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ある美術館で

作者: aaaa

雨は上がったが空はまだどす黒い。今にもまた雨粒を吐き出しそうな空の下で、私は美術館に辿り着いた。

 そこは県立だか市立だか忘れたが、五十メートル四方以内の大きさで近代西洋美術を飾る小さな美術館だ。男がそこに来るのは二度目だった。

 森のような小さな庭園を抜け、高速のサービスエリアのような建物に入る。中には受付と土産物、右手奥にはカフェもあるようだった。客は二人しかおらず、ゆったりと静かだった。

 チケットの半券とパンフレットを受け取り、本館へと続く扉を押す。足元には黒猫の絵が貼ってあった。

 本館は真円の建物で、中央の広間から順番に外円の部屋に入っていく。広間の中心には翼の解けた男の像が立っていた。飛んでいるのか落ちているのかは判断がつかなかった。全ての作品を見るのには、ゆっくり歩いても二十分で終わるほどの大きさだった。

 一つ目の部屋は油絵が中心だった。近代の西洋美術らしい、現実的な表情の人物と感情を読み取ることのできる背景の絵が多かった。

 二つ目の部屋も油絵が中心だったが、輪郭は曖昧になりむき出しの思いを並べたような色遣いになる。

 三つ目の部屋の中心にはピカソがいた。ピカソの絵は時代がばらばらで、まるで彼の人生の歩みを表現するように描き方の違う絵が並んでいた。

 四つ目の部屋に初めて人がいた。リュックを背負った外国人家族で、観光客のようだった。小さな子供が二人の家族で、子供たちは絵を眺めながらくすくす笑っていた。その笑い声は美術館にふさわしくないのだろうけど、男にはとても気持ちのいいものに思われた。むしろ調和を感じられるほどの心地よさだった。

 親は私が入ってくることに気づき、子供たちを静かに注意した。残念ではあったが、どうすることもできず、子供たちがいる反対側から回り始めた。

 部屋を反対から回ると言っても、扇形の単純な形の部屋を逆の辺から進んでいくだけだった。どんな絵を眺めても子供たちの動きを目の端で負ってしまっていた。二人は彫刻の前でひそひそと話をしていた。正方形に前衛的な顔が彫られた彫刻で子供が気にいるのもなんとなくわかった。子供たちは親の視線を何度も確認し始めた。何か悪さをするだろうと思い、ばれないように視線を向けると、子供たちは人差し指で一瞬彫刻に触れていた。

 子供たちは彫刻に指の皮が当たった瞬間すぐ親の横に移動し、何もなかったような顔をしていた。男は子供たちの行動にも美術品に触れても何の警報もならないことに驚いた。

 私は子供たちの行動の意味について考えながら、美術品を眺めていた。私の目の前にある絵画にはガラスが貼ってあり、じかに触れることはできなかった。だがあの彫像に触れることは可能なのだ。男はその事実に一人で震えていた。世間が金銭的にも芸術的にも価値を認めているものに、簡単に手を伸ばすことができる。何十年も経過した美術品に触れることができる。

 男は度胸試しに触った子供たちとは別の意味を見出していた。もしあの彫刻に触れることができれば、私の何か特別なものが開花するのではないか。

 ふいに出た疑問が確信に変わるのは一瞬だった。芸術家が命を賭し、自全身全霊で作り心血を注いだものに直接触れることができるのだ。何も起こらない方が不思議とすら思える。男は猛烈にあの彫刻に触りたくなった。

 好意的に感じていたあの家族に対して、どうして早く出て行かないのだと思いかけるほど思いは切迫し始めた。家族がじりじりと出口に近づくのを凝視しそうなほどだった。別の絵を見ても何も感じることができず、すでに彫刻の前に来てしまってから数分後、家族はやっと出て行った。

 ついに男は彫刻と二人きりになった。彫刻を眺めても何の意味も感じ取ることができない。だが、降れることに対する意味は感じるのだ。何かが手に入るという意思だけは感じるのだ。彫刻は呆けた表情で宙を眺める。その表情を覆うように掌を差し出す。しかし体はそこで停止した。何かが私を止めるのだ。理解できず怒りがこみあがってくる。あと数センチで何かが、特別ななにかが手に入るというのに、何が邪魔をするのだ。男は必死に考えた。なにものが私の邪魔をするのだと、私の未来を奪おうとするのは誰かと。急速に回転を始めた思考は多くの時間を消費し、ある答えに辿り着く。

 だがその答えは男を失望させるものだった。殺しかねないものだった。男は信じられず、受け入れられず、美術館を後にした。もう男に彫刻は必要ではなくなっていた。


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