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投資

「……」


 どこか遠くから声がする。


「……な」


 それは聞き覚えがあるようで……。


「……すな」


 低くて甘い響きがあった。


「阿須那」

「はい!!」


 その声が自分の名を呼んでいると気付いた時、ようやく、自分の意識が覚醒した。


「八雲……さま……?」


 ぼんやりとする意識の中、声の主の名を呟く。


「悪かったな、起こして」

「いいえ、申し訳ございません。出迎えもせず……」

「いや、それは良いんだが……」


 椅子でうっかり眠っていたようだ。


 そのまま身体を起こすと、八雲さまがなんとも言えない顔でわたしを見た。


 ベッドがあるというのに、椅子で寝てしまったからだらしないと思われたのかもしれない。


「阿須那……。大変、言いにくいのだが……」

「は、はい!!」


 改まって、何か告げられるというのが、こんなに緊張するとは思わなかった。


 だけど……、八雲さまはわたしにとても大事なことを伝えてくれたのだ。


「そこで、ひらひらと揺れているものを、何とかしてほしい」

「ひらひら?」


 八雲さまの指差す方向に顔を向け……、自分の血の気が引く音を聞いた。


「きゃああああああああああああっ!!」


 自分が悪いというのは分かっていても、叫ばずにはいられない。

 それが女というものだ。


「すまん。だが、見て見ぬふりはできなかった」


 ソレから顔を逸らしながらそう言ってくださる八雲さまは何も悪くない。


 わたしは……、寝てしまったのだ。

 数日ぶりに身体を清め、いろいろすっきりしたこともあっただろう。


 下着を手洗いして部屋に干した後に、テレビのチャンネルを切り替えているうちに、寝ていたようだ。


 ……寝てしまったのだ。


 洗ったばかりの下着を……、早く乾くようにとエアコンの風が直接当たるような位置に干したまま。


 当然ながら、八雲さまが帰る前にはちゃんと片付けるつもりではあった。

 だが、うっかり、寝てしまったことにより、それができなかった。


 その結果、それはさながら強風に煽られる吹き流しのように、ひらひらというよりは、はたはたと忙し気に動いていた。


 そして、それをしっかり目撃されたばかりか、指摘されてしまうなんて……。

 恥ずかしくて死んでしまいたい。


 いや、命を助けられたのに、そんな間抜けな理由で死を選ぶのは二重に恥ずかしいかもしれない。


 わたしは、八雲さまと目を合わせないように素早く動き、ベッドに載ってその布地を掴んだ。


 夢であって欲しい。

 だが、手の中にある温もりは必要以上に、その存在を自己主張している。


 ここ数日で、わたしはなんて情けない姿をこの方に晒しているのだろうか?


 全裸で魑魅魍魎たちに囲まれていたこと以上に恥ずかしく思えるようなことが何故、こうも何度も起こってしまうのか?


「言わない方が良かったか?」

「いいえ!!」


 寧ろ、言ってくれたことに関しては感謝したい。


 先ほどのわたしは、起き抜けで頭が働いていなかったから、あの状況を暫くの間、忘れていた可能性もある。


 だが……、これは流石に……。


「ちょっと恥ずかしい……だけです」


 お世話になっている身でありながら、なんて醜態を晒しているのだろうか?


「いや、オレの気が利かず、申し訳ない」

「え?」

「考えてみれば、女性に着替えがないのは辛いよな」

「ええ。まあ……」


 正直な所、かなり辛い。

 でも、そんな贅沢が言える状況でもないのだ。


 そして、「八幡」の屋敷に帰ることができたとしても、これまで自分が使っていた箪笥が無事である保証もない。


 今は命があっただけマシだと思うしかなかった。


「少しだけ、身の回りのものを揃えるか」

「え?」

「幸い、このホテルにはちょっとした売店がある。そこで買おう」


 さらりとそんな風に言うものだから……。


「い、いえ! これ以上、お世話になるわけには……」


 慌てて、八雲さまからのその申し出をお断りする。


 いくら本当に八雲さまがわたしの婚約者候補だったとしても、そんなにお金をかけさせるのは申し訳ない。


 八雲さまはまだ高校生だと聞いているから猶更だ。

 

「あのな、阿須那」


 八雲さまは大きな溜息を吐く。


「これは援助ではなく、投資だ」

「と、投資?」

「そう。『石上』から、『八幡』に対する投資」

「投資……」

「後で倍にして返してくれ」

「は、はい!!」


 そんな言い方をされてしまえば、わたしはそう答えるしかないだろう。


 八雲さま個人からではなく、「石上」家からの援助というのも、抵抗もないわけではないが、「八家」は遠戚であり、巫女の血縁同士としても、互いに助け合うようにと聞かされているのも事実なのだ。


 だが、八雲さまの言うように「石上」から投資される以上、「八幡」としては、可及的速やかにお返しできるように頑張らなければならない。


 わたしは拳を握りしめて、気合を入れ直す。


「……気合が入っているところ悪いが……」


 八雲さまはまたも言い辛そうにわたしに言葉を告げる。


「その握りしめているものを……、先に何とかしてほしい」

「握りしめ……?」


 わたしは自分の右手を見て……。


「きゃああああああっ!?」


 またも奇声を上げることになった。


 ……殿方の前で、下着と醜態をどれだけ晒せば、わたしは落ち着くのだろうか?


****


 さて、散々、恥ずかしい思いをした後、わたしは、そのホテルの売店に来ていた。


 服は流石に布製のガウンではなく、八雲さまから渡された服に着替えている。


 そこにはちょっとした日用品があり……、インナーだけでなく、Tシャツとかジャージなども売られていた。


 動きやすそうなジャージに心惹かれるが、ここで買うのは、最低限にしておかねばならない。

 自分のお金ではないのだ。


 そう思って……、ショーツとキャミソールを選ぶが……、流石にブラはないようだ。


 殿方には分からないかもしれないが、ブラは結構、サイズが細かい。

 同じ胸囲であっても、その差があったりするのだ。


 それにこんな所に宿泊する人たちは、ちゃんと事前に着替えを準備しておくはずだ。

 だから、下着が足りなくなるなんてことはほとんどないと思う。


 つまり、買ってくれるかも分からないような商品を置くことはできないということだろう。


 ただ……、洗濯用ネットがあった。


 このホテルには、幸い、コインランドリーという文明の利器があるらしいので、それを利用させてもらおう。


 多少は生地が傷むかもしれないけど、それは仕方ないよね。


 ドライヤーやエアコンで乾かすよりは絶対にマシだ。


「良いのはあったか?」

「はい」

「Tシャツとジャージも買って良い。一時的に部屋着にしろ」

「分かりました。お気遣い、ありがとうございます」


 わたしがジャージを見つめていたのに気付かれたのだろうか?


「ジャージ……、嫌じゃないか?」

「いいえ。運動着は好きですから大丈夫ですよ」


 寧ろ、今、着ている可愛らしい服よりも着慣れているので嬉しいぐらいだ。


「でも、お金は大丈夫ですか?」


 いくらバイトをしていても、高校生の稼ぎとしては限度もあるだろう。


 この日出国(ひいずるくに)では、夕方以降に魑魅魍魎が現れるため、学生のバイトは休日ぐらいしかできない。


「阿須那は金の心配をしなくてもいい」


 八雲さまはそう言ってくれるけど……。


「そこまで甘えてしまうわけには……」

「大丈夫だ。こう見えてもオレはそれなりに稼いでいる」

「え……?」

「そうでなければ、深夜にあんな場所をうろつくなんてできない」


 高校生でもできる深夜に外を歩ける仕事。


 それは……。


「オレは、畿内(きない)にいた時から、魑魅魍魎専門の『退治屋』をしていたんだ」

「退治……、屋?」


 詳しくはないけれど、それは民間の会社がやっている魑魅魍魎を祓う仕事だと聞いている。


「この『九重(きゅうちょう)』では少ないみたいだな。『退治屋』とか『掃除屋』は」


 確かに八雲さまが「石上」家の人間で、「神力」を使える方なら、高校生でもできる仕事ではあるのだが……。


「そんな危険な仕事をされていたのですか?」


 魑魅魍魎相手では命の危険すらある仕事だ。


「少しでも、巫女の負担を減らしたくてな。中学からちょこちょこ日雇いでやっていた」

「中学っ!?」

「だから、あの時……、阿須那を助けられたのだから、問題はないだろ?」


 だから、魑魅魍魎たちから逃げる時も、どこか余裕のある様子だったのか。

 この方は、魑魅魍魎と渡り合うのに慣れていたのだ。


「それでも……、危険なことには変わりありません」

「そうだな。だが……、その話は後でしよう。周囲に人は少ないが、誰が聞いているか分からない」

「そ、そうですね」


 わたしはそう返事すると、買い物かごに商品を入れて、八雲さまとともに、レジに向かうのだった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました

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