第8話 元気のかけら
8.元気のかけら
11月も半ばを過ぎると、いよいよ自分の誕生日が近い事を思い知る。そして今年は、淳哉の誕生日も同じくだ。誕生日に会う事は出来ないが、せめて何かプレゼントを贈りたい。有紗はそんな気持ちに蓋をする。そして今夜も淳哉からのメールが届く。
『もうすぐお誕生日だね。何か予定あるの?』
『特別は何も』
有紗は先日お店での淳哉のやり取りを思い出していた。
『広瀬さんは?』
あえて聞いてみる事にした。
『お客さんからゴルフに誘われてる。常連の女性三人組で、昔っから良くしてもらってる人達なんだけど、厚木のコースに行こうって。行ってもいい?』
最後の一言に有紗の目が留まる。
『どうして私に聞くの?』
『有紗ちゃんが嫌だって言うなら、俺断るよ』
有紗の手が止まる。
『仕事のお付き合いの事、私が口出せないよ』
『仕事上の関係は大丈夫。そうじゃなくて、個人的に有紗ちゃんは平気?』
有紗の中で葛藤が続く。そして逃げた。
『広瀬さんが行きたいなら・・・』
仁美の言葉が耳の奥で聞こえる。
『やきもち焼く程好きなら、正直に話して会ってきなよ』
『それでもどうしても好きだって言うなら、嘘ついてましたって言える勇気と覚悟をしなきゃね』
有紗の心が二つの方向に引き裂かれていく様な気がしていた。
『せっかくだから、行って来たら?お誕生日のプレゼントでしょ?』
そのメールを読んだ途端、淳哉はがっくりと肩を落とした。
『俺は別に行きたい訳じゃない。誕生日だって、いつも通り仕事していつも通り帰って来て、有紗ちゃんとメール出来たら、それで充分なんだから』
有紗の胸がぎゅっと縮まる。
『私は一緒に出掛けたり出来ないし、そういうお祝いは出来ないから。ごめんなさい』
淳哉からの返信が、いつもより増して早い。
『そんな事求めてない。そんな気兼ねして欲しくない。俺はただ有紗ちゃんと今のまま、ゆっくりとこの関係を大事にしたいと思ってるのに』
有紗は一つ、ゆっくりと深呼吸をする。感情が高ぶる淳哉と自分を冷静にしようと、少し返信に間を置いた。
『どうして?私に会った事もないのに、どうしてそこまで言えるの?』
しかし、淳哉からの返信の早さが、感情の高ぶりが続いている事を意味していた。
『会ってないけど、そんなの大した事じゃない。会ってなくても、有紗ちゃんの性格や人柄は感じ取ってるつもりだよ。会って分かる事なんて、顔や容姿だけでしょ。そんなの俺にとったら、どうだっていい事だよ』
その言葉に有紗が戸惑っていると、追い打ちを掛ける様に又メールが来る。
『有紗ちゃんは違うの?会わないと、俺の事何も分からない?』
有紗は苦い顔をして、ゆっくりと文章を打ち込んだ。
『どうしてそんな簡単に人の言った事信用できるの?』
それを読んだ淳哉が、はっとして我に返る。
「またやっちゃったよ・・・」
そう呟いて、淳哉の右手がゆっくり動く。
『ごめんね。また俺、自分の気持ち押し付けた。こうやって前も有紗ちゃん追い込んで傷付けたのに。ごめんなさい』
11月21日。淳哉の27回目の誕生日が来た。午前12時を回ると、有紗はせめて おめでとうを言いたくて、ドキドキしていた。今日は、今日ぐらいは、淳哉からのメールではなく 自分から電話を掛けたかった。2時半を過ぎた頃、有紗は久し振りに淳哉に電話を掛けた。
「もしもし・・・」
「・・・誰?」
「・・・有紗です。お誕生日おめでとう」
「有紗ちゃん?!だって・・・非通知じゃなかったよ」
「・・・はい」
「・・・え?!番号・・・出ちゃってたよ」
「はい・・・」
「いいの?」
「もう・・・いいかなって・・・」
「本当?!めっちゃ嬉しい!」
淳哉が飛び上がりそうな勢いで喜んでいるのが分かる。
「今日俺さ、本当はお客さんに 店の後飲みに行こうって誘われてたんだ。明日休みだからさ。でも、明日早いから、断って真っ直ぐ帰って来たんだ。でも良かったぁ!真っ直ぐ帰って来て、マジ良かった!凄い誕生日プレゼント」
「・・・・・・」
「あっ、番号を教えてくれたって事より、隠さなくてもいいかなって思ってもらえた事が嬉しいんだよ」
「・・・うん」
「でさ、一応確認だけど、俺から電話してもいいって事?」
「必要なら・・・」
「なんかその言い方・・・いつでもは掛けちゃ駄目って言われてる様な・・・」
「そんなつもりじゃないけど・・・」
「可愛くないなぁ。素直に、いつでも掛けてねって言えばいいのに」
「元々可愛くないし・・・」
ブツブツ言う有紗に、淳哉がプッと吹き出す。
「俺が可愛くしてあげるよ」
「可愛くならないもん」
口を尖らせる有紗。すると又、淳哉が笑いながら言い返した。
「そういうとこ、めっちゃ可愛い」
「そういう勝手なイメージ・・・困る」
「ごめん、ごめん」
そう言いながらも、まだ笑いが収まらない淳哉。
「明日早いんでしょ?もう、寝た方がいいよね」
有紗が、明日の淳哉のゴルフの為の早起きを心配する。
「やばいなぁ。明日キャンセルして、このままずっと一晩中喋ってたいなぁ」
有紗の緩む頬が止められない。
「駄目だよ。約束してるんだから」
「じゃ、モーニングコールしてよ」
「何時?」
「5時」
「・・・早いね。・・・あと2時間しかないね、寝る時間」
「頼むよ」
朝5時に淳哉を起こす為、有紗は4時50分に目覚ましを掛けた。まださっき寝たばかりと思える程しか経っていない時間を確認し、有紗は眠たい頬を叩いた。しかし淳哉を起こすという名目で、さっき話したばかりの淳哉の声を又聞ける事を幸せだと思った。5時を待ち構える様にして、電話を掛ける。
プルルルルルル・・・
一回目の呼び出しで 電話に出る淳哉。
「おはよう。もう起きてた?」
「あぁ。4時半に電話で起こされた。今日行くお客さんが、俺が夜の仕事で寝坊したらいけないからってさ」
「そう・・・」
少し悲しい気持ちになる有紗。
「4時半なんて早過ぎるんだよ。5時で充分間に合うのにさ」
「ごめんね。役に立たなくて」
「何言ってんの!朝から声聞けて嬉しかった。モーニングコール頼んどいて良かった」
少しだけ、有紗の悲しさも紛れる。
「じゃ、今日頑張ってきてね」
「うん、いってきます」
『今日夜は遅くなるの?』という言葉を飲み込んで、有紗は電話を切った。
その晩 淳哉の帰りを待っていたが、いっこうに連絡がないまま12時を回った。そしてメールを送ってみる有紗。
『今日はお疲れ様。もう帰ってますか?』
しかし、1時を過ぎても2時を過ぎても返信がない。あんなに昨日、有紗の電話番号を知って喜んでいたのに。いつでも掛けていい?なんて、まるですぐにでも掛けてよこしそうな勢いだったのに。人はやっぱり、その場だけ良い事を言うものなのかもしれない。それを真に受けない様に、慎重にきたつもりだったのに、うっかり忘れていた。有紗は自分を冷静に立て直そうと、必死に深呼吸をして布団を被った。
3時を回った頃、有紗の電話に着信がある。・・・淳哉だ。飛びつく様に出たい気持ちと、寝たふりをして出ないでおこうとする意地悪な自分が、有紗の心の中で葛藤する。しかしやはり出てしまう有紗だった。
「ただいま~」
酒の入った上機嫌の声だ。
「随分、飲んでるね・・・」
「お客さんがさ、誕生日だから飲め飲めって。で、最後〆でラーメン食べて帰って来た」
「ずっと、朝から一緒だったの?」
「そうだよ」
「ふ~ん・・・」
「あ、変な声した。もしかして、やきもち焼いた?」
「焼いてないよ」
「じゃ何よ。今のふ~んって」
「ただの・・・相槌」
「・・・な~んだ、残念。やきもち焼いてくれたのかと思った」
「・・・やきもち・・・嬉しいの?」
「そりゃ嬉しいよ。だってそれって、俺の事好きって事でしょ?」
「・・・・・・」
「まだ無理だよね。・・・分かってる。言ってみただけ」
有紗は自分を冷静に保てるよう、一呼吸置いてから又質問した。
「今日ゴルフの後、その人達とずっと飲んでたの?」
「店出たよ」
「仕事したの?」
「そうだよ。どうして?俺休むなんて言った?」
有紗は先日のお店での光景を思い出していた。あの日店で見たやり取りによると、昼間ゴルフに行ったお客さんと、夜も店をお休みして一緒に過ごす様な話だった。しかし、そういえば淳哉から直接は聞いていなかった。ハッとして、有紗が言い訳をする。
「ゴルフの後だから、仕事行ってないのかと思って・・・」
「一応お休み貰ってたんだけど、どうせ飲みに行くなら、店行こうってなって、仕事してた。で、ゴルフ連れてってくれた人達は8時頃帰って、その後で、他のお客さんがお祝いしてくれてさ」
「そうなんだ」
さっきよりも明るい声のトーンに、目ざとく淳哉が気付く。
「安心した?」
気付かない内に自分の心の中が読まれている様で、有紗は慌てて口を押えた。
「そんな風に思ってるって分かってたら、もっと早く連絡すれば良かったね。ごめんね」
「ううん、大丈夫。それより、昨日寝不足で眠いでしょ?」
「行きも帰りも、車ん中で寝かせてもらったから平気」
「そうなんだ・・・」
その時有紗は、以前電話で聞いた淳哉の寝息を思い出す。自分しか知らない素の淳哉の様に思っていたが、その無防備な姿を 他の人達にも見せているんだと思うと、何か勝手に淋しい様な気持ちが込み上げる。
「あ、また変な声した」
「してない!」
悟られまいと必死で否定する。
「したよ、絶対。・・・でもなんで?何が駄目?」
「駄目じゃないってば」
「う~ん・・・ごめんなさい。わかんないけど、ごめん」
「わかんないのに、謝るの?」
「だって、嫌な気持ちにさせたでしょ。それに、分かってあげられなくてごめんって思うから」
有紗は、今まで味わった事のない安心感を覚えていた。そして淳哉が唐突な声を上げる。
「今度は有紗ちゃんの番だよ。誕生日、どうしたい?」
「どう・・・って・・・」
「俺だって、何かお祝いしたいよ。プレゼントはあげられないし、何が出来るかなぁ」
「いいよ、私は」
「お父さんとかお母さんにお祝いしてもらえるか、有紗ちゃんは。家族で一緒にご飯食べたりするの?」
「うん・・・多分」
「そっか。有紗ちゃんは、あったかい家庭で育った子なんだね。だから穏やかなんだ」
有紗は母の事を思い出し、少し暗い気持ちになった。
有紗は職安で作成してもらった履歴書を持って、面接に行った。会社の窓口の募集だ。受付嬢とはいかないが、小さな会社の受付窓口の対応が仕事内容だった。人前に出るのが苦手だった有紗も、自分が淳哉についた嘘を本物にしようと、もがいていた。受付嬢には到底及ばぬ華の無い容姿だという事を自覚していたが、それでも 嘘を一つでも減らしたい一心の有紗だった。同じ様な面接を二か所受け、帰宅する。返事が明日までに来なければ、“桜散る”という訳だ。経験も適性もない職種の面接に挑むというのは、素人がエベレストに登ろうとする様なものだ。
夕飯時、父と食卓を共にしながら、話題はやはり その事になる。
「手応えはどうだったんだ?」
「う~ん・・・わかんない。面接してくれた人がぶっきらぼう過ぎてさぁ。元々そういう人なのか、見込みなしって思われてたのか」
「そうか・・・。まぁ、どんな事でも新しい世界に飛び込んで行くのは良い事だと、お父さん思うよ。若い内の特権だからな。前に話してた 資格取るって話はどうなったんだ?」
「だって、お母さんに家に帰って来てもらうのは、気持ちだけじゃ駄目だって言われたからさぁ・・・。確かにそうだなって思うし」
「お父さんも今、近くでリハビリ専門のデイサービスみたいなのやってる所探してるんだ。それでお前に提案なんだけど、車の免許取ってみないか?お母さんが帰ってきたとしても、家の中は車いすだし、外に出掛けるのも車がないとどうにもならないだろ?お前が免許あれば、だいぶ助かるんだけどな」
「車の免許?だって私、自転車だって ろくに乗れないんだよ。いっぺんに二つの事出来ないし。私が鈍くさいの、お父さんだって知ってるでしょ」
「だけど、今はお年寄りだって皆運転してるんだぞ。慣れてしまえば大丈夫だよ」
「もし万が一取れたとしても、お母さんを乗せて運転するんでしょ?出来ないよ~そんな責任重大な事。人の命預かるなんてさぁ」
その晩、時計の針が12時を回った直後、一通のメールが有紗の元に届く。開いてみると、真っ赤なバラの花束の写メと『23歳のお誕生日おめでとう』という淳哉からのバースデーメールだった。
『ありがとう』
有紗が返信すると、すぐまたもう一通届く。
『俺、一番だった?』
有紗はそれを読んで微笑むと、嬉しそうにメールを返す。
『うん。ありがとう』
仕事の合間にきっと送って来たのだろう。その後は返信は無かったが、有紗はいつもの2時半を楽しみに待った。
「バラの花束なんて、私貰った事ないからびっくりしちゃった」
「あれ、何本か数えた?」
「え?」
「ちゃんと23本あるんだよ」
「そうなの?!」
「後で数えてみてよ」
「え・・・って事は、あれ広瀬さんが買ってくれたの?」
「そりゃ、そうでしょ。・・・逆に何だと思ったの?」
「・・・どっかから そういう画像見付けて、送ってくれたんだと・・・」
「ちゃんと23本の赤いバラを、有紗ちゃんの為に買ったんだよ」
「・・・なんだか悪い・・・ごめんなさい・・・」
「どうして謝るの。ありがとうでいいでしょ、そこは」
「だって・・・。しかも私、何かの画像か何かと思ったなんて・・・最低だね。こういう鈍感なとこ、自分でも本当嫌い」
淳哉はハハハとあっけらかんと笑った。
「それだけ上手く撮れてたって事でしょ?嬉しいねぇ」
さすがのポジティブシンキングである。
「23本映る様に撮るの、結構苦労したんだよ。俺の力作」
「それ・・・どこに飾ってあるの?」
「俺んち」
淳哉はまた明るくはははと笑った。
「有紗ちゃんへのプレゼントが俺んちにあるって、変な感じだよね」
再び『ごめんなさい』と言いそうになる有紗の言葉に被さる様に、淳哉が質問した。
「本当はさぁ、有紗ちゃんの好きな花にしたかったんだけど、知らなくってさ。聞いとけば良かったよ。俺のイメージだと、すずらんとかカスミソウってイメージなんだけど、それだけ23本の花束って ちょっと難しいでしょ」
「昔っから、主役タイプじゃないからね」
「いいよ、その方が。やっぱ大和撫子は控え目でないと」
「広瀬さんが、今まで好きになった人って・・・どんな人?年上とか同級生とか年下だとか・・・」
「高校生ん時は同級生だし、年下も居たし・・・年上も居た」
「・・・・・・いっぱい居るんだね」
「いっぱいじゃないよ。だって俺、27だよ。そりゃ、何人かはいるでしょ」
「・・・そうだね」
勘の良い淳哉に感づかれない様に、言葉を続けた。
「広瀬さんは、モテそうだもんね。50人や100人元カノが居たっておかしくないもんね」
淳哉がまた からかう様に言った。
「あれ?焼きもち焼いた?ん?」
「焼いてません!」
「じゃ、俺に元カノが50人や100人居ても平気?」
有紗の声が一瞬詰まる。
「私には・・・関係ないもん」
「冷たいなぁ、相変わらず」
一瞬沈みかけた有紗の声に気づいてか無意識か、淳哉の冗談めかした会話に救われ、ふっと笑ってしまう。すると、今度は淳哉が話題を変えた。
「有紗ちゃんってさ、仕事の時 髪どうしてるの?アップにしてるの?それとも後ろで一つにまとめてるとか?」
「・・・どうして?」
「OLさんってさ、朝会社の制服に着替えると 髪の毛もくるくるっとまとめちゃうイメージだからさ。で、終わると、ハラハラっと取る・・・みたいなね。ま、ドラマの世界だけど」
有紗は鏡を見ながら言った。
「・・・私・・・髪の毛、短く切ろうかと思ってるの」
襟足の短い毛先を撫でつける有紗。
「え~!俺長い方が好きだから、切んないでよ~!」
「そうなの?短いの・・・嫌い?」
「嫌いじゃないけど・・・やっぱ長い方が女の子らしいっていうかさぁ。男の俺には無縁だからね、長い髪とかスカートとか。女の子は、女の子にしか出来ない格好 思いっきりしたらいいと思うんだ」
鏡の中の自分を 悲しい瞳で見つめる有紗。
「広瀬さんは、女の子らしい子が好きなんだね・・・」
「その子に似合ってれば何でもいいんだけどね。だから、有紗ちゃんが髪の毛短くしたいって言うなら・・・あぁ、でもベリーショートとか無しだよ。俺より短くなっちゃったら・・・ちょっと嫌」
23回目の誕生日に、有紗は母の病院に来ていた。
「お母さん、私も今日で23になったよ」
有紗の顔を見つめ、優しく微笑む母。
「仕事もまだ決まらないけど、今はね、色んな事を頑張ってみようかなって思えてるんだ。人生で初めてかも。前向きになれてる」
母は有紗の顔を見て、満足気に頷いた。
「何かいい事あったの?」
後遺症の残る口調で、必死に話す母。有紗はにこっと笑って、
「まだまだ心配ばっかり掛けてるけど、・・・産んでくれてありがとう」
母は穏やかな笑顔で言った。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
不意打ちで、有紗の目頭に熱いものが込み上げる。そして母はゆっくりとした口調で続けた。
「あんたが生まれた時、お爺ちゃんが亡くなったばっかりで お父さん落ち込んでたの。仕事も上手くいかなくて。だけどあんたが生まれてお父さんが元気になって、又頑張ろうって気持ちになったんだって。生まれてくれただけで、周りを元気にしたんだよ」
初めて耳にする自分の生まれた時の様子に、興味深げに耳を傾ける有紗。
「だから、自信持ってね。一人一人生きてるだけで、きっと誰かの為になってるんだと思う。お母さんも、まだこうして生かしてもらったって事は、やらなきゃならない事がこの世にまだあるんだろうね」
「そうだよ。お母さんは生きててくれるだけでいいんだから。家族皆の元気になってるんだよ」
「励ましてもやれないし、何も手伝ってもあげられなくて、ただ世話にばっかりなってしまってるけど・・・ごめんね」
「今まで家族の為に頑張ってきてくれたんだから、今度はいっぱいしてもらう番なんだよ。早くお家に帰って来られる様に、皆で考えてるからね」
有紗は母の手を優しく握った。
病院から帰宅すると、姉が家に来ていた。
「おかえり」
「お姉ちゃん。・・・どうしたの?」
「お誕生日だからと思って、お赤飯焚いてきた。自分じゃ作らないでしょ?」
「ありがとう、わざわざ」
テーブルの上に置いてある紙袋からタッパーを取り出すと、蓋を開けて見せる姉。
「うわぁ、美味しそう」
「昔っから好きだもんね」
姉の子供達は、テレビの前でDVDにかじりつきである。その子供達の様子をチラッと確認してから、姉は話し始めた。
「仕事は?決まりそう?」
「昨日二社 面接してきた。今日までに連絡があれば採用だって」
「どんな仕事?」
「会社の受付窓口」
「え~っ?・・・意外。どうしちゃったの?急に。条件が良すぎて目が眩んだとか?」
「違うよ・・・」
有紗が少し口を尖らせる。
「自分の苦手だと思ってた事にも、チャレンジしていこうかなって思って」
「何?心境の変化?・・・まぁ色々頑張ってみなよ」
そして姉は お赤飯を入れてきた袋を畳みながら、また話した。
「お母さんの今後の事とか、色々考える事あると思うけど、私も出来るだけ協力するからさ。それを理由に、自分のやりたい事 我慢しない方がいいよ。きっと、お母さんもそう言うと思う」
「・・・うん。ありがと」
時間を確認すると、姉が鞄を肩に掛けた。
「さ、じゃ帰ろうかな」
子供達のDVDを片付け、おむつを替え、上着を着せる。
玄関で見送る時、姉が有紗をしげしげと見つめて言った。
「あんた、髪ボッサボッサだね。切ってあげようか?」
美容師だった姉には、気になるらしい。しかし有紗は頭をブンブン振った。
「いいの。今伸ばしてみようと思ってるの」
「え?伸ばすって・・・ロングに?」
「うん・・・。ずっと短かったから、イメチェン。長いのもどうかなぁと思って。例えば、伸ばしてゆるくパーマかけて ゆるふわ・・・とか」
姉の顔色を窺いながら話してみるが、やはり姉は想像通り 目をむいた。
「ゆるふわ~?あんたの髪は太くて多いから、ゆるふわにはなんないよぉ。せめてストレート。でも、一歩間違えたら日本人形みたいになっちゃうよね。顔も和だしさ」
「やっぱ変かな・・・」
姉は そう話す有紗の目をじーっと覗き込んだ。
「好きな人でも出来た?」
「そんなんじゃないよ!」
しかし、姉はその言葉を信用しなかった。まだ疑わしい目つきで有紗を見ている。
「急にイメチェンなんて、おかしいじゃない。しかもゆるふわって・・・。女子力アップさせようとしてんでしょ?」
「別にゆるふわじゃなくたっていいんだよ。例えばの話。好きな人とかいないから!」
「いい事じゃないの~。好きな人作って、恋愛して、自分を磨いたらいいよ。どんな人か、お姉ちゃん会ってあげるから」
「だから違うって・・・」
すると大人の会話が続く退屈な時間にしびれを切らし、子供達がぐずり出す。
「ごめん、ごめん」
そう言って姉を送り出す有紗が、玄関の戸を閉める間際に もう一言思い出した様に付け足した。
「余計な事、お父さんに言わないでよね。お姉ちゃんの勘違いだからね」
後ろ手に高く手を振って、姉はベビーカーを押し 子供を二人連れて帰って行った。
第8話、お読み頂きありがとうございました。
段々に二人の気持ちが近づいてきましたが...