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第10話 タイトル:浸け置き洗いの術、完了

聖域を覆っていた煤は消えた 。 壁画はフルハイビジョン並みの輝きを取り戻している 。 だが、俺の仕事はまだ終わっていない。 部屋の中央、台座に突き刺さった“それ”が残っている。


「……うわ、浮いてるな」


俺は眉をひそめ、聖剣の根元を見つめた。 昨日、俺が施した“浸け置き洗い”の成果だ 。 【サーファクタント・ロジック界面活性魔法】 。 そして【重層魔法】と【苦円酸魔法】のサイクル 。 それらが一晩かけて、聖剣を縛る“執着の脂”を分解した。


「アレン様! 見てください!」 ティアナが興奮した面持ちで、台座を指差す 。 「聖剣の根元から、黒い涙が流れております!」 「涙じゃない。乳化した脂だ」


台座の隙間から、ドロドロとした灰色の液体が溢れ出していた 。 それは歴代勇者たちの“俺が世界を救う”という身勝手な想いだ 。 物理的には、酸化した皮脂や手垢の堆積物に過ぎない 。 それらが洗剤成分によって中和され、ようやく剥がれてきたのだ。


「いいか、ティアナ。これは神秘の儀式なんかじゃない」 「はい! 聖なるお掃除の、最終段階ですね!」 「……まあ、そうだ。魔法とは演算リソースだ」


俺は空中に、新たな術式を描き出した。 今度は“分解”ではなく“除去”を目的としたプログラムだ。 物質を表面から剥離させ、一箇所に集める。 イメージするのは、吸水性と吸着性に優れたマイクロファイバーだ。


「【魔力ワイパー:マイクロ・トラップ】」


俺の指先に、半透明の布状の魔力が形成された。 それは極細の魔力繊維が編み込まれた、究極の掃除道具だ。 俺はそれを手に、聖剣の根元へと慎重に近づいた。 近づくだけで、鼻を突く饐えた油の臭いが鼻腔を刺す 。


「……っ、やっぱり不潔だ」 「アレン様、お気をつけください! 呪いの残滓が蠢いています!」 「蠢いているんじゃない。表面張力が失われて流動化してるだけだ」


俺は【極清鑑定】を常に発動させ、汚れの密度を確認した 。


【鑑定対象:聖剣の根元・残留汚染】 【状態:浮離完了(システム整合性:98%)】 【特記事項:最も強固な脂汚れが露出。一括削除を推奨】


「一旦、全部拭き取りましょうか」


俺は魔力ワイパーを、聖剣の柄から根元に向けて滑らせた。 ヌルリ、という感触が手に伝わる。 普通の人間なら「伝説の重み」と勘違いするだろう。 だが、俺にとっては「不衛生なヌメリ」でしかない 。


ジュワッ! 魔力ワイパーが、黒いヘドロのような脂を吸い取っていく。 一度拭うごとに、ワイパーは真っ黒に染まって消滅する。 俺は次々と新しいワイパーを生成し、何度も何度も往復させた。


「な、なんという高潔な手つきだ……」 背後で見ていた王宮魔導士たちが、感極まった声を上げた 。 「呪いの最深部を、素手(に見えるもの)で浄化されている!」 「ああ……。まるで世界中の罪を、御自身で引き受けておられるようだ」


違う。 俺はただ、このベタベタを消し去りたいだけだ 。 彼らには、この黒い汁が「凝縮された邪悪」に見えているらしい。 俺の目には、単なる“放置された汚れ”という名のバグに見えている。


「魔法は物理現象を最適化するためのものだと言っただろう」 俺は作業を続けながら、解説を口にした。 「この剣は、数千年の間、物理的な“ボトルネック”に陥っていた」 「ボトル……首、ですか?」 ティアナが不思議そうに首を傾げる。


「情報の処理が、一箇所で詰まっている状態だ」 「この脂汚れが接着剤となり、剣と台座の摩擦係数を無限大にしていた」 「どんなに資質があっても、物理的な固着は精神論では解決できない」 「俺は今、そのシステムの“詰まり”を解消しているに過ぎない」


拭き取りが進むにつれ、聖剣の本来の姿が見えてきた。 黒ずんでいた刀身から、まばゆいばかりの白銀の輝きが溢れ出す 。 だが、俺が注目したのはその輝きではない。


「……よし。浸け置き洗いの術、完了だ」


俺は最後の一拭きを終え、魔力ワイパーを霧散させた 。 聖剣の根元は、今や鏡のように周囲を映し出している。 台座との境界線には、もはや一ミリの不純物も存在しない 。 【極清鑑定】のログが、清々しい青色に変わった。


【鑑定結果:伝説の聖剣(洗浄済み)】 【状態:動作良好(物理的固着の完全解消)】 【清潔度:工場出荷状態(新品同様)】


「アレン様! 聖剣が、聖剣が息を吹き返しました!」 ティアナが叫び、聖域全体が地鳴りのような歓喜に包まれた。 王や大臣たちは、もはや俺を神の使いであると確信し、平伏している 。 「救世主様だ!」「世界を浄化する真の勇者様が現れた!」


「うるさい。そこ、騒ぐとまた埃が舞うだろう」 俺は冷たく言い放ち、手元の除菌スプレーを自分自身に吹きかけた 。 作業中、微細な脂が跳ねたような気がして不快だったからだ。


「さて、ティアナ。システムのデフラグは終わったぞ」 俺は、あごで聖剣を示した。 「……えっ? 私が、ですか?」 「ああ。もう“執着”という名の接着剤はすべて分解した」 「今のこの剣は、物理法則に従って動くただの物体だ」


俺は一歩下がり、クリーンエリアを確保した。 「ティアナ、触ってもいいぞ」 「あ、アレン様……。私のような者が、そのような聖なるものに……」 「聖なるものじゃない。ただのメンテナンスが終わったツールだ」


俺は、緊張で震える彼女にアドバイスを送った。 「ただし、注意しろ。あまりにも綺麗に磨きすぎた」 「……はい?」 「摩擦係数を極限までゼロに近づけてある」


俺は、台座に突き刺さったままの白銀の剣を見据えた。 「滑るから、気をつけて抜け。……勢い余って後ろに転ぶなよ」


「はい! アレン様の御心のままに!」 ティアナが、覚悟を決めた表情で聖剣の柄に手を伸ばす。 その手は、昨日俺が徹底的に除菌した、ピカピカの籠手に包まれていた 。


数千年の間、誰も動かせなかった伝説の聖剣。 それが今、一人の“バカ正直な騎士”の手によって、物理の限界を超えて動き出そうとしていた。 だが、その後に現れる“剣の正体”を、俺以外の誰もまだ予想していなかった。

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