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鬼が居る明日  作者: 月曜放課後炭酸ジュース
1/3

第一話

鬼に正義を。猫に牙を。


 水瀬みなせ 結乃ゆのがいない明日。

 存在していない明日。

 高校生活。

 高校を卒業してから先の未来だって、今の僕には到底考えられはしないだろう。


 もし僕の人生が何冊もの小説になるとしたら、結乃が僕の人生のキーパーソンになるまでは、そうそう結乃という単語は出てこないかもしれない。

 数えてみたら、きっと一、二回ぐらいであろだろう。


 しかし結乃がキーパーソンになった日からは、一ページに確実に一回は結乃という単語が出てくる。

 実際になった日から、反国家組織はんこっかそしきに入った日から数えてみてもそうなるであろう。


 それ程、僕の人生においては、結乃は重要人物なんかではなく、最重要人物なのだ。


 だけど僕には結乃以外にも大切な人達がいる──当たり前だ。

 離婚してどっかへ行ってしまった母親、今も僕と共に住んでいる父親だって大切だし、小学校からの親友の赤倉あかくら塩竈しおがまも、とても大切だ。


 だが今回はそんな大切な人が──いなくなる物語だ。鬼が正義を貫く物語だ。

 そして僕の人生のキーパーソンである結乃の目標「取り留めのない明日を明日も手に入れる」が達成出来ない物語でもある。


 僕達の冒険譚にすらならない人生譚がまた苛烈かれつと化す。


 *──*


 迫り来る朝日。

 白い朝日の光が肌に当たり、そこの部分だけが白くなる。

 窓から入ってくる光で、教室が白く輝く。


 まだ朝日が出てから数時間しか経っていない教室は、学校に登校してきた少年少女、先生方によって活気付けられていく。

 秋の肌寒さも多くの生徒がいる教室に入ってしまえば、気にしなくなる。

 そんな教室で僕達は話していた。


「で、お前はどう思うんだよ。竜二」


「うーん、そうだなぁ。僕的にはやっぱり後者かな」


 僕がそう言うと、黒髪の短髪で頭は良いが、何事も軽く考えてしまう癖のある少年──塩竈しおがま 太和たいわはにへらと笑う。


「へぇ、そうなんだそうなんだ。お前は意外とそういうのが好みなんだな」


 僕の親友である太和とそう言い合っていると、そこに一人の少女が駆け寄ってくる。

 教室に来たばっかりなのか、スクールバッグを手に持ったままだ。

 透き通った赤目で、肩まである黒髪のよく笑う少女──赤倉あかくら めぐ。


 クラスではいつもまとめ役、人気役、正しいことを言う役、盛り上げ役を担当している彼女は僕達に言ってくる。


「何の話をしているんだい? ボーイ達っ!」


「うぇっとー、うーんそれはなぁ……」


「ブラの色は何がいいか話していたんだよ」


 僕が誤魔化し、有耶無耶うやむやにしようとしていた話題を塩竈は平然と赤倉に言いのけた。

 何事も軽く考えているかのように笑いながら。

 それを聞いた赤倉はわーお! はっはっは、と笑いながら問うてくる。


「それは最高だね。で、塩竈と竜二は何色がお好みなのかなあ?」


 流石はクラスの盛り上げ役で、男子の理解者だ。

 普通そんなことを聞いてくる女子なんていないぞ、と僕は思いながらも諦めきれず、状況を有耶無耶にしてやろうと口を開く──が、塩竈は僕に指を指しながら言う。いつも通り平然と。


「俺は黒だ。竜二は青色らしいぞ」


「……」


「ははは、成程成程だよ! 因みに私は派手な赤だからボーイ達の好みとは違うが、どうか許してくれよな!」


 赤倉だから仕方ないよね──と笑う彼女。

 なんという安直な色決めなのだ……そんなもんなのか? というか教えていいものなのか? まあ赤倉も赤倉で、僕達みたいな昔からの仲良し(赤倉が仲良くなれない奴なんていないから『昔』に限定しておこう)にしか教えないんだろうけどな。


「おはようございます──赤倉さんと変態共さん」


 その声に僕達は一斉に振り返る。小学生からの仲良し三人組が振り返る。


 振り返ったそこには華奢きゃしゃな細身の体躯で、怪訝けげんな雰囲気で青色の瞳をしている水色の髪の少女が立っていた──彼女の名前は水瀬みなせ 結乃ゆの


 今まで沢山の事件を僕と共に解決したり、解決出来なかったりしてきた──僕の相棒だ。

 反国家組織内での相棒だ。


「お前本当に耳が良いんだな……結乃。一応小声で話しているんだぞ。僕達……」


「……まあ私は猫が好きな人間なので」


 それは関係無くないか? というかこいつ今暈ぼかしたな──あ……。

 そういえば先刻の説明で言ってなかったな。言うのを忘れていた。


 彼女にとっては忌まわしき彼女自身のアイデンティティを──彼女に取り付いて離れない強靭な彼女のアイデンティティを僕は言わなければならないのだった。


 それは彼女の本当の姿が『人間』じゃないということだ。

 彼女の本当の正体は『色猫族』という種族だ。

 猫耳が生えていることが『色猫族』の一番分かりやすい特徴だ。

 しかしそれはこの世界から、普通の人間から見たら、そんな普通の人間ではない彼女は──化け物ということになる。

 世界は結乃のアイデンティティを許しているわけじゃない……。今のところ彼女は除外するべき化け物となっている。


 そして彼女は化け物並みじゃなく、化け物の耳の良さを兼ね備えている。

 だから先程の僕達の小声でしていた会話も遠くから聞こえていたのだ。

 僕はもう慣れたけど、それも他人から見たら、恐怖要素となりそうだ。

 これが彼女の命じられた運命であり、呪いみたいなものだ。


 彼女はそのアイデンティティを隠しながら学校に登校してきている。

 そして猫耳を出さないようにしながら普通に生きている。

 結乃は何事もないかのように振る舞う──僕の隣の席で、僕の机の近くで盛り上がっていた僕達を横目に、スクールバッグを自分自身の机に置く。

 そして自分の椅子に座ろうとする。


 その瞬間だった。

 刹那──赤倉が結乃に抱き着く。抱き着くだけではなく、全身さわさわと触る。


「はぁ〜〜結乃ちゃん、昨日も今日、明日も明後日も可愛いね〜!」


「え、あのすみません辞めてください……」


「えぇえ、良いじゃん。結乃ちゃ〜ん。結乃ちゃんと私、小学校からの仲じゃーん」


「それでも駄目です」


「うむむ、それは仕方ない──結乃ちゃんを諦めて私、自分の席に一旦荷物置いてくるわあ……」

 頑なに首を横に振る結乃の事を諦め、赤倉は笑顔で他の子に挨拶や数回の短い会話をしながら自分の机に向かった。まあ……どうせまた結乃や僕の元へ来るだろう。


「んじゃあ、俺も置いてくるわ〜。じゃあね、結乃っちゃん」


「はい。またね、ですね」


 そういえばこいつもまだスクールバッグを手に持ったままだったな。なんでこんな会話を真剣に、朝からスクールバッグも置かずにしていたのだろうか。赤倉や結乃にも聞かれちまうし。


 そういえば赤倉はめちゃくちゃ正義感が強いと前に聞いたことあるな。

 赤倉には小学生の時に虐められていた女子を男子から守るべく、教室の中にも関わらず思いっ切り突っかかり、その後説得させ、謝罪までさせたという逸話があったりする。


 それほどに赤倉は強いのだ。

 正義感、赤倉自身どちらも強い──赤倉という大事で大好きな親友は……僕とは違うな。


 今更だけどそういう奴なのに、男子達《僕たち》のあの様な会話は許容なのか……。

 許容の範囲に入っているのかよ──。

 よく分からない。


 赤倉の後ろ姿が見える。

 あまり長くない髪を左右に揺らしながら、彼女は多くの友達と笑い合っている。

 小学校からあんな風にどんな人とも仲良くなれるような奴だった。


 なんていうか本当に昔から赤倉は変わらないな、と僕は思う。


 二人が消えた後、僕と結乃は自分の椅子に腰掛ける。

 そして一息ついた後、僕は今日の夜に自分と結乃に反国家組織の任務があったことを思い出す。

 それを結乃に確認するために話しかける。そうしたら


「私のブ、ブラの色は水色ですからっ……椴松さんとの好みとは違います……!」


 と胸元を隠すようにしながら言ってくる。

 いやそんなこと聞いてないし、まずブラしてたの……?


 *──*


 放課後。


 家にスクールバッグ置き、制服を着替える。

 それから僕は飯野いいの 雪花せっかという反国家組織の上司で、そして部下から師匠と呼ばれたがる(彼女の部下はそう呼ばないと怖いことになるため、皆そう呼んでいる)女性に会いに行った。

 師匠は僕の家から徒歩十五分程度のマンションに住んでいる。

これが終わったら、僕は結乃の家に行くことになっているので、結乃に早く会いた僕は、師匠のマンションにへと僕は足早に向かう。


 それから何故、女性のマンションに男の僕が向かっているのかと言うと、師匠とは任務がある日の放課後には絶対に会いに行かなければならないことになっているからだ。


 その理由は多種多様にあるけども、重大なのは一つだけ。


 それは彼女に呪術の文字式を、僕の身体全身に書いてもらうことである。


 これは絶対に必要事項なのだ──結乃はまだしも僕は何処を取っても、普通の人間だ。だから師匠にそれを書いてもらわないとすぐに国家組織の武器や狂気的な人間に殺されてしまう。


 だからまあ、つまり呪術の文字式を有り体に言ってしまうと『人体強化』──ステータスアップだ。……本当にこの言い方をすると、急にリアリティーが皆無となり、ダサくなってしまうのが駄目な所だと僕は思う。


 最後に付け加えると、呪術の文字式は師匠しか書けない。

 だから任務がある度に師匠の家に行かなければならない、師匠と会わなければならない、書いてもらわなければならないのだ。


 明日も生きるために──いや今日の任務は決まった場所にとある石を置くだけの定期任務だから危険はないと思うんだけどな。

 しかし備えあれば憂いなし理論で、僕はここに来て、師匠に頼んでいる。


 *──*


 師匠の住んでいるマンションの一室の扉を僕は特に何も確認せずに開ける。

 どうせ鍵はかかっていないし、師匠があれだしな。気にしない気にしない。


 僕が開けた瞬間にヒャゥっと部屋の中から風が出て来て、僕の身体を突き抜けていく。

 またか……この人。

 部屋の温度を十四度にしてやがるな。肌寒い秋に……どう考えても頭がおかしい。


 そして入った師匠の部屋もまたしてもおかしい事になっている。

 いつも通りだが、家具がソファー以外存在していない。

 師匠はいつもそこに寝ているが……今も寝ているが、何故これしか家具が無いのだ? 十何畳もある部屋なのに……本当に……。


 まあいい──とりあえず寝ている師匠を起こす為にも僕は声をかける。


「師匠、来ましたよ。竜二です」


 僕の言葉が聞こえたのか、師匠は両目をゆっくりと開く。

 僕が言葉を発するまでそんな風にしてくるため、まるで僕の言葉が師匠という人間の起動スイッチになっているみたいだ。


「よぉ、来たのか『希望的観測』。……あぁ、今日は任務の日だな」


「はい──『希望的観測』です。そうです。定期任務の日です」


 師匠は僕のコードネームを言ってきて、僕はそれをオウム返しする


 コードネーム──反国家組織にはこんな感じに皆が皆、自分だけのコードネームを持っている。

 因みに結乃のコードネームは目標からあやかり『取り留めのない』となっている。


 僕をコードネームで呼んだ師匠は今日もスーツ姿だ。というかいつもだ。

 万年スーツ姿である。

 そして赤のグラデーションがかかっている黒髪、三白眼。

 そして特徴的な低音の重々しい声──重々しいだけでは足りず、重が二つの重重しい声。彼女を単語で例えると『怖い』だ。


 正直初めて彼女を見た時、僕は彼女が恐ろしくて恐縮してしまっていた。だけどもう慣れたものだし、彼女も芯から怖い人じゃないことを知ったから安心して話しかけられる。


「師匠、今日もお願いします」


「ああ、任せろ」


 *──*


 とりあえず僕は全裸になり(本当に顔以外の全身に書くから仕方ない。慣れだ……慣れ……)、師匠は僕の身体に呪術の文字式を書いていく。

 師匠は文字式を書いていく最中、暇潰しに口を開いてくる。話を始めてくる。

「なぁ唐突で悪いんだが、なんでお前は結乃をここまでして守っているんだ?」


「ここまでして……とは?」


「いや、お前──今まで斧に追いかけられたり、吸血鬼に狙われたり、世界を改変されたり……。それでも結乃を守りたい理由ってなんなんだ?」


「本当に唐突ですね──えーと、それは……様々ありますが」


 あるけどもそれは結乃が、僕と初めて大きな任務を、共に終えた後に言った一言が一番影響したなと思っている。あの発言を聞いた時は、本当に「あぁ、結乃のことを生涯をかけて守りたい」って思った。


「結乃が『取り留めのない明日が明日も来て欲しいです。だから私は戦います。努力します』って言った時ですかね。あの時の結乃の悲しげだけど、負けたくないという強い表情は僕の中ではインパクト大でしたね。あれを聞いてから僕は結乃を何があっても守ると決めました」


 だから僕は生涯をかけて結乃を守りたいんです、と言って僕は自分の発言を終えた。


 師匠は僕の発言をしっかりと咀嚼し、嚥下する。噛み砕き、飲み込んでくる。

 そして自分の言葉を吐き出す。


「お前は本当に結乃の事が好きなんだな。私はそんなに固執して守りたいものなんて、一つも無いってのに」


 なんだあれか? と師匠は言葉を続けてくる。


「結乃のことが好きなのか? 異性として」


 またしても唐突な発言で、質問だ。だけどまあこれは考える程でもないな。


「それは違いますね。僕は結乃の『取り留めのない明日が明日も来る』という目標の手助けをするだけです──そして僕の人生の全てをかけて、結乃を守りたいだけです。確かに好きですけど、それは『異性』としてではないです」


「へぇ。お前、本当に変わってる奴なんだな」


「そうですか……?」


「あぁ、だいぶな。まあどうでもいい──っと、よし。完成した」


 僕は身体全身にビッシリと書かれた呪術の文字式を一回り確認してから、急いで服を着た。恥ずかしいのもあるけど、普通に寒い。


「今回もありがとうございます。師匠」


「いい、別に。私が出来る事なんてこれぐらいだからな。そして……はい、今回のお札な──それを貼らないと身体の呪術の文字式を消せないからな」


 師匠はワイシャツのポケットから、一枚のお札を取り出し、僕に差し出す。


「分かってますよ。これを貼らないとただのマジックペンで書かれている文字式が消せなくなってるんですよね。度々すみません」


 僕はそれを丁寧に受け取り、ポケットにしまい込んだ。


「それじゃあ僕は結乃の家に行くので──これで失礼しますね」


「分かった。今日の任務は簡単だからって油断するなよ。一応は気を付けるんだぞ」


 何があるかは分からないんだからな──と師匠。


「はい。了解です。頑張ってきますね。それではさよならです」


 と僕は返事をしてから、師匠の部屋から出るためにドアノブに手をかけ、ガチャリと扉開ける──と。


「あれ……? 結乃じゃないか。どうして……?」


 そう、ドアを開けたそこには僕の相棒である水瀬 結乃が手に袋を持ってドアの前に突っ立っていた。

 結乃の耳は何故か大きく上に上がって、ピクピクとしていた。


 何故か怒ってるような感じだ。

 いつも怪訝な瞳がいつにも増して怪訝になっている。


「近くに用があって、それが終わったので、ついでに椴松さんを迎えに行こうと思い、来たんですけど──はぁ。椴松さん」


「? ……僕がなんかしたか!?」


「いえ特に──特に何もしてませんよ」


「じゃあなんでそんな顔してるんだよ。何に怒ってるんだ?」


 別になんでもありません──と結乃は僕に背を向け、歩き始めてしまった。

 意味が分からないけど、とりあえず僕はその背中を追いかけた。

 沈みかけている夕陽に照らされる結乃の後ろ髪は赤と青が混ざり、紫でも、赤でも、青でもない曖昧な色をしていた。

 師匠から言わせてもらうと、僕達の関係もこんな曖昧なんだろうか──曖昧模糊なのだろうか。

 分からない、分からないが、僕の気持ちだけは本当だ。

 ──直線だ。


 *──*


 希望と太陽が隠れてしまった時間に共に歩く、結乃の家まで。

 

 彼女との帰り道。


 郊外の中の郊外である僕が住んでいるこの街は、太陽が沈むと一気に静まる。

 本当に点々としか街灯が設置されていないため、この街は突如として暗くなる。

 闇色が僕達の周りの世界を染め上げていく──科学と人間を肯定し、人ではない者を化け物とし、弾劾した世界を染めていく。


「なぁ、結乃」


「なんですか? 変態野郎さん」


「まだ朝のことを引きずってるのかお前は! あれは冗長な冗談なんだよ。そんなのを気にするだけ無駄だぜ? 大丈夫。僕は結乃という相棒に手を出す程の最低変態野郎ではないからな」


「……はぁ。成程。分かりました。それでは最高変態野郎さん。なんでしょうか?」


「いや最高でも変態じゃあ意味ないじゃん!」


 僕は茶化してくる結乃に勢いよくツッコミを入れる。

 そうすると結乃はふふっと少女らしく小さく笑う。

 その姿を見て僕も吊られてはははと笑った。


 結乃も案外変態野郎には寛容的なのかもな、と僕は思う──相棒としてはなんか安心だ。


「で、結局なんなんですか?」


 と、結乃に問われた僕はそれに答えようと──着信音。


 ぷるるる……ぷるるる……なんてそんな古典的な音は鳴らず、僕がセットしている着信音が鳴った。鳴った音は、ドゥンドゥンという重低音で変な音。

 特徴的で分かりやすいからこれにしている。


 僕はズボンのポケットに入れているスマホを取り出し、液晶画面を見る。

 そこには『師匠(飯野 雪花)』という文字が大きく出ている。


「あー、結乃ごめん。なんか師匠から電話来た」


 出ていいか? と僕は聞く。


 そうすると結乃はどうぞどうぞと手をひらひらさせる。

 それから──というか出ないと怖いですよ、と付け足してくる。僕はそれを苦笑いと頷きで返しながら、師匠の電話に出る。


「はい、椴松です──」


「おい、クソ竜二」


 うぇ……なんかこの人既にキレてますけど……。出た瞬間に僕の言葉も聞かず、クソ呼ばわりとは……。僕はとりあえず冷静に、あまり気に触れぬように慎重に話しかける。


「なんですか……師匠」


「大変なんだ。お前達の親友と言っても変わりないぐらいの友達が……──いや時間が無い。もう単刀直入に言ってしまうぞ。お前達の親友である『赤倉』が化け物になったそうだ。変身というか、取り憑かれたらしい。いいや呑み込まれたと言うべきだな。呑み込まれたそうだ、酒みたいにな──『鬼』に」


「……えっ、え? ちょっと状況が掴めません、が。えっと、赤倉ですか? あの赤倉ですよね? どうしてですか……どうして赤倉は……赤倉が」


 僕は戸惑う。

 そりゃあそうだ。


 仕方ないだろう──小学校から男女の壁なんか破壊し合った親友が『鬼』に酒みたいに呑み込まれた、なんて話聞いたら戸惑うのも当然だ。


 僕が困惑している姿や表情に、結乃も意味が分からず、訳が分からず困惑してしまっている様子で、おどおどとしている。


 よし、とりあえずスマホの出力音設定をスピーカーにしよう。

 そうすれば結乃にも聞こえる。結乃の耳は人間の比ではないほどに良いから、意味はあまりないかもだけどな。そうだとしても、とりあえずだ。

 スピーカーにしたら、師匠の重重しい声が大きくなり、そこら辺に響く。


「それはな─────だかららしい。ということはつまり、彼女はただ鬼に呑み込まれた訳ではないんだ。『彼女から呑み込まれること』を望んだのだ」


 鬼に懇願したのだ──と師匠。


「えっ……」


 僕と結乃は言葉を失った。しかし師匠はそれを気にせず、話を続ける。


「しかも鬼に呑み込まれた赤倉はお前らが思っている以上に強い──それを確信しよう。私の元へ来た報告によると、もう赤倉は科学の力で戦う国家組織の奴らを三人も倒したらしい。お前らより化け物じみている人間を三人もだ。だからしっかりと用心してくれ……。あぁ、よし。結乃──お前は前に私が渡しておいたあのお札を使え。あれを鬼となった赤倉に貼れば、この状況は最低限解決する。そして龍二。お前は赤倉と戦うんだ。そして結乃に隙を作ってやれ」


 僕と結乃は分かりました、とだけ言って電話を切った。

 僕達は一瞬だけ目を合わせ、頷き、走り出した。


 *──*


 僕は一人で走る。

 全力だ。

 全力疾走とは正にこれって言えるぐらいだ。


 鬼に呑み込まれた赤倉が強いか強くないかなんて関係ない。


 僕は守らなければならない。

 結乃の取り留めのない明日や赤倉の未来を──守らなければならないのだ。

 そんな強い気持ちで僕は駆けている。


 僕は左手首に巻いている腕時計を見てみる。今は夜の八時か。本当にこの時間は人通りが少ないな。


 だけどそれは良いことだ。

 何故なら、人らしく走らなくていいからだ。ステータスアップしている利点を生かせる。

 よし。もっとスピードを上げよう。


 結乃は今お札を取りに反国家組織の基地に向かっている。

 師匠から直々に貰ったものらしいが、家に置いておくのは怖いとのことで、反国家組織に置いていたらしい。

 多分僕と合流出来るにはだいぶ時間がかかるだろう。


 そして僕はお札とはあまり関係無いけど、刀を持っている。

 お札と同様に、これも師匠から貰ったもので、これは結乃の家に置かせてもらっていた。

 だから結乃の家に取りに行く必要があった。


 そして取りに行くのに、結構時間を浪費してしまっていた。


 くそっ……早く行かなければ……おっ……と!  とと。

 僕は両足を使い、身体全身にブレーキをかけた。


 やっと見つけた。あぁ。見つけたぞ──『鬼』を。

 鬼に呑み込まれた赤倉を。


 赤倉は知らない人の家の屋根の上に立ち、睨みつけただけで、物を壊せるんじゃないか、と思ってしまう程の眼力で街を見渡している。

 僕はそんな赤倉に向かって叫んだ。

 怒りと困惑と絶望と明日への希望をぐちゃぐちゃに混ぜ合いながら叫んだ。


「赤倉ぁァ!!!」


 僕の声が耳に届いたのか、ゆっくりと赤倉は振り向いてくる。僕の瞳を睨み付ける。


「誰ダ。お前は──ナニモノだ?」


 彼女の声は、触れただけど傷を負いそうな程に尖っている。

 鋭利なナイフのように。

 いつもとは似ても似つかないぐらいに違う。


 容姿も全く違う。

 肩までだった黒髪は伸びて、アンダーポニーテールの様な感じになっており、そして所々赤色が混ざっている。


 そして頭部からは二本の角が生え、耳は尖り、お腹や脚を曝け出し、胸は通常の赤倉より大きくなり、手や足は赤く染っている。


 そして怒りに震えている瞳は血眼になっている。

 血眼みたくなっている赤色の瞳。


 そして手には一メートル五十センチ程はある大きな鉈が握られている。

 彼女の背景は夜空、つまりは黒色。

 その筈なのに彼女の憤怒のオーラのせいなのか、夜空が紅く見える。


 彼女の発言から察するに、彼女自身の記憶は無くなっているな──これは。

 だから僕と戦い、殺すことに彼女は何も思わなくなっているだろう。

 悲しいことにな。


 それならここからこいつは赤倉ではないな。そういう風に見よう。

 鬼倉だ。

 鬼倉と呼ぼう。

 記憶が無く、人格も違う別人を赤倉と呼ぶのは赤倉にとって失礼に値する可能性が高いからな。


 鬼倉は強く僕を睨みつけてくる。


 あぁ。怖いな。睨まれただけで殺されそうだ──だけど僕はそれを恐れない。 

 豹変してしまっている彼女や過酷な現実に──立ち向かうのだ。

 ただ呆然と生きていた時の僕とは違うんだ。


「僕は椴松 龍二だ。お前──赤倉の親友だ。僕の大好きな友達を返しやがれ、糞鬼野郎」


 僕がそう言うと彼女は鼻で笑った。


「椴松 リュウジ……なんとなく耳に馴染むナマエだが、キオクに無イナ」


 言い終わり、彼女は鉈の柄を力強く握る。

 一瞬で表情が、血眼の目付きが変わる。


「私と戦うのダロウ? ──『オマエも』。……私はアクを切り刻むだけだ。だから私の邪魔をするものも悪というコトになる。そんなオマエを私は許すことが出来ナイ」


 『オマエも』、とは国家組織の連中のことを示唆しているのだろう──どの奴らとやったのかは不明だが、あそこの連中は全員強い。

 僕がステータスアップをしていなかったら、一秒もかからずに殺されてしまうぐらいだ。


 だが鬼倉はそんな奴らを複数人相手にし、この余裕っぷり──相当強いな、鬼倉は。

 だが負けない──僕はこいつと戦う。

 結乃が来るまでの時間、こいつが何処かへ行かないように、時間を稼ぐんだ。 

 あわよくば倒しておく。


「来い! 糞鬼野郎!」


「言わレナクテモな!」


 鬼倉は言葉を言い終えた後、刹那という文字がお似合いな程の速さで僕に近付いてくる。

 十メートル近く離れていた距離を、一瞬で一歩分ぐらいまで接近してくる──速すぎる。


「ウラァァァッっ!!」


 鼓膜が裂けるぐらい轟音の声。


 彼女の素早く、豪快な一線は僕の脇を通り、地面に刺さる。

 『来い!』とか言っておきながら、なんだかんだ避けることに専念していたから、なんとか避けられたという感じだ。


 というかコイツ、完全に暴走してるじゃねぇか。

 自意識というものはあるのだろうが、怒りというものに身体を飲み込まれている。


「私はァ! 憎いンダ!!! ッ!!」


「何がだよっ!」


 暴走している奴の言葉に返答する意味も無いのかもしれないが、一応僕は鬼倉問う。


 地面に刺さった鉈を抜き、彼女はこちらに駆け寄ってくる。


「悪トイウ概念自体がニクイ程に、私は邪気を嫌っている! 薄汚い邪気は私の鉈──『邪気斬』でコロス! 正義を律スル気持ちでお前を殺す!」


 鬼倉は身体を捻る──そして鬼倉の身体を捻らせたことにより生まれた大回転斬りを僕は後ろに飛躍することで避ける。


「お前は正義を肯定して、僕や誰かを殺すかもしれない。もう殺したのかもしれない! それは……鬼倉──お前は間違っているぞ!」


 僕は飛躍して避けた後、鬼倉に飛び付くぐらいの勢いで近付き、その勢いと共に渾身の力で剣を振るう。

 だがそれを鬼倉は片手で持っている鉈で受け止める。

 鬼倉の体勢は全く崩れない。

 逆に崩れたのは僕の方だ。


 これは密かに思っていた『赤倉の身体だから傷付けられない!』なんて言ってる余裕はないな。

 皆無だ。

 逆に攻めないと僕が肉片にされる。


「人を殺して成す正義に正しい筈が無い」


 体勢は崩れたが、なんとか僕は体勢を低めに構え、無理に攻める。


 剣でお腹の肉を抉るかの様に突く──鬼倉はそれを見透かしていたかのように、冷静に僕の剣を薙ぎ払う。

 それのせいで、僕の剣は僕の後方へと飛んで行った。


 そして鬼倉は鉈の柄を強く握り直し、鉈を振り翳す。

 これで最後だ、と言いたげな怒りの表情だ。僕はそれに恐れ慄いた。


 恐怖に縛られた。


「悪が憎い、殺シタイ!!」


 僕は身を捩り、鉈の横払いをなんとか避ける。


(やばい……! 死んでしま……っう……!)


「悪で周りを絶望させるヤツがユルセナイ!!」


 彼女の怒号は僕の額から零れた汗を吹き飛ばす。

 僕は後ろを完全に向き、彼女からの、恐怖からの逃避を始める。


(どうすれば彼女を止められる? どうすれば……結乃が来るまでの時間を……! 分からない。分からない。結乃が来てもどうなるか分からない)


「悪を持って、他人を不幸ニスル奴が許せない!!」


 彼女は五メートル程、僕に向けて飛んでくる。


(死にたくない……死にたくない……結乃の笑顔や明日をまだ僕は見ていたい!)


「私が、ワタシが、私の手で、ワタシの邪気斬で殺す! マズはお前からだッ!!」


「うぁぁぁ───あ!──……ああああ!「嫌だ!「嫌だ!!「僕はまだ………!!!」


 僕は精一杯叫んだ。

 叫び尽くした。

 喉が潰れるほどの声の大きさで叫んだ。

 逃げて──逃げて──逃げ尽くした。


 背後から迫り来る恐怖から逃げるべくして。


 だが僕は道には何も無いのに、焦りという邪魔者に足が引っかかり転けてしまう。

 これはもう絶望的だ──死が迫る。


「馬鹿ですか……椴松さんはまだ死なせませんよ。だから死ねません」


 私も椴松さんとまだ生きていたいですしね──とやって来たのは制服じゃなく、任務時の服を着ている結乃だった。

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