移動
「戻ったぞ」
「お、お帰りなさいませ」
先ほどまで観ていたモノのせいで、動揺のあまり、声が上ずってしまった。
まるで、悪戯が見つかりそうでビクビクしている子供のように思えて、先の映像と合わせて、二重の意味で恥ずかしい。
「どうした?」
「なんでもありません!」
もうなんか、全てが恥ずかしい!!
「顔が赤いぞ。熱が出たか?」
「大丈夫です。問題ないです。大丈夫です!!」
わたしは力説する。
「もし、熱が出ていたとしても悪い。ここはあまり長居したくない場所だから、移動だけ先にするぞ。その後ならぶっ倒れても構わない」
「移動……、ですか……?」
しかも、ここは長居したくない場所?
どういうこと?
もしや、先ほどの映像と何か関係が?
「まずは、これに着替えてくれ」
「これは?」
八雲さまから差し出された紙袋を受け取る。
「阿須那の着替え。流石にその姿で外をうろつかせたくない」
「着替え? え? 服をくださるということですか?」
「趣味じゃなくても文句は言うなよ?」
そう言って、八雲さまは別の方に顔を向けられた。
どうやら、服を準備してくださったらしい。
そして、これに着替えろということだ。
確かに今、わたしが着ているこのタオル地のガウンは部屋着にしか見えない。
曾祖母以外の方から服を頂くのは初めてだけど……、服がない以上、お言葉に甘えるしかなかった。
着替える前に湯浴みをしたかったけれど、八雲さまはお急ぎのご様子。
それならば、早めに着替えた方が良いだろう。
飾り気のない紙袋に入っていたのは、桜色の肌触りのよいブラウス、紺色のミモレ丈のフレアースカート、白いワンポイントの入った黒い靴下、インナーに白いキャミソール。
これは……、八雲さまが選ばれたのだろうか?
普段、自分が着ないような系統の可愛らしい服だった。
有難いことにサイズもぴったりだ。
ブラウスにゆとりがあったから良かったかもしれない。
「着替えたか?」
「はい」
「ただ……靴だけは……」
「ああ、それは仕方ないです」
服は、わたしの身長からなんとなく当たりをつけることができても、靴だけは相手のサイズを知らないと無理だろう。
「これが履ければ良いのだが……」
「へ?」
すっと差し出されたのは黒のローファー。
白のスニーカーばかりのわたしには未知の領域だ。
そのまま、受け取ってサイズ確認。
「……何故、わたしのサイズをご存じなのですか?」
書かれたサイズは「22.5」だった。
女性でも小さめのサイズである。
少なくとも、何気なく選ぶサイズではないと思う。
「事前に鶴様から伺っていた」
曾祖母世代に「個人情報」の概念はないらしい。
「まだ成長期なのに……。サイズが変わっていたら、どうしていたのですか?」
もう少しだけ身長は伸びて欲しい。
体重はもう十分だけど。
「その時は、サイズを間違えたといって取り替えてもらうだけだ」
無駄にならないならと思って履くと……、丁度良かった。
そのことにほっとする。
革靴のためか、少しだけ締まっている気はするけど、これぐらいなら歩けるだろう。
「何から何までありがとうございます」
わたしは改めて頭を下げる。
ここまで気遣ってもらって、恩を感じないはずもない。
「オレにも利があることだ。気にするな」
八雲さまはそう言うけれど、彼の「利」ってなんだろう?
今のところ、わたしが一方的に迷惑をかけているだけのような?
「では、ここから出るか」
八雲さまはそう言うけど……。
「八雲さまのお荷物は?」
わたしと同じように、その手には何も持っていないように見える。
「オレの所持品も財布とスマホぐらいだ。もともとここに泊まる予定ではなかったからな」
そう言いながら、八雲さまは不思議な機械を操作し始めた。
金額と思われる数字と記号が表示されたので、これが会計……、ということなのだろう。
宿泊施設ってフロントと呼ばれる所で鍵を返したり、それ以外のいろいろな手続きをすると思っていたのだけど、ここは違うらしい。
「そうなのですか?」
それなら、荷物は別のところにあるということか。
「……ここなら、余計な探りは入らない」
「余計な探り?」
わたしは首を傾げる。
余計な探りを入れる所と、そうでない所の違いってなんだろう?
「いいから、行くぞ」
「はい」
そう言って扉から出ようとして……。
「お世話になりました」
わたしは部屋に向かって一礼する。
「何、やってんだ?」
その行動が不思議だったのか、八雲さまがそんなことを言ってきた。
「一宿一飯の御礼は必要でしょう?」
正確には二晩ぐらい寝ていたかもしれないけれど、感覚的な話だ。
「部屋に?」
「その部屋で過ごしたのだから、部屋に御礼を言うのは当然です」
そう言った後……。
「……この考え方っておかしいですか?」
それに気付いた。
わたしは、万物には全て「シン」と呼ばれるモノが宿っていると教えられて育っている。
それは有機物と呼ばれる生命体に限らず、水、空気、鉱物などの無機物を含めて全てのモノを差す。
だけど、わたしは「八幡の巫女」の血を引く者として、教育されていたはずだ。
そのために、一般的な考え方からずれている可能性はある。
これまで、自分の行動に疑問を持ったこともなかったのだけど……、八雲さまの反応を観る限り、一般的ではなかった?
「いや、オレとしては好ましい」
そう言って八雲さまはわたしの頭に手を置いて、軽く撫でてくれた。
これはネット小説で稀に見る「なでなで」という行為だ。
これまでに、こんなことをされた覚えはなかった。
自分で頭を撫でてみても、なんとも思わなかったけれど……、他の人の手の重さはなんだか不思議な感じがした。
通路を歩いても不思議と誰にも会わない。
まるで、この施設にはわたしと八雲さまの2人しか存在しないかのようだった。
そのまま、八雲さまから先導されるようにその建物から出て……、わたしはその理由と、自分がどこで過ごしていたのかを知る。
「こ、ここは……」
思わず、立ち止まりかけて……。
「誰かに見つかる前に行くぞ」
八雲さまに手を引かれて、慌てて足早にその場を立ち去る。
「はい!!」
でも、言われるまでもない。
確かに長居してはいけない場所だし、入り口で立ち止まって誰かに目撃されていたら社会的に死ねるような所だった。
わたしたちが宿泊していたその建物の入り口にあった看板には、「ご宿泊」「ご休憩」の文字が書かれていた。
「ショートタイム」という文字もあった気がするけれど、「ご休憩」よりも時間が短いってことだろう。
わたしの乏しく偏った知識でも、その意味が分からないほどではない。
「八雲さま……、質問させていただいてよろしいでしょうか?」
ある程度、歩いた所で、わたしはそれを口にする。
「まあ、なんとなく分かっているが、言ってみろ」
「先ほどの宿泊施設はもしかしなくても……、連れ込み宿……、と呼ばれている場所ではないでしょうか?」
「……『連れ込み宿』なんて単語を日常生活で聞いたのは初めてだが、間違っていない」
「やっぱり……」
自分も口にしたこともないけれど……、曾祖母が言っていた。
子供の頃、自分の屋敷からでも分かるほど、夜、煌びやかに光るあの建物は何の建物なのかと尋ねた時に、曾祖母が苦々しくそう口にしたのだ。
その場所の意味を知ったのは中学校に入った頃だったが、本当に曾祖母には申し訳ない質問をしてしまったものだ。
でも、まさか、その建物に、曾祖母が死んだ直後に曾孫が行ったと知ったら……、「黄泉國」から這い出てきそうで怖い。
いや、まだ亡くなって間もないのだから……、その境界の「黄泉比良坂」にまだいるかもしれない。
もしくは……、あまりにも突然のことでまだ曾祖母の魂が亡くなったことを理解できず「現世」に留まっている可能性もある。
だけど、不思議だ。
わたしは曾祖母の死をそこまで悲観的に捉えてはいなかった。
あの時、自分のお腹に乗せられた光景と、重さ、感覚を忘れたわけではない。
あんな衝撃的な場面を忘れられるはずがないのだ。
それでも……、あの時、八雲さまの前で思いっきり叫んだ時ほどのグルグルした行き場のない嫌悪感はなくなっている。
それは……。
「悪いな。あの時は、状況的にあの場所に連れ込むしかなかった」
そう言いながら、わたしに苦笑いを向けているこの方のおかげ……、なのだろうか?
ここまでお読みいただき、ありがとうございました
 




