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密会

 真琴が音羽に連れられてやってきたのは幸楽という名前の料亭であった。音羽の姿を認めるなり、おそらく料亭を取り仕切る女将であろう女性が玄関にまで迎えに出て、付き人である真琴に対しても恭しく個室へと案内した。

 その部屋には既に先客がいた。カーキ色の軍服を着ているから、音羽や真琴と同じ陸軍の者であることが分かる。長い髪の毛をポニーテールに結っているのが印象的な、精悍な顔立ちの少女であった。

 彼女は音羽の姿を認めると、立ちあがって腰を折る敬礼をした。


「お久しぶりです、殿下」

「元気そうで良かったです、里緒。こちらはこのたび私の副官にした、結城真琴歩兵大尉です」


 真琴と接する時とは全く違った、内親王としてふさわしい気品を湛えて、音羽はその少女と接していた。


「陸軍歩兵大尉結城真琴であります。総長宮殿下の副官を拝命しております」


 襟章から相対する少女が大尉であることを知ったが、本日付で昇進した真琴よりどう考えても先任であったので、真琴は着帽している関係上こめかみに右手をあてる敬礼をとった。


「結城大尉か、お噂は二週間ほど前から聞いている。私は陸軍歩兵大尉多賀谷里緒。第一師団第三連隊第六中隊長だ。伏見大将宮殿下とは陸士同期にあたる。よろしく」

「多賀谷大尉は私の期の首席で、つい先日までは第一〇七師団で前線勤務をしていました。今回は陸大受験のために異動になったのですよ。ちなみに年齢は私たちの二つ上です」

「受験まではあと半年以上あるんですがね」


 真琴と同期ということは女子将校の一期生ということになる。陸士入学の女子将校の一期生は皇族と華族だけであったから、多賀谷家というのもおそらく名門なのであろう。


「取り敢えず座りましょう」


 音羽の言葉と共に三人は座った。


 しばらくして、女中が料理と酒を運んでくる。真琴からすると見たことのない料理で、海鮮をふんだんに使ったものであった。女中は一つ一つ料理の説明をしていたが、料理そのものに心を奪われていて説明をきちんと聞いていなかった。

 女中が退出した後、真琴は徳利を手にして、音羽と里緒のお猪口に酒をつぐ。


「ついであげます」


 小さく微笑みながら、音羽は真琴の手から軽やかに徳利を奪う。


「えっと……」

「いいから」


 考えてみれば、十六歳の音羽や真琴はもちろん、二つ年上である里緒も十八歳で、未成年飲酒にあたる。


「……任官したてだから知らんのかもしれないが、将校は一人前として成年として扱われる。選挙権以外のすべての成人の権利が与えられるぞ」


 逡巡する真琴を見かねたのか、あるいは同じ間違いを過去にしていたのか、里緒が横から口を出した。


「……それでは頂きます」


 真琴は自分のお猪口を掲げると、音羽はそれに並々と注ぐ。

 音羽は徳利を置くと、自分のお猪口を手に取った。


「今日は多賀谷里緒、結城真琴の両大尉の栄転を祝してこの会を開かせて頂きました。両名とも私の恃みとする朋友です。これを機に親交を深めてもらえれば、これ以上の喜びはありません」


 そうか、栄転なのか、と真琴は妙なところに感心していた。確かに前線勤務から参謀本部への転出、そして二階級進んで大尉昇進は栄転という表現にふさわしい。しかし、あまり実感がわいていないのも事実であった。


「それでは両大尉のご活躍と今次大戦の勝利を祈願しまして、乾杯」


 音羽と里緒が軽く盃を持ちあげたのを真琴は真似し、そしてそれを飲みほしたことも真似した。


 口に入れた途端ふわっとした香りがした。喉から胃にかけて、焼けるように熱くなる。これが酒なのか、と真琴は一人で合点した。


「結城どのはこのような席は初めてのようだな」


 少しだけ頬を赤らめて、里緒は言う。表情が柔らかくなっているような気がした。


「はい。連隊本部に着任した時に着任祝いの宴会はありましたが、幾分にも前線でしたので、行儀のよいものでも大きなものでもありませんでしたし、酒の類はなかったような気がします」


 音羽と里緒のお猪口に酒を注ぎながら、真琴は言う。


「そうだな。前線は物資が不足している。上級司令部でもなければ安酒があればいい方で、あまりいい酔い方はできないな」


 前線でも時折将兵たちに酒が振る舞われるが、そもそも飲んだことがない真琴は飲む気が起きなかった。


「前線はどうでしたか、里緒」


 箸を進めながら音羽は問う。


「最悪です。既に砲撃と突撃だけでは如何ともしがたいことは分かりつつあるのに、上級司令部はそれしか能がありません。無駄な攻勢作戦が取られるのも問題です」

「やはりそうですか……」

「前線は消耗戦です。このままいけば、出血に耐えられなくなる方が負けるでしょう」


 勝者なき戦争。あるいはそのような表現が似つかわしいかもしれない。

 各会戦では確かに陣地を突破したり突破されたり、というようなことが起こるが、しかし、それは小さな問題で、十キロメートルを一度に進めれば大戦果という話になってくる。多くは一キロメートルどころか下手をすると数百メートルの進軍で相手の有力な陣地に阻まれるのだ。

 塹壕という砲撃や銃撃に対してかなり強力な防御度を誇る陣地形態の登場、そしてそれは穴を掘るという単純な営為によって支えられているため、要塞などとは違い戦線全体で構築されてしまう現状、さらに敵の突撃を阻む地雷や鉄条網、機関銃の使用によって攻撃力と比べて防御力が格段に勝る時代になってしまった。

 一度の攻勢で数万人の死傷者が出ることが普通となった。それも英雄的に戦うのではなく、多くは走っている時に敵の機関銃の餌食になったり、地雷で足をふっ飛ばされたりするのだ。運よく敵の塹壕に潜り込むことができても、今度は狭い通路で血で血を洗うような悲惨な殺し合いが待っているだけである。銃やスコップで相手を殴り、ナイフや銃剣で敵を刺す。敵味方の死体の山を踏みにじって、いつ終わるかも分からない殺し合いを繰り広げる。

 そのようなことをとうとうと説明し、最後に里緒はこうしめくくった。


「決して口には出す者はいませんが、前線でも、いえ、前線だからこそ、優秀な将校は既に停戦した方がいいと考えているようです」


 いつの間にか音羽の箸が止まり、何か考えながら里緒の話を聞いていたが、そこまで聞いて即座に口を開いた。


「停戦できるものなら既にしています。しかし、犠牲がそれに見合いません」


 音羽は困ったようにため息をついた。


「犠牲が大きければ大きいほど、停戦の際に相手に要求するものが大きくなります。そうしないと国民が納得しないからです。そして、要求するものが大きければ大きいほど、相手は要求を受け入れないものです。特に、今次大戦は海洋同盟、大陸協商双方とも自分たちが勝っていると喧伝している。このような状況では停戦することは絶望的です。それこそ、片方が戦争継続を絶望的だと思うまで」


 奇妙な論理だと真琴は思う。普通、戦争をやめようと思う時とは、戦争の結果得られるものと犠牲を比べて、犠牲の方が大きくなった時だ。犠牲が結果に見合わなければ、戦争をする意味がない。

 しかし、あまりに犠牲が大きくなった時には話が別だ。勝利している側は、自分たちがこれだけの犠牲を払ったのだから相手からはたくさんのものを奪えて当然だと考える。一方で、負けている側は、これだけの犠牲を払ったのだから、なんとしても勝たなければならないし、少なくとも相手に譲歩してはならない、譲歩するくらいならもっと戦う、というように考える。こうして、利益に見合わない膨大な犠牲を払いつつ、戦争が継続されてしまうのだ。

 さらに、同盟国の手前もある。同盟国を裏切って敵と和睦したなどとすると、同盟国から報復的な措置を取られかねないし、政府の信用も失墜する。だから、誰がどう見てもこれ以上戦えない、という状況に陥るまで戦いをやめることができないのだ。


「……この戦争に負ければ戦後は悲惨なことになると思います」


 ぽつりとつぶやいたのは里緒であった。


「おそらく敵国は我が国の海外領土の割譲、天文学的な賠償、そして戦争犯罪人として皇帝陛下の身柄を要求するでしょう。そうしなければ彼らは心情的に納得できないから。それはどうにかして避けなければならないと思っています」

「ええ。里緒の言うとおりです。だから、私たちは勝つしかない。従って勝つための体制を整えなければなりません」


 音羽は箸を置いて、姿勢をただした。


「勝つためには国家の全ての力を結集することが必要です。しかし、政府や私を除いた軍上層部にはそのような考えが全くありません」


 国家の全ての力を結集すべきだ、という意見は誰かに唱えられていたな、と真琴は思った。数秒考えて、それは戦争指導班長の三上中佐がちらっと言っていたことを思い出す。


「実は、既に参謀本部と陸軍省の若手将校で研究会が作られています。参謀総長たる私が参加することはさすがにできないので、二人には私の代わりに参加してほしい」


 音羽の言葉に、里緒は頷く。


「陸軍省の田代中佐から既に声をかけられています。陸軍省に辞令を取りに行った時に誘われました」

「……早いですね」


 研究会というと聞こえがいいが、早い話が派閥形成である。優秀な人材を取り込むことで、他の派閥に対抗すると共に自分たちの派閥を強化する。確かに、研究会と銘を打っていることから分かるように職務のことを中心に議論を通した勉強会が開かれるが、いちばんの目的は優秀かつ同じような考えを持っている人たちと連帯し、同じ目標を掲げられるようにすることである。


「裏菊会というらしいですね。ここまで分かりやすい名前もありませんから、私も二つ返事で了承しました」

「私が発起させたわけではないのですけどね。私を旗頭として戴くことにしたそうです」


 裏菊の御紋というのは伏見宮家の御紋を指す。伏見宮家の象徴であって、陸軍においては伏見宮音羽を指すものとしてもっぱら使われていた。


「真琴はどうですか?あなたほど優秀に私の副官を務めていれば参加できるはずです」


 穏やかに音羽は尋ねる。


「……本来の職務がおろそかにならないかが心配です」

「大丈夫です。週に一度くらいの頻度で集って話すだけなのですから。それに、毎回出席が強制されるわけではありません」


 おそらく、真琴がその会に顔を出すということは多分に教育の側面があるのだろう。優秀な若手将校の議論に参加するだけでもかなり勉強になるはずだ。そして、総長副官という立場を考えれば音羽の名代となるということでもある。つまり、裏菊会と音羽をつなぐ連絡役の立場を果たすことになり、同時に、真琴を通して、ある程度裏菊会を音羽のコントロールに置くことができるようになることを期待しているのだろう。


「分かりました。勉強させて頂きます」

「それは良かった」


 音羽は微笑みを浮かべた。それは真琴と二人きりでいる時に浮かべる無邪気な笑みとは違った、気品にあふれた、それでいてどこか本心を見通させないような笑みだった。



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