EP 3
枯渇する備蓄、消えた兵糧
魔の森に夜が訪れた。
A班(赤チーム)の陣地は、静寂に包まれていた。
見張り役のモブ生徒が、焚き火の前でコクリコクリと船を漕いでいる。
そんな中、捕虜用テントの暗闇で、二つの怪しい光が灯った。
リーザの瞳だ。
「……腹が……減りましたわ」
夕食に提供されたカンパンと干し肉(3人前)は、彼女の胃袋にとってはただの呼び水に過ぎなかった。
一度火がついた食欲という業火は、鎮火するどころか勢いを増している。
「このままでは餓死してしまいます。……緊急避難措置を発動しますわ」
リーザは手首を縛っていたロープに力を込めた。
ブチブチッ。
麻縄があっけなく千切れる。
空腹時の彼女の筋力は、オークをも凌駕する。
彼女は音もなくテントを抜け出した。
見張りの背後を、幽霊のような足取りですり抜ける。彼女の「気配遮断スキル」は習ったものではない。王宮でつまみ食いをするために、本能で身につけた野生の技だ。
目指すは一点。
昼間、物資が運び込まれるのを目撃した『兵糧テント』だ。
◇
「……ほう。ここが宝物庫ですか」
テントの中には、木箱に入った一週間分の食料が積まれていた。
堅焼きパン、塩漬け肉、乾燥野菜、水。
そして、個人の荷物置き場には、リリスやキュララが隠し持ってきた「高級菓子」の箱もある。
「ふふっ……ふふふっ……」
リーザはよだれを垂らし、狂気の笑みを浮かべた。
「いただきます。……世界を」
暗闇の中で、恐ろしい音が響き始めた。
ガリッ! ゴリッ! バクッ! ムシャァ……!
岩のように硬い堅焼きパンを、奥歯で粉砕する音。
ビーフジャーキーを掃除機のように吸い込む音。
そして、リリスの「特製マカロン」の箱を開け、一個ずつ味わう……暇もなく、箱ごと口に流し込む音。
「んん〜っ! 甘味! 塩味! 炭水化物! 三位一体ですわぁ!」
彼女は止まらない。
一週間、7人が生き延びるためのカロリーが、たった一人の少女の胃袋へと圧縮されていく。
30分後。
そこには、木屑だけになった木箱と、空っぽの包み紙だけが残された。
「……ふぅ。腹八分目ですわね」
リーザは満足げにゲップを漏らすと、証拠隠滅(口の周りを舐めるだけ)をして、自身のテントへと戻っていった。
◇
「ぎゃああああああああ!!!」
翌朝。
A班の陣地に、悲痛な叫び声が木霊した。
声の主は、朝食の準備係を担当していたモブ生徒だ。
「ど、どうした! 敵襲か!?」
クラウスが寝癖のついた頭で飛び出してくる。
キャルル、キュララ、リリスも慌ててテントから出てきた。
「く、クラウス様……! こ、これを……!」
モブ生徒が指差した先。
兵糧テントの中は、まるでイナゴの大群が通り過ぎた後のように、綺麗さっぱりと『無』になっていた。
「な……ッ!?」
クラウスが絶句する。
「食料が……ない? 一週間分だぞ!? 昨日の夜まであったはずだ!」
「わ、私のマカロンがぁぁぁ! パリから取り寄せた限定マカロンがぁぁ!」
リリスが空き箱を抱きしめて泣き崩れる。
「私の映えクッキーもないよぉ! これじゃティータイム配信できないじゃん!」
キュララも絶望の表情だ。
「犯人は……! 泥棒か!? 魔獣か!?」
混乱する一同の中、キャルルが鼻をヒクヒクさせた。
「……くんくん。ねえ、あっちから『美味しい匂い』がするよ?」
キャルルが指差したのは、捕虜用テントだ。
クラウスたちは猛ダッシュでテントを開けた。
そこには――
「ムニャムニャ……もう食べられませんわぁ……おかわりぃ……」
手足を(偽装して)縛られたまま、幸せそうに寝言を言うリーザの姿があった。
その口元にはパン屑がつき、服からは微かに高級マカロンの甘い香りと、ジャーキーのスパイシーな香りが漂っている。
さらに、枕元には決定的な証拠――『マカロンの包み紙』が散らばっていた。
「……貴様ぁぁぁ!!」
リリスが激昂してリーザの胸ぐらを掴み上げた。
「ハッ!? な、なんですの!?」
「とぼけるな! 私のマカロンを! 私たちの食料を全部食べたでしょう!?」
「えっ、あ、そ、それは……ゆ、夢遊病ですわ! 私、寝ている間に体が勝手に『食事』をする癖が……」
リーザが苦しい言い訳をするが、その腹は不自然なほどポンポンに膨らんでいる。
「ふざけるな! 返せ! 私の糖分を返せぇぇ!」
「あだだだ! 揺すらないでください! 消化不良になります!」
地獄絵図だ。
クラウスは呆然と立ち尽くした。
「そ、そんな……。たった一晩で、7人分を一人が……?」
信じられない光景だが、現実は残酷だ。
これでA班の食料備蓄は『ゼロ』になった。
演習はあと6日ある。
「……くっ。やられた」
クラウスはギリリと歯噛みした。
「リアンの狙いはこれか……! リーザを送り込んだのは、情報を盗むためじゃない。僕たちの『兵站』を壊滅させるためだったんだ!」
「お腹空いたぁ……」
「やる気出ないよぉ……」
早くもキュララとモブ生徒たちが弱音を吐き始める。
空腹は士気を下げる。信頼を壊す。
まだ二日目の朝だというのに、A班の結束は崩壊の危機に瀕していた。
そして、森の向こう側。
木の上からその様子を双眼鏡で眺めていた俺は、ニヤリと笑った。
「フェーズ1、完了だ。……さあ、腹が減ってイライラしてきたところで、次は『寝不足』になってもらおうか」
俺の手には、火薬を仕込んだ特製の矢が握られていた。
精神攻撃は、これからが本番だ。




