ある少女と少年の朝の出来事
「ねぇケイスケはどう思う?」
幼なじみのリョウコが僕に聞いてきた。
「何を?」
だから僕は聞き返す。
「私たちはさ、今生きてるよね?」
彼女は前を向いていた体を翻して僕に聞いてきた。前を向かないと危ないよ?
「そうだね」
簡単な答えを返した。
「じゃあさ、私たちはあと何日生きてられるかな?」
彼女は笑顔でそう聞いてきた。
わからないよ、そんなこと。
「さあね、でも四十歳までは生きてそうかな?」
思い付いたふわっとした答えを返す。
とりあえず言葉を返す、ストライクよりもボールによる返答を待った。
「聞き方を変えよう!」
彼女は後ろ歩きを続けたまま大仰に手を振る。やはり期待していた答えとは違ったらしい。
「君はさ、自分が明日も生きていると思う?」
彼女は不意に立ち止まって僕の進路を妨害してくる。腰を少し屈め、下から覗いてくるその瞳は妖しげな魅力があった。
彼女の問いに、ふと真面目に向き合う。
自分が明日も生きていると思うか、当然イエスだ。
先程も答えたように漠然と未来の自分を夢想した、そこに現れたのは四十歳くらいの自分。霧のようにあやふやだけど、確かにそこにある。
「未来じゃないの、明日を考えて。また今日みたいに私と一緒にいて、この道を歩いている明日の自分を」
そこに僕の思考を読んだかのように彼女から言葉をかけられる。
明日、
明日か……
明日も平日でだから僕は明日もこの時間帯は今日のように彼女と一緒にこの道を歩いているだろう。
天気はどうだろう?
明日も晴れ、だったかな?
よく覚えていない、でも
「明日も僕は生きていて、また君とここを歩いているとおもうよ」
「どうして?」
彼女の返答はすぐだった。早かった。
「どうしてそう思うの? と言うよりも、どうしてそう思えるの?」
どうして、
どうしてだろう?
「明日が来るってことは、今日を生きたってことだよ? どうして君は今日を生きられると思うの?」
そんなの簡単だ、人はそう簡単に死なない。
「ねえ、どうして? どうして君は車道から車がこっちに突っ込んでくると思わないの? 自分は今日死なないと思うの?」
彼女は屈めていた姿勢を正して、僕に顔を寄せてきた。
大きな瞳は僕を見ているのか何を観ているのか。
ただ、そこには間抜けな顔をした僕が写っていることは確かだった。
彼女の薄い吐息が自分の髪を揺らした。急に僕は恥ずかしくなって彼女から顔を背けた。
横を向いた僕の目に入ったの車が頻繁に行き来をする道路だった。
彼女の言葉が頭のなかで木霊する。
その時、目の前の道路を白い自動車がとてつもない速さで通り過ぎていった。明らかにスピード違反だろう。
交通マナーを守らない危険な車、でも怖いとは思わなかった。
だって
「いままでもそうだったから?」
耳元でそう囁かれた。
突然のことに凄くビックリした。変な声もでた。
振り向くと彼女が可笑しそうに笑っていた。
僕はむっとしてそんな彼女を無視した。
僕が歩き始めたのを見て彼女は腹を押さえながら、ごめんごめんと軽い謝罪をしてきた。
彼女のそんな姿に僕は小さくため息をつくと話を本題に戻すことにした。
「でも、実際そうじゃないか。僕は生まれてこのかた歩道にいて車がぶつかってきた事なんてないんだ、今日は車に轢かれて死ぬかもなんて考えるはずないよ」
いままでもそうだったから。つまりそう言っている。
「そうだね、その通りだよ」
彼女の声が後ろから聞こえた。
「突然車に轢かれるなんてあり得ない、だっていままでなかったからから」
彼女が僕を追い越して、大きく一歩踏み出した。
そして、回る。
くるりと華麗に半回転して見せてから、僕の方を向いて笑う。
可笑しそうに口元を吊り上げて笑う。
まるで狐のように。
「突然誰かに刃物で刺されるなんてあり得ない、だっていままでもなかったから」
彼女は僕の表情を見ながら、今度はぴょんぴょんと跳び跳ねて進んでいく。さっきよりも危ないよ?
「突然ミサイルが落ちてきて死んじゃうなんてあり得ない、だっていままでもなかったから。隕石が降ってきて死んじゃうなんてあり得ないよね、だっていままでもなかったんだから。寝ている間に病気で死んじゃうなんてあり得ない、だっていままでなかった」
「つまりさ、何が言いたいの?」
僕は立ち止まって問いかける。すると彼女も動きを止めた。
いい加減口を挟むことにした。さすがに長い、というよりもこれ以上彼女に喋らせるままにしていたら、それこそ彼女が車に轢かれてしまいそうだ。
「つまりさ、何が言いたいかと言うと。いままでそうだったから、なんかじゃ今日死ぬ可能性を否定できないってこと!」
まわりくどいよ。
遠まわり過ぎて、目的地に着ける気がしないよ。
「今日ケイスケはさ死ぬかもしれないんだよ? 純然たる事実として」
「そう、だね。その通りだね」
否定はできなかった。
「今日ケイスケは、というより私たちはさ、死ぬかもしれないの。じゃあさ明日は? 明後日は? 明明後日は?」
大きく手を広げて、まるで演説でもしているかのように彼女は振る舞った。
「一日一日が死と共にあって、私たちはあと何日生きていられると思う?」
最初の問いに戻ってきた。つまりそう言うことだった。
彼女は始めからこれに対する答えを聞きたがっていたのだろう。
僕は真面目に考えた。うーん。
「わからないね、さっきは四十歳まで生きてそうなんて言ったけど、今は一ヶ月でも自信がないな」
そう思った。相変わらず人の話に影響されやすい情けないやつだと自分を思うけど、でもすっかりそんな気になってしまっていた。
「そんだろう、そうだろう」
彼女は満足げに頷いている。足を大股に開いて腕を腰に当てている、その姿は女子というよりおじさんを思わせた。はしたないなぁ。
「そんな今思えば、一年後なんて遥か遠くの話じゃないか?」
彼女は同意を求めてきた。
適当に頷いておく、何となく読めてきた。
「ならさ、一年後の受験勉強を今から頑張るとか、馬鹿らしいよな!」
やっぱりだ。
「バカらしくなんてないよ、大切なことだよ」
えー!! と間抜けな悲鳴を上げる彼女の腕を引っ張って僕は駆け出した。
リョウコの話はすこし長すぎる。
今から走ればなんとか間に合うだろう。
これは僕と彼女のある一日の朝。
ただそれだけ。
楽しんでいただけたなら幸いです。