第16話:聖剣編フィナーレ:世界はもう少し、磨けるはずだ
祝賀会場を包んでいた喧騒が、ようやく遠のいていく。 俺は王宮のバルコニーに立ち、夜風に吹かれていた。 視界の端では、磨き上げられた石造りの手すりが月光を反射している。 先ほどまでいた“不潔の伏魔殿”に比べれば、ここはまだマシな空間だ。
だが、俺の心は一向に晴れなかった。 それどころか、胃のあたりにじっとりとした“重み”を感じる。 俺は右手を胸にかざし、自分自身に対してスキルを起動した。 「【極清鑑定】。……セルフスキャンを開始しろ」
視界が切り替わり、俺自身のステータスがログとして流れ出す。 そこには、今までの魔物や汚物とは違うタイプの警告が刻まれていた。
【警告:システム内部に蓄積された残留データ(ノイズ)を確認】 【原因:元の世界への過度な執着、および未練】 【汚染物質:揮発性の低い精神的煤】 【システム状況:メモリ使用率上昇。動作の最適化を阻害中】
「……うわ、汚い。俺の心の中も、こんなに散らかっていたのか」
俺は自嘲気味に呟いた。 この世界に来てから、ずっと「掃除」を続けてきた。 だが、一番大きなゴミを放置していたことに今さら気づく。 それは、元の世界に帰りたいという“未練”だ。
「……アレン様、こんなところに」
背後から、規則正しい足音が響く。 振り返らなくてもわかる。 摩擦係数を極限まで減らした、あの“ピカピカの騎士”だ。 ティアナは俺の隣に並び、同じように夜の街並みを見つめた。
「聖女様のあの申し出……。断られたのですね」 「当然だ。あの“黒カビの塊”の近くにいたら、俺の呼吸器が破壊される」 「ふふ、流石です。あなたは常に、目に見える形に惑わされない」
ティアナは、俺の嫌悪感すらも“高潔な意志”として受け取っている。 彼女の脳内プログラムは、今日も平和なまでにバグだらけだ。
「ですが、アレン様。……どこか、寂しそうな顔をされています」 「寂しい……? 違うな。ただ、自分のシステムに“拭き残し”を見つけただけだ」 「拭き残し、ですか?」
俺はバルコニーから手を離し、夜空を指差した。 「魔法とは、物理現象を最適化するための演算リソースだ。……それは精神も同じだ」 「演算、りそーす……。また難しいお言葉ですね」 「記憶とは、蓄積されたデータに過ぎない。だが、俺のデータは今、あちこちで“リンク切れ”を起こしている」
俺は、自分の中にある「元の世界への記憶」を思い浮かべる。 現代日本の清潔なトイレ、自動洗浄される浴槽、使い捨ての除菌クロス。 それらはこの世界では存在しない、失われたデータだ。 それをいつまでも「メインメモリ」に置いておくから、今の自分にラグが生じる。
「未練とは、整理整頓をサボった結果の“ゴミ”だ。……一旦、自分をデフラグしようと思う」 「で、でふらぐ……? 何やら恐ろしい儀式のようですが、大丈夫なのですか!」 「死ぬようなことじゃない。ただ、自分を“あるべき綺麗な状態”に整理するだけだ」
俺は集中力を高め、体内の魔力を精密に演算していく。 イメージするのは、乱雑に散らかった記憶という名のファイルを、種類ごとに並べ直す作業。 現代知識にある、ストレージの最適化……“デフラグメンテーション”だ。
「【魔力的界面活性魔法:セルフ・クリンリネス】」
俺の体から、淡い青色の光が漏れ出す。 それは外部を攻撃する力ではない。 自身の精神回路にこびりついた“未練という名の脂汚れ”を、分子レベルで分解するための術式だ。
「シュゥゥゥゥッ……」
脳内に、汚れが落ちるような清涼な音が響く。 元の世界への執着。 帰れないことへの苛立ち。 それらが、俺が練り上げた【重層魔法】によって中和されていく。 さらに【苦円酸魔法】で、頑固な執着の核を粉砕した。
記憶を消すのではない。 ただ、それらを「現在」の動作を妨げないように、“アーカイブ(保存庫)”へと整頓するだけだ。 視界が、先ほどよりもクリアに書き換えられていく。
「……よし。完了だ。ようやく思考のボトルネックが消えた」
俺が深い息を吐くと、隣にいたティアナが震える声で叫んだ。 「な、なんという光景でしょう……!」 「……ティアナ? 眩しかったか?」 「いいえ! あなたから溢れる神々しいまでの覚悟。今、私には見えました!」
ティアナが、感極まったように俺の両手を握りしめる。 「アレン様! あなたは今、天界との繋がりさえも自ら断ち切り……!」 「は? 天界?」 「そうです! この不浄な現世を救うため、元の美しい場所へ戻る権利を捨てられたのですね!」
……違う。 俺はただ、心の中を掃除しただけだ。 だが、ティアナの瞳には、俺が“世界の救世主”として永遠にこの地に留まる誓いを立てたように見えているらしい。
「アレン様の慈愛は、海よりも深く、磨き抜かれた鏡よりも透き通っています!」 「落ち着け、ティアナ。俺の手を握るな。摩擦で静電気が起きるだろうが」 「いいえ! 私は今、確信いたしました! あなたと共に、この世界の隅々まで磨き上げることを!」
ティアナは、俺の毒舌を今日も“聖なる教え”に変換している。 だが、不思議と不快ではなかった。 デフラグを終えた俺の心は、新しいデータ……つまり、この世界の掃除を受け入れる余裕ができていた。
「……まあ、いいさ。この世界はまだ、拭き掃除が必要な場所ばかりだからな」 俺は小さく微笑んだ。 魔王を倒すとか、世界を救うとかはどうでもいい。 ただ、俺の目に映る景色を、もう少しだけ“ピカピカ”に磨き上げたい。 それが、お掃除鑑定士としての俺の“新たなプログラム”だ。
「アレン様! 陛下が、今回の功績に対する褒美を持って参られました!」
バルコニーに、エドワード王が現れた。 彼は顔を上気させ、部下に持たせた大きな革袋を俺に差し出した。 「勇者アレンよ! 聖域を浄化し、聖剣を目覚めさせたお主の功績は計り知れん!」 「……陛下、足元の除菌は」 「ああ、先ほど万全に済ませた! さあ、これを受け取るがよい。我が王国が誇る、特級の純金貨だ!」
王が革袋の紐を解き、中身を俺の前に広げた。 月光の下で、黄金色の金貨がジャラジャラと音を立てる。 普通の人間なら、そのまばゆい輝きに目を奪われるだろう。
だが、俺の【極清鑑定】が捉えたのは、最悪の反応だった。
【警告:金属表面に深刻な有機汚染を検知】 【成分:数千人の欲望、強欲による粘着性の脂、未洗浄の手垢】 【汚染レベル:測定不能(バイオハザード級)】
「……う、おえっ」
俺は即座に後ずさりし、除菌スプレーを抜いた。 金貨の表面には、歴代の持ち主たちが残した“強欲の脂”が、ドロドロの層になって付着していた。 それは、魔物の返り血よりも不潔で、執着にまみれた“金のゴミ”だ。
「陛下……。一旦、全部除菌してもいいですか?」 「な、なに!? 汚れなき純金だぞ!?」 「いいえ、陛下。これは金貨の形をした“培養皿”です。……触るな、汚染される!」
俺の叫びが、夜の王宮に響き渡る。 伝説の聖剣を磨き上げた俺を待っていたのは、王国を支える「経済」という名の、巨大な脂汚れだった。
「ティアナ! 今すぐ俺のクリーンエリアを広げろ! この金貨、全部まとめて洗濯してやる!」




