第11話 タイトル:いざ、抜剣!ヌルッと抜ける伝説
一晩の“浸け置き洗い”が功を奏したらしい。 聖域の空気は、昨日までの饐えた油の臭いが嘘のように消えていた。 俺が生成した【界面活性ミスト】が、空間の隅々まで行き渡った証拠だ。
「……よし。ようやく湿度が適正値に戻ったな」 俺は【極清鑑定】を起動し、台座に突き刺さった聖剣をスキャンした。 視界に流れるログは、昨日とは打って変わって良好な数値を叩き出している。
【鑑定対象:伝説の聖剣(洗浄中)】 【状態:表面汚染の98%を乳化完了】 【固着指数:0.02(極めて低い)】 【システム状況:ボトルネック解消まで、あと一拭き】
「アレン様! 見てください! 聖剣が、聖剣が呼吸をしているようです!」 隣でティアナが、目をキラキラさせて叫んでいる。 確かに、ドロドロの脂汚れに隠されていた刀身からは、淡い光が漏れ出していた。 だが、俺の目にはそれが“神々しい光”などには見えない。
「呼吸じゃない。汚れが浮いて、隙間に空気が入り込んだだけだ」 俺は冷静に指摘した。 昨夜、俺が施した【重層魔法】。 そして【苦円酸魔法】。 この二つが、数千年の執着という名の“頑固な油汚れ”を分子レベルで分解したのだ。
「いいか、ティアナ。これが魔法の真実だ」 俺は空中に、魔力で構成された“ワイパー”を出現させた。 「呪いや封印なんてものは、情報の処理落ちが生んだバグに過ぎない」 「処理落ち……ですか?」
「そうだ。歴代の勇者たちが残した執着が、摩擦係数を異常に高めていただけだ」 俺は魔力ワイパーを操り、聖剣の根元に溜まった“グレーのヘドロ”を拭い取った。 それは、乳化した脂汚れと不純物の成れの果てだ。 「システムの最適化とは、無駄な抵抗をゼロにすることだ。……仕上げに入るぞ」
俺はポーチから、特製の“魔力滑走剤”を取り出した。 現代知識を応用し、魔力でシリコンに近い分子構造を模倣したものだ。 「【界面活性魔法:フリクション・ゼロ】。……注入」 聖剣と台座のわずかな隙間に、透明な液体を流し込む。 これで、物理的な結合は完全に断たれた。
「……うわ、汚い。この拭き残しのヘドロ、まとめて除菌してやる」 俺は仕上げに強力な除菌スプレーを噴霧した。 シュゥゥゥゥッ! という爽快な音が聖域に響き渡る。 すると、台座を縛っていた黒いもやが、悲鳴を上げるように霧散していった。
「準備はいいか、ティアナ。……もう、指一本で抜けるはずだ」 俺は顎で聖剣を指した。 背後で見守っていた王や大臣たちが、一斉に息を呑む。 「い、いよいよか……。数千年の沈黙を破り、伝説が目覚めるのだな!」 王の震える声。
ティアナはゴクリと唾を飲み込み、聖剣の柄に手を伸ばした。 「アレン様が磨き上げた、この聖なる刃……。私が、責任を持って!」 彼女が柄を握った瞬間。 かつてのような“禍々しい拒絶”は一切なかった。
「……はぁっ!」 ティアナが気合と共に、腕を上に引き上げる。 伝説の勇者たちが一生をかけても動かせなかったという、至高の聖剣。 それが。
「ヌルッ」 そんな、拍子抜けするような音と共に。 聖剣は、まるで石鹸で滑るように台座から滑り出した。 あまりの摩擦のなさに、ティアナは勢い余って後ろに転びそうになる。 「お、おっと……!? な、なんて軽いのでしょうか!」
その瞬間だった。 王宮の空を突き抜け、世界中に澄み渡るような鐘の音が鳴り響いた。 それは、世界のシステムが“正常化”されたことを告げる、祝福のファンファーレ。 「おお……! 鐘が! 伝説の鐘が鳴っているぞ!」 「聖剣が抜けた! 数千年の呪いが、ついに解かれたのだ!」
騎士たちが歓喜に沸き、地面に跪いて涙を流している。 「アレン様! やりました! 世界は救われたのです!」 ティアナも抜けた剣を掲げ、満面の笑みを浮かべていた。 だが、俺は一人、冷や汗を流していた。
「……おい、ティアナ。その剣……」 俺は【極清鑑定】のログを、二度見、三度見した。 埃を払い、脂を落とし、完全にデフラグされた“聖剣”の真実。 ピカピカに磨き上げられたその姿は、どう見ても“魔王を斬るための武器”ではなかった。
「アレン様? どうされました? こんなに輝いているのに」 ティアナが不思議そうに、手の中の“獲物”を見つめる。 汚れを完璧に除去した結果、現れたのは。 細長く、先端が微妙に湾曲し、レバーのような機構がついた、銀色の道具。
「……ティアナ。それを、今すぐ俺に渡してくれ」 「えっ? ですが、これは伝説の……」 「伝説じゃない。……それは、世界の“ささくれ”を切るための道具だ」
俺の鑑定眼には、その道具の真の名前がはっきりと映し出されていた。 それは、中学生でも知っている、あまりにも日常的な“ある物”に酷似していたのだ。 そしてその“輝き”が、さらなる厄介な客を呼び寄せることになる。
「……一旦、全部除菌して、構造を再確認させてくれ。……吐き気がしてきた」 俺は口元を押さえ、ピカピカに輝く“それ”から目を逸らした。




