序:幼いころの記憶
「まこちゃん、ごめんね、明日からもう会えないんだ」
真琴にとって、彼女との日々は永遠に続くものだと思っていた。物ごころついたころからずっといっしょにいた幼馴染みだから、そう思うのも当然だろう。
「え、どうして?」
目を伏せて俯いている幼馴染みに対して、真琴はそれしか聞くことができなかった。幼いとはいえ、明日は会えない、ではなく明日からずっと会えない、と言われていることくらいは分かった。
「お父さんに引き取られることになったの」
「お父さん?」
真琴は何度も彼女の家に遊びに行ったことがあるが、お父さんがいた記憶は確かになかった。
「そう。お父さんの奥さんが死んじゃったから私が引き取られることになったんだって」
「お父さんの奥さんっておばさんのことじゃないの?おとちゃんのお母さん」
「違うんだって。お母さんはお父さんの愛人だったんだって」
小学校も高学年になれば、興味本位から人間関係のどろどろした部分も多少は聞きかじっているものだ。結婚しないで子供ができることもあると、当然知っていた。
「……そのお父さんはどこ住んでるの?近ければ遊びに行けるよ」
「知らない。会ったことさえないもん」
「お父さんと会ったことないの?」
「お母さんはいないって言ってたんだもん」
「でも、引き取りに来るって言いに来た時会わなかったの?」
「お父さんの秘書って人が来たの」
おとちゃんのお父さんって秘書がいるんだ、とっても偉いんだなぁ、と真琴は呑気なことを考えていたが、よくよく考えれば異常なことだ。いくら血縁関係がある父親だからといって、見ず知らずの人の家に引き取られるなど、彼女一人ではどうしようもなくても、彼女のことを愛している母親が許すわけがないだろうに。
「お母さんがね、お父さんのところだったら絶対何にも困らないし、幸せに暮らせるから行きなさいって。でもお母さんはいかないんだって」
彼女は遠くを見据えるだけで、真琴のことを見ていなかった。きっと、新しい生活への不安とか、母親と離れる寂しさとか、真琴ともう会えない悲しさとか、そういう気持ちがあふれているのだろう。
「大丈夫だよ、おとちゃん。私、絶対おとちゃんのこと忘れないから。だからずっと一緒だよ、ね?」
真琴は、だから努めて明るい口調を作った。彼女と離れるのは嫌だし、いつも一緒にいた大親友だから、もう自分の半身のようなものだった。だけど、離れなきゃいけない時が来てしまったのだから、それを悲しむよりも、最後くらい明るくいた方がいいのだと思った。
鼻をすすると、彼女は真琴の顔をまじまじと見た。そして、ほんの少しだけ笑った。
「そうだね。私もまこちゃんのことを忘れないよ。ずっとずうっと、おばあちゃんになっても」
「約束ね」
真琴も、うっかりするとあふれそうな涙を抑えて、笑顔を作った。
「そうだ、誰にも言っちゃいけないって言われたけど、私の新しい名前、まこちゃんだけには教えてあげる。みんなには内緒だよ」
「うん、内緒にする」
息を吸って、吐いて、彼女は呼吸を整えた。
「私、水谷音羽はね、明日から、伏見宮音羽になるんだ」