彼のそばに残る方法
※この作品には、DV(家庭内暴力)、性被害、自己傷害など、過激な描写や心的外傷に関わる内容が含まれています。読む際はご注意ください。
「私が悪かったのかもしれない」
そう思い続けていた日々。
でも本当は――ずっと、誰にも気づいてほしかった。
最初は、すべてがうまくいっていた。
普通のカップルみたいに、お互いを気遣い、笑い合い、手を繋ぎ、同じ未来を見ていた。
同棲を始めるまでは――。
彼は、私がたった五分返信しなかっただけで、電話をかけてきた。
「お前、本当に死ねばいいのに。クズだな、クソ野郎。」
会社の会議がまだ終わっていないときでも、彼は電話を何度も鳴らしてきた。
私はほんの10分、残業していただけだった。
その間に彼は、家中の物をぶちまけて壊した。
私が帰宅して、黙って一つ一つ拾い集める。
彼の怒りが収まるのを待ってから、一緒に新しいものを買いに出かけた。
その日、ほんの小さなことで、
彼は私が心を込めて書いたメッセージカード――
仕事を応援する言葉や、励ましのイラスト、全部を細かく破いて、ゴミ箱に捨てた。
私は黙って、ゴミ箱をひっくり返し、破片を拾い集めた。
泣かなかった。泣く暇なんてなかった。
セロハンテープで一枚ずつ貼り合わせた。まるで、自分の心をつなぎとめるように。
怒りが収まった彼に、それをそっと返すと、
「ありがとう」「ごめんね」「大切にするよ」
そう言ってくれた。
私は、それを信じてしまった。
*
彼はいつも、仕事から帰ってくると私の前に立ち、「したい、いい?」と聞いた。
でもそれは、質問じゃなかった。
最初は断ったこともあった。
でも断ると、三十分後には機嫌を損ねて、冷たい態度になり、怒鳴り、私を罵倒する。
「お前、これすらできないのか?何の価値があるんだよ」
私は何も言わず、ただ従った。
彼は、私が望んでいないことを知っていても、平然と満足していた。
次第に、私は彼に触れられるのが怖くなった。
前戯すら、嫌だった。
でも彼は「必要ない」と言い切った。
毎回、私が口でしてから、彼は何の準備もなく中に入れてきた。
潤滑剤を使っても、痛みは消えなかった。
だから私は、演じることにした。
少し甘く声を出せば、彼はすぐに終わる。
演技さえできれば、早く終わる。
毎回、終わったあとに残るのは、痛みだけ。
感情なんて、とうに感じなくなっていた。
一度、終わったあとに出血しているのを見つけた。
彼はただ一言、「前はそんなことなかったよな」と、冷たく呟いただけだった。
謝りの言葉も、気遣いも、何もなかった。
彼にとって、私は「女として果たすべき義務」だったのかもしれない。
*
彼と口論になったある日、私は一ヶ月分の睡眠薬をすべて飲み干した。
彼は私をトイレに引きずり込み、舌の奥を無理やり押して嘔吐させた。
私はそのとき、こう思った。
「ああ……やっと、私のことを気にしてくれたんだ」
後悔なんてなかった。むしろ、学んだ。
私は覚えた。
自分を傷つければ、彼の中での自分の位置がわかるということを。
ハンガーで自分を打ち続けて、肌は裂け、血が滲んでも、彼はただ黙って見ていた。
そのあと、薬を塗ってくれて、「バカだな、お前は」と優しく笑った。
死にたいと騒ぎ、外に飛び出そうとしたときも、彼は私を止め、ソファに押し倒して抱きしめた。
暴力を振るったあと、謝って、優しくなって、甘えてきた。
そういうときだけ、私は「愛されている」と錯覚した。
*
私は家に監視カメラを設置した。
彼の機嫌が崩れる兆しを感じたら、すぐに会社を休んで帰れるように。
だって、彼の感情が最優先だったから。
彼は「仕事で疲れてる」「家では休みたい」「お前は黙ってて」と言った。
私は会社で働きながらも、彼のLINE、電話、SNSを常にチェックしていた。
一つでも見逃せば、数十件の着信と罵声が積もっていく。
「スマホを持ってる意味ないじゃん」
「全部合わせてやればいいんだろ?俺は働かなくていいのかよ?」
彼は謝らない。
自分の言葉が人を傷つけていると、気づいてすらいなかった。
*
私は、夜更かしできなかった。
彼が私を抱きしめられないと、眠れないから。
出かけるとき、物を忘れてはいけなかった。
彼の時間を無駄にするから。
彼は会社を辞め、地元に戻ると言った。
「俺にはお前が必要だ」と。
私は仕事を辞め、友達を捨て、家を離れ、彼と一緒に行った。
彼が欲しいものを買ってくれたとき、私は「ありがとう」と言って受け取った。
でも、ただもらうのは嫌だったから、自分も高価な物を買って彼に贈った。
気がつけば、貯金はほとんどなくなっていた。
それでも、誰にも気づかれないように、笑っていた。
彼の母親とは一緒に住んでいた。
私に対する不満や陰口はあったけど、私は何も言わなかった。
誤解があっても、説明する気力すらなかった。
後日、彼が家族と口論になり、「俺は彼女のために怒ってる」と言った。
でも、彼の言葉を聞いているうちに、すべて自分のせいに思えてきた。
「悪いのは私だ」と思うと、彼は「いや、お前のせいじゃないよ」と言った。
それすらも、何が本当かわからなくなった。
*
私は、どんどん孤立していった。
友達と外出すると、彼は不機嫌になった。
「お前にとって俺より友達の方が大事なんだな」
だから私は、出かけるのをやめた。
仕事が終わったらすぐに帰る。
週末は、彼のそばにいる。
彼は言った。
「お前と一緒にいられる時間が限られてる。大切にしたいだけなのに、なんでお前はそうじゃないの?」
私が大切にしていなかったのかもしれない。
そう思った私は、また自分を責めた。
*
ある日、私は母の愚痴を少しだけ口にした。
それだけで、彼は狂ったように怒鳴った。
「お前の母親なんて、死ねばいい。ゴミだ。」
私は絶句した。
声も出なかった。
ただ、少しだけ彼を睨んだ。
すると彼は言った。
「なんだよその目は?俺は間違ったこと言ってるか?お前の母親はクズだろ?」
私は「確かにひどいこともあるけど、そこまで言わなくても……」と返した。
彼は、それを「反論」だと受け取った。
「話にならない」と言って、玄関に向かった。
私は反射的に、彼の腕を掴んだ。
「行かないで」と、涙ながらに頼んだ。
次の瞬間――
彼は私を殴った。
私は壁際に倒れ、蹴られた。
反撃する余地なんてなかった。
後になって、彼は「ごめん」と私の手を握った。
でも、それは「殴ったこと」への謝罪だけで、彼の言葉や考えに対する反省はなかった。
翌日、シャワーを浴びながら鏡を見ると、背中は紫色の痣だらけだった。
彼はそれを見て、心配そうな顔をしながら薬を塗ってくれた。
その夜、彼は私を抱こうとした。
私は「痛いから嫌だ」と言った。
彼は不機嫌になった。
「また俺を拒否するのか」と、口をきかなくなった。
*
それでも私は、耐えていた。
彼が欲しいと言えば与えた。
ちょっと演技すれば、すぐに終わる。
早く終わって、彼が満足すれば、それでいい。
私の実家に彼を連れて行ったとき、家族の話し声がうるさいと怒り出した。
私は慌ててなだめた。
「家族にバレちゃいけない。私の恋人がこんな人だなんて。」
私は、何もかもを捨てたのに、何も得られなかった。
*
彼が言った。
「夕飯は?なんでまだ買ってないの?」
私が家事をしなかった日は、「お前はゴミだ」と言われた。
「時間の使い方もわからないのか」と。
でも、私が仕事から帰ってきたとき、彼が言うのは「晩飯なに?」だけだった。
私は、ずっと不公平だと思っていた。
それでも――
私はただ、穏やかに暮らしたかっただけだった。
本当に、ただそれだけ。
彼が笑ってくれれば、私はそれで嬉しかった。
笑ってもらえるだけで、幸せだった。
*
「……ねぇ、どこから間違えたんだろうね?」
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
この物語はフィクションの形式を取っていますが、感情も記憶も、すべて現実に存在していた痛みの断片です。
誰か一人でも、「自分のせいじゃなかった」と気づいてくれるきっかけになりますように。
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