まおまお 外伝 待ち人はまだ来ない
今日は誰かの目線です。バレバレですが隠しておきます。
空が曇天に覆われている昼、私はカフェへと続く扉を開ける。扉に付いているベルが乾いた音を鳴り響かせて、客の存在を知らせる。
私は窓際の席に付くと、メニューを開いてみる。肌寒くなってきたし、暖かい物が飲みたい気分だ。
私は店員を呼んでホットコーヒーを注文する。注文を受けた店員は伝票に書き込むと、厨房へと向かっていった。
私はメニューを閉じて窓の外を眺める。雨が降りしきる中で人々は軒を求めて駆け回っている。
待ち人はまだ来ない。
☆ ☆ ☆ ☆
「お待たせいたしました」
私の前に店員がコーヒーを置く。私は呼んでいた本を閉じて店員に頭を下げる。
コーヒーのカップを持って口に運ぶ。冷えて来た体に暖かいコーヒーが染みわたる。コーヒーの香ばしい香りで私の心も落ち着いてくる。
再び本を開こうとすると、横から物音がしてきた。普段であれば気にも留めない程小さな音であったが、このカフェの静けさが音の存在を強調してくる。
興味本位から本から視線を反らして音のした方向へ視線を向ける。
音の正体は女性がコップを置いた音だった。女性は小柄でスーツに身に纏っている。
女性は大柄な男性と華奢なメガネの男性と共にいて同じくスーツに身に纏っている。3人は同じ金色に光るバッジを付けている。
あれ?女性の方はどこかで見たような気がするな?私が記憶の中をまさぐるが後一歩の所で出てこない。
会話を聞いていれば思い出せると思い、本に視線を向けて聞き耳を立てる。
「いやー、さっきの案件はかなりヤバかったな。俺とビタルでやっと勝てたぜ」
「ラビュの存在も大きかっただろう」
「そうだったな、ラビュも頑張ってたな」
「あーもう!髪をグチャグチャにしないでください!あと私はラビュです!」
静かな喫茶店にふさわしくない怒鳴り声が鳴り響く。驚いて先ほどの席を見てみると、恥ずかしそうに俯くラビと呼ばれる女性がいた。
喫茶店の中に雨音聞こえるほどの静寂が訪れる。ラビは物音を立てないようにそっと座る。
「ラビュ、喫茶店では静かにするものだ」
「誰のせいだと思ってるんですか……」
「私のせいではない」
「俺のせいでもないぞ」
「スイトさんは関係ないって言っちゃいけないと思いますよ?あと私はラビです」
ラビが諦めた様に言う。今の会話から察するに、この3人は同僚みたいだ。何の仕事をしているのか分かれば思い出せるかもしれない。
「そんな事より注文しますよ。私はコーヒーとケーキにします。お二人は何にしますか?」
「かつ丼とか無いのか?」
「ある訳ないだろバカ」
彼らは軽口を叩きあいながら注文をしていく。関係性は良好みたいだ。
店員に注文を済ませた彼らは再び会話を再開する。
「次の仕事の事なんですけど……」
「おいおい、もう次の仕事の話か?少しはリラックスしたらどうだ?」
「ですが、こうしている間にもするべき事はいっぱいあるんです。呑気にしている場合じゃないですよね?ここで打ち合わせでもした方が良いんじゃないですか?」
ラビの言葉に私は心の中でガッツポーズをする。少しでも仕事内容が分かれば、ラビと呼ばれる女性について思い出すかもしれない。
「確かにラビュの言う事も一理ある。だが、こんな公の場でやる事じゃない。情報が洩れたらどうする?」
「あ、すみませんスイトさん。私の考えが甘かったです」
興奮したラビをスイトと呼ばれた人物がたしなめる。残念、仕事内容については聞けないみたいだ。
「とはいえ、仕事の進め方くらいは良いんじゃないか?誰と仕事するかとかよ」
「それくらいならいいぞ」
「よし来た」
その言葉を聞いて私もよし来たと心の中で呟く。少しでもヒントがあれば思い出せるかもしれない。
今の私には彼女が何者か、どこで会ったのかを知りたくてたまらない。もはや意地のようなものだ。
私は全身全霊を掛けて少しのヒントも聞き逃さないように聞き耳を立てる。
「それで、次はどういった内容ですか?誰とやるんですか?」
「次の案件は今回の件の数倍は厄介だ」
「今回の件の数倍!?それって勝てるんですか!?」
周りに聞こえないように小声でラビが驚く。
会話を聞いている限り、今回の仕事という奴も難しかった筈だ。それの数倍は難しいとなると驚くのも無理はないだろう。
「今回だってスイトさんとビタルさんが合わさってやっと勝てたじゃないですか!」
「確かに厳しい戦いにはなるな」
「我々では勝てる保証もない」
「……次はいつなんですか?」
「順調にいったら1ヶ月後だ」
「そうですか……」
そこで会話は途切れる。どうなっているかと視線を向けると、考え込んでいるラビの姿があった。残りの2人はそんなラビを微笑ましそうに見ている。
口では無理だと言っても、諦める気は更々ないらしい。
彼らのテーブルに注文した商品が置かれる音が聞こえる。それから、無言で食器がぶつかる音が聞こえてくる。
粛々と食事の音が続く中で、ラビが口を開いた。
「……誰が出るんですか?」
「ラビュともう一人でいってもらう」
「私ですか?私と誰が?」
「奴だ」
「……本気ですか?」
今日一番のラビの驚きの声が聞こえてくる。名前は言っていないがラビには奴の心当たりがあるらしい。
「本気さ」
「ですが彼に頼むのは前の案件きりって話でしたよね?」
「予定ではそうだった。だけどな、俺もビタルも他の奴も、別の案件で立て込んでんだ。あくまで第一案としてだが、それが一番だと考えている」
「……私はホウリさんに頼らない方が良いと思っています。あの人は凄い人ですけど、頼ったらいけないと思います」
ホウリと言う名前を聞いて私は思わず目を見開く。まさか彼の名前が出てくるとは思って……いや、彼であればどんな会話から出てきてもおかしくないか。
「前に一緒に戦った事があるだろ?あれと同じだよ。何が嫌なんだ?」
「嫌じゃないですよ。ただ、ホウリさんに頼りっきりなのは違う気がして……」
「俺達だって頼りっきりって訳じゃないさ。けどよ、今回ばっかりは相手が悪すぎる」
「こいつの言う事に賛同するのは癪だが、私も同じ考えだ。ホウリなしじゃ勝ち目が薄い」
「でも……」
「聞いてみるだけ聞いてみれば良いんじゃないか?アドバイスだけでも貰えるかもしれねえぞ?」
「そう言う事なら……」
煮え切らない様子のラビだったが2人の説得でなんとか折れる。とはいえ、ラビは完全に納得した様子ではない口調である。
もうひと悶着ありそうな感じもする。が、それは彼らの問題だろう。
「さて、食べたら行きますよ。案件は山積みです」
「そうだな。さっさと行くか」
「あ、待ってくださいよ!」
慌ただしく3人が出ていくのを見て、私は再び本を読む。
彼らの会話を聞いて、ラビと会った事を思い出した。と言っても、直接話した訳じゃない。裁判の証言台から見ただけだ。
あの時の彼女は頼りない表情をしていたが、今では立派な顔つきに変わっていた。一人前ではないだろうが、彼女が一人前になる日もそう遠くはないだろう。
そこまで思考を巡らせた私は冷え切ったコーヒーを飲みながら時計に視線を落とす。カフェに来てから1時間が経とうとしていた。
待ち人はまだ来ない。
☆ ☆ ☆ ☆
再び本を読み始めてからしばらくして、扉についていたベルの乾いた音が鳴った。
視線を向けると、男の2人組が入って来るところだった。
一人はガタイが良く程よく日に焼けている。もう一人は背は高く体つきも悪くは無いが顔色が悪い。栄養が良い物を食べていないのではないかと思う。
2人は席に付くと会話をする前にメニューを開いた。
先ほどのラビと同じくこの2人にも見覚えがある。そしてどこで見たかは同じように思い出せない。会話を聞いていれば先ほどのように思いだせるかもしれない。
そう思った私は不審に思われないように本に視線を向けながら聞き耳を立てる。
「はっはっは!執行猶予がついて良かったな!」
「声が大きいですよ義兄さん」
「おお、すまなかった」
「ここは静かな所なんですから、気を付けてくださいね」
2人の仲が良さそうな会話が聞こえてくる。
今度は声だけで分かった。憲兵長とその義弟だ。たしか、サンドの裁判の時の協力者だったはずだ。義弟の方は裁判にかけられると聞いていたが、執行猶予がついたみたいだ。憲兵側に強力していたのが効いたのだろう。
「今日は俺の奢りだ。なんでも好きな物を頼んでいいぞ」
「カフェで好きな物と言っても、お腹に溜まる物は無いと思うけれど」
「かつ丼とか無いのか?」
「流石に無いと思うよ」
さっきも聞いたような会話が繰り広げられる。私が思っている以上にかつ丼の需要があるのだろうか?
私が下らない事を考えている間にも2人は会話を続けている。
「そう言えばよ、お前これからどうするんだ?サンドには戻れないだろ?」
「とりあえずは王都で過ごそうと思います。仕事は……今から探します」
「ホウリが世間の評判はなんとかしてくれたが、仕事の面はどうしようもないからな」
「当面はバイトですかね」
「俺から斡旋する訳にはいかないしな。何かやりたい仕事でもないか?」
「前は体を使う仕事でしたし、似たような仕事をしてみたいですね」
「土木作業とかか?」
「ですね」
取り留めも無い話をしながら2人は食事を待つ。
もう2人の正体も分かったし話を聞くまでも無い。そう思い私は持っていた本に視線を戻す。
「しかし、あの子はどうなってんのかね」
「例の子ですね?」
私は思わず持っていた本を落としてしまう。今この2人が言った『この子』、もしかしたら……
気が変わった私は再び2人の会話に耳を傾ける。
「奴が保護してるって話だけどよ、他の奴に攫われたりしないか心配でな」
「あの人から攫うなんて無理でしょ。それをするくらいだったら別の方法を探す方が簡単ですよ」
今の話で確信した。彼らが話しているのは私が知っている人物についてだ。ここは再び聞き耳を立てるしかないだろう。
私は本を拾い直して2人の話を聞いてみる。
「でもよ、あいつだっていつまでも傍にいられる訳じゃないだろ?あいつのおかげであの子が無事なんだったら、あいつがいなくなったらヤバイんじゃないか?」
「それはあの人も分かってるでしょう。いなくなるまでに何かしらの策は打つでしょう」
「俺としてもあの子には幸せになってほしいしな。娘ともいい友達になりそうだ」
ふむ、憲兵長は娘がいるのですか。これは使えるかもしれませんね。
「また娘さんの話ですか」
「お?今娘の話を聞きたいって?」
「言ってません」
うんざりした様子の義弟。この様子を聞くに何度も娘の話をしているのだろう。よほど娘を溺愛しているのだろう。
「まあまあ、そう遠慮せずに」
「遠慮してません。むしろ迷惑に思ってます」
「またまた~」
「その言い方、敵を作るのでやめた方が良いですよ。……はぁ、奢ってもらう訳ですし、代金替わりに話を聞きますよ」
「よし来た!まず、直近のサルミについてだが……」
意気揚々と自分の娘について語り始める憲兵長。私が知っている人物に関わりがあるかもしれない。一応聞いておいた方が良いでしょう。
その後、1時間に渡り憲兵長による娘の演説は続いた。何かに使えるかもしれないと思い、時折メモをしながら聞いていたが、途中から聞き流し始めてしまった。
やはり、彼女以外の人間にはあまり興味を持てませんね。結局、途中まで書いたメモを傍らに店員に新しいコーヒーを注文する。ついでに小腹が空いていたので軽食も注文する。
「───って訳だ。可愛いだろ?」
「………………そうですね」
疲れた様に義弟が返事をする。私は真面目に聞いていなかったけれど、目の前にいる義弟はかなり大変だったに違いない。
憲兵長は満足したのか伝票をもってレジに向かう。その後を疲れた目の義弟は追う。やっと話が終わったみたいだ。
そこで丁度店員が頼んでいたコーヒーとナポリタンを運んでくる。私はフォークを手に取ってナポリタンを口に運ぶ。
ケチャップの味を口いっぱいに味わいながら窓の外を眺める。
雲の間から日の光が差し込んでいる。どうやら雨は上がったようだ。
曇っていた心にも光が差し込んだような気持ちなりながらナポリタンを啜る。
待ち人はまだ来ない。
☆ ☆ ☆ ☆
私は読んでいた本から視線を外し、時計を見てみる。待ち始めてから早くも3時間が経過していた。
待ち人はまだ────
「よう、待たせたか?」
───来たみたいだ。
「私も今来た所です」
待ち合わせの常套句みたいなセリフを言ってニコリと笑う。
待ち合わせ相手……キムラホウリが私の前に座る。ホウリは店員を呼ぶとコーヒーとパフェとケーキを注文をする。
「で、実際の所はどのくらい待ってたんだ?」
「そこまでじゃないですよ。たった3時間くらいです」
「……今何時か知ってるか?」
「午後3時ですね」
「待ち合わせの時間は?」
「午後3時ですね」
「待ち合わせの3時間前から待ってた訳か?」
「そりゃ、お義父さんに会うのですから、3時間前行動は基本でしょう?」
「誰がお義父さんだ」
私の言葉にお義父さんが睨みつけてくる。これも愛情の裏返しなのだろう。
「3時間も良く待てたな?」
「この本を見ていれば3時間なんてすぐですよ。他の人の話も聞いてましたし」
「見せてみろ」
お義父さんがいつの間にか私の持っていた本を読んでいる。いつ奪ったのか分からない程に鮮やかな手つきだ。
お義父さんがペラペラと本をめくると目つきが鋭くなっていった。
「これは何だ?」
「ノエル様の素晴らしさを伝えるための聖書です。まだ作りかけですが、完成した暁には全世界に配布しようと……」
「これは俺が処分しておく。新しく作ったとしても消し去るからそのつもりでいろよ?」
「そんな殺生な!?」
私の悲痛な叫びを聞きながら、お義父さんが本を燃やしていく。
「ああ、私の努力の結晶が……」
「お前はノエルの事を全世界に公表するつもりか。俺が必死に隠している事なんだが?」
「しかし、ノエル様の素晴らしさは全世界が知るべき事であって……」
「お前の思い込みだ。大人しくしてろ。最悪の場合、例の約束を反故にするからな?」
「分かりました……」
そこまで言われてしまっては仕方ない。ここは大人の対応として私が折れよう。
お義父さんはやって来た料理を食べながら私に質問を投げかける。
「それで、俺を呼んだ理由はなんだ?」
「そうでした。本題に入りましょう」
私は姿勢を正してお義父さんに向き直る。そう、お義父さんを呼んだのはこの私だ。
「お義父さんを呼んだのは他でもありません」
「次にお義父さんって呼んだら腕を切り落とすからな」
お義父さん……ホウリさんから本気の殺気が漏れ出る。冗談ではないと分かった私は素直に呼び方を改めて話を続ける。
「ホウリさんを呼んだのは他でもありません。ノエル様の事です」
「ノエル?」
「はい。ノエル様の近況を聞きたいと思いまして」
「ああ、接近禁止命令が出ているから、本人に直接聞けないのか」
ホウリさんが納得したように頷く。
裁判が終わってすぐはノエル様が無事だったこと安堵しました。しかし、数日経ったらノエル様がどうなっているのかが気になって、仕事が手に付かなくなってしまった。そこで、ホウリさんに無理を言って時間を作ってもらった訳だ。
「それで、最近のノエル様はどうなんですか?」
「戦闘訓練や勉強を頑張ってるよ。近々おつかいもする予定だ」
「ノエル様のおつかいですか。可憐に優雅にこなすのでしょうね」
「お前はノエルを美化しすぎだ」
「ノエル様は美しいですからね。どれだけ美化してもやり過ぎという事はないでしょう」
「……駄目だ、話が通じねえ」
ホウリさんの言っている事があまり分かりません。しかし、ノエル様が元気であるのであればいいでしょう。
「で、これで終わりか?」
「いえ、ついでにもう一つ聞いておきたい事があるんです」
「なんだ?」
「これを見てください」
私は懐から封筒を取り出してテーブルに置きます。封筒には王都の紋章が書いてあります。
「ある日、この封筒が届きました。中にはサンドの領主になるようにと書かれていました」
「一気に出世できたんだな。良かったじゃないか」
「その様子を見るにホウリさんが元凶ですか」
「まあな」
特に隠す様子もなく認めるホウリさん。やっぱりこの人の仕業だったか。
「この後、お城に行かないといけないんですよ。国王からやりたくもない役職を命じられる気持ちが分かりますか?」
「安心しろ、俺が既に経験している」
「という事は、ホウリさんは国王の勅命を断った訳ですか」
「まあな」
悪びれもせずにホウリさんが言う。そんな事出来るのこの人くらいだろう。
「……どうやって断ったか教えてくれません?」
「世界を守るから無理って言った」
「ホウリさん以外が言うと説得力が無いですね」
どうすれば角が立たずに断られるか、それを考えるしかない。一応、神殿長だしそこを理由になんとか……
「……ノエルの夫になるならそれなりの甲斐性が無いとな。しかも、領主くらいの立場も必要になるだろうな」
「私、サンドの領主になります!」
「そうか、頑張れよ」
そうと決まれば準備をしないと。こうしちゃいられない。私は急いで立ち上がる。
「失礼します」
「おう」
ホウリさんに軽く頭を下げて、カフェから出る。
空からは溢れんばかりの光が降り注いでいる。まるで私の未来を暗示しているようだ。
長い待ち時間だったが、これからの待ち時間に比べれば微々たるものだろう。
これから私は待ち続ける。大切な待ち人を。
「さて、今日もノエル様の為に生きよう」
待ち人を待つというのも乙な物だ。そう思えた一日だった。
と言うわけで、どっかの誰かの視点でした。イッタイダレナンダロウナー。
次回は本編です。来週更新になります。
リアル脱出ゲームに行ってきました。詳しくは言えませんが、とっても楽しかったです。




