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再会

補足:皇族の苗字のようなものとして~~宮と称します。また、例えば大将宮、元帥宮、総長宮などと称することもあります(伏見大将宮=大将である伏見宮)

 帝国陸軍参謀総長、帝国海軍軍令部総長はそれぞれ皇族を以って充てられるという勅令があった。これは帝国を近代国家として再編した時、その権力の源泉と見なされていた軍隊が皇帝の命令に背かないように作られたものだ。近代国家として軌道にのった現在では、不必要な規定であるとの議論もあるが、皇族に関する議論はタブー視されるため、本格的な議論となったことはない。

 たった十六歳の内親王が参謀総長に就任したのは一年前のことである。当時音羽は十五歳であった。大戦勃発に遅れること二ヶ月であり、前任の高齢の元帥宮が緒戦の苦戦を理由に辞任したからであった。当時陸軍中尉であった音羽が特旨を以って大将進級し、参謀総長に就任したのは、他の皇族軍人が就任を嫌がったからである。


「戦時中の総長ほど嫌なものはない、か」


 既に執務机には書類が山積みになっているのを見て、音羽はため息をついた。


 平時の総長は実際の執務を次長以下の軍人が担ってくれ、形ばかりの決裁をしてあとはふんぞり返っていれば良く、気楽なものであった。しかし、戦時ともなると、お飾りとはいえ一つ一つの司令の責任の重さが違うし、仕事量も何倍にも増える。時には部内の意見の対立の仲裁も必要になってくるため、才気渙発な一般の軍人であればともかく、特に最近の皇族軍人は忌避する傾向になる。

 そこで、庶子であり皇籍に入ったのも最近で、しかもそれも皇弟である伏見宮行成親王の横車を押すような要望の結果であった音羽に白羽の矢が立ったのである。彼女であれば何か失敗をした時に全責任を押しつけて失脚させても伏見宮家以外痛くもかゆくもなかったのである。行成がそれの代償としてなんとか引き出せた条件が、音羽が将来宮家を相続することの許可であった。


「ほとんど戦線各地での小競り合いや敵情視察の報告ね……」


 一言で言えば音羽は期待以上の働きをしたと言っても良い。最初の三か月は主に参謀本部のことや戦局などの勉強などに時間を費やす必要があったが、熱心に勉強し、挙げられてくる書類にきちんと目を通したおかげで、今ではそれなりに知識がついている。特に若手部員からは信頼されるようになってきた。

 彼女はその他にも陸軍大学校で学ぶようなことを、合間を縫って勉強していた。実際に大学校で講師をやっている軍人を呼び出して講義させたり、教科書を夜なべして読み込んだりしていた。


 漸号作戦計画要綱と書かれた分厚い書類の束を手に取った時、総長室のドアがノックされた。


「入りなさい」


 音羽が声をかけると、扉を開け、深々と頭を下げてから入ってきたのは従卒であった。


「失礼します。結城少尉どのが到着されました」

「連れてきてください」

「はっ」


 従卒は一礼すると、部屋から下がる。

 手にしていた書類の束を机の上に置くと、胸につけている参謀徽章をいじくる。その位置が変ではないか、妙にねじれていないかを確認した。

 思わず笑みがこぼれてしまう。参謀総長就任以後、あるいは今日という日がいちばん嬉しいかもしれない。


 五分ほどしただろうか、またドアがノックされた。


「どうぞ」


 机の上に肘を立て、両手の指をからませて、せいぜい威厳が見えるように彼女は訪問者が部屋に入ってくるのを待った。


 彼女は扉をあけるなり一礼をした。軍帽を脇に抱え、ほんの少しだけ微笑みながら、音羽の机に歩み寄る。真新しい功五級金鵄勲章が左胸に光っている。十五度ほど腰を曲げる敬礼をすると、名乗った。


「帝国陸軍第四二連隊旗手、結城真琴少尉であります。本日は殿下にお会いできて光栄であります」

「遠路はるばるご苦労、結城少尉。私が参謀総長、伏見大将宮音羽内親王です」


 音羽は意識してしかつめらしくしていた。そうでなければ笑い出してしまう。


「さて、本日は戦況を聞くという名目ですが、実際にはレポートを読んでいるので特に聞きたいことはありません。よくできたレポートでした」

「はっ、光栄です」

「あと、陸軍省から一枚、預かっている書類があります」


 音羽は立ち上がると、執務机より奥にある黒色のずっしりとした金庫に歩み寄った。ポケットから鍵を取りだすと、金庫を開け、中から一枚の紙を取り出す。金庫を無造作に閉めると、彼女は少尉に向き直った。


「陸軍少尉、結城真琴、本日付で参謀本部出仕を命じます」


 一瞬、彼女は呆然としていたが、すぐに我に返ると、音羽が差しだす書類を両手で受け取り、頭を下げた。


「結城少尉、拝命しました」

「また、参謀総長権限で結城少尉に参謀総長副官を命じます」

「はっ」


 少尉は敬礼をして命令受諾を表明した。


「……さて、堅苦しい話はこれでおしまい。ね、まこちゃん」


 にやりと笑いながら、音羽は旧友に声をかけた。


「……おとちゃん、と呼んでも?」

「二人きりのときはね」


 真琴は華やぐように笑った。


「久しぶり、おとちゃん。参謀総長だなんてすごいね、びっくりだよ」

「まこちゃんが陸軍に入ってたことの方がびっくりだけどね。浦東会戦の英雄の名前を二度見したわよ?」

「えへへ」


 真琴は恥ずかしそうに頭の後ろに手をやった。


「あれがあるじゃない。武官任用令改正。あれで女子も陸軍士官学校とか海軍兵学校に入学できるようになったからさ」

「知ってるわよ。私その一期生だもの」

「そう。そのことを新聞で知ってさ。初めての女子皇族軍人って。おとちゃんに会いたくて陸士に入ったんだ」

「嬉しいこと言ってくれるわね」


 音羽も思わず笑みがこぼれる。きちんと、この幼馴染みは自分のことを覚えてくれるという約束を守ったばかりか、人生を賭けて会いに来てくれたのだ。


「運が良ければ陸士卒業したら同じ連隊に所属できると思ってたら参謀総長になっちゃうんだもん。もう会えないかと思ったよ?」

「陸大に入れればどうにかなるよ」

「さすがにそれは厳しいかな……」


 陸軍将校が出世するための道は陸軍大学校に入学することにほぼ限られている。中には陸大の卒業生ではない将官などもいるが、かなり稀な部類だ。そして、陸軍省や参謀本部で要職を占めようとすればほぼ陸大に入学するよりほかにない。そして、その陸軍大学校は各帝国大学よりもずっと入学するのが難しいと言われていた。


「それにしても、陸士卒業ほやほやの少尉を総長副官にして大丈夫なの?」

「大丈夫。だって半年ほど欠員だったし」


 あっけらかんとして音羽は答える。


「へ?」


 驚いたように真琴は気の抜けた声をたてた。


 総長副官は参謀総長の秘書みたいなもので、そのスケジュールの管理や身の回りのこまごまとして雑務を行う。場合によっては総長の手となり足となり様々なことを遂行しなければならない要職で、同時にかなり勉強になるため、将来を嘱望されている軍人がなることも多かった。


「前の副官が私の言うこと聞かないで次長の言うことばかり聞いてたからクビにして前線に追い出したら次長と陸軍大臣が怒ってしばらく副官くれなかったんだよね」


 あはは、と音羽は笑うのに対して、真琴はますます目を丸くするばかりであった。


「参謀次長っていうと、真崎中将閣下?」

「そうそう。私あいつ嫌いなのよね」


 皇族軍人が就任する参謀総長に代わって、事実上の責任者として参謀本部を切り盛りするのが参謀次長の役目である。総長と次長の職務の境界があいまいなため、その時々の人間関係や力関係によって業務は変わるが、現在の次長である真崎中将は中でも権限を握っていた。一つには前任の参謀総長があまり職務に口を出さなかったせいであり、二つ目は現参謀総長の音羽があまりにも経験がないからであった。


「頭固いのよ。塹壕戦の時代に平地での会戦を想定した理論を引っ提げてきても仕方ないのに」

「な、なんかいろいろ大変なんだね」

「大変だよ、だから心強い腹心が欲しいわけ」


 真琴は軍人になってから日が浅く、しかも前線勤務しかしていない。従って、陸軍省や参謀本部など陸軍中央における派閥に染まっているはずがない。そして、音羽の幼馴染みであれば、副官に任命した時点で彼女に忠誠を誓うことが目に見えていた。


 どんどん、とドアがノックされた。


「入りなさい」


 机に座りながら音羽は声をかける。


 のしのしと入ってきたのは参謀次長の真崎中将だった。大柄で筋骨隆々とし、顔は骨ばって四角い。軍人らしい軍人であった。真琴はどうやら襟章から彼の階級を読みとったらしく、慌てて横にどき、頭を下げて敬礼をする。


「総長宮殿下、机に置いておいた作戦案の決裁を頂きに参りました」

「まだ読んでません。後にしてください」

「それでは今概要を説明します」

「急を要することではないでしょう。後にしてください」

「むぅ、しかしですな……」


 真崎はちらっと横に目をやる。真琴と目が合うと、ふぅむ、と喉を鳴らした。


「そういえば、彼女が結城少尉ですか」

「ええ」


 音羽が頷くと、真崎は真琴に向き直った。


「俺が参謀次長の真崎中将だ。本日付で参謀本部出仕だったな」

「はっ、閣下のおっしゃるとおりであります」

「ふむ、元気のいいことだ。若い者はそうでなければならん。帝国軍人として皇帝陛下への至忠の念!それに必ずや敵を打ち砕くという気概!それさえあれば我が帝国軍は向かうところ敵なしだ!君もそれを心に置いておきなさい」


 真崎は力強い口調で説いていたが、言いたいことを言うと、真琴の反応もみずに再び音羽の方に向き直った。


「ところで殿下、どうしても出仕にさせたいというから認めましたが、何をやらせる気なのですか。戦訓共有だのなんだのおっしゃっていましたがいまいち要領を得んでしたので」


 真崎次長や陸軍大臣の荒谷大将は音羽が参謀本部に人材を引っ張ってくることに過度に警戒していた。一つには、一度参謀本部に所属させてしまえば、本来人事権を持つ陸軍大臣の同意を得ずに参謀本部内の人事を行う権限を彼女が持っていたこともある。つまり、外部から優秀な人材を参謀本部出仕という形で参謀本部に所属させてしまえば、その人材を参謀本部の要職に就任させることも可能であった。

 だが、真琴があっさりと参謀本部出仕が認められたのは、一つには彼女がいた連隊が壊滅的な打撃をこうむり再編成のめどが立っていないこと、二つ目は英雄として名をはせた彼女がその記憶が冷めやらぬ内に戦死でもされれば士気の低下を招くと懸念されたこと、そして最も重要な三つ目の理由は陸士卒業直後の少尉であり、参謀本部に置いたところで脅威にならないと考えたこと、などが理由として考えられるだろう。


「ああ、彼女には私の副官を命じます」

「副官?士官候補生に毛が生えた程度に?大将宮に相応しい副官はせめて佐官級なのですが」

「これは決定事項です。次長といえども口を挟むのは越権行為です」


 お飾りとはいえ、上長にここまで言われてしまえば、真崎といえども引きさがるを得ない。だが、明らかに不服そうに音羽を見ていた。


「ところで、話を戻しますが、作戦計画案の決裁を」

「だからそれは後でと言っているでしょう。とにかく今は決裁できません」

「しかしですな。総長宮殿下は我々参謀本部の職員を信頼してくださればそれで良いのです」

「皇帝陛下に親任され私はこの場に座っているのです。職務をないがしろにできません」


 皇帝陛下、という単語と共に真崎が反射的に直立不動の体勢を取る。このあたりが良くも悪くも帝国軍人の典型的なところであった。そして、皇帝の名前を出された以上、真崎はここで引き下がらざるを得ない。


「はぁ、それでは可能であれば今日中に決済をお願いします」

「善処します」


 真崎は敬礼すると、のしのしと総長室を出ていった。


「……確かにちょっと強引な気がするけど、そんなに嫌うほどなの?」

「もちろん私の前で妙なことをするほど馬鹿ではないわ。けど、あいつ、常々俺はガキのお守りをするために奉公してるんじゃないって公言してるのよ」

「あはは、それはまずいねぇ……」


 真琴は乾いた笑い声をあげた。


 お飾りの皇族総長にはたとえ権力は必要なくても権威は必要である。皇族の不可侵性が破られるのはひいては皇帝の権威の失墜にもつながりかねない。従って、内心どう思うにせよ、特に参謀次長のような人物であれば、音羽のことを尊重しなければならないのである。


「そういえば、一応言っておくと、副官の仕事は私のスケジュールの管理、私の役職上の諸般の事務や仕事の補佐、その他私の命ずることね」

「その他私の命ずることっていうのが怖いなぁ」

「大丈夫、勉強しながらやれば三ヶ月後くらいにはそれなりに回せると思うよ」

「でも、副官って他の将校にも信頼されないと駄目なんじゃない?」


 総長副官ともなれば権限は持っていないものの、参謀総長の代理として活動することも多く、参謀総長の意向として部内外に命令を伝えることもよくある。そう言った時に大切なのは、副官個人の能力や信頼であった。


「取り敢えず二階級ということで大尉昇進を大臣に言っておくわ。副官としてでなく連隊本部を切り盛りした英雄としてなら多少強く出れば受理されるはずよ」

「あれ、一応任官から何年しないと昇進できないみたいな規程なかったっけ」

「中佐昇進までは但し功卓抜な者を除くという注釈があるの」


 功卓抜というのが大体金鵄勲章という武官に送られる勲章授与者であるのが今までの実際の運用であるから、功五級金鵄勲章を受勲した真琴であれば、音羽が何もしなくても近々中尉に昇進するはずである。それを音羽が手を回すことで大尉まで昇進させようということだった。


 金鵄勲章というものは勲章の中でも特殊なものだった。他の勲章であれば、官吏として長く勤続していたり、あるいは民間人であってもそれなりに著名であれば、勲等を問わなければもらえるものだが、金鵄勲章は厳格に陸海軍の軍人や軍属にしか与えられず、しかも、武功卓抜と認められなければ叙勲されない。尤も、この場合の武功というものは大臣や総長としての功績も数えられるとはいえ、従って、皇族軍人であるとか、或いは陸海軍大将であっても金鵄勲章を受勲していない者もいるくらいであった。


「そういえば、陸士の席次はいくつだったの?」


 ふと、思いついたように音羽は尋ねた。


「席次は軍刀組の五位。女子だけに限れば首席」

「そう。じゃあ陸大に行かなくても中央で実績を積ませれば将官になれるわね」


 陸軍士官学校での卒業の席次はかなり大切で、首席から五位までは恩賜の軍刀を頂けることから軍刀組と呼ばれていた。基本的に彼らは栄達を約束され、元々秀才であるから陸軍大学校に入る者がほとんどである。また、仮に入学しなかったとしても、陸軍中央に呼ばれる確率が高く、陸大卒でなく中央の要職を占めるほぼ唯一の道であった。


「私あまり出世には興味ないのだけどなぁ」

「どうせなら出世してた方が便利よ。この戦争が終わったら多分私もお払い箱だし」

「え、退役させられるの?」

「ううん、多分軍事参議官あたりで飼い殺し」


 とはいえ、終戦の目途が全く立っていない現状に、音羽はため息をつかざるを得なかった。


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