恋枕~末の松山~
新しい紙を公任様にいただいた。宮仕え復帰のお祝いだそうだ。
別に祝うようなことではないと思うのだけれど、いただけるというものはいただいておくことにする。
さっそく何か書こうとは思うけれども、今は特に変わったことも起きていない。
手慰みに、皇后様に仕えていた時のことでも書こうかしら。
清少納言のことなら、語るに困らない。
それほど彼女の周りには色々な人がいて、色々なことがあった。
彼女の明るさと聡明さは、私や皇后様だけでなく宮中の男性方も惹きつけた。
だから、恋にまつわる話も見聞きすることは多かったのだ。
当時書いていた日記にも色恋に関する話が書き散らかしてあった。
せっかくだから、それらをまとめてみるのもいいかもしれない。
本人に伝わったら面倒なので、誰にも見せることのないように気を付けて書いていこうと思う。
皇后様のご兄弟である伊周様と隆家様が、花山院に対する不敬の罪を赦された頃。
まだ今の中宮様が入内される前のことである。
私が里居から宮中に戻ってくるのと入れ替わるように、清少納言が再び里に帰ると言い出した。
それまでも突拍子もないことを言い出すことはままあったが、その時も突然であった。
ある日の朝、私が物音に目を覚ますと、清少納言は里帰りのための荷造りをしていた。
私が驚いて体を起こすと、彼女は「起きたの」と呟くように言った。
こちらを振り返ることもなく着物を畳んでいたので、自分に声をかけたのだと気が付くのに少し時間がかかった。
私はまだ声が満足に出ない時で、清少納言相手でも寝起きにとっさの返事はできない。
それでも彼女は私が聞いていると判断したのだろう。着物を詰める手を止めないまま話を始めた。
「息子の則長が風邪を引いたらしいの。大したことはないというけれど、一応心配だから様子を見てくるわ」
則長というのは、清少納言と則光さんとの間にできた子供だ。私よりも五つ下で、則光さんに似て元気な青年だという。
しかし、清少納言が里居するとあっては、黙っていない人が大勢いる。
特に前の里居が長く、皇后様ですら御前に参上させるのに骨を折られたほどだったから、反対する人も多いだろうと思った。
清少納言もそのことはよく分かっているようだった。
「私の居場所は誰にも言わないこと」
この秘密の里居は、ごく一部の人間にしか知らせていないというのだ。
私は素姓法師の歌を諳んじて見せた。
山吹の花色衣主や“何処”問えど答えずくちなしにて
「ほとんど口の利けない私が、どうしてあなたの居所を口外できましょうか」
本来であれば「主や“誰”」となるところである。くちなしの実で染めた衣に、その色の主が誰か尋ねたところで返事はない。口無しだから、という洒落のような句だ。
私の答えに清少納言は呆れたように笑った。
「あなたほど秘密を守れる人もそういないわね」
まだ満足に日も昇らないうちに、清少納言は里に帰って行った。
朝の仕事があったので、見送りはしなかった。




