EP 8
影の執行、元シェフのフルコース
放課後の旧校舎。
かつて家庭科室として使われていたその部屋は、夕陽に照らされ、どこか不気味な静寂に包まれていた。
「……おいリアン。本当にやるのか?」
部屋の隅で、クラウスが不安げに声をかける。
俺は古びた調理台の前で、丁寧に紅茶を淹れながら答えた。
「何をだい? 僕はただ、先輩にお茶と茶菓子を振る舞うだけだよ」
「その『茶菓子』が問題なんだよ! 匂いだけで俺様の鼻が曲がりそうだぜ!」
イグニスが鼻をつまんで距離を取る。
俺の手元にあるのは、見た目は可愛らしい一口サイズのクッキーだ。
だが、その中身は特製だ。
『ネット通販』で取り寄せた世界一辛い唐辛子『キャロライナ・リーパー』の粉末と、裏山で採取した『幻覚キノコ(笑いタケの亜種)』を練り込み、たっぷりの砂糖でコーティングしてある。
名付けて、『地獄の甘い罠』。
「お待たせしました、先輩方」
俺が準備を終えたタイミングで、教室のドアが乱暴に開かれた。
昼間の男爵令息と、その取り巻き二人だ。
彼らは青ざめた顔をしている。俺が脅しに使った『実家の裏帳簿』の件が効いているらしい。
「き、来てやったぞ……! 約束通り、帳簿のデータは消すんだろうな!」
「ええ、もちろんです。……まずは座って、お茶でもいかがですか?」
俺は満面の笑みで席を勧めた。
男たちは疑心暗鬼のまま、椅子に座る。
俺は彼らの前に、湯気を立てる紅茶と、例のクッキーを差し出した。
「どうぞ。僕の手作りです」
「……毒なんて入ってねぇだろうな」
「まさか。神聖な学園内で、生徒に毒を盛るなんてあり得ませんよ」
嘘は言っていない。これは毒ではなく『スパイス』と『キノコ』だ。食品添加物の範疇である。
「食わなきゃ、交渉は決裂ですよ?」
俺が冷ややかに告げると、男は意を決してクッキーを口に放り込んだ。
ボリッ。
男が咀嚼する。
最初は砂糖の甘さが広がる。
だが、三回噛んだあたりで――世界が変わる。
「…………んぐッ!?」
男の顔色が、赤から紫、そして土気色へと変貌していく。
カプサイシンの暴力的な辛味が舌を焼き、食道を溶かし、胃袋を殴りつける。
「ガハッ……! か、辛っ……いや、痛いッ!! 何だこれはぁぁぁ!?」
「お水! お水をくれぇ!」
取り巻きたちも喉を押さえて転げ回る。
だが、本当の地獄はここからだ。
幻覚キノコの成分が脳に回り始める。
「ひぃっ!? な、なんだお前らは!」
男爵令息が虚空を見つめて悲鳴を上げた。
彼の目には、俺たちがどう映っているのだろうか。
おそらく、昼間に彼が踏みつけた『パンの耳』が、巨大なモンスターとなって襲いかかってくる幻覚でも見ているのだろう。
「くるな! 踏んで悪かった! 許してくれぇぇぇ!」
「パンだ! パンの化け物が俺を食おうとしてるぅぅぅ!」
無様に床を這いずり回る男たち。
その醜態を見下ろしながら、俺は冷徹に告げた。
「食材の恨みは怖いですよ、先輩。……さて、皆の衆」
俺の合図と共に、部屋の影に潜んでいた仲間たちが動き出した。
「オラァッ!!」
ドォォン!!
イグニスが咆哮と共に、男たちの逃げ道を塞ぐように床を殴りつけた。
竜人の怪力により、床板が爆ぜる。
「ひぃっ!? か、怪獣!?」
「誰が怪獣だ! てめぇら、よくも俺様のメシ(弁当)を……じゃなくて、リーザの飯を台無しにしてくれたな!」
イグニスが喉元を赤く発光させ、威嚇のブレスを漏らす。
その熱気だけで、男たちの髪がチリチリと焦げる。
「逃がさないよっ!」
ズドンッ!!
続いて、キャルルが男爵令息の顔の横――壁ギリギリに、強烈な蹴りを叩き込んだ。
タロー・ワークマン製安全靴の鉄芯が、コンクリートの壁を粉砕し、蜘蛛の巣状の亀裂を入れる。
物理的『壁ドン』だ。
あと数センチずれていれば、男の頭蓋骨がこうなっていた。
「わ、わ、私の顔が……!」
「次は外さないからね。……その汚い靴で、二度と食べ物を踏めないようにしてあげようか?」
普段は可愛いキャルルの目が、今は完全に据わっている。ウサギは怒ると怖いのだ。
腰を抜かした男の前に、最後に立ったのはクラウスだった。
彼は剣を抜くことはしなかったが、氷のような蔑みの瞳で男を見下ろした。
「……君たちには、貴族としての誇りがないのか」
「ク、クラウス様……!?」
「『ノブレス・オブリージュ』。力を持つ者は、弱きを守る義務がある。だが君たちがやったことは、ただの弱い者いじめだ。……同じ貴族として、恥ずかしくて反吐が出る」
正論の刃。
精神的にも肉体的にも追い詰められた男は、泡を吹いて気絶寸前だった。
「た、助けて……もうしません……許して……」
男が俺の足元に縋り付く。
俺はしゃがみ込み、彼の耳元で囁いた。
「許す? ……それを決めるのは僕じゃありません」
カツン、カツン、カツン……。
廊下から、聞き覚えのあるヒールの音が近づいてくる。
俺はニヤリと笑い、ドアの方を指差した。
「この学園の『法』が、貴方を裁きに来ましたよ」
ガラッ。
ドアが開く。
夕陽を背に現れたのは、書類の束を手にしたリベラ理事長だった。
その表情は聖母のように優しく――そして、死神のように冷酷だった。
「ごきげんよう、豚さんたち。……あ、失礼。生徒さんたち」
「り、理事長……!?」
リベラはカツカツと歩み寄ると、男の前に書類をばら撒いた。
「単刀直入に言いますね。貴方の御実家の脱税、横領、そして違法薬物の売買……すべての証拠がここにあります」
「あ、あ、あ……」
「選択肢をあげるわ。……その1。このまま警察に突き出されて、一家離散の末に路頭に迷う」
リベラは眼鏡をクイと押し上げ、黒い笑みを深めた。
「その2。自主退学して、慰謝料として金貨100枚(1000万円相当)を、被害者であるリーザさんに支払う。……もちろん、御実家の悪事は、私が『弁護士』として穏便に処理してあげてもよくてよ?」
究極の二択。
いや、実質一択だ。
ゴルド商会とリベラを敵に回して、この国で生きていける人間はいない。
「は、払います! 退学します! だから警察だけはぁぁぁ!」
男は泣き叫びながら契約書にサインをした。
社会的な抹殺と、完全なる敗北。
「交渉成立ね。……リアンくん、お掃除ご苦労様」
「いえいえ。害虫駆除も料理人の仕事ですから」
俺とリベラは視線を交わし、静かに笑い合った。
部屋の隅では、事の顛末を見ていたリーザが、ポカンと口を開けていた。
「え……えっと……金貨100枚……?」
「良かったな、リーザ。これでお前もしばらくはパンの耳生活から卒業だ」
俺が声をかけると、彼女はようやく状況を理解し、その場にへたり込んだ。
「あ、ありがとうございますぅぅぅ……! リアン様、皆さん……うぅぅ……!」
号泣するリーザ。
その涙は、昼間の悔し涙とは違う、安堵と感謝の色をしていた。
「さあ、湿っぽいのはここまでだ」
俺はパンと手を叩き、仲間たちを見渡した。
「仕事は終わった。……腹、減っただろ?」
「おう! 腹ペコだぜ!」
「甘いもの食べたい!」
「僕は……胃薬が欲しい気分だが、付き合うよ」
俺は窓の外、赤く染まった下町の空を指差した。
「行こうか。今夜は俺の奢りだ。……最高に美味い『おでん』が待ってるぞ」




