第5話:勇者の呪い、その正体は“手垢”です
「……浸け置き洗い、だと?」
エドワード王が、間の抜けた声を上げた。 聖域を埋め尽くす家臣たちも、ざわめき始める。 無理もない。 彼らにとって、この剣は“神聖なる救世の武器”なのだ。
「勇者よ、正気か? 聖剣を、まるで汚れた鍋のように扱うというのか?」
大臣のバドラスが、震える指で俺を指差す。 俺は一歩も引かず、鼻をハンカチで押さえたまま答えた。
「陛下。鍋どころか、これは“換気扇のフィルター”以下ですよ。 システム的な観点から言わせてもらえば、最悪のバグです。 物理的な固着が、魔法回路の伝導率をゼロにしています」
「バ、バグ……? こちゃく……?」
王が困惑し、首を傾げる。 俺はため息をつき、【極清鑑定】のログを空中に投影した。 もちろん、彼らに見えるのは俺が許可した“視覚化データ”だけだ。
【鑑定結果:聖剣の表面構造】 【主成分:酸化した皮脂、剥離した角質、積層された執着】 【固着理由:高分子化した業による物理結合】
「見てください。この黒い層の正体を」
俺は聖剣の根元、台座と接している部分を指差した。 そこには、まるで溶けたアスファルトのようなドロドロの塊がこびりついている。
「これは、歴代の勇者たちが残した“俺が世界を救う”という身勝手な想いです。 彼らが剣を握るたびに、手のひらから分泌された汗や皮脂。 それが、彼らの“執着”という名の熱量によって焼き付かされたものだ」
俺にとって、感情とは一種のエネルギーだ。 そして、コントロールされていないエネルギーは、単なる“不純物”となる。
「執着は、物理的な世界では“落ちにくい油汚れ”として具現化します。 数千年も放置されれば、それはもはや“呪い”という名の強力な接着剤だ。 彼らの“業”が、剣と台座を分子レベルで繋ぎ止めているんですよ」
俺の言葉を聞き、ティアナがハッと息を呑んだ。 彼女の瞳には、熱烈な尊敬の光が宿っている。
「……流石です、アレン様! 歴代勇者の想いを、単なる精神論ではなく、物理的な“業”として捉えるとは! それはつまり、私たちの精神が肉体を通じて世界に影響を及ぼしている……。 その深淵なる真理を解き明かしたのですね!」
ティアナが、俺の毒舌を勝手に“高潔な心理学”へと変換する。 広報担当としては百点満点だが、俺の本音はただ一つだ。
「うわ、汚い……。もう、想像しただけで手がベタベタしてくる。 誰かが触った後のスマホを渡されるより、数万倍も不快だ」
「おお! その嫌悪感さえも、不浄を排斥する聖なる拒絶! アレン様は、この世界の“歪み”を、その高潔な感性で感知されているのですね!」
「……まあ、そう思っておいてくれ。 とにかく、この“執着の脂”を分解しない限り、聖剣は一ミリも動きません」
俺は周囲を見渡し、論理的な解決策を提示した。
「魔法とは、本来は物理法則を書き換えるための“プログラム”です。 ならば、この脂汚れを落とすための“専用プログラム”を構築すればいい。 ……名付けて、【魔力的界面活性魔法】だ」
「かいめん……? かっせい……?」
魔導士たちが、聞いたこともない単語を必死にメモしている。 俺は無視して解説を続けた。
「汚れを落とすには、まず“敵”を知ること。 この業の脂は、水だけでは決して流せません。 水と油を繋ぎ、汚れを分子レベルで包み込んで剥がし取る。 そのための“触媒”が必要になります」
俺は現代の掃除知識を、異世界の魔法体系に翻訳していく。 重曹やクエン酸の代替品を、魔力で構成するためのシミュレーション。
「まずは、【アルカリ性魔力】による中和と乳化。 それから、【酸性魔力】による汚れの脆弱化。 この二つを、精密なサイクルで回してシステムをデフラグする。 そうすれば、聖剣を縛る“呪い”という名のボトルネックは解消されます」
「な、なんと……! 呪いを“効率の問題”として処理するというのか!」
王宮魔導士の一人が、衝撃で持っていた杖を落とした。 彼らにとって封印解除とは、一生をかけた祈りや供物が必要な儀式だったはず。 だが俺にとって、それは単なる“メンテナンス作業”に過ぎない。
「アレン様! その高度な術式に必要な材料は何でしょうか!? このティアナ、命に代えても揃えて参ります!」
「……命はいいから、材料をくれ。 今の俺の魔力だけでは、高濃度の洗浄成分を生成し続けるのは効率が悪い。 もっと直接的に、材料から精製した方が早い」
俺は鑑定リストに、必要な素材を書き出した。
「まずは油脂を中和するための強力なアルカリ成分。 それから、酸の力。……それらが手に入る場所は?」
王が、震える声で答えた。
「それならば、王宮の地下にある“備蓄倉庫”か……。 あるいは、あらゆる食材や薬品が集まる“調理場”であろうか」
「調理場……。……嫌な予感がするな」
俺の脳裏に、数千人を支える巨大な厨房のイメージが浮かぶ。 そこは、食材の屑、飛び散った油、積み重なった残飯……。 お掃除鑑定士である俺にとって、そこは“魔王の城”よりも恐ろしい魔境だ。
「……一旦、全部除菌してから行きたいところだが、背に腹は代えられないか」
俺は決意を固めた。 聖剣という名の“換気扇”を洗うために、さらなる汚染源へと足を踏み入れなければならない。
「ティアナ。君は俺の横で、除菌スプレーを絶やさず噴霧してくれ。 ……一歩でも俺のクリーンエリアが侵食されたら、俺はその場で帰るからな」
「承知いたしました、アレン様! 私が盾となり、あらゆる“不浄”を薙ぎ払ってみせましょう!」
気合十分なティアナを連れ、俺は聖域を後にした。 向かうは、王宮の心臓部にして、不潔の伏魔殿。 王宮調理場。
そこには、アレンの想像を絶する“カオスな不衛生”が待ち構えていた。 そして、その奥底に眠る、ある“ガラクタ”との出会いが、物語を大きく動かすことになる。




