第18話:ガラクタ鑑定士ゼクスと不潔な遭遇
「……一旦、世界をリセットしませんか?」 俺、アレンは、王都の裏通りにある一軒の店の前で、絞り出すようにそう呟いた。 目の前には、おどろおどろしい看板。 "ゼクスの遺物・ガラクタ店"という文字が、剥がれかけたペンキで記されている。 だが、そんな看板はどうでもいい。 問題は、その店構えそのものだ。
「う、うわ……。……おえっ」 俺は口元を押さえ、その場に膝をつきそうになった。 生理的な拒絶反応。 それは、脳が「生存の危機」を察知した時に発する、緊急アラートだ。 この店の外壁は、数十年……いや、数百年の間、一度も清掃された形跡がない。
雨風にさらされ、排気ガスや魔力の残渣を吸い込んだ壁は、異様な灰色に変色している。 それだけではない。 軒先には、正体不明の「ガラクタ」が、山のように積み上げられていた。 錆び付いた鉄屑。 カビに侵食された古布。 そして、持ち主の執着がこびりついたまま放置された、不潔な魔導具の数々。
「アレン様、どうされましたか! またしてもこの世界の邪悪を感知されたのですね!」 隣に立つティアナが、我がことのように拳を握りしめた。 彼女の鎧は、俺が先ほど入念に磨き上げたばかりの"鏡面仕上げ"だ。 その輝きが、この不潔な空間では余計に浮いている。 「ティアナ……。この場所は、システム的な"ゴミ箱"だ。……いや、削除し忘れた巨大なキャッシュの溜まり場だ」
俺は震える手で、懐から特製の除菌スプレーを取り出した。 だが、一本や二本では足りない。 俺の【極清鑑定】が、その「不潔の深淵」をログとして吐き出し始めた。
【警告:周辺エリアの衛生指数が臨界点を突破】 【状態:物理的・論理的データの完全な不整合】 【汚染物質:重合した錆、積層された塵、残留思念のヘドロ】 【システム状況:ハードウェアの腐食により、物理I/Oが完全に停止しています】
「……ひどすぎる。解像度が低すぎて、何が何だか分からないぞ」 俺の目には、山積みにされたガラクタが、一つの巨大な「黒いノイズ」に見えていた。 それは、整理整頓を放棄されたデスクトップのようだ。 アイコンが重なり合い、ショートカットが壊れ、中身のないフォルダが散乱している。 その一つ一つに、数千年の「執着」という名の脂汚れが、コンクリートのように焼き付いているのだ。
その時だ。 ガラクタの山がガサリと揺れ、中から一人の男が這い出してきた。 「へへっ、いらっしゃいませぇ。……何か、お宝をお探しで?」
「ひっ……!」 俺は反射的に、スプレーのトリガーを引こうとした。 男の名はゼクス。 自称・遺物鑑定士。 だが、俺の鑑定眼には、彼は「歩くバイオハザード」にしか見えない。 彼の衣服は、油汚れと埃が何層にも重なり、もはや元の生地の色が判別不能だ。 顔のテカリは、健康な脂ではない。 長年洗っていない皮膚の上で、酸化して重合した不潔なコーティングだ。
「……ゼクスさん、でしたっけ。……一歩も、近づかないでください」 「おや、冷たいですなぁ、勇者様。……これでも、王都一の目利きなんですよ?」 ゼクスがニチャァと笑う。 その歯の隙間に詰まった「不純物」を見て、俺の精神力(MP)がガリガリと削られた。 「……一旦、全部除菌しましょうか。あなたのその、"人生の拭き残し"ごと」
俺はゼクスに向けてスプレーを構えたまま、店内の奥に鎮座する「ある物」に目を止めた。 それは、巨大な鉄塊のようなものだった。 かつては何らかの魔導装置だったのだろう。 だが今は、厚さ数センチはあろうかという「錆と油のコンクリート」に包まれている。
【鑑定対象:古代魔導遺物・コード108】 【状態:動作不能(物理的ボトルネック:100%)】 【原因:不純物の積層による、魔力回路の物理的短絡】 【推奨アクション:完全な化学洗浄、および回路の再構築】
「……これはいい。……実に、掃除しがいがある」 俺は、嫌悪感を通り越して、一種の使命感に駆られた。 この「システムの詰まり」を解消しない限り、俺の視界は一生この不快なノイズに汚染され続ける。
「魔法とは、本来は物理現象を最適化するための演算リソースだ」 俺はゼクスとティアナを無視して、魔力を練り上げた。 「情報の処理をスムーズにするためには、まず物理的な抵抗をゼロにしなければならない。この装置が動かないのは、資質や魔力が足りないからじゃない。単に、ゴミという名のバグが、物理I/Oを妨害しているからだ」
俺は脳内で、精密な「洗浄プログラム」を構築していく。 イメージするのは、強力な酸による化学的剥離。 現代知識にある、クエン酸と界面活性剤の理論。 それを、異世界の魔法体系にコンパイルする。
「【化学洗浄魔法:回路のデフラグ】」
俺が手をかざすと、手のひらから透明な、だが粘り気のある光の波動が放たれた。 それは古代遺物を包み込み、表面の「錆」という名のバグに干渉し始める。 シュゥゥゥゥッ! という、耳をつんざくような化学反応の音が響き渡る。
「な、なんだ!? わしの宝物が、溶けていく!?」 ゼクスが悲鳴を上げる。 「溶けているんじゃない。……"最適化"されているだけだ。不純物という名の不要なデータを、物理層から削除している」
鉄塊の表面から、真っ黒なヘドロが溢れ出した。 それは数千年の間、この装置が吸い込み、固着させてきた世界の汚れだ。 酸化した魔力の残渣。 劣化したグリス。 それらが、俺が生成した【苦円酸(クエン酸)】の力で中和され、分解されていく。
俺はさらに、魔力を一段階引き上げた。 「【界面活性魔法】。……浸透率、100%」 目に見えない魔力の泡が、コンクリートのように硬化した汚れの隙間に潜り込む。 そして、一気にそれを表面から「剥離」させた。
バキッ、メキメキッ! 不潔な外殻が砕け散り、中からまばゆいばかりの白銀の輝きが露出した。 それは、埃一つ、曇り一つない、完璧に磨き上げられた古代の叡智。 本来あるべき姿の、精密な魔法回路だ。
「……ふぅ。これでようやく、テクスチャが正常に表示されたな」 俺は額の汗を拭い、満足して頷いた。 目の前にあるのは、もはやガラクタではない。 世界に存在する全てのノイズを排斥し、純粋な演算を可能にする、伝説の魔導装置。 その本来の性能が、俺の「お掃除」によって数千年ぶりに再起動したのだ。
その瞬間だった。 俺の背後で、かつてないほどの、もはや暴力的なまでの「熱量」が爆発した。
「ア、アレン様ぁぁぁーーーーっ!!!」
ティアナだ。 彼女は、まるで神の降臨を目撃した信者のように、その場に崩れ落ちていた。 その瞳には、かつてないほどの、いや、もはや正気とは思えないほどの「信仰の光」が宿っている。
「なんという……なんという奇跡! 今、私は世界の真理を、その目ではっきりと目撃いたしましたっ!」
彼女は震える両手を天に掲げ、喉が千切れんばかりの叫びを上げる。 その声は、ゼクスの汚い店を物理的に揺らすほどの威力を持っていた。
「皆様、ご覧ください! 誰からも見捨てられ、ゴミとして放置されていたあのガラクタを! あの不浄にまみれた、死んだも同然の鉄屑をっ! アレン様は、その聖なる慈愛の指先一つで……いいえ、その高潔なる眼差し一つで、命を吹き込まれたのですっ!」
「いや、ただ錆びを落としただけなんだけど……」
「いいえっ! アレン様はあえて"掃除"という言葉を使われますが、それは神が天地を創造された際に行った『混沌の整理整頓』と同じ意味なのですっ! この世のすべての悲しみ、苦しみ、そして見捨てられた想いが、あの黒いヘドロとなって流れ落ちていきました……。アレン様は、物言わぬ機械の魂にさえ寄り添い、その内側に隠されていた『本来の輝き』を、執着という名の闇から救い出されたのですっ!」
ティアナは、膝をついたまま俺ににじり寄ってきた。 その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだが、その瞳だけは恐ろしいほどに澄んでいる。
「アレン様! あなたはただの勇者ではありません! あなたは、この腐敗した異世界という名の『巨大なゴミ捨て場』に舞い降りた、唯一無二の"神の修復師"! 私たちの魂にこびりついた、傲慢や嘘という名の『頑固な油汚れ』までも、その白い霧で洗い流してくださるのですねっ! ああ、なんという清々しさ! あなたのそばにいるだけで、私の血管の一つ一つが、超音波洗浄されているような快感に包まれますっ!!!」
「血管を洗浄するのは、医学的に危ないからやめてくれ」
「いいえっ! 導いてください、アレン様! あなたがそのスプレーを向ける先には、必ずやピカピカの楽園が広がっているはず! 私、ティアナは! たとえこの鎧が錆びようとも、たとえこの身が泥にまみれようとも、アレン様が磨き上げるその景色のために、生涯を捧げることを今ここに誓いますっ! 私を……私を、あなたの専属雑巾にしてくださいっ!!!」
ティアナの絶叫に、店主のゼクスも完全に硬直していた。 そして。 「へへっ……。……へへへへへっ」 ゼクスが、震える手で磨き上げられた遺物に触れた。 「わしの……ガラクタが……。こんな、こんな綺麗な……」 彼の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。 その涙が、汚れきった頬を通る時に、そこだけ小さな「クリーンエリア」が生まれた。
「勇者様……。わしは、間違っておりました」 ゼクスが、その場に平伏する。 「わしはガラクタを愛しているつもりでした。だが、それは単なる『執着』に過ぎなかった。汚れを放置し、朽ちていくのを眺めるのは、愛などではない。……あなたのように、本来の輝きを取り戻させてやることこそが、真の愛だったのですね」
「……いや、愛とかじゃなくて、単に見ていてイライラしただけだ」
「へへっ、どこまでも高潔だ。……勇者アレン様。このゼクス、あなたに生涯の忠誠を誓います。この王都にあるすべてのガラクタ、すべての不純物を、あなたが磨き上げるための資材として提供しましょう!」
こうして、俺のパーティーに「経済とガラクタ」の担当が加わった。 俺の目的は、あくまで自分の視界を綺麗にすること。 だが、俺が遺物の一つを磨き上げるたびに、王国の経済システム(キャッシュフロー)のボトルネックが次々と解消されていくことに、俺はまだ気づいていない。
「……よし。ゼクスさん、まずはあなたのその服を燻蒸消毒させてもらいます。話はそれからだ」 「へへっ、望むところだ! 洗い流してください、わしの不純物を!」
俺は深い溜息をつき、新しい除菌カートリッジを装填した。 視界のノイズは、まだまだ消えそうにない。
その時、王宮の方向から、空を真っ赤に染めるような「不吉な魔力」が立ち上った。 俺の【極清鑑定】が、遠方から漂ってくる「凄まじい悪臭」を検知する。
【緊急事態:広域環境汚染を確認】 【原因:英雄の鎧に寄生した、数千年のダニと怨念のコロニー】
「……う、おえっ」 俺は再び口元を押さえた。 次なるターゲットは、王国の誇り、伝説の英雄が纏ったという鎧。 だがそれは、俺の目には「ダニと寄生虫がマンりした、歩くゴミ屋敷」にしか見えなかった。
「ティアナ。……次は、燻蒸消毒の準備だ。世界規模の害虫駆除を始めるぞ」
俺のお掃除無双は、さらに加速度を上げて、不潔の核心へと迫っていく。




