EP 9
祭りの後、そして漂うスパイスの香り
「……えー。状況を確認する」
演習終了のサイレンから数十分後。
担任のクルーガ先生が、泥沼と化したA班の陣地(跡地)に到着し、頭を抱えていた。
「地形が変わっているんだが? ここ、湿地帯だったか?」
「いえ、ルナが川と『お話し』をした結果です」
「あそこのクレーターは?」
「僕が『花火』を打ち上げた跡ですね」
俺があっけらかんと答えると、先生は胃薬の瓶を取り出し、一気に5錠ほど飲み込んだ。
「……お前らな。サバイバル演習とは言ったが、環境破壊をしろとは言っていないぞ」
「生き残るためには地形利用も戦術のうちでしょう?」
「屁理屈を……。まあいい、勝負はB班の勝ちだ。文句はないな?」
先生の問いかけに、A班の生徒たちは力なく首を振った。
文句を言う気力すらない。
泥まみれで、寒くて、そして何より――腹が減りすぎて死にそうだからだ。
「うぅ……終わった……」
「お風呂入りたい……」
「マカロン食べたい……」
リリスとキュララが、泥だらけのドレスと服を見て涙ぐんでいる。
クラウスに至っては、体育座りで虚空を見つめていた。
プライドも騎士道も、泥水と一緒に流されてしまったようだ。
◇
そんなお通夜ムードの中、俺はこっそりと陣地の隅へ移動した。
そこには、不安そうな顔で立ち尽くす一人の男子生徒――俺の手錠を外した『裏切り者』のバロン君がいた。
「……あ、あの、リアン様」
「よう。いい仕事だったぜ」
俺が肩を叩くと、彼は縋るような目で俺を見た。
「や、約束は……守ってくれるんですよね? 父の領地の件……」
「もちろんだ。俺は嘘はつかない」
俺は懐から、予め用意していた『契約書』を取り出した。
リベラ理事長のサイン入りの、正式な商取引の書類だ。
「ほらよ。『ゴルド商会による麦の全量買取契約書』だ。あとは君のお父さんにハンコを押させるだけでいい」
「っ!! あ、ありがとうございます……!」
彼は書類を抱きしめ、涙を流した。
これで彼の実家は救われる。
たとえクラスメイトを裏切ったとしても、家族を守ったのだ。彼は立派な『当主』だよ。
「……さて、裏の精算は終わった」
俺はパンと手を叩き、全員の注目を集めた。
「おい、A班の敗北者たち。そして勝利したB班の野獣たち」
俺の声に、ゾンビのような視線が集まる。
「演習は終わりだ。……腹、減ってるだろ?」
その言葉は、彼らの最も敏感な部分を刺激した。
三日間の絶食(リーザ被害による)と、激しい戦闘。
全員の胃袋は限界を超えている。
「減った……死ぬほど減った……」
「でも、食料なんてないし……」
「あるぜ」
俺はニヤリと笑い、イグニスに合図を送った。
「おうよ! 獲ってきたぜぇ!」
イグニスが茂みから引きずり出してきたのは、巨大な『魔猪』と、大量の『根菜類(ルナが即席で育てた)』だった。
「さらに、俺の『ランダム物資ボックス』の中身は……これだ」
俺が箱を開けると、そこには工具セットの下に隠されていた『スパイスセット』と『小麦粉』、そして『大量のラード』が入っていた。
「工具セットだと思ったか? 俺が事前にリベラに頼んで、中身をすり替えておいたんだよ」
「なっ……!?」
クラウスが目を見開く。
「最初から……最初から『これ』を作るつもりだったのか!?」
「当たり前だろ。戦争の後は『宴』と決まってる」
俺は手早く石を積み上げ、即席の竈を作った。
イグニスが火を吹き、巨大な鍋(キャルルが盾として使っていた鉄板を加工)が熱される。
ジュワァァァァ……!!
ラードが溶け、刻んだ魔猪の肉が踊る。
そこへ、たっぷりの玉ねぎと根菜を投入。
炒められる肉と野菜の香ばしい匂いが、森の中に爆発的に広がった。
「うっ……!?」
「な、なんだこの匂いは……!」
A班の生徒たちが鼻をヒクヒクさせる。
これだけでも暴力的なのに、俺はそこに『スパイス』を投入した。
クミン、コリアンダー、ターメリック、そして赤唐辛子。
複雑で刺激的な香りが、脂の甘い匂いと融合する。
「ぐぅぅぅぅぅぅ……ッ!!」
全員の腹の虫が、地鳴りのように一斉に鳴り響いた。
「こ、これは……反則だ……!」
「いい匂いすぎる……! 頭がおかしくなりそう……!」
リリスがよだれを拭うのも忘れ、鍋を凝視している。
キャルルはすでに箸(木の枝)を持って待機している。
「まだだ。……最後に、これを乗せる」
俺は別のフライパンで、叩いて薄く伸ばし、パン粉をまぶした豚肉を揚げていた。
キツネ色に揚がった『カツ』。
サクッ、サクッという音と共に包丁を入れると、肉汁が溢れ出す。
それを、ドロリと煮込まれたカレーの上にトッピングする。
完成。
『魔の森特製・ギガ盛りカツカレー』。
「……あ……あぁ……」
その黄金と茶色のコントラストを前に、クラウスは膝から崩れ落ちた。
もはや、敵対心など欠片もない。
あるのは、生物としての根源的な欲求だけ。
「……食わせてくれ。頼む、リアン」
あのプライドの高いクラウスが、涙目で懇願した。
「条件は?」
「なんでもする。……靴でも舐める」
「ははっ、そこまでしなくていいさ」
俺はお玉を持ち上げ、高らかに宣言した。
「並べ、餓鬼共! ……実食の時間だ!」
「「「うおおおおおおお!!!」」」
森に歓喜の雄叫びが響いた。
これが、本当の『ノーサイド』。
全てを飲み込むカレーの魔力が、泥沼の戦場を食卓へと変えていく。




