第43花 同時にあったはずのない出来事
朝のホームルーム。
教室はいつも通り――のはずだった。
「昨日さ」
誰かの声。
「図書室混んでたよな?」
別の生徒がうなずく。
「めちゃくちゃ人いた」
その瞬間。
「え?」
前の席の男子が振り向いた。
「図書室?
昨日閉まってなかった?」
空気が止まる。
「は?」
「いや、先生会議で使うとかでさ」
ざわつきが広がる。
「え、俺普通にいたぞ」
「俺も」
「俺も」
次々に手が上がる。
その一方で。
「いや、入れなかったって」
「張り紙あったじゃん」
真逆の証言。
どちらも本気の顔。
冗談じゃない。
記憶が、ぶつかっている。
「お前ら何言ってんの」
誰かが笑う。
「昨日普通に開いてたろ」
「いや閉まってた」
「開いてた」
「閉まってた」
声が重なる。
机が軋む。
黒板の前で担任が眉をひそめた。
「……静かに」
でも、収まらない。
「いや俺、本借りたし」
「嘘だろ」
「嘘じゃねえよ」
「じゃあレシート見せろよ」
「レシート?」
図書室にレシートなんてない。
会話が破綻する。
俺の背中を、冷たい汗が流れた。
――二重記憶。
昨日。
スズランの記憶が揺れた。
その影響が、周囲にも漏れている。
「なあ」
今度は別の女子。
「昨日、屋上行った人いる?」
心臓が跳ねる。
「屋上?」
「行ってない」
「俺も」
普通の反応。
でも。
「……私」
小さな声。
クラスの端。
誰かが手を挙げる。
「行った気がする」
教室が静まる。
「誰と?」
「わかんない」
その子は困った顔をした。
「夕焼け見てた気がする」
喉が凍る。
スズランが、こちらを見た。
目が合う。
昨日と同じ、あの揺れた瞳。
「でも」
その子は続ける。
「図書室にいた気もする」
ざわっ。
「は?」
「どういうこと」
「両方は無理だろ」
「うん」
彼女は自分の頭を押さえる。
「でも両方ある」
担任が前に出る。
「……体調悪いのか?」
「いえ、大丈夫です」
そう言いながらも、顔色が悪い。
「昨日の記憶が、二つある感じで」
その言葉で。
教室の何人かが、同時に顔を上げた。
「……あ」
「俺も」
「ちょっと待て」
「俺もだ」
空気が一気に変わる。
「俺、昨日バイトだった」
「いや、部活だろ」
「いやバイト」
「部活だって」
怒鳴り声。
笑い声。
混乱。
教室が、ゆっくり壊れていく。
担任が机を叩いた。
「静かに!」
全員が黙る。
でも。
誰も納得していない。
記憶が、二つある。
どちらも本物の感触で。
「……今日のところは」
担任が言う。
「体調悪い奴は保健室行け」
それしか言えない。
説明がつかない。
世界の整合が崩れ始めている。
俺は机の中で、ノートを握った。
スズランのページ。
灰色の文字。
その影響が――
クラス全体に波及している。
「アスター」
小さな声。
ダリアだった。
いつの間にか、隣の席に寄っている。
口元に、いつもの笑み。
「これさ」
彼女は楽しそうに囁く。
「もう“個人の事故”じゃないよね」
背筋が凍る。
「世界のバグ、始まってる」
その言い方。
まるで。
待っていたみたいに。
「ねえ」
ダリアは机の下を覗き込む。
ノートを見ている。
「そろそろ使わないと」
声が甘くなる。
「間に合わなくなるよ?」
チャイムが鳴る。
授業開始。
でも。
誰もノートを開かない。
誰も集中していない。
教室中に漂う、奇妙な沈黙。
同時に存在してはいけない記憶が、
クラスの中で静かに重なっている。
その中心にあるのが――
俺の机の中のノート。




