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第9話:聖域クリーニング、驚愕のビフォーアフター

【黒カビ・スライム】を消滅させた。 だが、俺の不快感は一ミリも減っていない。 むしろ、増している。 視界の端に映る、聖域の壁が原因だ。


「……ひどいな。解像度が低すぎる」


俺は額を押さえ、深いため息をついた。 スライムがいなくなったことで、別の不備が目立つ。 聖域の壁一面を覆っている、真っ黒な煤だ。 数千年の間、絶やさなかったという“聖なる灯火”。 その燃えカスが、壁画の隅々までこびりついている。


「アレン様! どうされましたか?」 「壁だ。ティアナ、あの壁を見てどう思う?」


俺が指差すと、ティアナは誇らしげに胸を張った。


「はい! 歴史の重みを感じる、荘厳な黒であります!」 「……重みじゃない。ただの炭素の蓄積だ」


俺は右手をかざし、対象をスキャンする。


【鑑定対象:聖域の壁画】 【状態:テクスチャの著しい汚濁】 【汚染物質:不完全燃焼による煤(炭素粒子)、酸化した油脂】 【不具合内容:視覚データの読み取り不能。システムの“ノイズ”として機能】


「いいか、ティアナ。世界は一種のプログラムだ」 「ぷ、ぷろ……?」 「情報の集まりだと思えばいい。この壁画には、古代の重要なデータが書き込まれているはずだ。だが、この煤のせいで“表示エラー”が起きている」


俺にとって、煤けた壁画は「バグったモニター」と同じだ。 正常な出力を妨げるノイズ。 それはシステムの最適化を妨げる、害悪でしかない。


「煤を放置するのは、排気ガスを部屋に充満させるのと同じだ。このままでは聖域の“演算効率”が下がる。……一旦、全部洗い流しましょうか」


俺は懐から魔力スプレーを取り出した。 だが、今回はこれだけでは足りない。 広範囲にこびりついた、数千年分の頑固な汚れだ。 もっと物理的な“圧力”が必要になる。


「ティアナ、少し下がっていろ。……跳ね返るぞ」 「はい! 聖なる儀式、見守らせていただきます!」


ティアナが期待に目を輝かせ、盾を構えて一歩引く。 俺は体内の魔力を練り上げた。 イメージするのは、水の分子を極限まで加速させる仕組み。 現代で言うところの“高圧洗浄機”だ。


「魔力とは、物理法則を操作するための演算リソースだ」


俺は魔法陣を空中に構成していく。 通常の攻撃魔法のような「破壊」が目的ではない。 表面の不純物だけを、選択的に弾き飛ばす。


「【高圧噴射魔法ウォータージェット・パルス】。……出力、最大」


俺の両手から、超高圧の魔力水流が放たれた。 シュババババッ! という、空気を切り裂く鋭い音が響く。 水流は壁に当たった瞬間、微細な振動を伴って汚れを粉砕した。


「うわっ……汚いな、やっぱり」


壁から剥がれ落ちた煤が、真っ黒な濁流となって床を流れる。 俺はさらに、魔力の構成を変更した。 油分を分解するための成分を配合する。


「【重層魔法バイカーボネート・ロジック】。……乳化を開始しろ」


重曹の成分を魔力で再現し、水流に混ぜ込む。 数千年の“執着”という名の油汚れが、白く泡立ちながら剥がれていく。 俺の目には、壁の表面で起きている化学変化がログとして流れていた。


【表面張力の低下を確認】 【不純物の剥離率:80%……90%……】 【システムデータの復元を開始します】


「な、なんだこれは……!? 壁が、壁が若返っていくぞ!」


後ろで見ていた王宮魔導士たちが、悲鳴に近い声を上げた。 彼らにとって、この壁画は「触れてはならない聖遺物」だったらしい。 だが、掃除をしない聖域など、ただのゴミ捨て場だ。


「見てください! 黒い闇が払われ、真実の色が現れました!」


ティアナが叫ぶ。 俺が水流を止め、霧を晴らすと、そこには驚愕の光景が広がっていた。 真っ黒だった壁は消え、そこには目が覚めるような極彩色の壁画が現れた。 金箔は光り輝き、描かれた人物たちの表情は、今にも動き出しそうなほど鮮明だ。


「……よし。これでようやくフルハイビジョン並みの画質になった」


俺は満足して頷いた。 汚れという名のノイズが消え、壁画のシステムが正常に動作し始めている。 すると、壁画の一部が淡く発光し、古代の文字が浮かび上がった。


「こ、これは……失われたはずの『創世の術式』!? 煤の下に、こんな英知が隠されていたというのか!」 「歴史が……歴史が、たった数分の掃除で覆されてしまった……!」


歴史学者たちが壁に駆け寄り、狂ったようにメモを取り始めた。 「勇者アレンは古代の封印を、独自の浄化術式で解読した」とか勝手に言っている。 違う。 俺はただ、汚くて絵が見えなかったから拭いただけだ。


「アレン様! 流石です! 過去の賢者たちが残したメッセージを、その慈愛の力で救い出されたのですね!」 「……まあ、情報の整理は基本だからな」


ティアナのキラキラした視線を受け流し、俺は部屋の中央に目を向けた。 壁が綺麗になったことで、部屋の真ん中にある“それ”が、いよいよ浮いて見える。


台座に深く突き刺さった、伝説の聖剣。 部屋全体がピカピカになったせいで、剣にこびりついた「ドロドロの脂汚れ」が、さらに強調されてしまっている。


【鑑定対象:伝説の聖剣】 【状態:深刻な衛生不良】 【警告:これより、深層の脂汚れ(執着)の分解プロセスに入ります】


「……さて。外枠の掃除は終わった」


俺は新しい除菌スプレーを手に取った。 これまでは準備運動に過ぎない。


「いよいよ、この“換気扇のフィルター”の浸け置き洗いを始めようか」


俺の言葉に、聖剣がまるで拒絶するように、禍々しいオーラを放ち始めた。 汚れそのものが、意志を持って抵抗しようとしている。 だが、俺の掃除眼システム・アイからは逃げられない。


「ティアナ。ここからが本番だ。……絶対に、一滴も俺に汚れを飛ばすなよ」


俺は不敵に微笑み、聖剣へと一歩踏み出した。

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