雨の匂いが。
0、
どんな人だろうと好きなものはあるだろう。
小説、映画、芸能人、漫画、その他諸々。
そして、その好きなものでその人がどんな人でどんな人生を送ってきたのかは、わかってしまうらしい。
性格も、好きなものも、全てが真反対な君を好きになってしまった僕は、一体、どんな人間なのだろうか。
今もまだ、わからずにいた。
1、
2年生が始まり、仲の良い友達はほとんど違うクラスに行ってしまった。いつものことだ気にしない。
「おはよう!」
「おはよう・・」
「どーしたー元気ないぞー」
「君がただ、人一倍元気なだけでしょ」
「それってぇ褒められてる?」
「どうだろうね。そもそも、僕は特別朝が弱いんだよ」
「ふぇー」
僕のちゃんと相手をしている感を纏う返答に、なぜかわからないが、不満のありそうな彼女に対して僕は何も思わなかった。
もちろん付き合ったり、そういう関係ではない。
ただ、塾がたまたま一緒で、たまたまクラスが同じになってしまい、たまたま雨の日に一緒に帰ったことがある彼女と社交辞令を済ませるだけの朝。
そんなふうに今日一日の朝のタイトルをつけ、謎の満足感を抱き、彼女から視線を逸らしていると、塾での不満を僕に投げつけてくる。避けられなかった。
「そーいえば、塾の宿題多すぎなんだよねー。間違って新しい新学年に不満が溜まりそー」
「そうだね」
「え!?もしかしてもう終わらせたの?」
先程のやる気のない彼女の返答に対し、何も思わなかったはずが、若干の不満があったのだろうか、僕の耳に注がれた彼女の発言に対しては短すぎる4文字の肯定語を彼女の耳に流し込んでやった。
共感というより肯定だった僕の言葉に対して、自分とは違う状況だと判断したのか、課題がもう終わったのか聞いてきた。
悩んだ。
結論を言えば終わっていない。むしろ、気にもしていなかった。どうせ、塾のある日の、家を出る5分か10分前から答えを写し、わざと間違えたような箇所をいくつか作ってから、隠蔽工作はまたしても完璧だ。と言わんばかりの謎の達成感を味わい、ワークを閉じて、塾に向かうのだから。
授業を聞いていればある程度、いや、そこそこ理解出来ていた僕にとって、この手を使わない理由がどこにもなかった。
そんな僕が?塾まであと3日もあるのだから終わっているわけがない。
悩んだ理由は簡単だ、終わったか、終わっていないか、どっちを言えば、彼女との会話をシャットダウンできるかがわからなかったからだ。どっちにしろ、何か返事をし、自分のしたい話をし始める。彼女は自由だ。
それに気づいてから、わざわざ嘘をつく意味もなくなり、僕は一切の感情を会話には使わずに、苦手な愛想笑いに集中した。はぁ。
「まだだよ。正直範囲もわかっていない」
「範囲?帰ったら教えてあげるよ」
「え?あ、ありがとう」
この会話に感情を使わないと決めていた僕は、嘘の感謝が遅れた。帰ったら?連絡先も知らないのにどうやって教えるのか聞けば、会話が更に長引くことは考えるまでもなかったので言わなかった。
範囲がわからない。と余計なことを言ってしまったと思ったが、良いか悪いか、少ないターン数で会話が終わった。
先に言ってしまうが、悪い方向に進むことになる。
退屈な授業が睡魔の味方をし、僕を4時間いじめ終わった時、彼女が来た。
彼女の前では僕も、睡魔すらも戦うことが許されない気がした。恐ろしい。
「LINE!」
「?」
「LINE交換しようよ。でなきゃ範囲も教えられないし」
「あ、うん」
やはり余計なことを言ってしまったと後悔した。
しかし、彼女は自由。気まぐれなのだ。
何を言おうが会話のターン数が変わっていなかっただろうと、過去の自分の失態を励ました。
LINEを交換したあと、彼女から変なスタンプが送られて来た。LINEを交換したあとに、スタンプか何かを送ることで「トーク」の欄に初めてその人のアカウント?が現れる。
流石の僕もこのことについては知っていたのでこの行為には何も思わなかった。
その日の学校は特に、何も起きなかった。
その晩、彼女からは、交換したばかりのLINEで課題の範囲が送られてきた。
2、
塾では、学校よりも少し早く2年生が始まった。
そんな塾での2年生最初の日、座席表には聞いたことのない名前。その席には見たことのない顔をつけた人が座っていた。
僕はほどほどに勉強ができたので、塾では2クラスある内の賢い方のクラスに在籍していた。そんな僕と同じクラスにいるのだ。
本来だと1ヶ月に1回ある程度の、テストの点数によってクラスが決まるが、入って来て早々に賢い方のクラスにいる彼女は僕みたいにそこそこではなく、ちゃんと賢いのだろう。
だが、思っていたより彼女は賢くはなかった。僕と同じか少し上くらいだったことが後々わかる。
ただ、僕よりも努力家だった。
3、
彼女が僕に話しかけるようになったのは、去年仲良くなっていた女友達が親友的ポジションにいる彼女と仲良くしてほしいと僕に言ってきた時からだ。
彼女にも同じようなことを言っていたのだろう。
「ねー」
「ん?」
「塾でクラス同じなんでしょ?梨香と」
「りか?あー前垣梨香か、うん」
「何その反応。ま、なんでも良いや。仲良くしてやってね」
「おー、わかった」
「梨香はさ、しゃべってみると案外面白い子だから」
「うん」
僕はその女友達に好意を寄せていた過去がある。
当時、1年生だった僕は顔が可愛ければ好きだと思うようになっていた。
人は外見より中身が大事だと言う人がいる。
間違いだ。
外見がある程度良くて初めて、中身を知ろうと思うのだから。
表紙がヨレヨレで、見た目が悪く、あまり魅力的でない小説を、わざわざ手に取って中身を知ろうとしないのと同じで。
だからといって、小説の内容を知らないで好きだということがどれだけ的外れ?なのかわかるが、この時の僕には分からなかったのだろう。いや、わかる。
これが人になった時に、わからなくなっていただけだ。
そんなくだらない生き方を辞め、その人がどんな人か知ることから始めようと思っていた僕に、過去を思い出させてくる彼女との会話は少し気まずくなる。
今の彼女にもちろん好意はないし、誰かに伝えたこともない。
「梨香ー」
「んーー?」
前垣梨香。彼女の第一印象は賢そうだったが、第二印象は、声がデカくて頭が悪そうだった。
直接紹介されるのかと焦っていたが、それに関しては少し自意識過剰だったようだ。それから彼女達は共通の話題について話していた。何について話していたかは、興味がなかったので詳しくは覚えていない。
それも朝の内の出来事だった。
まだ2年生が始まって僅かだったので、授業では教科書などが色々と配られていた。
彼女と出席番号が近かった僕は教科書を受け取る順番が近かった。
「これってどこに貼るんだろー」
「・・・・」
「あっ、ねーわかる?」
わざと気づかないふりをしていたが、明るい声と困った顔という相容れないコラボに僕の僅かな善意が動いてしまった。
「ここじゃない?あと、他にも貼るものあるから少しスペースを開けとかないとって先生が言ってたよ」
「おぉーありがとう!直輝くん?だっけ」
特に喋ったこともない人の下の名前を覚え、わざわざ下の名前で呼んでくるんだから驚いた。
塾も同じなので親しみの意味もこもっていたかもしれないが、僕は彼女を苗字で呼ぶことにこだわった。
僕は素直になれなかった。
「あってるよ。前垣だっけ?」
「梨香で良いよ」
「あ、いや、前垣で、」
やっぱり素直じゃない。
「んーーま、もっと仲良くなってからで良いや」
仲良く?まぁなるかもしれない。
知らない人に対して謎の嫌悪感が出るだけで、仲良くなっていけばそこそこ大きめな声で笑うことができる。0か100なのだ。
「愛理が言ってたよ。最初はおとなしめだけど、仲良くなったら面白いって」
僕は驚いた。全く理解できなかったからだ。それを本人に言ってしまうことについてどうかと思ったが、特に悪気もなさそうな彼女の顔を見ると、深く考える意味の無さに気づくことが出来た。
少し勉強ができ、クラスでの様子からある程度の人気と友好関係があり、そして天然。
そういう人だと知ることができた。
「ありがとう?なのかな」
「なんだろうね」
なんだろうか聞きたいのはこっちなのに、彼女は笑っていた。僕を舐めているのかわからないが、僕を困らしてくる彼女に若干の不満を抱えたが、それすらも意味のないことのように感じた。
「あっ、ごめん」
「良いよ、譲る譲る羽生結弦」
僕と話していて順番を間違えた彼女に対してクラスの男子がダジャレを言いながら順番を譲った。
「わははは」
もちろん笑ったのは僕じゃない。これに笑えるほど単純無垢で素直なら、僕にはもっと友達が多かっただろう。
それに笑う彼女だ。そりゃあ友達も多く、クラスからの人気も得られるだろう。一切羨ましくはなかった。
僕はそこそこの数の友達を作り、そこそこの高校を卒業し、そこそこの大学生になり、そこそこの会社に入る。そういう人生を歩むのだろうと思っていた。
僕は鼻で深くため息をし、席に座った。
「仲良くなってんじゃん」
「ん?」
「梨香とよ。てか分かれよ」
「分かってるよ。ただ仲良くなれてるのかな?僕にはあまりわからないけど」
「素直じゃないなー」
「相手と仲が良いかは、僕が素直かどうかは関係ないでしょ」
「かぁー、そーいうところだよー」
そういうところなのだろう。僕のそういうところが素直じゃないと言いたいのだろう。はぁ。
「分かってんじゃん」
眉を少し顰めた僕の心を、読んでやったぞと言わんばかりの満足そうな顔を見せつけてくる。
僕の頭が返す言葉が見つからないと困っているところを、先生の話が助けてくれた。これから1年の授業内容と成績に関する話だった。ふぅ。
「ふぁっくしゅん!!」
一人の大きなくしゃみに先生の話とクラスの時間が少し止まる。
くしゃみをしたのは前垣だった。
彼女が照れていると、クラス中から温かい笑いが起こった。
僕がもし、もし、くしゃみをしてしまってもクラスから笑いが起こることもないだろう。僕と彼女に対するクラスの反応も真反対だった。
もちろん、僕は笑わなかった。
学校が終わると僕は友達と帰るために、下駄箱で友達を待っていた。
「雨か。予報じゃ夜からだったのに」
そんな小さな独り言をこぼした。
「うわああ。雨じゃん。傘持って来てないってーもー」
大きな独り言。
「・・・・」
「あっ、直輝くん!奇遇だねー雨止むの待ってるのー?」
下の名前で呼ばれた。
奇遇?同じクラスだから帰るタイミングが被るのは当たり前だろ。というツッコミを心の中で済ます。
「友達を待ってるんだよ」
「傘は?」
「傘は・・」
忘れたといえば忘れたが、何も考えずに忘れたわけじゃない。帰る時にはまだ降り始めていないだろうと思って持ってこなかったのだ。
やっぱり素直じゃない。
「その反応は忘れたな?くくっ」
「忘れたよ。友達に入れてもらおうと思ってる」
「その友達って女の子?」
ニヤニヤしながら聞いてくるのが鬱陶しかった。
「何言ってるの男だよ」
「彼女いないんだー」
「いないと決まったわけじゃないでしょ」
「え?ほんと?」
「いないけどね」
「なんだー。くくっ」
彼女はよく、何か悪いことを考えてそうな笑い方をする。
「嫌じゃなかったらだけどー」
「・・・」
「一緒に帰らない?」
「ごめんだけど、友達と帰るんだよ」
「そこをなんとかー。愛理達さ、今日部活の集まりがあるらしいんだよね」
「そもそも二人で濡れながら帰るの?」
「確かにー」
「それになんで僕なの?他にもいるでしょ」
「いやー・・それは・・・」
やっぱり僕とは真反対だった。まるで合う気がしなかった。はぁ。
「あっ待ってて」
思いついたようにそう言うと、彼女はどこかへ行ってしまった。
待ってて?なんで?僕は友達と帰るんだ。
待ったところで彼女と帰る気はない。そんなこんなで友達が来た。
訊くと、傘を持って来ているらしく、心の中でガッツポーズをした。
「じゃーな」
「え?」
「いやー邪魔しちゃまずいやろ」
「え?」
「安心しろって俺たち誰にも言わないから」
「・・・は?」
よく訊くと、さっきまで彼女と話していたのを見られていたらしかった。そして聞かれていた。
そんな男子のノリに負け、僕は一人残された。はぁ。
こんなに心の中でため息をした日は他にないだろう。
鼻の中を通る雨の匂いが多くなっていった。
待たなければよかった。はぁ。
また出た。
「お待たせー」
待ってないと言えば嘘になるが、待っていない。そんな感情を押し殺した。
「部室に傘を置いてたの思い出してさ」
そう言いながら一つしかない傘を見せつけて来た。
「僕の分は?」
「えーもー言わせるー?」
相合傘。この単語が脳内を駆け巡った。
「言わなくて良いよ」
「照れてるー?」
はぁ。
「君が待ってて、て言うから僕は待ってたんだ。友達と帰るのを断ってね」
友達に無理矢理待たされていると言いたかったが、そこまで待つのが嫌だと言うことを伝えるのも悪いと思った。
「君が持って良いよ。君の方が背ー高いし」
「そこまで背、変わんないでしょ」
「じゃー私が持つー」
結局、一緒に帰ることになった。
強く断れない僕の気の弱さをここまで恨んだことはない。はぁ。
激しく降る雨の音もかき消してしまうほど、ハキハキと喋る彼女と聞き取れるか微妙な声の僕がする会話と言えば、塾の会話と友達の会話しかなかった。
素直になろう。彼女との会話は楽しかった。
特に気まずくなることも会話が途絶えることもなく、僕は自分の家に着いた。
「じゃーね」
「暗くて危ないし、送っていくよ」
「良いよ別に」
「傘も貸してくれたし」
「んーじゃーお言葉に甘えて」
それからまた40分ほどで自分の家に帰ってきた。
冷え切った体を温めるために風呂に入る。
「おはよう。この前はありがとね」
「ん、あー、うん」
「いやー寒すぎて風邪ひくかと思ったよー。てか、何その反応」
彼女は笑いながら言うが、僕は笑えない。
一緒に帰った日から、噂が流れていた。
くだらない噂だ。初めて話して初日で付き合うなんて、そんなわけないだろ。
噂の元は慶介や幸太郎ではない。僕には分かる。
彼女との会話が少しばかりか嫌になった。
それから1ヶ月ほど、彼女とは何もなかった。
あったとしてもLINEを交換したくらいだった。
まただ、僕は一度した失敗をもう一度してしまった。天気予報を信用するのは今日で最後だろう。
僕は傘を忘れた。
あの日の記憶がフラッシュバックしてしまった。
あの日は、彼女の友達が部活の集まり、僕の友達のいらない気遣い、そして僕の気の弱さ、この3つがあったから一緒に帰ることになったのだ。
少なくとも、今あの日と同じなのは、僕の気の弱さだけだった。
「やーやー」
鼻に入って来た雨の匂いで彼女の声を思い出してしまったのだ。そう思いたかった。
「その感じからして、傘忘れたな?くくっ」
またあの笑い方だ。僕は肩に力を入れ、警戒を強めた。
「今日こそは友達と帰るから」
「まだなんにも言ってないよー。くくっ」
まただ、またあの笑い方をされた。
「・・・・」
「そう照れなさんな。ということで一緒に帰ろうか」
「え?聞いてた?僕の話・・」
「女の子に雨の中1人で帰れっていうの?ひっどーい」
はぁ。
「前も言ったけど、僕じゃない他の人と帰りなよ。君のことだから一緒に帰る人なんて大勢いるでしょ。それにもう一度言うけど、僕はと・も・だ・ちと帰るから」
「雨の日はさ、愛理達は部活の集まりが毎回あるらしいんだよね」
僕には全く関係ない。あの日ダジャレを言っていた彼とでも帰ればいいじゃないか。そう思った。
「ちなみに今日は傘、持って来てまーす」
はぁ。
本当に話が通じない。
「前に一緒に帰ったのは・・・」
最悪だ。また同じ失敗をしてしまった。
今思えば、友達のいらない気遣いの理由は彼女との会話を見られてしまったこと。それを防ぐには、すぐに会話を終わらせる必要があった。
それがいかに難しいことかは言うまでもない。
「ん?どうしたの?」
「おー!なお・・・いや、なんでもないや!じゃーまた明日な!!」
「・・・・」
「誰あの子。友達?」
「あー・・うん・・・」
「じゃーねーだって、これは仕方ないよね。くくっ」
前回はこのタイミングで彼女は傘を取りに行っており、もはや友達かは怪しくなって来た僕の友達である慶介と幸太郎に、彼女はまだ会ったことがなかった。
「もしかして、前もこんなんだった?1回目の反応じゃないし」
「か、傘に入れてください・・・」
テストも近かったため、ずぶ濡れで帰るわけにはいかなかった。はぁ。
「良いよ!くくっ」
これにはきっとタネがある。そう信じるしかなかった。
僕の気の弱さも関係なく、すぐに一緒に帰るのに必要な条件が揃ってしまった。はぁ。
僕は結局、彼女には勝てないのだろう。
前回と違ったのは傘は僕が持つことになったことぐらいだった。
それから、前と同じような会話、前と同じで僕が彼女を家まで送る。
家に帰ってからだ。
「ピロン」とスマホが鳴く。彼女から、最近交換したLINEが来た。
「送ってくれてありがとね。楽しかったよ」
「こっちこそ、傘を貸してくれてありがとう」
僕の素直な反応にどう思ったのかは分からないけど、彼女は初めて送ってきたスタンプと同じキャラクターのスタンプを送ってきた。
2回も一緒の傘で帰れば誰でも仲良くなる。はぁ。
まだ素直になれない僕にため息が出る。
僕は今日、僕とは真反対な友達が1人できた。
彼女はそう思ってはいないかもしれないけど。
僕は彼女にそう思っていて欲しい。
「昨日はありがとね」
「こっちこそありがとう。楽しかったよ」
「え、あ、うん。楽したった!やっ」
僕が楽しかったと言ったことに驚いたのか、噛んだ彼女は少し照れる。
僕は不思議だった。僕が素直になると、いつも彼女はそんなこと言うんだ。という反応を見せてくる。
僕は素直に思ったことを言うべきじゃないのかと思うようになっていた。もしかすると、彼女が求めている友達としての僕は、寡黙で最低限の返事だけをして、話を聞くだけの機械のような人かもしれない。
人との関係は0か100だと言ったのは、人のことを好きか嫌いかのどちらかだけで分類しているから言っただけで、彼女や、愛理、慶介、幸太郎達みんな100というわけではない。
だけどもし、彼女がそう願うなら僕は喜んで機械になろう。
当時の僕は友達というものに特別な何かを信じていたからだ。
どうするべきか。考えすぎているだけかも知れない。そもそも友達だと思ってくれているのだろうか。そんなことを考えていると、放課後になっていた。
下駄箱を出て、太陽からの恩恵を享受しながら慶介と校門まで歩いていた。幸太郎は早退していた。部活のやりすぎか、それともサボりか、後者だろう。慶介と意見が一致した。
「そうだ、友達、いや親友として真剣に君に訊こう」
僕は身構えた。何を訊いてくるかはだいたい察しがつく。
「あ、や、なんでもないや」
いきなり話を止めた慶介の目線が僕を飛び越えた。正確に言うと、目線が僕を飛び越えた後に慶介は話すのを止めた。僕の後ろに誰かがいる。それも慶介が話そうとしていたことに関係のある人物がいるのだろう。
更に身構えた。
「今から帰るの?」
大当たり、ビンゴだ。そこには、彼女がいた。
彼女の目線も僕を飛び越えていたのに驚いた。
「え?俺?あ、はい」
油断していた慶介が敬語を使うのは気分が良かった。
「へーそーなんだー」
「ゆ、譲りますよ。こいつ」
彼女の謎の圧に負け、あっさり彼女の下部に成り下がった慶介は親友?である僕を突き出した。こいつ本当に・・。
「いいのー?ありがとねー」
僕に邪魔されずに慶介を味方につけるために、僕にあえて目線を合わせなかったのだろう。まんまと見過ごしてしまった。
「今日は別に雨も降ってないし、愛理?達と帰りなよ」
「俺は気にすんなよー」
そう言い、そそくさと下部が僕の視界から退場していった。気にしてねーよ。
「彼面白いね!君と仲良いなんて意外だな」
「そう?前垣と愛理も意外だったけどね」
「前垣でー、愛理ねー」
愛理を下の名前で言ったことに対してか、彼女を苗字で言ったことに対しての発言かわからなかった。
「なに?」
「私はまだ苗字呼びなんだね」
後者だった。
「え?」
気づかないフリをした。ここで長ったらしい言い訳をしても誰も得をしないと踏んだからだ。
「意地悪だね、本当に。彼女いたことある?」
「え?」
「ない人の反応じゃん。くくっ」
「どっちでもいいでしょ。で、なんで僕を拉致るわけ?」
「行きたいところがありましてな。カップル限定の」
「へー」
カップルという聞き慣れない単語に対しても冷静に対処した。
「黙ってお供すればいいわけね」
「物分かりいいねーさっすがー」
そう言いながら僕たちは制服のまま、彼女の目当ての店に行く。
4、
桜はもう、サクラ色を忘れ、深碧色に染まる葉で着飾っていた。
塾のイベントで、小学3年生の僕は日帰りのキャンプに来ていた。当時の僕は他人との関わりなんて考えたことがない単純無垢で少しヤンチャな男の子だった。
「はーい。今からー・・」
木々が生い茂る林の中でキャンプ担当の先生が騒ぐ小学生に冷静さを与えていた。
「木の板を1人1つと、班に1つ絵の具を渡していくので、魚掴みなどの今日やったことを描いてくださーい」
「はぁーーい」
さすがは小学生、ぴったりに声を合わせる。
配られた木の板に山と魚を描こうとした僕は、机の上に転がっていた水色を手に取り魚を描き始めた。
魚を描いた僕は机に転がっていた黒を手に取り、キャンプと書き、次に山を描きたかった僕は緑が転がって来るまで待っていた。
少し待つと、緑色が転がって来たので急いで手に取るが、少し変だった。中身が詰まっていなかった。
ケーキに文字を書くときに使うチョコの容器程の大きさの絵の具だった。
転がって来た方を見ると、たっぷりと緑色で描かれた山を持つ女子がいた。
「緑なくなってるんだけど」
「知らんわそんなん」
「は?使いすぎやろって」
揉め事を察知したのか、そいつとそいつの友達が徒党を組み僕を言葉数で追い込んでくる。あまりの理不尽さに僕は何も言うことができなくなって遂には泣いてしまった。はぁ。顔面に一発お見舞いしてやってもよかったのにと思う。
黙って泣く僕を見て何を思ったのだろうか。そいつらは他の友達のところへ行ってしまった。くそが。
「え、どーしたん?大丈夫?」
しばらくしてから、いきなり向けられた優しさに僕は驚いた。ふと見るとそこには2人組の男子が立っていた。
「ぐっ。すぅっ。はっ。あ・・」
泣いた後はなぜかうまく話せない。
「無理せんで良いよ」
少し、いや、かなりの時間待ってくれたと思う。
女子に泣かされた自分の恥ずかしさはもうなくなっていた。ただ、優しさに埋もれていた。
「え、絵の具、班の、じょひに全部使われた・・」
辿々しい僕の話を聞き終わると、どこかへ走って行ってしまった。何が起きたのか分からずにいると、3分程してから2人はそれぞれ別の方向から帰って来た。
「ほら。他の班から取って来たから。余り全部もらって来た」
「あっ、ありがとう」
「いいって。なぁ?」
もう1人に話しかけた。
「うん。全然良いよ。てか、そいつらぶっ飛ばそうな」
「わはっはは!」
「この後の虫取りさ、一緒にやろうぜ!」
この時、泣いていた僕に声をかけて助けてくれたのが、慶介と幸太郎だった。今でもたまに思い出す。
やはり、この時からだろう。友達という関係に特別な何かがあると信じ始めたのは。
5、
「何この店・・」
「パラソルだよ。パラソル。知らないの?」
「知らないから聞いたんだよ」
「カフェみたいな店で、すっごいオシャレなんだよ。でさ、今月からカップル限定のパフェが出たんだよ。この店大好きでさー彼氏もいないしどうしようかと思ってたとこにー・・」
彼女の間の意味を理解した。
「僕がいたと・・」
「おおーナイス。大当たりだよ、おめでとう」
「ありがとう?なのか」
「どうだろうね。くくっ」
今日は学校があった日なのに、ぱらそる?は制服を着た学生が順番待ちをしながら盛り上がっていた。あまりの女子の多さに盛り下がる。が、なれと言われれば機械にもなる男。
そんなことでは挫けない。
10分程順番を待ってからやっと席に座ると、店の中まで女子校生で盛り上がっていた。
「こちらお飲み物です。ご注文が決まりましたらまた、お呼びください」
「あ、もう決まってて」
「では、ご注文をお願いします」
「このパフェください」
「ロイヤルパフェ1つですね。以上でよろしいでしょうか」
たった一つの注文でこう聞いてくると言うことは、ろいやるぱふぇ?と呼ばれるやつは量もかなり多いのだわろうか。そんなことより恥ずかしい名前じゃなくてほっとした。
「以上で」
「かしこまりました」
店員はそう言うと、店の奥に行ってしまった。
「ねぇ。もう一人はどうしたの?」
「・・あ、幸太郎か。今日は早退したよ。サボりだろうね」
「仲良いんだね」
「恩がありますから」
「えーどんな恩ー?」
そう訊いてきた彼女に、慶介と幸太郎に助けられたことを話す。なんか。うん。
変な気分になった。
「感動だね。君からそんな話を聞けるとは思わなかったよ」
「僕がしたんじゃなくて、僕がしてもらった話だからね。僕の性格は関係ないよ」
「ほんっと、素直になれないね」
「・・・・」
「え?いや、怒ってるわけじゃないよ」
「わかってるよ。ただ、自分に思ったんだよ。素直じゃないなーて」
「ふぇー」
どこかで聞いたことのあるその返事は、あの頃の僕を思い出させる。
彼女に対して、まだ素直になれなかった僕を。
「お待たせいたしました」
僕らの一瞬にも満たない沈黙に店員の声が割り込んできた。
「ロイヤルパフェになります。以上でお間違えないでしょうか」
「はい」
「では、失礼しました」
「さ、食べよ食べよ!」
「写真とか撮らなくて良いの?いんすた?とかに載っけるんでしょ」
「別に載っけないよ。そーだなー、んー、じゃあ直輝との初デートを記念して撮っとくだけ撮っとくか」
「はいはい。カップル限定。カップル限定」
「なにそれーもっと喜べよー。初彼女(仮)だぞー」
「初彼氏(仮)頑張ります」
「ちょいちょい!バカにすんなよ」
「あれ?いたことあるの?」
「舐めてもらっちゃ困るなー」
「てことは君は僕を舐めてるんだね」
「さぁ?あっ後ろ!」
「え?」
ピンク色の可愛らしい壁、賑やかな店内、忙しくする店員だけが僕の目には入った。
「何かあったの?」
カシャ!
「わぁっ」
「良い顔するね。記念だよ記念」
「ちょっと。はぁ・・。消さなくても良いから誰にも見せないでよ」
「え?なんで?くくっ」
「・・・・」
「あーもーわかったからー早く食べよー」
「僕は良いよ」
「えーせっかくだしちょっとは食べてよ」
「じゃあお言葉に甘えて」
「うっし!」
彼女はガッツポーズをした後に僕にパフェを分けてくれた。彼女のちょっとは世間では半分と言われている量に等しかった。
「美味しそうに食べるね」
「まぁね。美味しいよ」
「だよねー」
「なんでカップル限定なんだろう」
「あ、」
「ん?どーしたの?」
「いや、なんでもないよ。くくっ」
「絶対何かあるでしょ」
「そういえば塾の・・」
聞いてないし。いつものことに特に何も思わなかった。それから僕たちは飲み物を途中で頼んだりしながら1時間ほど席にいた。
「そろそろ帰ろーか」
「そうだね」
この1時間を楽しめた僕は解散が少し寂しかった。
一方、彼女は満足そうに店を出ようとしていた。
僕は彼女を見て改めて真反対な人間なんだなと思う。別にそれを思うようになったから友達じゃなくなったわけでも、嫌いになったわけでもない。ただ、僕とは違う世界を見て、違う世界に住んでいる。そんな気がしていた。
こんなことを僕が思っているということは、真反対な彼女は違うことを僕に対して思っているのだろうか。それを知る手段は今の僕にはない。
6、
テスト期間になると、前垣と僕はよく点数の勝負をしていた。彼女はあの性格からは考えられなかったが、努力家でグングンと成績が上がっていった。
むしろ、あの性格の方が努力家に向いてるのかもしれない。僕とは真反対、素直な性格の方が。
「最近ちゃんと勉強してるー?」
「まぁぼちぼちかな」
「最初の方は直輝の方が点数良かったのにね」
「2、3点でしょ。んー、次はちゃんとやろうかな」
「本当に大丈夫ー?前もそんなこと言ってたけど」
「やるよ。やるやる」
「本当かなー。あっ、私天才かもしれない」
「そーだねー」
「そーだよ。じゃなくて!良いこと思いついた。合計点数で負けた方が勝った方の言うことなんでも聞くってのはどー?」
「えー」
「どーしたの?勝てば良いだけだよ」
彼女は何か企んでるんだろう、不自然に口角が上がっていた。
「んー」
「あっ、えっちなこととかは無しだからね」
「は?舐めないでよ。僕はそんな欲に溺れた猿みたいなことはしないよ」
「心配だなー。くくっ」
「良いよ、その話に乗ってあげる」
「え?本当?うっしゃー!」
彼女に負けたら何を言われるかわからないから、僕は本気で勉強するしかなかった。
皮算用だが、何を聞いてもらうかを考えながら学校が終わった。慶介達と帰る途中で忘れ物に気づき、急いで教室に戻った。
「ねぇ」
下駄箱に着くなり、あまり喋ったことのない女子に話しかけられた。思い当たる節が無かった僕は少し戸惑う。
「あ、はい」
「言いにくいと思うんだけど、梨香と付き合ってんの?」
「はい?」
「いや、明らかに仲良いじゃん。一緒に帰ったこともあるんでしょ」
はぁ。
「こういう話はやめて。僕は良いけど、彼女に、前垣に申し訳ないよ。こんな僕と仲良くしてくれてるんだ、本当に申し訳ない」
「あ、いや、じゃあ、前田くんは好きってこと?」
はぁ。なんでそうなる。
「好きじゃないよ。別に」
好きじゃない。好きじゃないんだ。好きまで感情が先走ると、僕は何かを失うことを知っていた。
「えー、それにしても仲良すぎるよ」
はぁ。音が出る寸でのところで僕は溜息をミュートした。
「あっ」
最悪だ。前垣も下駄箱に戻って来た。
「あっ、ご、ごめん!」
そう言うと前垣は走ってどこかに行ってしまった。
「え、ちょっ」
僕は先程まで話していた彼女のことは気にも止めず、ふらつきながら靴を履き替え、前垣の走っていった方向へ向かった。忘れ物なんてどうでも良かった。
ただ、彼女が僕達を見て何を思って走って帰ったのか知りたかった。僕と前垣はそういう関係じゃない。
なぜだろう。冷静になれなかった。彼女には勘違いをしてほしく無かった。なんの?それはわからない。
ただひたすらに追いかけた。
「待って!」
もう走るのをやめていた彼女にはすぐに追いついた。今までで一番大きな声を出した気がする。
「だ、大丈夫?」
ずぶ濡れになる僕を少し傘に入れながら言った。
「はぁ、はぁ・・」
息が上がっているせいでなかなか声が出せない。いや、他にも理由があったのかもしれない。
あの時の慶介達と同じ、彼女は僕が話せるのを待ってくれた。
「なんで、走ったの」
「え?」
彼女は明らかに驚いた反応だった。
「僕のこと見て走ったよね」
「そ、それは・・・」
「・・・・」
「・・・・」
あまりにも静かだったので、虫の声が僕の耳に土足で入って来た。
「あ、ごめん。やっぱり良いや、忘れて」
息が落ち着いて一気に冷静さを取り戻した。
何を訊いてるのか自分でもよくわからなかった。
「・・好き」
「え?」
彼女の発言に戸惑った。聞き間違いか、それとも言い間違いか。どっちにしろ彼女が僕に向けていい気持ちじゃない。こんな僕が向けられていい気持ちじゃない。
「す、好き、なの。直輝のことが」
おかしい。また聞き間違えたのか?それとも言い間違えたのか?何が何だかわからなかった。
「塾で初めて私に優しくしてくれたのが直輝だった。クラスで初めて仲良くなったのが直輝だった。直輝と話し始めてから初めてみんなに話しかけられるようになったし、話しかけれるようになった。あまり人と話せなかった私の面白く無かったかもしれない話をずっと聞いてくれたのが直輝だった。直輝が私に素直な直輝を見せてくれたことが嬉しかった。だから、だから」
泣きながら告白する彼女に僕は何を思ったのだろうか。
「ごめん。本当は前垣のことが好きなのかもしれない。けど、だからこそ、ごめん」
「え・・・」
「僕みたいなのはやっぱり、ダメなんだよ。君みたいに明るくて人気者の人を好きになるなんて」
「やめてよ、やめて。そんな風に思わないで。直輝が私をどう思ってるかわからないけど、私は普通の人間だよ。そこら辺の女の子と変わらない。そんなに偉くもないし、優等生でもない。みんなと同じ。普通の学生。直輝が自分のことを下げて見てるみたいだけど、私にとったら直輝が、周りと違って見える。特別に見える」
怖かった。彼女を失うことになることが怖かった。この先何が起こるかわからないけど、明らかに不釣り合いな君と僕はいつか離れる気がしていたから。
「ごめん。ありがとう。こんな風に・・思われたことがないからさ、うん。ありがとう」
「・・・・」
「こんな風に伝えるとは思ってなかった」
「・・・・」
「僕も好きです。前が・・梨香のことが!」
思ったより声が出た後、虫の次は心臓の音が僕の耳に土足で駆け上がって来た。
「うん。うん。ありがと・・う・・わあああん」
「・・・」
飛びついて来た彼女からは甘いハチミツのような香りがした。雨とハチミツの混ざった香り。
僕の鼻に上品に上がって来た。
7、
僕達の関係は新しい名前に変わっていた。
「ねー直輝ーテストどうだった?」
「まぁまぁの出来だね。もしかしたら梨香に勝ってるかも」
「えー何頼むか決めてたのになー」
「まだわからないよ。再来週だっけ?テストの返却」
「何頼むか気にならないのー?」
「別に。勝てば良いだけだしね」
梨香の頬が変に膨らむ。
「じゃあ勝つんだったら教えてよ」
「え?」
「直輝の願い事を」
「再来週に取っといてよ」
「ふーん。ま、私が勝つけどね。くくっ」
そんな会話をしながら、家までの帰路を辿っていた。
「あ、そうそう今だから言えるけど・・やっぱりなんでもない」
「・・・」
僕にはわかる。彼女の性格から、言わない方が後々面白くなると思ってのことだろう。
見逃してあげた。
2週間後、
テストが次々と返却されていく。
数学が86点と80点、国語が78点と86点、社会が85点と88点、理科が82点と88点。
2点差。
英語が梨香より2点上なら同点。3点以上、上なら僕が彼女にして欲しいことを叶えてもらえる。
逆に、1点勝っていてもダメだし、英語の点数が負けていたら論外。
「焦ってるんじゃない?」
「2点なんて1問差だよ?そんなんでは焦らないね。逆に焦ってるんじゃない?」
「直輝英語苦手でしょ。私は得意。わかる?」
「僕は国語が苦手。梨香は国語は特に苦手じゃない。僕が勝った。わかる?」
「わっかんない!くくっ」
前まではため息が出ていたであろうその笑い方にも僕は幸せを感じるようになっていた。
「明後日だっけ?英語が返ってくるの」
「あっ!じゃあ、いっせーのーでで見せ合わない?」
「いいよ」
「うっし!明後日私の願いが叶うってことね」
「僕のだよ?」
最近、慶介達と帰る頻度が減っていた。もちろん、ちゃんと僕らの関係は伝えている。さすがは親友?祝ってくれた。なぜか盛大に。
最近ふと思うようになっていた。
この幸せな関係がいつ終わってしまうのか。
作ったら壊れ、起きたら寝る、生まれたら死に、降ったら止む。そんな風にこの世界は始まりがあれば終わりが来るようになっている。
この特別な名前の付いた関係がまた、違う名前になるのが怖かった。
「今日梨香休みなのかな?」
「そーだね」
「なんか知らないの?彼氏でしょ?」
「そういえば既読がまだついてなかったな」
「何かあったのかな?」
風邪だろうか、どっちみち明日は来てもらわないといけない。僕の願いが叶うから。
まぁ、今日お見舞いに行こう。どうやら僕は梨香と毎日会わないとダメらしい。
「なっおっきー!!」
「おぉー幸太郎!」
「あれ?彼女さんは?」
「今日休みなんだよ。今からお見舞い行こうとしてる」
「てことは今日?」
「ごめんだけど一緒に帰れない」
「おっけー慶介にも言っとくわ」
「ありがとーな。じゃっ」
「おうっ」
それからいつもの道を通り、彼女の家に着いた。
何回か来てるから迷わなかった。まだ何もしてないけど。
「ピンポーン」
あれ、いないのかな。旅行?でも僕にも愛理にも言わないのはおかしい。彼女は旅行とかそういうことは嬉しそうに報告してくるタイプだったからだ。
「は、はーい」
少ししてから梨香のお母さんが出て来た。
目元を真っ赤にして、ハンカチを鼻に押さえながら。良くない何かが頭の中によぎってしまった。
「り、梨香の彼氏さんかな?梨香から話は聞いてるわ。さっ、中に、」
「えっ、あっ、はい」
綺麗な家だった、洋風というかなんというかオシャレな感じ。僕の家とは真反対。
「ごめんなさいね。あの子・・ぐっ・・昨日事故にあってね・・今日の朝に・・・」
そこから音が途絶えた。僕の耳は拒絶した。
「あの子ね、子供を守るために・・・」
「・・・」
子供を守って、そんなこと僕にはできない。
すごいことだけど、素直には褒められない。素直には・・
「ごめんなさいねいきなりこんなこと言って」
「あ、あ、や、あ・・・」
声が出せなかった。
「あの子ね、死んじゃう前にね、あなたの事とか愛理ちゃんの事とか言ってたのよ」
「え・・」
「手紙もあるの」
「え、手紙?なんで・・」
「明日渡す予定だったらしいの。だから、読んであげて・・ね?」
「は・・はい」
直輝へ、
私の願いはね、この手紙を読んでもらう事。
やっぱり恥ずかしいからさ、思ってる事を伝えるって。私はね直輝みたいになりたいと思ってる。いい意味で周りなんてへっちゃらって感じで流されない「自分」を持ってるって感じ。憧れるなー。
優しいし、面白いし、全部全部大好きだよ。
今言えるけどあの時のパフェ、カップル限定じゃないからねー笑。黙っててめんご。
もう一個お願い!来週末新しく出来た水族館行こー!予定空いてる?笑。塾ないから来れるよね。
末永くこの関係が続くと良いなー♡
これからもよろしくね♡
前垣梨香より!
「・・・・」
水族館。
僕も誘おうと思ってたのに。
8、
君が死んでから2週間が経った。
お通夜もお葬式も行かせてもらった。
新しく出来た水族館。これから僕が行くことはないだろう。
愛理は自分も辛いだろうけど、僕の心配をしてくれた。顔をぐちゃぐちゃにしながら。
こんな感じで僕らの関係が変わるとは思っていなかった。そもそも僕らの関係は終わったのだろうか。君は今なんて思ってるんだろうか。こんな僕を見て、はぁ。
あれ、ため息?いつぶりだろうか。
それからまた1週間ほど経った。
毎日君の顔が頭に出てくる。特に木曜になると僕は本当にきつかった。君の手紙を何度も読む。何度何度も。君の声が聞こえてくるぐらいに読んだ。
もう2度と君の声は聞けないのに。
くくっという変な笑い方をする君。
めんどくさがり屋だけど努力家でまっすぐな君。
些細なことでもとにかくよく笑う君。
恥ずかしくてわざわざ手紙を書く君。
僕を好きでいてくれる君。
はぁ。
もう君が好きでいてくれていた僕はもういない。
君をずっと引きずったまま、塾もろくに行かず、学校では喋らない、あれから1人で帰っている。
はぁ。
1ヶ月。
1ヶ月が経った。あれから2、3日に1度、君の家に寄っていた。迷惑だろうか?君の家以外に僕は君に会える場所がないんだ。許して欲しい。
「すみません本当に。今日でもう最後にします」
「いいのよ。あの子も嬉しいはずよ」
「そうですかね。あれから何も出来ていないんですよ。勉強も部活も、そんな僕に・・ただ僕が会いたかっただけです」
「あの子ね、あなたの事を嬉しそうに話すの。どこに何しに行ったとか。相合傘しちゃったーとか」
胸が締め付けられる。
「・・・・」
「なんで最後って決めたの?」
「引きずったままで何もしない僕を彼女はどう思うかって考えた時に・・・」
「・・・・」
「だから今日で最後にしようと・・」
「あの子ね、前に言ってたのよ。誰かを守るために自分が死んだらダメだーて。そんなこと私には出来ないって言ってたの。でも、直輝くんと出会ってから変わったんだと思うわ。あの子は人を守るために自分を犠牲にする事を決めた。親だから悲しいし、悔しいけど、あの子の選択は間違ってない。だからこそ梨香を誇りに思ってる」
「・・・・」
「あなたはどう?あの子をどう思ってるの」
「・・・僕は・・僕も梨香さんを誇りに思ってます。尊敬してます。僕は梨香さんに色々と教えてもらいました。」
「そう。ありがとうね、そんな風に思ってくれて。今日が最後じゃなくてもいいから、せめて1ヶ月、半年に一回でもいいからあの子に会ってあげて」
「・・はい。会わせてください。これからも」
雨上がりの匂いがした。
9。
君がいなくなってから、ちょうど3年が過ぎた。
もう僕らは高校生だよ。君の高校生の姿を見たかった。なんて親の言うような事はあえて言わないけど。
君のせいで、まだ次の恋なんて考えられなかった。
君と出会ったから僕は人との関わり方が変わった。話しかけてくる人に対して苦手意識があったけど、今は自分から話しかけられるようになっている。
慶介や幸太郎以外にも友達ができた。もちろん女子の友達も。嫉妬するかな?
今日は一年で唯一君と会える日。そう僕が勝手に決めた日。
僕はまだ、たまに君を思い出すよ。本当に。
雨の匂いが。また、僕を君に会わせてくれる。
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