雨に溺れる。
朝、鉛のように心に圧し掛かる体を無理やりに起こす。小さなマンションの一室は随分前から酷い有様だ。
去年の6月から進む気のないカレンダー。
会社から帰っても一度もハンガーにかけられたことのないスーツ。
3日前に食べたお弁当のゴミを適当にまとめただけの袋。
止まったまま、電池の交換をずっとしていない時計。
ネジの巻き方を忘れた健康とは言えない体。
夢や希望を、純粋にまっすぐに追いかけて生きている人間ってどういう風な脳みその動きをしているんだろう。もし叶わなかったらとか、そんなこと考えたことないんだろうか。
あの時の僕は、追いかけてきた夢と希望のその間の絶望に気が付いてしまった。いや、とっくに知ってはいた、背けていた目を向けてしまったんだ。
見てしまえば、もう見なかった頃の網膜には戻れない。夢を見てしまった時のように、現実を見てしまった後のように。
彼女のことを誤解していたのは僕だった。何も考えてないように見えた。羨ましかった。妬ましかった。現実を見てからの僕は途端、絵が描けなくなった。ペンを持つと手が震える。焦ってデジタルからアナログに戻した。それでも、それは変わらなかった。どんな小さな絵でも描けなくなった。落書きでよく日記に書いていた熊すら、どんなふうにこの手で書いていたのか思い出せなくなってしまった。人のまねをしても無駄だった。塗り絵すらできなくなった。足がすくむほどの未来への恐怖を、僕は感じていた。
一方、彼女はそんな僕を見て笑った。大丈夫、また描けるようになるよと言った。許せなかった。夢とは別の場所で彼女が好きだった。そのはずなのに、僕は彼女のことを嫌っていった。彼女は夢を見ている僕が好きだったんじゃないかと考えていった。都合のいい責任転嫁だった。彼女はシナリオを書く人だった。彼女の作品を一度だけ見たことがある。それは綺麗な世界だった。小説ではなくシナリオを書く理由を僕は、彼女が死んでからそれを知った。彼女は小説を書く人だった。それをシナリオにして、ネームにしようと彼女はそうしていた。絵を描く僕といつか漫画を作る夢を見ていたらしい。
じゃあどうして絵の描けなくなった僕に失望しないだろう。
それを知っていても、僕はあの時の態度を変えなかっただろう。
知っているだろうか。もう筆をとれなくなった小説家が、最愛の人の死でまた筆をとったという話を。
彼女はそれを、僕にしようとした。
思えば、自分なんてどうでもいいなんて考えていそうな言葉を何度か聞いた。もちろん彼女は別に後ろ向きではなかった。どちらかというと僕よりもポジティブだった。
それがきっとよくなかった。
彼女の思考は常人には理解できないだろう。彼女の両親には冷たくしたんじゃないのか、と問い詰められたが僕は何も言わなかった。彼女のことを僕らは誤解していた。
結局のところ、僕は絵を描かなくなった。彼女の望みを叶えることが、彼女の死を肯定することだと考えた。最後の抵抗だった。
大体、思っていることを言わなすぎるんだ。言ってもらえなきゃ、なんだってわからない。
エスパーじゃないんだから。心理学にだって詳しいわけじゃないんだから。無茶を言わないでほしい。
もうどうでもいい。失ってから気づいてしまった、なんていうよくある感情から目を背けて僕は生きている。彼女が巻いていったネジが、いつか止まってしまうまで無理やりに。
僕に身寄りがなく、彼女には希望がなかった。僕は彼女に縋って、彼女に愛された。彼女は彼女にとっての希望に縋った。
彼女にとっての希望が、僕の夢ではなく僕だったことを知らなかった。
ずっと知らなかった。
彼女はずっと夢を追いかける馬鹿みたいな僕を、外側の全部知った場所からずっと眺めていた。憎らしい。彼女は僕を、希望にしていた。外側に僕が来たって、変わらなかっただろう。彼女は僕との関係性を希望にしただろう。
絵が描けない苦しみがわからない人と一緒に居て、笑っているところを見るだけで、僕は僕の夢が遠ざかっていくように感じるんだ。
そんな酷いことを言ってしまった日は、6月の雨の日だった。
30分で書いた6月の短編です。最近は、またネットにあげたい長編ものだったり完結させてないものの続きだったりを息抜き程度に書きつつ、賞への応募を目指して勉強に励んでいます。
とはいえ、6月ですね。私はこの月の雨が好きで、嫌いです。