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枕式部日記  作者: 佐藤香
7/16

恋敵~大進生昌が家により~

本編全部書き終えてから書いた番外編のようなもの。時系列的にここなので入れ込みました。

 私の声が戻ってしばらくしたころ、行成様とお会いすることがあった。

 中宮様のお部屋に参上していた時、彼が訪ねていらっしゃったのだ。

「清少納言はいますか?」

「あいにく、部屋に下がっておりますよ。言伝てでしたら私がお受けいたします」

 私がお返事すると、怪訝な顔をされた。

「……あれ、新しい方がいらっしゃるとは聞いていませんが」

 その様子がおかしいので、私は思わず笑ってしまった。しかし、相手がむっとしたのを見て、慌てて名乗る。

「菅式部でございます。箏から人の声を手に入れました」

 おどけてそう言うと、行成様は、ああ、と頷かれる。

「前の声の方が好きでしたね」

 本当に失礼な方である。私は不機嫌さを隠しもしないで、話を変えた。

「それはそうと、清少納言に何かご用ですか?」

「いえ、今回は仕事の件なので、あなたでもいいです」

 以前からは考えられないことだ。少しずつ私たち女房にも打ち解けてくださっているのかもしれない。

 行成様は、二、三、仕事の話をなさると、その後は世間話になった。

「そういえば、清少納言は良い人でもいるのですか」

「へ? いえ、私はそのような相手は存じ上げませんが」

 突然の問いかけに戸惑いながらも、そうお返事すると、行成様の顔がぱっと輝いて見えた。しかし、その顔もすぐに元の真顔に戻ってしまう。

「そうですか」

「……あの、それが何か?」

 行成様は私の問いかけには答えない。

「用事は済みました。ありがとうございます」

 そうおっしゃると、そそくさと出ていこうとなさる。

「もしかして、行成様は清少納言に……」

 そう言いかけたところで、行成様は扇を取り落とされた。

「……もう少し、お話しますか?」

 私は行成様の微笑んだ顔を初めて見た。とても綺麗な笑顔だ。この方もよく見れば美丈夫なのだ。涼し気な目元に、陶器のようななめらかな肌、人間とも思われないような美しさである。

 行成様は、落とした扇を拾うと、再び私の前に座った。

 このところ蒸し暑い日が続いているというのに、行成様の着物は少しも着崩れていない。それでいて、彼の表情には暑さなど感じられなかった。

 しげしげと眺めてしまっていると、行成様は私の視線を振り払うように咳払いをした。

 慌てて視線を逸らすと、声をひそめてお話になる。

「率直に言えば、私はあの方と恋仲になりたいのです」

「……あの方、というと?」

「清少納言ですよ。決まっているでしょう」

 開き直ってしまわれたようだ。他人の恋話など聞きたいとも思えなかったが、相手が行成様であるので、追い返すわけにもいかない。

 行成様は、初めの動揺など無かったように淡々と話を進められる。

「それで、女性というものは、どういう男が好きなのでしょうか」

 この方は私に助言をしろとおっしゃっているのだ。私もこの手の話は得意ではない。

 第一、彼女と私は十以上も歳が離れているのだから、同じような考え方かはわからないのだ。

 しかし、あの行成様が珍しく清少納言以外を頼られているのだから、無碍にもできなかった。

「そうですね、斉信様は女房たちにも人気がありますよ」

「……なるほど、確かにあの方は清少納言とも仲が良い」

 私はさっとあたりを見回した。……幸い、藤大納言も部屋に下がっているようだ。

「そうですね、確かに、仲は良いと思います」

 しかし、別にこの二人も恋仲というわけではない。

「ご友人としての仲の良さで言えば、行成様も引けを取らないのではないかと思いますよ」

「……ありがとうございます」

 そう言うと、今度こそご退出なさる。立ち上がってからもずっと何か考えているご様子であった。

 行成様があまりに真剣なご様子なので、もしかしたら余計なことを言ってしまったのかもしれないと不安になる。しかし、今更悔やんだところで、口に出してしまった言葉は取り返すことはできないのだった。

 その翌日。夜の帳が降りたころ、再び行成様がいらっしゃった。

 今度は清少納言が出ていってお話をする。

 二人があまりに長いこと話しているものだから、私は昨日のことを思い出してしまい、そわそわと落ち着きなくその様子をうかがっていた。

 結局、行成様がご退出なさったのは、かなり夜が更けてからのことであった。

「宿直なんですって」

 私が二人を気にしていたのを知っていたのか、清少納言は戻って来るなりそう言った。

「ああ、それで……ずいぶん話し込んでいたみたいですけど、何かおっしゃっていましたか?」

「え? そうね、今日も暑いですねとか、今日は月が良く見えていいとか」

「そ、そうですか……」

「本当に特にご用事はなかったみたいよ。世間話をしにいらっしゃっただけで」

 てっきり斉信様のように清少納言を口説きにかかるのかと思っていたので拍子抜けしたような、少しだけ安心したような気持ちである。

 外は確かに見事な月であった。月明かりでろうそくの火も霞んでしまいそうなほどに思われた。

 その月が沈んで、空が白みがかり始めた明け方、清少納言の元に一通の手紙が届いた。

 蔵人所の書類用の紙を重ねただけの素っ気ない手紙であった。差出人は行成様である。

 恋人に送る後朝の文を気取るにしては飾り気がないが、その筆跡は見事である。

『昨日は夜通しあなたと語らいたかったのに、鶏の声が急かすものだから』

 このようなことが書かれているのを見て、清少納言は笑う。

「いやね、真夜中に帰って行ったのに鶏なんて鳴くものかしら。きっと誰かの声真似だったんだわ」

 彼女がいうのは、函谷関の古典だ。孟嘗君という武将が、夜中に鶏の真似で門を開かせて、敵から逃れたという話である。

『まだ夜中のうちに鳴く鶏というのは、孟嘗君の偽の鶏でしょうか』

 清少納言がそうお返事をすると、すぐにまた新しい手紙が届いた。

『孟嘗君の鶏は函谷関を開いて、敵から逃れたといいますね。けれども、私が開きたいと思うのは、あなたと出会うための逢坂の関です』

 そう書いてあったのを見て、清少納言の顔が少し曇った。

「どうしたのかしら、こういう軽口は言わない方だと思っていたのだけれど」

 私は思わず行成様を気の毒に思った。しかし、仕事場のありあわせの紙を使っているのだから、確かに本気だとは思われないだろう。

 斉信様が女房に好かれるのは、こういう手紙のやり取りにも素敵な紙を選ばれる細やかさの点が大きいと思う。昨日伝えたかったことはそれだったのだ。

「で、でも、一応恋文……ですよね? なんてお返事するんですか」

「そうねえ、御戯れにしても、あまりすげなくするのは可哀想だわ。それに、私だって中宮様の女房ですもの。恋文くらい気の利いた答えを返さなくては」

 完全に仕事扱いである。行成様がどういうおつもりで手紙を寄越したのかは私には分からないが、これでは行成様の想いが彼女に伝わったとは思えない。

『夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ――夜更けに鶏の鳴き真似をしても男女の関である逢坂の関は越えさせませんよ。

 私の所には優秀な関守がいるのです』

 歌は苦手だと言っていたが、上手く詠むものだ。やはり、伊達に歌人の娘ではないのだろう。本人にそれを言ったら怒られてしまいそうだが。

「相手が行成様だからよ。同じ歌人の子同士、あまり気負わずにやり取りしましょうってこの間話したばかりなの」

 私の感心した顔を見た清少納言が、そう説明する。

 私はなんとなく面白くなくなって、不満気に尋ねた。

「それでは、私相手ではこのように気負わずに詠んでくれないのですか」

「そうねえ。確かに、あなたは歌人の娘じゃないわ」

「私に気負うことなんてないでしょう。私にも歌を詠んでください」

「突然どうしたのよ。おかしな子ねえ。私の歌なんて大したものじゃないわよ」

「だって、あなたの歌が気に入ったんです。行成様ばかりずるいわ」

 私が子供のように駄々をこねるので、清少納言はおかしそうに笑った。

「あら、気に入ってくれたのなら嬉しいわ。ありがとう」

 子供をあやすようにそう言うと、清少納言は返事の手紙を使いに渡した。

「あなたには、またいつかね」

「はい……」

 自分でも子供じみていると思ったので、おとなしく返事をした。

 今思えば、彼女は私の目が曇っていたから歌を詠んではくれなかったのだ。私が彼女の歌を、歌人の娘ということなど関係なく、彼女自身の歌として見ることができていなかったことを見抜かれていた。

 返事を出してすぐにまた手紙が届けられる。

『逢坂は人越え易き関なれば鶏鳴かぬにもあけて待つとか――あなたの関は簡単に越えられるので、鶏が鳴かずとも開けて待っていると聞きましたよ』

 あまりの返歌に開いた口がふさがらなかった。

 もはや下手かどうかという問題ではない。「誰でもいいと聞いた」なんて、女性に贈る歌として最低である。

「これは、ひどすぎるというものでしょう……」

 私がそう言うと、さすがの清少納言もうなずいた。

「字は素晴らしいのにね。書いてあることがひどいわ」

 かえっておかしくなってきて、二人でずっと笑っていた。

「あら、どうしたの。二人とも楽しそうに笑って」

 私たちの様子を見て、藤大納言が声をかけてきた。

「ああ、行成様からいただいた歌を見ていたんです」

 清少納言がそう答えると、藤大納言は目を丸くする。

「まあ、行成様の? あの方が歌を詠むなんて珍しいわね。もしよかったら、私にも見せていただける?」

「ええ、もちろん構いませんわ」

 清少納言が、藤大納言に手紙を差し出した。藤大納言は、その手紙をじっくり眺めると、困ったように小さく笑って返した。

「……相変わらず、素晴らしい字でいらっしゃるわね」

 あえて歌については触れなかったようだ。

 そうやって話していると、次から次に人が集まってくるものだから、あっという間に行成様の逢坂の歌は女房全員が知るところになった。

 歌の出来は置いておくにしても、行成様の書は色々な人が目の色を変えて欲しがるほど素晴らしいものなのだ。清少納言は、いただいた手紙をすべて中宮様に献上していた。

 私は少しだけ行成様が気の毒に思われたが、あまりにも女心をわかってないと思うので、同情の余地はない。

 昼頃、一人で自室に下がっていると行成様がいらっしゃった。

「ここにはあなたの越える関はないですよ」

「わかっています。清少納言にはさっき御前で会ってきましたから」

 行成様はそう言うと、御簾の前に腰掛ける。私も近くに寄って行った。

「お返事がもらえなかったどころか、あちらではすっかり笑い者ですよ」

 ため息をつきながらも、その顔にはことさら落胆した様子は見られない。

「まあ、また次があります」

 打たれ強さと前向きさは人一倍のようだ。

「あれは、どういうおつもりで送ったのですか? 清少納言はいつもの言葉遊びとしか思ってないようでしたけど」

「やはり、そうなのですね。あなたの助言を頼りにしてことだったのに」

「私が言ったのは、ただ恋文を出せということではありません。斉信様を見習うなら、いつでも女性に気配りをなさいませという話だったのです」

 きっぱりと言い放つと、行成様は少しだけお笑いになる。

「あなたはそういう強気なところが清少納言とよく似ている」

「よく言われます。私たちは似ているつもりはないんですけどね」

「きっと、ずっと一緒にいるから似てくるのでしょう。うらやましいですよ」

 行成様がそうおっしゃるので、私は首を振った。

「いえ、ずっと一緒にいると申しましても、わからないことばかりですわ。むしろ行成様の方が私にはうらやましく思われます」

 私がそう言うと、行成様は首をかしげた。

「何故? 彼女のことならあなたが一番知っていると思いますよ」

「私は清少納言に歌を詠んでもらえません。歌人の娘じゃないからだそうです」

 私の言葉に、行成様は笑い出した。私は、行成様が大きな声で笑うのに驚いて、笑いが治まるまで何も言えずに眺めているだけだった。

「いや、失礼。……一人前に私に助言したかと思えば、子供のようなことを言うのですね」

「……清少納言にも笑われました」

 私がふてくされながらお答えすると、行成様はまた少しお笑いになった。

「気を悪くしないでくださいね。少しばかり安心したというのもあるのです。私も一応年上としての矜持というものがありますから」

「はあ……」

「歌などなくても、あなたにはきっと多くのものを清少納言は贈っているでしょう。言葉とか物ではない。それが私にはうらやましいと思われるのですよ」

 それは、私が行成様に言ったことと同じだった。他人には知ったような風に言っていたのに、まったく私はわかっていなかったのだ。

「ご忠告、痛み入ります……」

 私がそう頭を下げようとすると、行成様は笑って制した。

「あなたの受け売りですから」

 そう言う行成様の姿は、いつもより優しく見えた。きっと、私が知らなかっただけで、元から優しい方なのだ。不器用には見えるけれども。

 清少納言は行成様のこういった面も知っているだろう。彼女は誰よりもまっすぐこの人と向き合っていた。

 そして、そんな彼女だからこそ、行成様は惹かれたのだ。

 ひとしきり話してから、行成様は立ち上がられる。私もお見送りに立った。

「また、来ます。今度こそ彼女に想いを伝えて見せますから、覚悟をしていてください」

「そうですね。応援しております」

「……案外、関守というのはあなたかもしれないな」

 行成様は、ふと、そんなことをつぶやいた。

「どういうことです?」

「私たちは恋敵なのかもしれないという話です」

「は……?」

 意味が分からなくて、首を傾げる。そんな私を行成様は楽しげに眺めるだけで、それ以上は何も言ってはくださらなかった。

 行成様がお帰りになるのと入れ違いで、清少納言が部屋に戻ってきた。

「行成様には悪いことをしてしまったかしら」

「あの歌をみんなに見せてしまったことですか? すっかり笑い者になってしまったと嘆いておられましたよ」

 私が笑って言うと、清少納言が驚いた顔をした。

「あら、こっちにもいらしていたの。珍しいわね」

 確かに、行成様が清少納言以外の女房を訪ねてわざわざ部屋までいらっしゃるのは珍しい。

 変に勘ぐられると困るので、「ええ、まあ」と適当に流した。

「それより、みんなそんなに笑ったのですか。さすがにお気の毒では」

「それほどでもないのよ……」

 そうは言っても、清少納言には珍しく歯切れが悪い。

「どうかなさったんですか? 他に気がかりなことでも?」

「……あれはきっと本当の恋文だったのよ」

 清少納言の言葉に、私は面食らってしまった。

「え、どういうことです……?」

 私の様子が気にかかったのか、清少納言がじとり、と睨んでくる。

「その様子だと、あなた何か知っているでしょう」

 さすがの私も他人の恋路に口を出すことはできないので、必死で首を振る。

 その様子から、ある程度察しがついたのだろう。しかし、清少納言もあえてこれ以上問い詰めることはしなかった。

「気の毒なことをしたわね……」

 ただ、そう言ってため息をつくだけである。

 清少納言はそれきり話をやめてしまった。すぐに別の女房たちがやって来て、いつものような何でもない話に花が咲く。

 私は、清少納言が行成様の気持ちをわかった上であの手紙を皆に見せたのだろうと思う。

 清少納言であれば、きっぱりと断ることもできただろうに、何故、そのような回りくどいことをしたのか、私にはわからなかった。

 けれども、行成様のあの様子を考えれば、清少納言が気に病むようなこともないのではないかと思った。

 行成様は私をうらやましいとおっしゃった。越えねばならない関がないから、ということだろうか。しかし、彼女の関守は私にだって決して易く門を開いてはくれない。

 それに、いつだって恋には越えるべき関門が欠かせぬものだ。

 それが行成様だったのか、定子様だったのか、はたまた彼女自身だったのか、今となってはわからなくなってしまった。



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