第11花 それは、ほとんど成功だった
屋上は、放課後になると静かだった。
風が強く、金網がかすかに鳴っている。
夕焼けが、すべてを赤く染めていた。
「……来ると思ってた」
アスターは、振り返らずに言った。
背後で、扉が閉まる音がする。
「だって、あの顔だったもの」
軽い声。
楽しげですらある。
ダリアだった。
「事故のあと、ずっと考え込んでたでしょう?
『あれは偶然か、それとも……』って」
「……答えを知ってるくせに」
ダリアが笑う。
「もちろん」
足音が近づく。
アスターの隣まで来て、柵にもたれかかる。
「ねえ、見た?」
「……何を」
「スズランの顔」
その名前を、あえて軽く言う。
「死ぬ直前の、人の顔」
アスターの指が、わずかに強く柵を掴んだ。
ダリアはそれを見て、満足そうに目を細める。
「いい反応だったよ。
あれはね、かなり“良い線”いってた」
「……やめろ」
「事実でしょ?」
ダリアは肩をすくめた。
「棚の角度、床の摩擦、タイミング。
ほんの数センチ、ほんの一拍ズレてたら――」
言葉を切る。
わざと、続きを言わない。
「……成功してた」
沈黙が落ちた。
重たい沈黙だった。
「お前……」
アスターの声が低くなる。
「……人の命を、なんだと思ってる」
ダリアは、少しだけ首を傾げた。
「結果」
即答だった。
「“物語が正しく進んだかどうか”の結果」
「ふざけるな……!」
振り向いた瞬間、
ダリアの表情は、驚くほど真面目だった。
「ふざけてないよ」
静かな声。
「この世界は、
そういうふうに出来てる」
アスターを、真っ直ぐ見る。
「誰かが死ぬことで、
誰かが覚醒して、
誰かが成長して、
誰かが救われる」
「……だから、スズランが犠牲に?」
「“役割”だった、ってだけ」
言い切った。
あまりにもあっさりと。
「彼女はね、本来はここで退場する予定だった。
あなたの“覚悟イベント”として」
アスターの呼吸が、わずかに乱れる。
「でも、あなたがノートで介入したから、ズレ始めた」
ダリアは、楽しそうに言う。
「世界が、あなたを“異物”として認識し始めた」
「……だから事故を起こしたのか」
「うん。修正」
軽く、肯定。
「でも惜しかったなあ。
ほんとに、あと少しだったのに」
夕焼けが、ダリアの瞳を赤く染める。
その色が、あまりにもよく似合っていた。
「……じゃあ」
アスターは、ゆっくりと言った。
「これからも、お前は……」
「もちろん」
重ねるように答える。
「失敗したから、もう一度。
次は、もっと自然に」
「……やめさせる」
「無理だよ」
ダリアは、笑った。
優しくて、残酷な笑みだった。
「だってあなた、もう気づいてるでしょ?」
「……何に」
「“誰かを助けるたびに、別の誰かの確率が上がってる”ってこと」
言葉が、突き刺さる。
アスターの中で、
今まで無視していたデータが、つながっていく。
スズランを守ったあと、
他のクラスメイトのフラグが、微妙に濃くなったこと。
偶然だと思いたかった変化。
「ねえ、アスター」
ダリアが、優しく名を呼ぶ。
「あなたはもう、“選んで”るんだよ」
「……」
「スズランを生かす代わりに、
世界のどこかで、別の誰かが“候補”になってる」
風が強く吹いた。
金網が、がたがたと揺れる。
「事故は、警告」
ダリアは言った。
「世界は、まだ優しい。
“もう一度チャンスをあげるよ”って言ってるだけ」
そして、最後に。
とどめのように、こう言った。
「次はきっと、
もっと上手くやるから」
背筋が、凍る。
それは予告だった。
脅しではなく、確定した未来の宣言だった。
ダリアは、くるりと踵を返す。
「楽しみにしてるね」
振り返らずに言った。
「あなたが、
誰を見捨てるか」
扉が閉まる音がして、
屋上には、アスターひとりが残された。
夕焼けの中で。
世界の構造と、
自分の無力さと、
それでも、やめられない気持ちを抱えたまま。
ポケットの中で、
ノートの角が、わずかに指に刺さった。
まるで、
「次の名前を書け」と催促するように。




