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昇進

 副官の業務は多岐にわたる。参謀本部内外において、参謀総長の代理として駆け回ったり、参謀総長に報告するために部内から上げられた書類を精読したり、部内の状況を把握して参謀総長に報告したり、もしくは参謀総長のスケジュールを管理し場合によってはアポイントメントの調整を行うといった業務があった。とてもではないが、陸士卒業直後のひよっこができるような仕事ではない。ある程度以上仕事に慣れ、組織内でも人脈がなければ務まらないはずであった。


「……君が来てから参謀本部の能率が上がった気がする」


 着任から二週間ほどで三上中佐がぼそっと呟いたように、真琴はおそらく音羽の期待以上にもよく働いていた。真琴からすれば、目の前の仕事を片付けると同時にその後の仕事のことを考えたりだとか、仕事の優先順位をどうするか考えなければならなかったりだとかで大変なことこの上ないのだが、傍からは意外なほどに仕事がてきぱきとこなしているように見えるらしい。


「さすがに半年くらいは能率下がるかなーって思ってたんだけどな」


 音羽は執務机に座って、湯呑みで手を温めながら、意外そうに真琴を見やる。


「え、下がってないの?」

「書類がたまらなくなってるし、下の評判もいいよ。この前第一部長が褒めてたし」

「あの人おっかないから怖いんだよね」

「そうそう、子猫みたいにびくびくしてるけど仕事はできるって言ってた」


 あはは、と音羽は笑った。


「記憶力も抜群にいいし仕事の優先順位も弁えている、さらに情報をどこに持っていくべきか、ということもきちんと考えているし大体において正しい。あと一カ月ほど働けば彼女なら参謀本部内のことを知りつくすでしょう。副官としては申し分ないですなって」

「えへへ……」


 真琴は頬を人差し指でかきながら、賛辞を受けとめた。

 確かに、着任から一週間ほどで、課長級以上の態度が和らいだような気がしたし、班長級以下の人たちからも信頼されていることが段々伝わり始めてきた。それはやはり、彼女自身が懸命に働いていること、それと副官として十分な成果を上げているからなのだろう。


「まこちゃんさ、どっかで働いてたことある?」

「いや、ないよ?なんで?」

「ここまで使えるのは予想外だからさ。どこかで訓練されたのかなぁって」

「ううん、そんなことないけど」

「いやね、最初はね、せいぜいであちこちと連絡とってもらうのと、まぁ心のよりどころとしていてもらおうと思ったの。割とストレスたまることもあるからさ、そういう時に愚痴でも聞いてもらえれば嬉しいなって」

「まぁ、私に期待できることなんてそれくらいだよね……」


 真琴は、頭では自分はあくまでも任官したての陸軍少尉であって、いわば陸士候補生に毛の生えた程度であるから、仕事の面でそんなに期待されるわけがないことは分かっていた。しかし、そのことを面と向かって言われると、少々しょげてしまうのも事実である。


「それが、思いのほか役に立つわけ。もちろん、壊滅した連隊本部を支えたわけだから無能だとは思ってなかったけど、ここまで優秀だとはさすがに思ってなかったな」


 面と向かって褒めてもらえて、真琴は気恥ずかしさを感じたけれど、同時にとても嬉しかった。

 年齢で言えばまだ十六歳、任官から八カ月ほどで参謀本部着任からはたった二週間である。他の参謀本部の将校たちは部隊勤務経験後、そのほとんどが陸軍大学校を経て陸軍省や高級司令部の参謀、あるいは海外駐在武官を含めた様々な経験を積んだ者ばかりである。最新の戦場を知っているという点では真琴の右に出る者はいないだろうが、その他の面では真琴は規格外と言えるほど経験がない。だから、こうやって認めてもらえるだけでもとても嬉しいのだ。


「あ、そうだ。陸軍省から」


 音羽は執務机の引き出しをごそごそと漁ると、一片の紙を取り出した。


「陸軍歩兵少尉従五位勲六等功五級結城真琴、任陸軍歩兵大尉、光孝十八年七月十三日、内閣総理大臣従二位勲一等男爵熊谷雄三」


 彼女は読み上げると、その紙と、執務机の脇においてあった円筒の容れ物を差しだした。


「おめでとう」

「えっと……?」

「今日から大尉だね。部内にも周知させておくわ」


 受け取りながら、真琴はそれでも困惑していた。確かに音羽は自分のことを大尉にするように働きかけるとは言っていたが、任官八カ月の少尉が大尉に昇進するなどというのは、おそらく前例がないだろう。陸士首席かつ陸大首席という輝かしい成績を収めた者でも平時ではおそらく大尉昇進には十年近くかかる。逆に言えば、彼女は十年間分の昇進をたった八カ月で行ってしまったのだ。


「荒谷大臣を説得するのは少し時間がかかったわよ。まぁでも総長副官ともなれば本来佐官が望ましいからね。せめて大尉くらいにはしないとって言ったら通った」


 音羽はにこにこ笑っていた。


「いやそれで通るのはどうなのかなぁ……」


 これが知れ渡れば少なくとも陸士同期からは嫉妬と羨望の的になるだろう。既に彼女が参謀総長副官になったことは前線勤務の同期でも知っている者がいて、やっかみ半分の祝電が送られてきたこともあるのだ。


 とはいえ、彼女の軍功は大本営の積極的な宣伝もあって、ゆるぎないものである。


「あとそうそう、明日か明後日あたりに陸軍省の新聞班の人が取材に来ます」

「へ?」

「まこちゃんは、ほら、英雄だから。齢十六の陸軍大尉を記事にすることで戦意高揚を図るつもりらしいから、そのつもりで」


 最近の参謀本部内であればともかく、それ以外の人たちにとって、結城真琴という将校はあくまでも戦意高揚のための道具でしかない側面があった。停滞する戦場や芳しくない戦況から前線の兵士たちや銃後の国民たちの目をそらすための偶像でしかない。


 それは同時に参謀総長である伏見宮音羽も担っていることであった。皇族であり容姿の整った少女が戦争を指導するというのは荒唐無稽であるが、しかし、彼女の能力に対する疑問さえ考慮しなければ人気が出るのも当然である。そして、就任から一年ほど、大きな失敗を犯していない音羽は、その能力に対して疑問を持たれることは少なくなった。更に言ってしまえば、実務を行っているのは参謀次長以下の人間である。その官僚組織がしっかりしていれば、彼女に対して疑問が投げかけられることもないのである。


 面倒なことになったな、と正直に真琴は思う。有名になることは本意ではないし、あまり英雄として喧伝されるのも居心地がよいものでもない。


「そういえばこの後の予定はなんだっけ?」

「昼食時に第一部長から戦況報告、十三時に陸軍省の軍務局長から軍の統制について報告がある。十三時四十五分くらいに大陸派遣軍司令部の作戦参謀来訪、十五時からは軍令部総長との定期懇談が軍人会館で、十七時からは一応予定なし、だよ」

「なるほど。まこちゃんは十七時以降あいてる?」

「特に予定はないよ」

「じゃあちょっと会わせたい人がいるから、ついてきて」

「分かった」


 わざわざ会わせるような人間はどのような人間なのだろう、と思いながら真琴は頷いた。


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