戸籍
それはほんの刹那の……、触れるだけの優しい口付け。
だけど、自分以外の唇の柔らかさを知るには十分すぎるものだった。
「…………」
「…………」
唇が離れた後も、なんとなく、無言になって顔を突き合わせている。
これは……、わたしが何か言わなければいけないのだろうか?
でも、何を言えば良い?
今の口付けの感想?
流石にそれは違う気がする。
「……怒らないのか?」
「怒る? 何故?」
「普通は、合意なくキスされたら怒るものじゃないのか?」
八雲さまは気まずそうにそう口にした後、視線だけを逸らす。
「……『子作りを今からしますか? 』と問いかけるような女が、今更、接吻の一つや二つで怒ると思いますか?」
「接……、吻……って……」
何故か、笑いだされた。
「阿須那はいつの時代の人間だよ?」
「天成生まれ、令辰の世を生きておりますが……」
そんなにおかしな言葉だったのだろうか?
「いやいや、これについては、オレがいろいろ悪かった」
何故か、頭を下げられる。
「や、八雲さま!?」
「だから、まずはお互いを知ることから始めようか」
そう言って顔を上げた八雲さまは優しく微笑みながら、わたしに向かって右手を差し出した。
これは……、手を握れということだろうか?
でも、手を上に向けている。
乗せれば良いのかな?
そう思って、八雲さまの手に自分の右手を重ねてみる。
自分とは違う手の大きさ、固さに思わず、自分の心臓が必要以上に大きな音を立てた気がした。
先ほど、口付けされた時は、驚きはしたものの、こんな緊張を覚えなかった。
でも、今は、心臓がいつも以上に早く動いていることはよく分かる。
「左手」
「は、はい!!」
右手ではなく左手の方が良かったらしい。
慌てて左手を乗せ直すと……、そのまま、薬指に口付けられた。
「~~~~~~っ!?」
わたしは心の中で、声にならない悲鳴を上げた。
何故だろう?
接吻よりも、もっとずっと心臓が跳ねている。
こんなに心臓が動けば、八雲さまにも気付かれてしまうのではないだろうか?
でも、八雲さまは唇をすぐに離してくれない。
わたしは震えるのを懸命に我慢した。
どれぐらいの時間が経ったのかは分からないいけれど、ようやく、八雲さまがわたしの薬指から唇を離してくれた。
思わずホッとした時……。
「くっ!!」
八雲さまが下を向いたまま、息を漏らした。
「八雲さま!?」
「なんで、普通のキスより指にする方が緊張してるんだよ?」
そう笑いながら顔を上げられた上……。
「阿須那。顔、真っ赤」
さらにそう続けられた。
わたしは思わず自分の頬と口を押さえる。
頬は、いつも以上に高熱を発していた。
「それは八雲さまが……っ!!」
あんなことをするから……と、そう言いかけた時、八雲さまの頬の赤みに気付く。
先ほどまでのように露骨に顔を赤くしているわけではないが、笑いながら口元を押さえて誤魔化そうとしていることだけはよく分かった。
「オレが?」
それでも、八雲さまは余裕ぶった態度をとろうとする。
これはもしかして、主導権を握ろうとされているのではないだろうか?
それに気付いたわたしは逆に落ち着くことができた。
「八雲さまが、あまりにもお可愛らしくって」
これまでずっと我慢していた言葉を口にする。
「は!? オレが? 可愛い?」
「ええ、とっても」
わたしのような3つも年下の小娘に振り回されて自分のペースを乱されている18歳を見て、可愛いと思うなという方が無理だろう。
妹改め、弟の朝日とは違った可愛らしさがある。
「オレを可愛いなんて言うのは、阿須那ぐらいだよ」
殿方は矜持を大切にすると聞いている。
だから、3つも年下の小娘から「可愛い」などと言われたら、気分を害するかと思っていた。
でも、八雲さまは呆れたようにそう言っただけで、特に気にした様子はない。
「お気を悪くされないのですか?」
そこが、わたしは気になってしまって、思わず確認してしまった。
「あ? なんで?」
八雲さまは本気で不思議そうな顔をしている。
「いえ、わたしのような娘から『可愛い』など言われることは、殿方としては嬉しくないでしょう?」
「別に。阿須那はオレを下げようとして言っているわけでもないだろう?」
「それは……、そうなのですが……」
素直にそう思ったから口にしてみただけ。
そして、わたしが「可愛い」と口にすれば、この方はどんな反応をされるのか、期待したのもある。
「悪気があって、口にした言葉でもないのに、いちいち目くじらを立てるほどオレは狭量でもない。他人に抱く感覚、感想は人、それぞれだ。それに、『可愛い』は褒め言葉って言うから問題ない」
そう言って、優しく微笑まれた。
それは「可愛い」とは種類の違う笑み。
ちゃんと年上の殿方の顔だった。
だが……、「可愛い」が褒め言葉になるのは女性だけだと思うのはわたしだけだろうか?
「ある程度、理解してくれたところで、話を先ほどの戸籍に戻そうか?」
「え?」
「阿須那は何も知らないようだから、ちゃんと説明しておきたい」
「ありがとうございます」
そう言えば……、朝日の性別の話で、すっかり有耶無耶になっていた。
いろいろ疑問点の多い書類を再び、テーブルの上に載せる。
……八雲さまは何故か、対面ではなくわたしの横に座った。
「……と、言っても、オレはこれらの戸籍を読み解くだけだ。その当時に何があったかは断言できないことは理解して欲しい」
読み解く……?
戸籍ってそんなに難しいものなの?
「承知しました」
この戸籍謄本を見た限り、朝日の同名さんが載っているなど、謎は多いけれど、そんなに難しくは見えない。
「まず……、現代戸籍に限るが、普通は曾祖母とひ孫が同じ戸籍謄本に載ることはない」
「……載っておりますが?」
一番上に曾祖母の氏名。
そして、最後に、わたしの名。
「それには理由がある。まず、オレの話を聞け」
「……承知しました」
つまり、わたしたちは普通ではないと言うことなのだろう。
でも、なんとなくは分かる。
それまで、自分が知らなかった事実が、その戸籍には書かれているから。
「現代は三代以上が同じ戸籍に載ることを禁じている。基本的に同じ戸籍内に載る名は、筆頭者及び配偶者、そして、結婚していない子供だけだ。昭代時代に行われた戸籍法の改正前の改製原戸籍ならば、それ以外の親族も載るけどな」
「お詳しいのですね」
「いろいろ調べたんだよ」
「なるほど」
何のために? とは尋ねない。
少なくとも、八雲さまにとって必要なことだったのだろうから。
「それでは、何故、この戸籍に曾祖母である『鶴』様と、『阿須那』の名前が同じ戸籍に載っていると思う?」
「……わたしが、曾祖母と養子縁組しているからですね?」
「正解だ」
八雲さまは二ッと笑った。
先ほど、八雲さまは同じ戸籍に載る名は「筆頭者及び配偶者と結婚していない子供だけ」だと言っていた。
そして、わたしともう一人の「朝日」という名の殿方の父母氏名の下に、養母「八幡鶴」という名が書かれており、続柄には「養女」という単語がある。
そして、もう一人の「朝日」という名の方には「養子」。
男女で表記が違うらしい。
そして、それぞれの名前の枠に「養子縁組」という項目が書かれている。
但し、曾祖母の方には何故か、わたしたちと「養子縁組」をしたという事実は書かれていなかった。
その中で「従前戸籍」という部分の後ろに住所と、母の氏名である「八幡頼」と書かれているので、わたしはその母の戸籍からこちらに移されたのだろう。
ただ……、その日付は、わたしの生年月日から、10日と離れていない。
まるで、生まれた直後、始めから曾祖母と養子縁組することが決まっていたかのように、すぐだ。
これは一体、どういうことだろうか?
でも、それを知る人間はもう……。
「この戸籍の前に天成の改製原戸籍があるが、そちらは内容的にはほとんど変わらない。鶴様のところに、阿須那と朝日ってやつの養子縁組の項目があるぐらいか」
そう言って……、横書きの文字から、縦書きの文字の紙を差し出される。
今度は一枚の紙に3人が纏まっていたが……、漢字が多く、なんとも読みにくい。
そして、八雲さまが言うようにそこの曾祖母の枠にはわたしと「朝日」さまの養子縁組のことが書かれている……、のだと思う。
分かりにくいけれど「八幡阿須那を養子とする縁組届出」という文章があるから。
……どうして、この縦書きの戸籍には、句読点が全くないのだろうか?
いや、横書きの方にもなかったけど、もっと読みやすかった気がする。
わたしが首を捻っていると……。
「それでは、さらに時代を遡ろうか」
そんな不思議なことを八雲さまは言うのだった。
戸籍については、現代日本を参考にしておりますが、作者が法律などの専門家ではないので、説明不足、解釈違いがありましたら、ご一報ください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




