第14花 そのノート、使わせて
変化は、静かに広がっていた。
誰もはっきりとは言わない。
けれど、確実に。
――アスターの周りだけ、空気が違う。
視線が増えた。
ひそひそ声が増えた。
近づいてくる人間と、露骨に距離を取る人間に分かれ始めた。
そして、
近づいてくる側の目は、決まって“好奇心”じゃなかった。
●
放課後、図書室。
人気のない机で、アスターはノートを閉じたまま置いていた。
もう、読む気になれない。
読むたびに、誰かの未来が確定してしまう気がして。
「……やっぱり、ここにいた」
声。
顔を上げると、そこにいたのは――
ツバキだった。
クラスでも目立つタイプの女子。
成績は良く、教師受けも良く、友達も多い。
笑顔が上手で、立ち回りが上手い。
そして。
どこか、計算高い目をしている。
「……何の用だ」
「そんな警戒しないでよ」
ツバキは、軽く笑いながら向かいの椅子に座った。
「ただ、話したくて」
「……俺と?」
「うん。最近、色々あるでしょ?」
言い方が、やけに曖昧だった。
“色々”の中身を、
彼女がどこまで知っているのか。
探るような沈黙が落ちる。
先に破ったのは、ツバキだった。
「ねえ」
机の上のノートに、視線を落とす。
「それってさ……
未来、書いてあるんだって?」
心臓が、一拍遅れた。
だが、顔には出さない。
「……何の話だ」
「とぼけなくていいって」
ツバキは、あっさりと言った。
「マーガレットから、聞いた」
やはり、広がっていた。
「全部じゃないけどね。
名前と、出来事が書いてあったって」
指先が、机をとん、と叩く。
「ねえアスター。
それ、本当なの?」
否定すべきだった。
曖昧にして、遠ざけるべきだった。
でも、口が動かなかった。
沈黙は、肯定になる。
ツバキは、それを見て、目を細めた。
「……やっぱり」
嬉しそうだった。
怖いくらいに。
「ねえ」
声が、少しだけ低くなる。
「だったらさ……
相談、乗ってくれない?」
「……相談?」
「うん」
ツバキは、さらりと言った。
「私のこと、書いてほしいんだよね」
空気が、凍る。
「……は?」
「私、最近さ」
指を絡めて、困ったような顔を作る。
「ちょっとストーカーっぽい人に、付きまとわれてて」
どこまで本当かわからない。
でも、その話の“流れ”は、はっきりしていた。
「もし、本当に危ない未来があるなら、
先に知りたいし」
にこ、と笑う。
「対策、できるでしょ?」
その言葉は、
“助けて”ではなかった。
“利用させて”だった。
「……書かない」
短く言う。
ツバキの笑顔が、ほんの一瞬だけ、歪んだ。
「どうして?」
「……そういう使い方は、できない」
「どういう使い方?」
首を傾げる。
無垢なふりが、あまりにも上手かった。
「誰かを守るためならいいけど、
私が自分を守るために使うのは、ダメなの?」
言葉だけ聞けば、正論に聞こえる。
でも、違う。
彼女の目には、
“得をするかどうか”しか映っていなかった。
「……帰れ」
アスターは、低く言った。
ツバキは、少しだけ黙ったあと、ふっと息を吐いた。
「そっか」
そして、立ち上がる。
「じゃあ、別にいいや」
その声は、驚くほどあっさりしていた。
歩き出す前に、振り返る。
「でもさ」
笑顔で、こう言った。
「もう、私だけが知ってるわけじゃないからね?」
背筋が、冷たくなる。
「噂って、
“面白い話”ほど、勝手に広がるんだよ?」
それだけ言って、
ツバキは、図書室を出ていった。
●
その夜。
アスターは、自室でノートを開いていた。
書くつもりはなかった。
ただ、確認するだけのつもりだった。
ページをめくる。
見覚えのない名前が、ひとつ増えていた。
ツバキ
放課後
非常階段
――回避可能
喉が、ひゅっと鳴った。
自分は、書いていない。
なのに。
「……なんだよ、これ……」
ページを触る。
確かに、自分の字じゃない。
けれど、
ノートは“知っている”かのように、情報を追加している。
まるで。
誰かが「知った瞬間から」、対象として認識されるように。
ゾッとする。
つまり。
このノートの存在を知った者は、
すでに“世界の盤面”に乗せられている。
そして、利用しようとする者ほど、
早く、深く、巻き込まれる。
ページの端に、
小さく、追記のような文字が浮かんでいた。
――介入者、増加中
アスターは、ゆっくりとノートを閉じた。
これはもう、
自分だけの地獄じゃない。
そして何より恐ろしいのは――
この力を、“欲しがる人間”が、これから増えていくことだった。




