恋枕~末の松山~5
何を思ったのか、私はその日の夜、則光さんの宿直所を訪ねて行った。
夜の外出ははっきり言って命を捨てるに等しい。ましてや、女の身であれば盗賊や、卑しい者たちに襲われて殺すより酷い目に遭わされることもあろう。
そうでなくても夜は鬼や霊が出やすいと聞く。取り殺されてしまってもおかしくはないだろう。
今となっては、何故そんなことをしてしまったのかと頭を抱えてしまう。
当然のことながら、則光さんにも大層叱られた。
「なんだってそんな馬鹿な真似をしたんだ」
「遠江のことで、清少納言の居ないところで聞きたいことがあったのです」
妹の名前が書かれた紙を見て、則光さんが少しだけ顔色を変える。
則光さんは一度大きく息をついてから口を開いた。
「何を聞きたいとおっしゃるんですか」
「もし、本当に昇進して遠江に任ぜられるとしたら、則光さんは嬉しいですか」
「そりゃあ、嬉しいですよ。少しでも出世したいと日々仕事に励んでいますから」
「でも、今日のあなたは本当にそうなっても喜べないように見えました」
私の言葉に小さくため息をついて、則光さんは立ち上がった。
「送ります。中宮付きの女房が朝まで男の所に居たとなれば不都合もございましょう。お話は道中でもできますから」
則光さんは、腰に太刀を携えて、出かける準備をする。
十くらいの小舎人童が供としてついて来た。
夜の道は手元の火でようやくお互いの顔や足元が見える程度で、とても恐ろしい感じがする。
冷静になってしまえば、一人では到底歩けないような道だ。
「よくもまあ、ここを一人で通って来ましたね」
童は恐ろしがって私の袖を離さないし、則光さんも呆れていた。
「それほど、私と妹のことが気になりますか?」
私が頷くと、則光さんはにっこり微笑んだ。
「正直なところ、自分でもよくわからないのです。当然、昇進自体は喜ばしいことなのですが、それよりも先に妹と離れることの喪失感のほうが先に来てしまう」
月が、則光さんの頬を照らす。優し気な顔は、月明かりの元だと青白く映った。
「兄という立場を選んだのは自分だというのに」
自嘲するような則光さんの呟きは闇の中に溶けて消えていく。
その闇から、ぼろぼろの着物を纏った男が三人現れ、にたにたと笑いながらこちらに近づいて来た。
「やあ、そこなる若い御方。ここは通しませんぞ」
どこから入って来たのか、見るからに野蛮そうな男たちは大きな刃物を片手に襲い掛かって来る。
「走れ!」
則光さんの声を合図に、小舎人童は弾かれたように逃げていく。
則光さんは、私の腕を引いて走る。
盗賊たちが後ろから何事か喚きながら追いかけてくるのが恐ろしくて、もつれそうになる脚を必死に動かした。
「俺が合図をしたら伏せて」
走りながら伝えられた言葉にがくがくと頷く。
男たちの足音はどんどん近づいて、乱暴な足が蹴り上げる砂や石がこちらにまで飛んできた。
いよいよ追いつかれるのではないかと思ったその時。
「伏せて!」
私は言われた通り地面にしゃがみ込む。
則光さんも、私に覆いかぶさるように地に伏せた。
すると、盗賊の一人が私たちに蹴躓いて派手に転んだ。
則光さんはすぐさま起き上がると共に太刀を抜く。
転んだ男が起き上がるよりも先にその頭を叩き割った。
「こいつ、やりやがったな」
「生意気な奴め」
後からやって来た二人も、一斉に則光さんに襲い掛かる。
一人は、振りかぶって来たところをさっと避けて、入れ違いざまに首をはねた。
もう一人は、刃を太刀で受け止めて、弾き返す。相手が後ろによろけたところに、右肩目掛けて太刀を振り下ろした。
「早く離れましょう」
則光さんは再び私の手を取って走り出す。
やっと安心できるかという所に来た頃には、私はもう立ち上がる事すらままならなくなっていた。
「申し訳ない。着物を汚してしまいましたね」
見れば、掴まれていた部分が赤く血で汚れていた。
それは、返り血を浴びた則光さんの手の形をしている。
ふいに緊張が解けてしまったのか、私の目からは涙が溢れてきた。
「怖かったでしょう。もう大丈夫ですよ。誰も追っては来ていません」
「私のせいで、危険な目に遭わせて、ごめんなさい」
嗚咽混じりにそう伝えると、則光さんはにっこりと笑う。
「ずいぶん久しぶりにお声を聞いた気がします」
しばらくすると、数人の使いを連れた小舎人童が泣きながら走って来た。
「お前も無事でよかった。色々と手配してもらわないとならなくなった。できるな?」
則光さんの言葉に、小舎人童は涙を拭いてしっかりと頷くのだった。
こうして、私たちは何とか職曹司にたどり着いた。
「もう二度とこのようなことはなさらないように」
「はい、申し訳ございませんでした」
「それと、今夜のことは誰にも言わないでくださいね。私としても、面倒ごとは困りますから」
証拠を隠すため、汚れてしまった着物は、小舎人童に渡してしまった。
後のことがどうなったのかは分からなかったが、私の耳に届くような話がなかったということは、則光さんが上手くやってくれたのだ。
こんなことまで書いていいかしらと思ったけれども、今となっては会うこともないし、本人の不都合にもならないだろう。
浅はかな自分への戒めとして記しておく。




