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第4話:聖域という名の“換気扇のフィルター”

「アレン様、こちらです! 我が国の守り、伝説の聖剣が眠る聖域でございます!」


ティアナが期待に胸を膨らませ、重厚な石造りの扉を押し開けた。 背後では王や大臣たちが、神妙な面持ちで後に続く。 案内されたのは、王宮の最深部にある円形の広間だった。


高い天井から差し込む光が、中央の台座を神々しく照らしている。 そこには、一本の巨大な剣が突き立っていた。


「おお……なんと神々しい。これぞ数千年の歴史を刻む、至高の輝き!」


王が感極まったように声を震わせる。 家臣たちも一斉に跪き、聖剣に向かって祈りを捧げ始めた。


だが、俺の視界は違った。


広間に一歩踏み入れた瞬間、鼻を突いたのは“饐えた油の臭い”だ。 古びた揚げ物屋の裏口のような、肺にねっとりと絡みつく不快な空気。


「……っ!? 待て、なんだこれは。……ひどすぎる」


俺は思わず口元を押さえ、その場に立ちすくんだ。 足元から這い上がってくる寒気。 いや、これは生理的な拒絶反応だ。


「アレン様? どうかなさいましたか?」


隣に立つティアナが、不思議そうに俺の顔を覗き込む。 彼女の鎧は相変わらずピカピカで、俺の唯一の心の拠り所だ。


「ティアナ……君にはあれが“輝いて”見えるのか?」


「はい! まばゆいばかりの神気が溢れ出しております! 流石は聖剣です!」


「……正気か? 俺には、数千年掃除をサボった“換気扇のフィルター”にしか見えないぞ」


「か、換気扇……? 聖なるおうぎのことでございますか?」


話が通じない。 俺は覚悟を決め、右手をかざしてスキルを起動した。


「【極清鑑定ゴクジョウカンテイ】。……システムの深部までスキャンしろ」


視界が瞬時に切り替わる。 世界がデジタルなグリッド線で覆われ、対象の情報がログとして流れ出した。


【鑑定対象:伝説の聖剣(自称)】 【状態:動作不全(致命的な物理固着)】 【汚染物質:酸化重合した有機脂質(手垢)、積層された残留思念(執着)】 【汚染レベル:測定不能(物理限界を突破)】


ログが真っ赤に染まっている。 俺の目には、突き立てられた剣の表面が、黒く変色したドロドロの液体で覆われているのが見えた。


それは歴代の勇者たちが、抜こうとして残した“血と汗と涙”のなれの果てだ。 「俺が世界を救う」という独りよがりな執着が、脂汚れと混ざり合い、数千年の時を経てコンクリートのように硬化している。


「……うわ、汚い。汚すぎる。……これはもはや、剣の形をしたゴミの塊だ」


あまりの不潔さに、膝の震えが止まらない。 俺は一歩も前に進めず、ガタガタと震えながらその場にうずくまった。


「おお……見よ! 聖剣の放つ強大なプレッシャーに、勇者様が耐えておられる!」


「なんと凄まじい神気だ! 凡人なら即座に正気を失うところを、勇者様は真っ向から受け止めておられるぞ!」


背後で家臣たちが勝手に感動し、固唾を呑んで俺を見守っている。 違う。 俺はただ、あんな“汚物の集合体”に近づきたくないだけだ。


「アレン様! 無理をなさらないでください! 私が……私がお支えします!」


ティアナが駆け寄り、俺の肩を抱きかかえた。 彼女の清潔な香りに、ようやく少しだけ呼吸が楽になる。


「ティアナ……あれはダメだ。あれに触れるのは、素手でドブをさらうのと同じだ」


「流石です、アレン様! 聖剣に宿る、数千年の歴史の重みを“ドブ”と表現されるとは! 常人には計り知れない、深遠な洞察力でございます!」


「褒めてない。……陛下、言っておきますが、あれは絶対に抜けませんよ」


俺は震える指で、台座に突き刺さった“黒い棒”を指差した。


「なぜだ! 予言には、真の勇者が現れた時、聖剣は再び光を取り戻すとある!」


王が焦ったように叫ぶ。 俺は冷めた目で、聖剣の構造を分析した。


「システム的に解説しましょう。あれは現在、深刻な“ボトルネック”が発生しています。 魔法的な封印なんて高尚なものじゃない。 単に、台座と剣の隙間に数千年分の脂汚れが詰まって、物理的に接着されているだけです」


「せ、接着……?」


「そうです。魔法とは本来、物理法則を最適化するための演算リソース。 ですが、あれは最適化どころか、不純物という名の“スパゲッティコード”で固着している。 摩擦係数が異常値を超えているんです。どんな力自慢が引いたところで、抜けるはずがありません」


俺は立ち上がり、懐から自作の除菌スプレーを取り出した。 だが、この距離からでは噴霧が届かない。


「陛下、俺はあれに触れることを拒否します。 不潔なものに触れるのは、俺の生存本能が許さない」


「な、なんだと!? それでは国はどうなるのだ! 聖剣なくして魔王には勝てぬ!」


「落ち着いてください。触りたくないと言っただけで、掃除しないとは言っていません」


俺は聖剣を見据え、驚愕の解決策を提示した。


「抜けないなら、まずは“浸け置き洗い”からです。 隙間に溜まった執着の脂を、分子レベルで分解し、乳化させて剥がし取る。 ……一旦、聖域全体を“洗剤の海”に沈めてやりましょうか」


「洗剤の……海……?」


王と家臣たちが、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。 ティアナだけが、「流石はアレン様! 聖なる水で世界を洗うのですね!」と目を輝かせている。


俺の頭の中では、すでに必要な洗浄成分の配合が始まっていた。 異世界風に言えば、【界面活性魔法サーファクタント・ロジック】。 数千年の執着という名の汚れに、俺は真っ向から“化学洗浄”を挑むことに決めた。


だが、俺はまだ気づいていなかった。 聖剣の“汚れ”が、ただの脂ではないことを。 それは自意識を持ち、清掃者である俺を拒絶するように蠢き始めていた。


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