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増派計画

「第二七軍から兵力が足りない、との申し出があります」


 作戦発動から一カ月、遅々として戦線が一向に進まない漸号作戦の、作戦中止がささやかれ始めた頃であった。


「私は兵力の追加投入に反対です。戦線を突破するには奇襲効果が必要です。しかし、今の漸号作戦にはそれはもうあり得ません」


 音羽は真崎の発言を先回りして反対した。第二部からは敵軍の予備兵力が続々と大都正面に投入されているという情報もある。これ以上大都に拘泥するのは兵の無駄遣いだ。


「殿下は戦場に散った兵士たちを犬死にさせるおつもりですかな?」

「私はこれ以上の無駄死にをさせないための方策を述べているだけです」


 これ以上戦力を投入しても漸号作戦は失敗する、音羽は暗にそう述べた。仮に大都占領に成功したとしても、おびただしい犠牲は勝利を色褪せたものにするだろう。


「大丈夫です、殿下。我々は兵力の逐次投入の愚はおかしません。十五個師団、追加で派遣します」

「十五個師団?」


 真崎の言葉に、音羽は思わずオウム返しに聞き返してしまったし、隣で聞いていた真琴も唖然とした。さらなる余剰兵力十五個師団などが存在すれば、少なくともその内の過半は既に漸号作戦に投入されているはずである。漸号作戦に現在参加している十五個師団は、自由になる兵力のほとんどを投入した結果のはずである。


「十五個師団ですとも、殿下」

「どこにそんな兵力が存在すると言うのですか?内地から派遣できたとして一個師団、それに戦線をどうにかやりくりして一個師団、計二個師団くらいしかもう余力は残っていないはずです」

「なに、兵力は紙切れ一枚で増えます」


 音羽は瞠目した。


「更に徴兵するのですか?十個師団以上?」

「むろんです。兵が足りないのですから」


 さらなる徴兵ができて当然だという真崎の態度は音羽を唖然とさせるのに十分だった。兵士をたくさん取れば銃後で働く労働者は減る。簡単な計算だ。労働者が減れば当然生産力も減退する。生産力の減退は経済の崩壊と継戦能力の喪失、その両方を招くだろう。

 参謀本部は陸軍における軍令を取り扱う組織である。だから、労働力と兵力のバランスといった政治的なことは考えなくても良いという意見があるのかもしれない。しかし、参謀総長や次長といった、最高幹部にもなれば、バランスの取れた戦争というものを志向すべきなのではないだろうか。


 数か月の戦争とは違うのである。戦争をしている間は生産力が減退してもそれまでの貯蓄で国の運営と戦争の遂行が行えるような時代ではない。


「……陸軍省はなんと?徴兵は陸軍省の管轄でしょう」

「荒谷大臣は大丈夫だとおっしゃっていましたぞ」


音羽は忌々しさのあまりに舌打ちをしそうになった。


「……現在送ることができる二個師団以外の増派は徴兵が決定されて以降にしか認めません。ないものを送るわけにはいきませんから」


 真崎は、それをいつものような単なるささやかな抵抗と受け取ったらしい。また、この場合、理は音羽にある。存在しない兵力を派遣すると決定することは、確かに好ましいことではない。


「はっ。それでは陸軍省と話し合ってみます」


 敬礼すると、のしのしと真崎は部屋を出ていった。


「まこちゃん」


 扉が閉まるのを待って、音羽は真琴に声をかける。


「なに?」

「今から侍従武官府に行ってくれないかしら。帷幄上奏を行うわ」


 彼女の言葉と表情を以って、真琴は音羽が本気なことを知った。


「……一応確認するけど、ここで帷幄上奏を行って増派を止めたとしたら、作戦失敗の責任の一端をおとちゃんが担うことになるよ?」

「構わない」

「だから、多分、真崎次長を追い出すことはできない」

「別にいい」

「むしろおとちゃんが参謀本部を追い出されるかもしれない」

「覚悟している」


 真琴はしばらく音羽の顔を見つめていたが、やがて短く息を吐いた。


「分かった。じゃあ行ってくるよ」


 音羽は小さく微笑んだ。


「ありがとう――全部終わってもずっと一緒にいよう、ね?」


 真琴は、音羽の言わんとすることを理解した。音羽が参謀本部を追い出されたとしても、真琴を近くに置いてくれるのだ。そのために陸軍に入ったのだから、真琴には一切の迷いはなかった。


「うん、嬉しい」


 帷幄上奏とは参謀総長及び軍令部総長という、陸海軍の統帥部の長に認められた、皇帝への上奏権限であった。内閣の意思と独立に上奏できるという点で、陸海軍大臣とは異なる。軍部が内閣と対立する時の闘争手段として用いられることがもっぱらであった。

 とはいえ、お飾りの皇族軍人が統帥部の長に就任する現状においては、帷幄上奏は実質的にその下の次長が企画するものであった。その意味で、音羽が真崎次長への対抗手段として帷幄上奏を持ち出すのはかなり異例のことであったし、彼女の苦しい立場を表しているものだった。


 真琴に面会した侍従武官長は渋い顔をして、先ほど真琴が音羽に注意したのとそっくり同じことを真琴に注意し、音羽に確認を取るように言った。


「大丈夫です、閣下。殿下はそのことを御承知の上で帷幄上奏をしたいとのおおせです」

「ふむ、そうであれば陛下に御取次を致します。少々お待ちください」


 侍従武官長がいなくなると、真琴は暇を持て余した。


 帷幄上奏の手続きとしては、まどろっこしい話であるが、真琴が侍従武官長に申し出た後、侍従武官長が侍従長に確認し、侍従長と侍従武官長が皇帝に確認を取り、日程を決める。音羽本人が現れれば侍従に軽く確認を取った上でよほどの不都合がなければすぐに皇帝に会えるのであるが、真琴の階級と役職では、皇帝に直接会うことはおろか、侍従長に直接会うことも基本的には避けるべきことであった。


 それでも、真琴を派遣し音羽が直接行くことを避けたのには二つの理由がある。

 一つには、参謀総長が事前の連絡もなく、また、召しだされたわけでもなく、皇帝に上奏しに行くのは危急の要件である証拠であり、よっぽどの大事であると認識される。これは音羽としては避けなければならなかった。今のところは音羽が決裁しなければいい案件である上に、真崎次長ら増派容認派を不必要に刺激することになるからだった。

 二つ目の理由はより切実な問題で、仮に音羽本人が行って皇帝に会えないとなるとかなり大きな問題になる。これが、たまたま用事が入っているだけというのであればそこまで傷は深くなく、会える日時を確約してもらえばいいだけなのだが、その件では音羽の言うことを聞きたくない、と皇帝が言った場合には、皇帝の信任を失ったものとして、音羽の進退問題になってくるのである。

 だから、あくまでも内々にという形で副官である真琴を派遣し、上奏の是非と日時を先に決めておくのだ。


 三十分ほど待たされて、侍従武官長が戻ってきた。彼は先ほどよりは少し表情を和らげて、真琴に対して大きく一つ頷いた。


「陛下は明日午前十時二十分から総長宮殿下にお会いになる」

「明日午前十時二十分ですね。了承しました。何か事前に注意しておくことはありますか?」

「いや、明日直接総長宮殿下におっしゃるそうだ」


 ということは何か皇帝側からも音羽に言いたいことがあるのか。真琴は少しだけ嫌な予感がしたが、表面上はにこやかに、侍従武官長の尽力を謝し、侍従武官府を辞した。


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