恋枕~末の松山~6
あの恐ろしい体験から、少し経った頃。
寒さは日に日に厳しくなって、雪もちらつくようになっている。
その晩は一段と冷えるので、炭を多めに焚いて、誰もが身を寄せ合うようにして眠っていた。
私は寒さのためになかなか眠ることができず、頭から着物を被って、できる限り身を縮めて震えていたのだった。
背中に伝わる清少納言の熱はだいぶ前から規則的な動きになっている。
冷え切った指先を胸に抱えていると、ふと、背中の温もりが消えた。
起こしてしまっただろうかと思ってそっと振り返る。
赤々と燃える炭火に照らされたのは、重なった二つの影であった。
その一つに冠が見えて、咄嗟に着物を被りなおす。
「何しに来たのよ」
清少納言の不機嫌そうな声が聞こえる。彼女の態度から察するに、侵入者は則光さんだろう。
「起きてくれて良かったよ」
低く抑えられた声は、清少納言と、彼女にぴったりと身を寄せていた私にしか聞こえていないだろう。
「口を塞がれたら誰でも起きるわよ」
呆れたような声が降ってくる。
彼女の返事に、則光さんは息だけで笑った。
「なぎ子に会いたくなった」
なぎ子、というのが一瞬誰か分からなかったが、恐らく清少納言の名だろう。
「酔っているの?」
「もう一回確かめるか?」
清少納言は近づく影を押し返す。
「いい加減にして。酔っ払いは嫌いよ」
体格のいい則光さんにとって、彼女の抵抗はあってないようなものである。
清少納言の細腕を掴んだかと思ったら、そのまま彼女を自分の腕の中に迎え入れた。
「なあ、なぎ子。俺が遠江に行くことになったら付いて来てくれるか?」
返事はなかった。
炭の燃える音がぱちぱちと響いている。
「どうしてそんなことが言えるの?」
ようやく聞こえた清少納言の声は潤んでいた。
「私を妹にしたのは則光のくせに。どうして今更そんなことを聞くのよ」
今度は、則光さんが黙る番だった。
一つになった影からは、清少納言のすすり泣く声だけが聞こえている。
「俺は、兄として振る舞えばお前の隣にいられると思ったんだ」
「先に私の隣からいなくなったのは則光の方だったじゃない。私を捨てたこと忘れたとは言わせないわよ」
「忘れてないさ。あの頃だって、片時もお前を忘れたことはなかった」
則光さんはより強く清少納言を抱きしめた。
「俺の為にお前の才能を籠に閉じ込めてはおけなかった。俺にはそれを受け止めるだけの器がない」
「それで、今度は手元に置いておきたくなった? 身勝手な男ね」
「そうだな」
「私の気持ちなんてまるで考えてない」
「返す言葉もない」
則光さんの声は、静かで、落ち着いていた。
「少し前、危うく死ぬような目に遭ってね。真っ先に浮かんだのはお前の顔だった」
あの夜のことだ。思わず身を硬くする。
清少納言も驚いたのか、息を呑むのが伝わって来た。
「遠江に任ぜられたら、いつ帰って来ることになるか分からない。もうお前に会えなくなると思ったら、ここに来ていたよ」
則光さんは、再び清少納言に口づけをする。
今度は清少納言も拒みはしなかった。
「私はもうあなたのなぎ子ではなくなってしまったの。今は中宮様の清少納言なのよ」
清少納言の言葉に、則光さんは小さくため息をついた。
「本当に、俺は馬鹿な男だな」
「私は初めから知っていたわよ」
二人はくすくすと笑いあった。
「今宵は、俺だけのなぎ子の振りをしておくれ」
清少納言からの返答はなかった。
あるいは、私が聞き取れなかったのかもしれない。
目が覚める頃には炭の音も聞こえなくなって、残ったのは灰と、わずかな燃えかすだけであった。
まだ他の誰も目覚めていない部屋で、清少納言だけが明ける前の空を眺めていた。




