恋枕~末の松山~3
清少納言にもわかめの件は伝わっていたらしく、帰ってくるなりおかしそうに話すのだった。
「まさか兄さんが、本当にあなたのところに助言を求めに行くなんて思わないでしょう」
「則光さんは大真面目でしたよ」
「くちなしの歌を詠んでやれば良かったのに」
「気の毒でそんなことできません」
私の答えを聞いても、清少納言はころころと笑うのをやめなかった。
そうやって話していると、清少納言を呼ぶ声が聞こえる。
則光さんがやって来たのであった。
「清少納言、あのわかめはどういう意味だったんだ? 俺は斉信様に居所を教えていいか聞きたかったのに。わけのわからない贈り物を無心したつもりはなかったんだがなあ」
「なあに、やって来るなりうるさいわね。まずは自分の子供の様子を聞いたらどうなの」
呆れて答える清少納言に、則光さんは言い返す。
「そうは言っても、君のせいでひどい目に遭ったんだぞ。斉信様が妹のもとに連れて行けと言ってゆずらないものだから、でたらめな所に連れ回して、しこたま怒鳴られた。それから三日は口をきいてもらえていない」
「斉信様には私からきちんとお詫びをしておくわ。でも、もう少し兄さんの察しが良ければそこまで怒らせることも無かったでしょうに」
清少納言の言葉に、則光さんは全く思い当たらないというよう首を傾げる。
彼女はため息をついて何事か紙に書いて御簾から出した。
「歌を詠んだな。絶対見ないからな」
則光さんは、それが触ると指が溶ける毒だとでもいうように扇ぎ返す。
ひらりと舞い戻って来た紙切れは、隣にいた私の膝元に落ち着いた。
かづきするあまのすみかをそことだにゆめ言ふなとやめをくはせけむ
海に潜る海女の棲み処を海の底だと言うように、私の居場所を言うことが決してないように注意したのです。
「目くばせ」と「め(わかめ)食わせ」とをかけた洒落だ。
清少納言は私の手から紙切れを取ると、くしゃくしゃと丸めてしまう。
「いつか私の居場所を聞かれて、わかめを口に入れてやり過ごしていたでしょう。あの時のように上手く黙っていてねという意味でわかめを入れたのよ。斉信様にもその話をして差し上げたら良かったのに。きっと喜ばれたわ」
そこまで説明して、やっと則光さんが膝を打つ。
「なるほど、そういうことだったのか。いや、君はいつも回りくどくていけない」
「兄さんが鈍すぎるのよ」
私は、頭を抑える清少納言の横から口を出す(正確には、紙切れを御簾の外に出した)。
「でも、清少納言が帰ってきて斉信様のご機嫌も上向いていらっしゃる頃でしょう。先ほどの歌と一緒にお話すれば、面白がってくださると思いますよ」
私の提案にも、則光さんは首を振る。
「とんでもない。歌の話なんぞしたら、『それで、お前はどう返事をしたのだ』と聞かれるに決まっています。そんなことになったら、かえって恥をかいてしまう。妹の評判にも泥を塗りかねませんから」
則光さんの言葉に、清少納言はふん、と鼻を鳴らした。
「歌くらい詠めなくてどうするのよ」
「俺の売りは歌の上手さじゃないんだ。誰も期待しちゃいないさ」
「兄さんのそうやって諦めたようなところが嫌いよ」
「そうかい」
清少納言からきつい言葉をぶつけられても、則光さんはあまり気にした様子もない。
「なんにせよ、少しでも俺を兄貴だと思って好いてくれるうちは、俺に歌を詠みかけるのは勘弁してくれよ。見るだけで頭が痛くなって吐きそうになる。俺にとっちゃどんな呪詛よりも効き目があるかもしれない」
則光さんは「あなおそろしや」と、大げさに身を震わせて見せる。
「金輪際、関わりたくない、絶交だと思った時にこそ歌を寄越せばいい。甘んじてその呪いを受け入れよう」
則光さんは、そう言ってにやりと笑う。
「呆れて物も言えないわ」
清少納言がため息交じりにそう呟くと、則光さんは笑いながら立ち上がる。
「じゃあ、そろそろ失礼するよ。くれぐれも、斉信様にはよく言っておいてくれ」
体格の良さや、平素の大雑把な考え方とは裏腹に、足音は御前に来る誰よりも静かな則光さんであった。
彼の姿が内裏のざわめきに溶けていった後も、清少納言の視線はそれを追ったまま虚空を彷徨い続けていた。
「それなら、どうして歌人の娘と結婚なんてしたのよ」
彼女の呟きだけが同じように人々の声の中に溶けていったのだった。




