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帷幄上奏

 翌日、時間より少し早く宮城につき、音羽は侍従武官府で侍従武官長に挨拶した後、連れだって謁見へと向かった。帷幄上奏には基本的に侍従武官長が立ち会う。基本的には口を出さずに見守るのだが、場合によっては皇帝の補佐をしたり、上奏の内容を証言したりする役割を担うのである。


 皇帝との謁見は、宮城の一角にある、皇帝の執務室において行われた。


 帝国を統べる皇帝は、しかし、どちらかというと精彩を欠くような人物であった。弟の行成親王の方がよっぽど皇帝にふさわしい威厳を備えた外見をしているだろう。五十代半ばだというのに、髪の毛は白髪ばかりになっており頬はげっそりとそげ落ちている。もともと、生まれつき虚弱な人物だったのだ。外見の印象を内政の実は裏切らず、皇帝は臣下のやることにほとんど口を出さない。最も立憲的な皇帝とも称賛されるほどであった。


 皇帝には皇太子がいない。伏見宮行成親王が皇位継承第一位である。だからこそ、自分に残された唯一の子供である伏見宮音羽内親王に宮家の相続をさせることにこだわったのだ。遠からぬうちに、崩御するか譲位するかして、行成親王が帝位につくことは十分あり得た。その時に、音羽が立太女されるかどうかが焦点になるであろう。しかし、音羽からすればどうでもよい話であった。むしろ、皇帝位などは自分の自由を束縛するだけのものとして忌避したい気持ちがある。


「大将宮、今日はなんの用かな」


 皇帝は書類の束から顔をあげて、鷹揚に尋ねた。


「現在陸軍が行っている漸号作戦について、お願いに参りました」


 音羽は伯父である皇帝に向かって、丁重な態度で接した。


 他の皇族はいざ知らず、伯父である皇帝は、皇弟の隠し子であり庶民出身である音羽に対して反感を抱いていなかった。ただし、好意を抱いているわけではない。彼は無感動に姪に接していた。だから、他の皇族軍人が参謀総長就任を嫌がり、音羽を大将昇進の上に就任させるという奇策を献策された時に、彼は素直にそれを受け入れたのだった。反感を抱いていれば彼女をそのような重職にはつけなかっただろうし、好意を抱いていれば姪に火中の栗を拾わせるような真似をしたはずがなかった。


「漸号作戦について、新たな徴兵を前提とした増派計画が参謀本部内にございます。しかし、我が帝国の国力はそれに耐えることができません。しかし、私には、慣習上その計画を止めることができません。陛下におかれましては、陸軍省・参謀本部からそのような案件が上がった時には裁可なさらぬようお願いいたします」

「参謀総長がそのような弱気では困ったものだな」


 皇帝は小さく笑った。それは冷笑でも苦笑でもない、ありていに言えば感情の伴わぬものであった。


「余が帝位から退き伏見宮が登極すれば、おのずと大将宮は帝位継承権第一位と目される。それが、それしきのことで弱気になってどうする」

「お言葉ながら、陛下。不遜を承知で申し上げれば、私に対して絶対の権威と権力があれば不退転の覚悟でこの問題に取り組む所存です」


 自分が皇帝であればこの件に対して裁可しない――暗にそう述べたのである。あるいは、自分に対して皇帝の支持を寄越せと言っているようにも聞こえる。どちらにせよ、臣下から言うには不遜では済まないような言葉であり、音羽が内親王であり、確かに帝位継承からも近く、そして戦時の軍令のトップであるという特殊な状況がかろうじて彼女のこの発言を不問に付させていた。


「大将宮、余は常々思っていたのだが、宮は若さゆえの血気がある。真崎中将ら参謀本部の幹部は熟練の軍人である。宮は確かに才能があると余は思う。しかし、経験は時に天賦の才を上回る。もう少し真崎中将を信頼し、彼らのやりたいようにやらせなさい」


 皇帝の言葉に頭を下げながら、音羽は敗北を悟った。既に、陸軍大臣あたりから皇帝に進言がなされていたと考えるべきだ。すなわち、最近の総長宮は彼女の股肱を軽視する傾向がある、皇室と臣民の関係も鑑みて、これは早急に改善されなければならない――。したり顔で進言する荒谷大将を思い浮かべて、音羽はほぞをかむ思いだった。


「しかし、帝国の国力が耐えきれないのは事実です。今次大戦は持久戦争、戦場のみならず、銃後の産業や国民もまた戦争を戦い抜いていると言わねばなりません。徴兵は国内の労働力を逼迫させ、生産力の減少をもたらします。それは国民生活のみならず、戦場にも悪影響を与えます」

「そのような判断は宮が行うことではない。陸軍大臣が、内閣と一致して行うことだ」


 柔らかに、皇帝は言う。年若い雛を気遣うような口調にも思われた。

 そして、それは最終宣告でもあった。皇帝は軽く右手を挙げた。それは謁見の終了をもたらす合図だった。音羽は悔しさの中でかろうじて最敬礼をすると、御前から退室した。


 それから一週間経たない内に新たな大規模徴兵案と漸号作戦への十五個師団増派が決定された。音羽もささやかな抵抗をして遅延することをせずに、表向きは無表情に、その事実を受け入れた。


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