手紙
結城真琴が住んでいる家は参謀本部からも、伏見宮邸からも徒歩で十分ほどのアパートの一室であった。陸軍が提供してくれた官舎であり、彼女の役職上それ以上参謀本部から離れたところに住まわれても困るのである。
彼女の両親は帝都からそう遠くない郊外に住んでいた。月に一度の割合で、両親に手紙を送るのが陸軍士官学校入学以来の彼女の習慣である。それは前線にいた時も変わらなかったが、特に前線にいたときには検閲にひっかからないよう内容には注意したものである。
参謀本部に着任して以降、仕事に忙しくて手紙を書くのを後回しにしていたが、着任からほぼ一カ月たち、やっと書く余裕ができた。
拝啓、と書いて真琴のペンは止まった。さて、何を書こうか。
伝えたいことはたくさんある。まずは音羽に再会できたこと、それどころか今は音羽の腹心として活動していること、それくらいのことは書いても良いであろう。前線にいた時よりもずっと、何を書いても良くて何を書いてはいけないか、ということをきちんと考えなければならなかった。情報漏洩は、その意図がなくても、利敵行為として処断される。
結局、当たり障りのないことを書くしかないだろう。仕事は忙しいが慣れてきた、とか音羽を始め参謀本部の職員は良くしてくれる、とか、そういったことである。
これは書いて良いか、などと考えながら書いていたから、結局書き終わるまで一時間ほどかかってしまった。宛先を書いた封筒に入れ封をして切手を張ると、彼女はそのままごろりと横になった。
壁にかけてある感状が目に入った。浦東会戦の功で大陸派遣軍司令長官から頂いたものである。夢見心地だったからあまり覚えていないが、長官はどっしりとした大柄な男だったような気がした。
あれからほぼ一カ月、早いものである。
音羽の背中を追い求めるように陸軍への入営を決意した。あるいは単なる幼馴染みのために人生を賭けるなんて、ばかげたことだと冷笑する人もいるかもしれない。だが、真琴は自分の選択が間違っていたとは決して思っていなかった。
幾多の偶然が重なりあった結果とはいえ、音羽は真琴を腹心として扱ってくれているし、真琴はそれに応えようと努力している。彼女にとって大切なのはそこである。
しかし――真琴は思う。自分はそれでいいとしても、自分のような経験の浅い、少尉任官から一年も経っていないような将校が、重責を担う参謀総長宮殿下の腹心を務めても良いものなのであろうか?