第27話:電子決済「極清(ゴクジョウ)ペイ」の普及
「……一旦、この世界の“通信プロトコル”を根本から書き換えませんか?」
俺、アレンは、王都の目抜き通りに立ち、激しい眩暈と戦っていた。
先日、俺の【界面活性魔法】によって、王都中の金貨はピカピカに洗浄されたはずだった。
ドロドロだった“強欲の脂”は剥離し、経済という名のシステムは、本来の“工場出荷状態”の輝きを取り戻したのだ。
だが、俺の【極清鑑定】が映し出す現実は、残酷なエラーメッセージを吐き出し続けていた。
「ひっ……、……おえっ。……やっぱりだ。接触感染(物理アクセス)が止まらない」
俺は震える指で、目の前の光景を指差した。
パン屋の店主が、客から金貨を受け取る。
その瞬間。
店主の指先に付着していた微細な小麦粉の粒子と、汗に含まれる塩分。
そして客の手のひらに残っていた、数分前に触れたであろう馬のたてがみの脂。
それらが、俺が磨き上げたばかりの金貨という名の“清浄なハードウェア”へと、無慈悲に転写されていく。
【警告:局所的な再汚染を検知】
【原因:物理メディアの受け渡しによる、不純物の相互アップロード】
【状態:手垢、皮脂、および空中浮遊菌の付着。衛生指数が毎秒0.5%ずつ低下中】
【システム評価:物理的な接触を前提とする限り、完全な除菌は不可能です】
「……うわ、汚い。汚すぎる。見てくれ、あの金貨の表面で、新しいバグ(菌)がパーティーを始めている」
俺の目には、受け渡しが行われるたびに、金貨の周囲に“黒いノイズ”が爆発するように広がっていくのが見えた。
それは単なる汚れではない。
不特定多数の人間のデータ……すなわち不純物が、接触という名の“セキュリティホール”を通じて、世界を再び不整合なバグの海へと沈めようとしているのだ。
「……耐えられない。……いくらデータをクリーニングしても、ハードウェアそのものを人が手で触り続ける限り、この世界は永遠に“拭き残し”のアーカイブで埋め尽くされる」
俺の呼吸が浅くなる。
心拍数が上がり、脳内メモリが「物理接触への嫌悪感」だけで100%を占有していく。
このままでは、俺というメインプロセッサが、オーバーヒートして緊急停止してしまう。
「アレン様! いかがなさいましたか! せっかく綺麗になった街で、なぜそのように絶望の淵におられるのですかっ!」
隣に控えていたティアナが、心配そうに俺の肩を掴もうとする。
「ティアナ、触るな! 来るな! そのピカピカな鎧を、俺の絶望という名のノイズで汚染させる気か!」
「えっ!? あ、アレン様……!?」
俺は叫び、なりふり構わず、その場で懐から最大出力の除菌スプレーを引き抜いた。
シュゥゥゥゥッ! シュゥゥゥゥッ!
「……リセットだ! 物理的な接触を前提とした、この不潔な“古いUI”をデリートしろ!」
俺は周囲の空気を消毒しながら、脳内の演算リソースをフル回転させた。
魔法とは、本来は物理現象を最適化するための演算リソースだ。
ならば、物理的な接触を一切排除した、“非接触型”の経済システムを構築すればいい。
「いいか、ティアナ。よく聞け。現在の決済システムは、ユーザーエクスペリエンス(UX)が最悪なんだ」
俺は宙に指を走らせ、王都全域を網羅する、巨大な魔力ネットワークの設計図を描き出した。
冷徹な声で、論理的なデバッグを開始する。
「情報の受け渡しに、物理的な媒体(金貨)は不要だ。……いいか、価値とはデータなんだ。Aという個人のフォルダから、Bという個人のフォルダへ、数値を移動させる。それだけの処理に、なぜ手垢まみれの金属片を仲介させる必要がある? 接触は情報の摩擦を生み、そこには必ず不純物という名の“ノイズ”が混入する。……俺が今から行うのは、王都全体の“決済プロトコル”のアップデートだ。個人の識別信号(ID)を魔力ネットワークに登録し、接触を介さず、光の速さでデータの整合性を保つ。……物理的な汚れが介在する余地のない、完全な“クリーン・トランザクション”を実装する」
俺は両手を広げ、王都の地下に眠る魔力の脈動(地脈)へと、アクセス・コマンドを入力した。
イメージするのは、目に見えない情報の高速道路。
現代知識にある、RFID(近距離無線通信)とブロックチェーン技術を、魔力的な周波数でエミュレートする。
「【界面活性魔法:極清・キャッシュレス】」
俺が指をパチンと鳴らす。
次の瞬間。
王都中の民衆の手元にある、俺が先日配布した“洗浄済み宝石”が、一斉に青白く発光した。
不透明だった市場のやり取りが、一瞬で透明なデータストリームへと書き換えられていく。
人々が手をかざすだけで、物理的な金貨に触れることなく、価値が純粋な光として移動する。
詰まりの取れた経済システムが、かつてないスループットを叩き出し始めた。
【システム状況:非接触決済プロトコル・オンライン】
【エリア清潔度:99.9%(物理接触機会の80%削減を達成)】
【キャッシュフロー:超高速化完了】
「……よし。これでようやく、情報のテクスチャが正常に表示されたな」
俺は額の汗を拭い、清々しい顔で、誰とも触れ合わずに済む空を見上げた。
その瞬間だった。
俺の背後で、もはや空間そのものを物理的に震わせるほどの「熱量」が爆発した。
「ア、アレン様ぁぁぁーーーーっ!!!!!」
ティアナだ。
彼女は、光り輝く魔力ネットワークの中心に立つ俺の背中を見つめ、その場に崩れ落ちていた。
いや、跪き、祈りのポーズを取ったのだ。
彼女の全身から、もはや太陽をも凌駕するほどの「感動のオーラ」が噴き出している。
「なんという……! なんという圧倒的な、神聖なる解放の極致でしょうっ! 今、私は世界の真理を、この魂の深淵まで叩き込まれましたっ!!!!!」
彼女は震える両手を天に掲げ、むせび泣きながら絶叫を続ける。
その熱量は、除菌されたばかりの王都の空気を、一瞬で沸騰させるほどの威圧感を持っていた。
「皆様、ご覧ください! あの、金貨という名の“物質の呪縛”を完全に断ち切られたアレン様のお姿をっ! アレン様は、私たち人間に示してくださったのです! 私たちが何千年も執着し、奪い合い、その手を手垢と血で汚してきた金貨……。あれは、魂を地に縛り付ける不潔な“鎖”に過ぎなかったということをっ!!!」
「いや、ただ手が触れるのが嫌だっただけなんだけど……」
「いいえっ! アレン様はあえて“キャッシュレス”という天上の言葉を使われましたが! それは、あらゆる物質的な執着から民を救い出し、清らかな光の絆だけで世界を結びつけるという、至高の経済的救済なのですっ! あの行き交う光のパケット……。あれこそが、私たち人間が忘れていた『信頼』という名の、最も純粋な輝きなのですねっ! ああ、なんという清々しさ! アレン様、あなたはもはや勇者などではない! あなたは、この腐敗した金の亡者たちのシステムを、自らのロジックで書き換える、経済と精神の創造主……『大掃除の神』でございますっぁぁぁぁーーーーっ!!!!!」
「……ティアナ。落ち着け。……というか、勝手に神格化するのはシステム負荷がすごいからやめてくれ」
俺は、深い溜息をついた。
インターフェースの改善、通信の最適化。それは、システムの整合性を保つための「当然の処置」だ。
だが、この世界の住人は、どうしてこうも「論理的なデバッグ」を「魂の救済」へと、天文学的な飛躍で変換してしまうのか。
「勇者様ぁぁぁ!」
「おおお、我々の手を汚さずに済むシステムをくださったぁ!」
「見てください! 支払いのたびに、心が洗われるようです!」
大通りに集まっていた民衆や商人たちが、ティアナの演説に呼応するように、一斉に地面に頭をこすりつけ始めた。
「救世主様だ!」「不浄な物理貨幣をデリートしてくださった!」
号泣と感謝の祈りが、除菌された清浄な空気の中に満ちていく。
街は、かつてないほどの健全な活気に包まれ、王国経済は爆速で活性化し始めた。
これが、不純物という名のノイズを取り除いた、システムの「真のパフォーマンス」だ。
俺は、さらにもう一段深い溜息をついた。
王都全体の魔力循環は、かつてないほどのスループットを記録している。
だが。
俺の【極清鑑定】は、この輝くクリーンエリアの片隅に、さらに「不気味な黒いノイズ」の反応を捉えていた。
それは、物理的な脂汚れでも、論理的なバグでもない。
もっと、生理的な嫌悪感を逆なでするような、生臭い、蠢くような“汚染源”の気配。
「……ん?」
俺の視界の端に、一つの警告ログが走った。
【緊急警告:特定不能の生物学的汚染物質が接近中】
【推定:数千体のダニ、および腐敗した繊維の塊】
【ターゲット:伝説の英雄が纏ったという『呪われた鎧』】
「……う、おえっ」
俺は再び口元を押さえた。
次なるターゲットは、王国の誇り、伝説の英雄の遺産。
だがそれは、俺の目には「ダニと寄生虫がマンりした、歩くゴミ屋敷」にしか見えなかった。
「ティアナ。……喜んでいる暇はない。……すぐに新しい除菌布を用意しろ。次は、歴史という名の“拭き残されたゴミ山”を片付けるぞ」
俺のお掃除無双は、王国の経済を綺麗にしただけでは終わらない。
次なる戦いは、名声の裏側に隠された「不潔な真実」。
俺は、新しい除菌カートリッジを装填し、冷徹な目で次なる汚染源を見据えた。




