EP 7
上級生の魔手、狙われた貧乏姫
週明けの月曜日。
ルミナス学園の昼休みは、今日も平和とは程遠い騒がしさだったが、俺にとっては少し特別な日だった。
今夜、下町で計画している『おでんパーティー』への期待感があるからだ。
「今日は天気もいいし、中庭で食べようぜ!」
イグニスが弁当箱(俺が作った特製・唐揚げ弁当)を片手に鼻息を荒くする。
隣ではキャルルが人参スティックを齧りながら、大きく頷いた。
「賛成! お日様の下で食べる人参は格別だよ!」
「僕は構わないが……リアンはどうする?」
クラウスが俺に同意を求めてくる。
俺は手元のサンドイッチ(自家製ローストビーフ入り)を確認し、頷いた。
「ああ、いい気晴らしになるだろうな。……おいリーザ、お前も来い」
「は、はいっ! 喜んでお供しますわ!」
俺の後ろをついて歩くリーザは、胸に大切そうに小さな紙袋を抱えていた。
中身は知っている。今朝、駅前のパン屋『ブーランジェリー・タロウ』の裏口で貰ってきた、焼きたてのパンの耳だ。
彼女にとっては、それが何よりのご馳走なのだ。
◇
中庭は、すでに多くの上級生たちで賑わっていた。
俺たちは空いているベンチを見つけ、腰を下ろそうとした――その時だ。
「――おい、臭いぞ。なんだこの貧乏くさい匂いは」
頭上から、嘲笑を含んだ声が降ってきた。
見上げると、取り巻きを連れた一人の男子生徒が立っていた。
制服の襟元についた学年章は3年生。胸には男爵家の紋章がある。
典型的な、嫌な予感しかしない上級生だ。
「あ、あの……ごきげんよう、先輩」
リーザが怯えながらも、礼儀正しく頭を下げる。
だが、男爵令息(仮)は、リーザが抱えている紙袋を冷ややかな目で見下ろした。
「おい、その袋。ゴミか?」
「い、いいえ! これは私の大切なお昼ごはんで……」
「パンの……耳? ぶはっ! まさか、ルミナス学園の敷地内で『家畜の餌』を持ち歩いている奴がいるとはな!」
男が下卑た笑い声を上げると、取り巻きたちも同調して笑った。
「やめてください……! これは、パン屋のおじさんがくれた、大切な……」
「うるさい!」
バサッ!
男が腕を振り払い、リーザの手から紙袋を叩き落とした。
袋が破れ、中からこんがりと焼けたパンの耳が地面に散らばる。
「あっ……!?」
リーザの顔色が真っ青になった。
彼女は慌てて地面に膝をつき、震える手でパンを拾い集めようとする。
「ごめんなさい、ごめんなさい……! まだ、まだ食べられますわ……! 3秒ルールですわ……!」
涙目でパンをかき集める王女(一応)。
その小さな手を、影が覆った。
「――汚らわしい」
男爵令息は、あろうことか革靴の底で、地面に落ちたパンの耳を踏みつけた。
グリッ。
乾いた音がして、パンが土にまみれ、無惨に潰される。
「あ……」
リーザの動きが止まった。
彼女の瞳から、光が消える。
それは侮辱された悲しみではない。
明日を生きるための糧を、命を繋ぐための食事を、理不尽に奪われたことへの絶望だった。
「ひ、酷い……。私の……晩ごはんが……明日の朝ごはんが……」
ポロポロと、大粒の涙が地面に吸い込まれていく。
「はんっ。ゴミはゴミ箱へ、だ。貧乏人が名門校の品位を下げるんじゃない」
男がさらに体重をかけ、パンを泥の塊へと変えていく。
その光景を見た瞬間。
俺の中で、何かが『プツン』と切れる音がした。
「……てめぇ!!」
俺より先に動いたのは、イグニスとキャルルだった。
「リーザちゃんのご飯を何だと思ってんのよ!」
「女を泣かすなんて、男の風上にも置けねぇぞ!」
二人が激昂し、闘気をみなぎらせて飛び出そうとする。
クラウスもまた、腰の剣に手をかけ、怒りに震える声で叫んだ。
「貴様……! それが貴族のやることか! 『ノブレス・オブリージュ』の欠片もないのか!」
「なんだお前ら? 1年の分際で上級生に逆らうつもりか? 退学になってもいいんだな?」
男はニヤニヤと笑いながら、学則という盾をチラつかせる。
こいつは分かっているのだ。ここで手を出せば、悪いのは「暴力を振るった下級生」になることを。
イグニスの拳が止まる。
キャルルが悔しそうに唇を噛む。
クラウスが剣の柄を握る手に力を込める。
膠着状態。
誰もが動けない中――俺は静かに、リーザの隣へと歩み寄った。
「……リアン、様?」
涙に濡れたリーザが俺を見上げる。
俺は無言でポケットからハンカチを取り出し、彼女の涙を拭った。
そして、泥と一体化したパンの耳を見つめる。
元三つ星シェフとして。
そして、食を愛する者として。
俺には、どうしても許せないものが二つある。
一つは、不味い料理。
もう一つは――食べ物を粗末にするクズだ。
俺はゆっくりと立ち上がり、男爵令息と対峙した。
怒鳴りもしない。睨みもしない。
ただ、感情の一切を排除した、冷徹な『仕事人の目』で男を見た。
「先輩。一つお聞きします」
「あぁ? なんだその目は」
「貴方は今、それを『ゴミ』と言いましたね?」
俺は潰れたパンを指差した。
「小麦農家が汗水垂らして育て、製粉業者が挽き、パン職人が早朝から魂を込めて焼いたそれを……貴方はゴミだと、そう言ったんですね?」
「はっ、屁理屈を。地面に落ちればゴミだろうが」
「そうですか」
俺はニコリと笑った。
ただし、目は笑っていない。
「分かりました。……イグニス、キャルル、クラウス。武器を収めろ」
「なっ!? リアン、お前ここで引くのかよ!」
「そうだぞ! こんな奴、ボコボコにしてやる!」
仲間たちが抗議するが、俺は片手を上げて制した。
「ここは学校だ。暴力を振るえば、こちらの負けになる」
「じゃあ、リーザちゃんは泣き寝入りなの!?」
「まさか」
俺は男爵令息に向かって、一歩踏み出した。
そして、誰にも聞こえないような小声で、男の耳元に囁いた。
「――先輩。放課後、裏の旧校舎へ来ていただけますか? 美味しい『お茶会』の用意をしてお待ちしています。……もし来なければ、貴方の実家の『脱税の証拠』と『裏帳簿のコピー』が、明日の朝にはリベラ理事長の机の上に届くことになりますが」
「……ッ!?」
男の顔が引きつる。
俺はスッと離れると、今度は周囲にも聞こえるような明るい声で言った。
「先輩に、料理の何たるかを教えたいんです。僕の手料理で、仲直りといきましょう」
「ふ、ふん! 生意気な1年だ。……いいだろう、顔だけは出してやる!」
男は捨て台詞を吐くと、逃げるように去っていった。
取り巻きたちも慌てて後を追う。
嵐が去った後、俺はしゃがみ込み、リーザの肩に手を置いた。
「立てるか、リーザ」
「うぅ……リアン様……ごめんなさい、私……」
「謝るな。悪いのは、食べ物の価値も分からないあの豚野郎だ」
俺の目を見たクラウスが、ハッとしたように息を飲んだ。
彼は気づいたのだろう。俺が本気で怒っている時の――『裏の顔』が出ていることに。
「……リアン。まさか、殺す気じゃないだろうな?」
「人聞きが悪いな、クラウス。俺はただ、先輩に『教育』をするだけだよ」
俺はにっこりと微笑んだ。
「食材への感謝と、マナーの基本をね。……たっぷりと、骨の髄まで」
俺の背後に、ゆらりと黒いオーラが立ち上るのを見て、イグニスとキャルルが「ひえっ」と抱き合った。
さあ、放課後が楽しみだ。
俺のフルコースは、少々刺激が強いぞ?




