第9話 ガラスケースの恋人
9.ガラスケースの恋人
有紗の面接した会社二社共、採用の電話は掛かっては来なかった。やっぱり・・・と思う気持ちと、これで淳哉に対しての嘘が一つ減るかもしれないという期待が崩れた思いが入り乱れていた。有紗の誕生日の23日が過ぎ、夜中の2時半を過ぎても。3時を回っても、その晩は淳哉からの連絡はなかった。メールを送ってみようと思う気持ちもあったが、きっと理由があって連絡がないのだと思うと、携帯を閉じてベッドに横になるしかない有紗だった。
気が付くと朝になっていて、携帯の着信や新着メールを確認するが、期待と現実は違っていた。何となく憂鬱な朝を迎え、ベッドから起き出す力も弱々しい。また今日も仕事探しだと思うが、体にやる気がみなぎって来ない。昨日母に『人生で初めて前向きになれてる』なんて言ったのに、もうこんな気持ちになっている自分にため息が出る。今年に入って仕事を辞めてから、何度となく職安に通い、何社となく面接を受けたが 一向に良い返事がない。これはもう、やはり自分に問題があるのではないかと思い始める。採用したいと思われない自分の決定的な欠点とは何なのか?資格がないから?経験がないから?それとも面接の時に醸し出す雰囲気に問題があるのか?そう考えていく内に、自分が社会のどこからも必要とされていない存在に思えてくる。きっと人として魅力が無いのだ。初めの頃 淳哉に聞かれた質問で『自分のチャームポイント』でさえ答えられないのだ。だからと言って内面的な取り柄も浮かばない。昨日母が『人は生きてるだけで、誰かの為になってる』と言ったが、自分が誰かの役に立っているのだろうか。今は母も姉も居ない家の中で 家事をしているが、そんなの他の人だって出来る事だ。自分の存在価値をすっかり見失った有紗は、ぼーっとした頭で台所に立ち、いつも通りに朝食の準備を始めた。
淳哉から連絡が入ったのは、その日の夕方だった。
『これから仕事に行ってくるね』
たった一言のメールだった。きっと有紗が思ってる程、淳哉は昨夜電話をしていない事など きっと何とも思っていないのだ。第一、淳哉との関係は何なのだろう・・・そんな事を考えていると、仁美が前に言っていた言葉を思い出す。
『それって付き合ってるの?友達と、そんな毎日メールしないでしょ?』
だからと言って、淳哉の彼女?・・・ではない。淳哉に『好き』とも『付き合って』とも言われた事もない。第一、会った事ない恋人なんて聞いた事ない。だからきっと“友達”だ。用事のある時だけメールや電話をする普通の友達。毎日なんて、たまたま続いて 勝手に自分が勘違いしただけだ。しかし・・・。有紗は淳哉からさっき届いたメールを眺めながら思った。
(ただの友達に『仕事に行ってくるね』なんて、メールするだろうか・・・)
帰宅途中の淳哉から電話が掛かる。
「今帰り道。一緒に歩いてるみたいな気分になるかなぁとか思ったりして」
「うん・・・」
有紗の元気のない声に敏感に感づく淳哉。
「あ、一緒に歩きたいとか、そういう事言いたいんじゃないよ」
有紗の過去の傷に触らない様に、淳哉が言葉を足した。すると有紗は、それを聞いていたのかいないのか、突然意を決した様な口調で話し出した。
「広瀬さんって・・・彼女・・・いる?」
淳哉が一瞬立ち止まったのが分かる。
「今・・・その質問?」
「聞いた事なかったから・・・」
少し納得したのか、再び歩き始めた靴と道路の擦れる音が聞こえる。
「そっか・・・」
有紗の質問は続く。
「好きな人は・・・?」
再び淳哉の靴の音が止まる。
「有紗ちゃん・・・どうしたの?」
返事もせずに、まだ続ける。
「私は・・・広瀬さんの友達・・・?会ってもいないのに“友達”なんて図々しいけど・・・」
淳哉は歩き出したが、さっきよりも靴の音がゆっくりになっていた。
「そうだよね。はっきりさせてなくて、不安にさせたよね。ごめんね」
深く一つ深呼吸して、淳哉が喋り出す。
「俺は有紗ちゃんが好き。会った事ないけど、好き。でも、俺の気持ちを言っちゃったら、有紗ちゃん逃げてくんじゃないかって思ってた。まだきっと、俺の片思いだから」
「・・・・・・」
「今までも、俺の気持ち伝わってなかった?さっき『好きな人は?』って聞かれて、がっくりしちゃったよ。」
いつの間にか靴の音から、ブランコの手すりの擦れ合うキコキコという音に変わっていた。
「俺の気持ち 知ってても、今まで通り電話してくれる?」
「・・・これって、返事する感じですか?」
淳哉がふっと笑う。
「聞きたいけど、聞いたらきっと 俺フラれる結果だと思うから・・・」
「・・・・・・」
「それとも良い返事?もしかして期待していいの?」
明るく話す淳哉に多少救われているが、やはり微妙な空気が漂う。
「ほらね。こうなっちゃうからさ。無し無し。返事とか要らないから。俺の気持ち伝えただけ。あとは、今まで通り。有紗ちゃんが俺を友達と思うなら友達だし、彼氏と思ってくれるなら それでいいから」
淳哉はブランコから腰を上げ、夜の公園を後にした。家への道を歩きながら、夜空を見上げる。
「今日は曇ってて星見えないな・・・」
ふうっと軽い溜め息を吐く淳哉。
「有紗ちゃんの声も、聞こえなくなっちゃったし・・・」
自分の名前に反応すると、有紗は少し背筋を伸ばした。
「返事要らないなんて言ったけど、フラれた感滲み出てるよね」
すると有紗がようやく声を発した。
「昨日、夜・・・忙しかったの?」
「昨日?」
少し淳哉の記憶を遡る時間が流れる。
「あぁ。昨日は友達が俺んち来て、朝まで麻雀やってた」
言い終えてから、急に元気な声を出す淳哉。
「もしかして、電話待ってた?」
「・・・待ってた訳じゃないけど・・・」
「またまたぁ。待ってたから、そんな事聞くんでしょ?」
立ち直りも早い淳哉だ。
「ごめん。有紗ちゃんが俺からの連絡待ってるなんて思ってなくてさ。電話くれれば良かったのにぃ。」
「出来ないよ」
「なんで?」
「何で?って・・・」
少し考えてから、淳哉が思い付いた様に言葉を紡ぐ。
「じゃ、今から有紗ちゃんは俺の彼女ね。だから、何をしてもいいし、何を言ってもいい」
「えっ・・・」
「あ、だけど会うのはまだ先。いや、違うな。まだ先っていうか・・・凄く遠距離の恋人同士みたいな・・・そんな感じ。会いたくても会えない所にいるって思おう」
有紗の心臓が急な展開に脈打ち始め、ついて行くのに必死だ。そして戸惑う有紗をよそに、淳哉が追い打ちを掛ける。
「今日から俺、『彼女います』って答えるからね。有紗ちゃんもだよ」
戸惑っているのか 拒絶しているのか反応のない有紗に、淳哉が優しく言った。
「電話なら縮まる距離に限界あるでしょ?俺が何言っても、有紗ちゃんに指一本触れられないんだから。安心して、電話の恋人って関係で、少し俺っていう男に慣れてよ」
第9話、お読み頂きありがとうございました。
とうとう二人は会わないまま恋人になってしまいました。この後有紗は会う気持ちになるのでしょうか・・・
あなたなら、どうしますか?