作戦発動
作戦が発動されたのは九月も終わり、二三日のことであった。一年半ほどのこの大戦における定石通り、一週間にわたる念入りな砲撃が加えられた。これは敵の防御陣地を破壊する目的で行われるのだが、塹壕というものはそもそも砲撃に強い構造をしている。砲撃というものは、砲弾が直接当たることよりも、その衝撃によって割れた砲弾の破片であるとか、土砂やその他のものが飛び散ることによって相手を攻撃することを狙っている。
しかし、塹壕の場合、頭をひっこめて待機すればそういったものは頭上を通り越していくものだ。従って、砲撃の脅威というものは最小限になってしまう。
もちろん、その轟音は兵士たちの精神を蝕む。新兵の中には発狂する者も出るくらいである。しかし、あまりにも割に合わないのではないかと音羽は思わないのでもないのだった。
作戦が一度発動されてしまえば、参謀本部は前線の司令部を後方から支援する程度のことしかできない。前線との連絡を密にしつつ、どのような戦況か、何が必要か、などといったことを常に把握する必要があった。
敵の最初の防衛線を突破したとの報告が入ってきた時には参謀本部は色めき立ったが、すぐに進撃は止まってしまったようである。そもそも、塹壕を奪取するのは容易ではない。塹壕の持ち主である敵軍は塹壕の構造を把握しているうえ、簡単に兵力を投入できるが、攻撃側はそうではないのである。
「ここまでは分かってた」
ため息をつきながら音羽は言う。損害を顧みず兵力をがむしゃらに投入する貝谷大将は、確かに猛将の名にふさわしいのかもしれない。
愚将というわけではないのだ。余人であればこのように早く敵の第一防衛戦を突破することはなかっただろう。
攻勢を取る側は、それが相手に察知されていない限り、先手を取るため最初の内は優勢である。しかし、その優勢が続く内に作戦の目標が達成すれば良いのだが、現実には、防御力が異様に発達した塹壕戦において、それはかなわないことだった。時間がたてば敵も兵力を集中させたり新しい有力な防御陣地を構築したりしてしまう。従って、当初の勢いはすぐに失われ、結局大した戦果も上げずに終わってしまうのだった。
ましてや、大都は元々戦略の要地であるため、その前面の防御陣地は強固であり兵力が集中しているうえ、一週間にわたる念入りな準備砲撃は相手に兵力の集中と有力な防御陣地の構築の時間を与える。確かに、最前線の防御力を落とすことはできるが、それ以上に砲撃可能な距離の外で敵が準備するのを妨げることはできないのである。
「むしろ、この場合第一線を突破できただけ、貝谷大将は十分な戦果を上げたと言えるのではないかな」
真琴は肯定的な意見を述べたが、音羽はそれに対して首を横に振った。
「いっそのこと無残に敗北していればこの作戦は容易に中止可能だったのに、緒戦の戦果に気を良くした連中は必ずこの作戦の続行を主張するわ……この後どれほどの損害が出ようとね」
音羽の不吉な予言に、真琴はぞくりとしたものを感じた。まるで泥沼化することを予言しているかのようだった。
後に大都会戦と呼ばれる一連の戦闘群が幕を切って落とされた。