです。
私の心はそのたびに彼へ傾いていきました。
ただ、彼のそばにはいつも蟲がたくさん集まった塊があるのが、どうにも気になります。
それがきっと、城山君との間を取り持ってくれた彼なのだとは思うのですが、どうしても気持ちが悪く思えてしまい、申し訳なさを覚えるのです。
そんなことが、何日か続いたある日のことです。
『柳さんって、彼氏いるの?』
城山君からそんなドキリとすることを言われてしまいました。
「いないよ」
私の話し言葉から、敬語が外れたのは割とすぐでした。城山君とのトークでは私はそこまで卑屈にならずに済んでいるのです。
『じゃあ、デートに誘っても問題ないよね?』
私もこの時にはすっかり城山君に好意を抱いていたので、すぐに「うん」と返事をしました。
それからあれよあれよと話は進み、気がつけばデートの当日になりました。
蟲だらけの街中。目一杯おしゃれをした私を、城山君がうまくリードしてくれます。
彼は私がうつむきがちであることに触れもせず、ただそういうものだと受け入れてくれているようでした。
彼は映画館をデートのメインに提案してくれました。
暗い館内なら多分蟲も気になりにくいと思った私は、喜んでそれに応じます。
もしかしたら、最近の趣味として部屋で映画を観ていることを伝えたのを覚えていてくれたのではないでしょうか。そんな細かい気遣いも、彼の好きなところです。
城山君が選んだのは有名俳優が出演している恋愛映画です。
ちょっとだけ城山君ではない隣の人や前の席から飛び交う蟲が目に入りますが、許容範囲でした。
映画が始まって少しした頃でしょうか、城山の手が私の手に重ねられます。私はちょっと驚きましたが、人の温かさに触れた懐かしさが勝り、そのまま彼の体温を感じていました。
城山君が、気持ち少し、私に寄ってきた気がします。
ストーリーは進みます。
主演の俳優と女優さんが、スクリーンの中でキスをしました。
私がそれに見とれていると、ふと、目の前が暗くなり、口に生暖かいものが触れました。
――城山君の、唇でした。
私は手が触れた時の比ではない驚きを得て、身体が硬直しました。
城山君の舌が、私の唇を割ります。
私はわけもわからず、彼のなすがままになっていました。
口の中で、水音がこだまします。
どれくらいそうしていたのでしょうか。城山君が離れたあと、銀幕の中の二人とまた顔を離していたのが見えたので、それほど長い時間では無かったのかもしれません。
ですが、私にはとても長い時間の幸福でした。
「ごめん、キスしちゃった」
私はぽーっとしながら、城山君の言葉を聞いていました。蟲のいない、彼のきれいな顔。それからの時間は、映画よりも城山君を見つめ続けてしまいました。
映画が終わります。
城山君は自然な流れで私と手をつなぎ、映画館を出ます。
城山くんが私に何か言いました。「どこか静かに休めるところに行こうか」そんな言葉だったと思いますが、私は何を言われたのかよくわからないまま「うん」と生返事をしていました。
それくらいさっきのキスが衝撃だったのです。
この時ばかりは周りの人々に集まる蟲の事もそれほど気になりませんでした。気にしている余裕がなかったとも言えます。
そして私は城山君に導かれるまま、気がつくとホテルの一室に連れ込まれていました。
――おかしいなとは思いました。なんで私はこんなところにいるんだろうって考えました。
「ま、まだ、初めてのデートで、早すぎるんじゃないかな?」
私はベッドの上で身を捩りました。城山君には相変わらず蟲がほとんど寄り付いていません。それは、上半身をむき出しにしてもかわりありませんでした。
「亜由がイイって言ったんだよ」
私の近くにやってきた城山君は、慣れた手つきで私の衣服を解いていきます。彼の手に止まっていた一匹の蟲が、何処かへと飛び去って行きました。
私は「いい」なんてことを言った覚えがありませんでした。でも、さっき私が何か聞かれて返事をしたということだけはなんとなく覚えています。もしかしたら、そのときに迂闊に同意をしてしまったのかもしれません。
下着姿になった私の肌を、城山君の手が這い回ります。
くすぐったさと、他人の手が親以外触れたこともないような場所にあることの気持ち悪さが同居していました。
――でも。
私は、その手を拒否できませんでした。
ここまで来て城山君を拒むのはきっと彼を傷つけてしまいます。そうしたら、嫌われてしまうかもしれません。
――この蟲だらけの世界で、たった一人の人間から。
自分の処女を望まぬ形で失うことよりも、それが何百倍も恐ろしかったのです。
蟲のない、彼の顔が近づいてきました。私はただ流れに身を任せ、彼の口づけを受け入れました。
その後のことは、あまりお話したくありません。
家に帰って、最初にしたことはシャワーを浴びることでした。
事が終わったあとにも浴びましたが、私はあらためて念入りに自分の中を洗い流します。
頬を水ではない何かが流れて行きます。
排水口に、わずかな赤い筋が流れて消えました。
それが、私が失ったものの名残に見えました。
部屋で私は、スマートフォンを手に取りました。メッセージアプリには「今日は楽しかったね」なんていう城山君の言葉。
私は正直返信する気分ではありませんでしたが、「私も楽しかったよ」と返しました。
彼はその後、いかに私の身体が良かったかを言葉巧みに褒めてくれました。
『初めてだったんだね』『次はもっと優しくするよ』
なんて言われもしましたが、あまり嬉しくはありませんでした。
なんとなく、SNSを眺めます。
コタローのアカウントでは今日も友達との楽しい会話がテーマで、私のことなんてひとことも触れてません。
腹が立ちました。私とのデートは話す価値もないことなのか。私が城山君に捧げてしまったものは、いったい何だというのか。
なにか、私のことをないがしろにされている気がしてしまったのです。
私は衝動的に、城山君へ「少しくらいSNSで話してくれてもいいんじゃない」とメッセージを送ってしまいました。
すると、
『なにそれ。俺、SNSなんてやってないよ』
そう、返事が来ました。
さすがにおかしいと思いました。聞かれても知らんぷりをすると言ってはいましたが、個人間のメッセージですら知らないというのは変です。
私はSNSを開くと、コタローへのメッセージを送りました。
――あなたは誰ですか?
既読マークがつきました。
返事はいつまで経っても来ませんでした。
私はSNSで仲良くしていたコタローさんと、蟲のいない城山君が同一人物だと思っていました。
ですが、それはどうも違ったようです。
――では、コタローさんは誰なの?
思えばコタローさんは、SNSの話をするななんて、変な約束を結ばせてきました。
城山君とメッセージのやり取りをしている最中にも、コタローさんは何件も投稿をしていました。
そして、城山君はSNSなんて知らないといいました。
多分、同じ学校というのは本当でしょう。もしかしたら、城山君に近い人なのかもしれません。
ですが、今更それを知って、私はどうしたいのでしょうか。
わかりません。結局のところ、私には城山君しかいないのです。
この世界でたった一人、蟲の寄り付かない彼のそばでしか安息を得ることはできないのです。
ただ、SNSで優しくしてくれたコタローさんが、城山君だったら良かったたのにと思ってしまうのは仕方がないことだと思うのです。
コタローさんの投稿は、あの日以来止まってしまいました。
私はSNSへの投稿をやめはしませんでした。個人がわからない程度にぼかして、城山君としたデートの話を綴ります。
初めて二人で映画館へ行ったこと。
キスをしたこと。
その後ホテルで初体験をしたこと。
多分、コタローさん以外私のことを知らないから出来る、赤裸々な語りでした。
城山君には時間も場所も問わずに、何度も身体を求められました。
はじめは、弱々しくも拒むような言葉も出ましたが、城山君から「それならもう会わない」と言われてしまえば、私に否やはありませんでした。
写真や動画も沢山撮られました。彼に望まれたことなら、私は何でも応え続けました。
私の正常な世界は、城山君のそばにしかなかったからです。
そういえば、城山君には付き合ってほしいとも、好きだとも言われたことはありません。
彼から与えられる言葉は「可愛いよ」「上手になったね」なんてものだけです。
なんとなく、女性関係が派手だという噂を思い出しました。あれはつまり、こういうことだったのでしょう。
SNSには、そんなことも隠さずに投稿し続けました。時には顔が映らないように撮った写真も添えて。
――本当に、私は何がしたいのか。
そんなことをしているからでしょうか、フォロワーは無駄に増え続けていきました。
私はその中からコタローさんの名前が消えて居ないことに、ただ安堵をするのです。
だから私は、コタローさんへのメッセージに、顔も隠していない写真を送り続けました。
返事はないけれど、既読だけはいつもすぐにつきました。
「金、必要なんだよね」
ある日、城山君は唐突にそんなことを言いました。
肩を抱かれたまま連れて行かれたホテルの部屋を開けると、紳士ものの革靴が一足置いてありました。
私も彼も、靴なんてまだ脱いでもいないのに。
――嫌な予感がしました。
「し、城山君。私、帰る」
「は? ここまで来ておいて、帰れるわけねえだろ」
ぐいと彼は私を突き飛ばしました。知らない城山君の声でした。
私はよろめいて、その場に座り込みます。
すると奥から一人の男の人がのっそりと出てきました。
そう、男の人が出てきたのです。
「おう、虎太郎君。今日はこの子かい?」
城山君と同じく、蟲一匹寄り付いていないその人は、でっぷりとしたお腹をバスローブみたいな薄い布一枚で覆っていました。
――このときの私は、さぞかし間抜けな顔をしていたことでしょう。
「いや、すみません。里中さん。でも、しっかり仕込んでありますんで」
頭を下げながら、城山君は髪の毛をかいています。里中と呼ばれた男の人への気安さは、これが初めてではなさそうなことを伝えていました。
里中は手に持った封筒をポイと城山君に投げます。城山君はその中身を取り出しました。十数枚はあろうかという一万円札でした。
「たしかに。これでバイク買えるくらい貯まりましたよ」
「彼女を売った金で単車を買うとは、若いのにいい趣味してるねえ」
「彼女じゃないっすよ。付き合ってるわけでもないのに」
城山君と里中は、何がおかしいのか二人で笑い合いました。
そして呆然としている私に向かって、城山君は吐き捨てるように言います。
「亜由、大人しく言うこと聞いとけよ。じゃないと、動画、ばら撒くからな」
私は、何も言えませんでした。何も言う気がありませんでした。
まじまじと、二人を見つめます。ほとんど蟲の姿は見えません。
「あは、あはは」
自然と笑い声が漏れました。可笑しくて仕方ありませんでした。
だって、そうじゃありませんか。
「なんだこいつ、壊れたか?」
里中が怪訝な顔をして、私を見下ろしました。
それでようやく蟲が一匹、二匹、里中の肌から染み出てきます。それで打ち止めでした。
――ああ、こんな人にも蟲は少しだけいたんだ。
そんなことを思います。
バチンと、城山君が私の頬を打ちます。しかし、笑いは止まりません。彼が、薄気味悪そうに手を引きました。
城山君が振り抜いたままの手から、かろうじてそこに止まっていた蟲が飛び去ります。
私は彼にまだ蟲がついていたことに驚きつつ、それが宙に消えていくのを見送りました。
――蟲がどうして城山君や里中にいないのか。
私はようやく、気がついてしまいました。
――久美子や早苗にも蟲がいっぱいいたけれど、どうしてお父さんやお母さんには、もっと沢山の蟲が集っていたのか。
私は、わかってしまったのです。
だから私は、笑うしかなくなってしまったのです。笑いすぎて、眼尻から熱い雫がこぼれてきました。痙攣した喉は、今にも胃の中身をぶちまけてしまいそうになっていました。
蟲の秘密に気がついたところで、私にはもはやどうする事もできません。
私の世界には、蟲がいない人が必要なのです。蟲だけを見て生きていくのは気が狂いそうなほど辛いのです。
でも、もう、城山君一人に頼ることもありません。
蟲が集まらない人がどんな人がわかったのだから。
それに知ってしまえば、あとはとても簡単なことでした。
だって、蟲が寄り付かないようにするだけなんですもの。
――ちょっとだけ、両親に申し訳なさがありました。
それでも、私は笑いながら、服をゆっくりと脱ぎます。できるだけいらやしく、情欲をかき立てるように。
そして、床に座ったまま、里中へ向かって脚を開いて見せました。
蠱惑的――なんて、言ったらちょっとだけ洒落てるでしょうか?
そんな自分の思考がおかしくて、また涙が頬を伝いました。
「どうぞ、おじ様。もう、どうにでもしてください」
自分がこんなに挑発的な声を出せるなんて知らなかったです。
里中と城山君はわけがわからないとばかりに顔を見合わせましたが、「ほら、はやく」と声でくすぐってみせれば、すぐに里中が私にのしかかってきました。
城山君は、「なんだこいつ。気持ち悪い」なんて吐き捨てて、部屋を出ていきました。
私は里中の欲望を一身に受け止めます。
中年男の手管は城山君よりもよほどねちっこく、だけど城山君よりも体力はないようで、私が思っていたよりも早くに事は終わってしまいました。
気持ちいいとも、悪いとも、なんにも感じはしませんでした。
ただ、蟲が周りに見えないことだけは、とても気分がいいものでした。
その時間を与えてくれることだけが、この人たちの価値だと思うのです。
SNSに私は今日あったことを書きます。
自分の顔が映らないように加工した写真を添えながら、いかに自分が中年男に貪られたかを克明に記しました。
そして私は、里中に撮らせた行為中の写真をコタローさんに送りつけました。
自分でも引いてしまうくらい、扇情的な写真です。
既読が付きました。でも、やっぱりメッセージはくれません。
次の日、城山君が友達に殴られたという話を蟲だらけのクラスメイトたちがしているのを聞きました。
その友達は私たちと同じクラスで、城山君と長い付き合いらしいのですが、女性問題が起きるたびに「コタロウはそんなやつじゃない」なんてフォローを入れていたそうです。
「ふうん」
と、私の口から声が漏れました。
そういえば、城山君とはあれから連絡を取っていません。いえ、彼からメッセージは来てはいたのですが、私が返事をしていないだけなのです。
最後の方では『お前の動画をばら撒くぞ!』なんて脅し文句まで飛んできましたが、好きにすればいいと思いました。
そうしたら、蟲のついていない人にもっと会えそうな気がするのです。
私はSNSのメッセージ機能を使って、コタローさんへ「会いませんか?」という言葉を送ります。
最近はいやらしい写真ばかりで、メッセージなんて送ったのは久しぶりでした。
既読は、少しして付きます。
「会いたい」
彼の返事は端的でした。私は放課後の時間、近くの公園を指定します。
私は学校が終わるのが楽しみで仕方なくなりました。
――そして、コタローさんはやってきました。
蟲の塊みたいなそのヒトガタは、ゆっくりゆっくりと歩みを進めています。
コタローさんが一歩ずつ私に近づくたび、彼に集っていた蟲たちはパラパラとどこぞへ飛散していきました。
そういえば、と思います。お父さんやお母さん以外で、こんな蟲の塊になっていた人はいませんでした。
学校で時々見えていた蟲の塊は、もしかしたらコタローさんだったのかもしれません。
――それはつまり。
蟲の塊がほんの少しだけ、愛おしい気がしましたが、悲しいけれどやっぱり気のせいで、酷い吐き気を催しました。
やがて、まだ蟲にまみれているコタローさんは、はあはあと荒い息づかいをしながら、私の前までやってきます。
走ってきたわけでもないのに。まるで、昂りを抑えられないみたい。
「コタローさんですか?」
私は、わかっているのに尋ねてみました。
蠢く蟲の塊は、少しずつ小さく、その密度を失っていっています。それでも、まだ彼の顔はわかりません。
コタローさんは、私にスマートフォンの画面を突きつけてきます。
そこには、彼に送りつけた私の痴態が鮮やかに映し出されていました。
「そ、それを、どうしたいんですか?」
少しだけ怯えたように、私は言ってみせました。そうしたら、彼はなんていうのかな、なんて考えました。
コタローさんはしばしの間逡巡して、
「……ずっと、柳さんのこと、好きだったんだ。でも、コタロウ相手なら勝ち目なんてないから、せめて柳さんにはうまくいってほしくて……」
そんなことを、ポツリと言いました。
「でも! 柳さんは、コタロウとか中年親父に好き放題させてさ! 俺の方が先に好きだったんだ! 柳さんのこと、好きでもないあんな奴らにヤラせるなら、俺にもヤラせろよ!」
――そうしないと、この写真をばらまくぞ! そう、高圧的に言ってきました。
彼の身体から、蟲が一斉に飛び立ちます。
その光景は圧巻であり、同時に吐き気を催すものでもありました。
やがて、現れた顔は思ったよりもあどけないもので、少しかわいらしくもありました。でもその顔は、今はすごく怒っていて、泣いています。
――ああ、コタローさん。あなたはそんな顔をしていたんですね。
優しい彼から蟲を駆逐してしまったのは私です。
だから私は、せめてあなたに二度と蟲が寄りつかないよう振る舞います。
「どうぞ、コタローさん。どうにでもしてください」
そう、挑発的に囁いて。
――今までいなかったはずの蟲が、私の肌からにじみ出て、何処かへ飛んでいきました。
了
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