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嘘と愛のかけら  作者: 長谷川るり
14/24

第14話 蝉の抜け殻

14.蝉の抜け殻


 有紗の仕事は補助作業が殆どだが、だいぶ内容も覚えつつあった。早番や遅番の勤務も一通り経験し、時間の流れも掴めてきていた。

 あっという間に春から梅雨を通り過ぎ、夏を迎えようとしていた。季節毎に流行するウィルス性の病気には 施設中が神経質になる。院内感染や蔓延を防ぐ為の手立ても万全で、一つ一つが有紗にとっては新鮮 且つ勉強になる。

 その反面、仕事の合間に 夏休みの計画に頭をいっぱいにしている先輩達の姿が印象的だった。所帯持ちはバーベキューや家族旅行、独身組は海やプールへ出掛ける人が多く、中でも女子達は 浴衣を着て花火大会に行く予定などを一緒に立てたりしている。


 夏休みは全国共通のわくわく感溢れるイベントだ。その証拠に、淳哉の店でも客達が同じ様な話題をしている。会社員やOLは夏のボーナスという まるで子供にとってのサンタさんからのプレゼント位のご褒美が目の前にちらついているのである。

「淳君は、彼女と旅行でも行くの?」

「さぁ、どうでしょう」

「あ~、勿体つけてぇ」

常連客との いつもの掛け合いだ。

「淳君は海派だよね?今年はどこの海行くの?湘南?それとも千葉?」

すると隣の別の客も便乗する。

「横浜の彼女だから、江の島の海でデートじゃない?ね?」

「うわぁ~サザンみたい」

勝手に盛り上がる客達に、ただ笑顔だけで相槌の代わりにする。

 そこへ仕事帰りの賢が入ってくる。

「いらっしゃい」

マスターの挨拶に会釈をしながら、いつもの奥の席に座る賢。

「お疲れ」

いつもの最初のビールを出す淳哉。静かに飲む賢の周りでは、相変わらず夏休みという陽炎に浮足立つ者の会話が飛び交う。それを聞いて思い出した様に、賢が淳哉に話し掛ける。

魚雅うおまさって居酒屋覚えてる?」

「あぁ。昔よく行った?」

「そうそう。そこが今年バス一台借りて、奥多摩の方にバーベキューに行くんだって。一人三千円らしいんだけど、俺も行こうと思ってんだけど、彼女連れて来ない?」

「あ・・・仕事の都合つくかな。聞いてみないと分かんないや」

「8月の13日だって。聞いてみてよ。行けたら一緒に行こうよ」

すると、隣の常連が話に加わる。

「愛ちゃんも来るって事でしょ?まずいっしょ・・・」

「俺、全然平気っすよ」

淳哉のあっけらかんとした返事に、客が渋い顔をする。

「お前じゃないよ。彼女は・・・いきなり元カノに会わされたら気まづいでしょ」

今度は他の客まで、面白い話題に飛びついてくる。

「元カノなんて紹介しないでしょ、さすがに」

「え?あぁ、まぁ そうか」

事の成り行きを静観している賢。勝手に話題だけ持ち去って盛り上がる客をよそに、賢は淳哉に聞いた。

「やっぱ、そうかな?ダブルデートみたいになれば いいかなって思ったんだけど」

「・・・お盆、休みあるか分かんないし」

「彼女は夏休みないの?」

「・・・どうかな」

賢は少し淳哉の顔を窺ってから言った。

「何か予定立ててないの?」

そこでハッとする淳哉が、笑顔を作った。

「俺も実家帰ったりするからさ。むこうもまだ仕事のシフトがはっきりしてなくて・・・。でも8月13ね。聞いてみるよ。ありがと」


その週のある晩、淳哉が有紗にメールを送った。

『有紗は夏休みもらえるの?』

『3日位はもらえるみたい。あっちゃんは、お店お休みあるの?』

『もしお休みの日が合えば、どっか旅行行こうか』

その文面を読んで、有紗は目を疑った。多分読み間違えだと思い、何度も何度も読み返す。しかし何度読んでも、間違え様のない短い文章に 有紗が固まる。何かの言葉を間違って打ち込んでしまったとか、変換し間違えたとか、色々の可能性を考えてみる。が、それらしい有力説は浮かばない。有紗が返信に躊躇していると、淳哉からメールが届く。

『今仕事中だから、後でゆっくり話そうね』

そのメールで、先程の淳哉からの内容が間違いでない事を確信してしまう。それから夜中の2時半を迎えるまでの有紗の気持ちは言うまでもない。想像通りだ。

「ただいま」

「おかえりなさい」

有紗の声が、いつになく上ずっている。

「びっくりした?」

「・・・どうしたの?急に」

「どんな反応するかなと思って」

少し面白がっている様な淳哉。

「・・・からかったの?」

「からかってないよ。本当に、行きたいなって」

「いきなり旅行って・・・」

「だって、こういう時じゃないと連休なんて無いでしょ?」

「・・・本気で言ってるの?」

「う~ん・・・あわよくば」

有紗が断る言葉を探していると、淳哉が先を越した。

「会ってもないのに、旅行なんて無理だよって言おうとしてるでしょ?」

有紗は頭を掻く。

「そう言うと思ってたから、大丈夫だよ」

有紗が言葉に困っていると、淳哉の声が聞こえてくる。

「旅行は無理だけど、海でも行かない?」

「海?」

「夏だし」

「海・・・入るの?」

「もしかして有紗、泳げないの?」

「・・・・・・」

「有紗は夏に、海とかプール行かないの?」

「行かないし・・・水着自体中学校以来着てない」

「え~っ?!有紗、夏いっつも何してんの?」

「何って・・・別に何も・・・」

「じゃ、一緒に水着買いに行く?でさ、海に行こうよ」

「・・・ちょっ・・・ちょっと、待って」

有紗の声が微妙に震えだす。

「いきなり海は、さすがにハードル高いよね?じゃぁ・・・バーベキュー。俺の友達も彼女と行くんだって。だから一緒にどうかって」

「友達・・・?」

「俺の一番仲の良い友達。信用できる奴」

「どうして急に 友達なの?」

有紗の声に急に警戒心があらわになる。

「俺達が行ってる居酒屋で、バス貸し切って 奥多摩の方にバーベキューに行くんだって。それに行かないかって誘われた」

「・・・・・・」

「前から、彼女紹介してよって言われてたんだよ」

「そうなの?」

責任を感じる有紗が肩をすぼめる。

「ごめんなさい」

「俺が休みの日もこっちで一人で居るとこ見掛けるから、友達が皆 彼女と上手くいってないんじゃないかって心配してたんだって。笑っちゃうよね」

はっはっはっと口を大きく開けて笑う淳哉の明るさに、多少救われる。

「どこで知り合ったかも、一度も会ってないっていうのも言ってないからさ。もちろん有紗の話もしてない。全部二人だけの秘密だから」

「夏休み・・・」

「会いたくなった?」

「夏休み・・・」

もう一度有紗が大きく息を吸った。その息が微かに震えている。

「アウトドアが嫌だったら、浴衣で花火大会とか・・・」

淳哉の必死の攻防が続く。

「どうして・・・」

さっきから単語ばかりが口から出るが、文章に繋がらない。有紗は深呼吸をしてから、もう一度口を開いた。

「どうして今日は、『無理しなくていいよ』って言わないの?もう・・・タイムリミットって事?もうこれ以上待てないって事?」

「・・・・・・」

今日の淳哉は『そういう意味じゃないよ』とは言わなかった。有紗はぎゅうっと苦しくなる胸を押さえながら、淳哉の言葉を待った。しかし、答えのない淳哉に有紗は諦める。

「だよね・・・」

二人の間に嫌な間が流れる。その隙間に、淳哉が割り込んだ。

「あっ、もしもし?ごめん。ちょっと電波悪いかも。聞こえてる?」

「え・・・うん」

「あれ?こっちの声聞こえてる?」

「聞こえてるよ」

「あ、やっと聞こえた」

「・・・聞こえてなかったの?」

「何か途中から・・・。俺が『やっぱ慌てないで、今まで通りいこう』って言ったの、聞こえた?」

有紗の胸が急に緩む。

「聞こえてなかった」

有紗の声から、先程の様な緊迫感が消えた。

「もう終わりなのかなって思っちゃった・・・」

淳哉の心に隙間風が吹き抜ける。

「俺言ったでしょ。会えなくてもいいって。会うの前提じゃなくて、電話の恋人でいいって」

「でも、本音は違うんでしょ?」

仁美の言葉が頭をよぎる。

『会いたいしデートもしたい筈』

淳哉はゆっくりと言葉を選んだ。

「本音か・・・。さっきのも本音。でも、出来る事なら会いたいっていうのも本音。両方本音」

有紗を電話越しに感じながら、淳哉が続けた。

「前も言ったけど、有紗のペースで一緒に進もうって」

そう話してから、淳哉が笑った。

「矛盾してんな。バーベキュー行こうとか言っといて。ま、それだけ色んな気持ちを そのまんま有紗にぶつけてるって理解して欲しい」

有紗は小さく『うん』と頷いた。


 有紗は次の日早速、仁美を呼び出した。仕事帰りの二人が落ち合ったのは、新しくオープンしたカフェだ。仁美がサービス券を持っていて、お薦めのクラブハウスサンドと冷製スープのセットを注文した。注文を終え、水を一口飲むと、待ちきれない様子で 有紗が前のめりに仁美に話し始めた。

「夏休み旅行に行こうって」

「いきなり旅行?」

「でしょ?で、私も仁美と同じリアクションしたわけ。そしたら、じゃ海に行こうって」

「海か・・・。あんたを知ってたら海は誘わないけど・・・仕方ないよね」

「でね、それが駄目ならバーベキューに行こうって」

「来るねぇ、ガンガン」

「友達も彼女連れて来るから、一緒にどうかって」

「あ~、ダブルデート的な?」

「結局は行かないんだけど、それでね、私思ったんだけど」

更に有紗は身を乗り出した。

「もしだよ、もし万が一会う様になったとしたらね、海とかバーベキューとか旅行とか、そういうデートに行かなくちゃいけないって事でしょ?なんだか・・・大変そう。私、そういう遊びした事ないし・・・」

深刻な顔の有紗を眺めてから、仁美がぷっと吹き出した。

「何の心配してんの。少しは嘘を白状して会う気になってきたって事?」

「いや・・・そういう訳じゃないんだけど・・・」

「じゃ、心配する必要ないじゃない」

「だから万が一って言ったじゃない」

意地悪を言う仁美に 口を尖らせてみせる。

「じゃ私も万が一会った場合の話するけどね」

有紗が大きく頷きながら、興味津々で顔を近付ける。

「行きたくなければ、そう言えばいいんじゃない?」

「え?そんな事出来るの?」

真顔の有紗に、再び仁美が吹き出す。

「学校の行事じゃないんだからさぁ。デートって、二人が行きたい所に行けばいいんだよ。広瀬さんが提案したデートが嫌だったら そう言えばいいし、また会えば、もっとお互いの好みとか分かるから、今からそんな心配する事ないよ」

「そうなのかぁ。私海とか旅行とか行かなくちゃいけないんだと思って、この人とは合わないのかなって思っちゃって・・・」

「でもさ・・・さっきの話し方聞いてると、旅行とか海とかはバーベキューに誘う為のフリって気がするなぁ」

「・・・どういう意味?」

「だから、初めっからバーベキューって言ったら断られるの分かってるでしょ?だから初めにハードルの一番高い 不可能に限りなく近い案を持ってきて、それが駄目ならって次の案、それも駄目ならせめてバーベキューは?っていう手法だったんじゃないかなぁ」

「え・・・じゃあ、そういう計算して誘ったって事?」

「ま、それを計算と取るか、バーベキューに一緒に行きたいっていう気持ちが強かったって取るか・・・」

「え~・・・。あっちゃん、そんな計算する人には思えないんだけど・・・」

「ま、今はあばたもえくぼだろうからね」

「私のまだ知らないあっちゃんがいるって事?」

「裏表があるって意味じゃないよ。あんたを誘い出す為に 苦労してんのよ彼も、きっと」

「じゃ、断っちゃ悪かったね・・・」

「ま、想定内だったとは思うけどね」

「あっちゃんにだって会えないのに、友達もいるなんて無理だよ。それにきっと、私を彼女だなんて紹介するの あっちゃん恥ずかしいと思う」

「なんでよ!じゃあ私も、友達だっていうの恥ずかしいと思ってると思うの?」

「友達はいいよ。彼女って紹介したいのはさ、きっともっと綺麗で可愛くてスタイルも良くて、明るくて・・・」

「そんな人のが少なくない?」

うじうじと下を向く有紗の顔を見て、仁美が思い出す。

「前に買った化粧品どうした?メイクしてないよね?」

有紗は俯き気味に説明した。

「あの日家に帰ったらさ、お兄ちゃんが来てて・・・気味悪いって」

一瞬口を開けたままポカンとした仁美が、急に大口を開けて笑った。

「そりゃ傷付くわ」

言葉だけは同情しているのに、仁美は腹を抱えて笑っている。

「仁美もそう思ってたの?」

「私はいいと思ったよ。ただ、いきなりあのランクに行くのは難しいから、ナチュラルメイクから練習して、段々にっていうのがいいかもよ」

「・・・・・・」

「ご飯食べたらさ、どっかのデパートでトイレ行こうよ。そこで教えてあげる」

「どうせ似合わないよ・・・」

「そんな事言わないの。可愛くなりたいんでしょ?あっちゃんの為に」

「面白がってるぅ」

「正直こんな面白い事ないわよ。でもね、お母さんみたいな気持でもある。娘にせっかく訪れた春だもん。大事に大事に育ててもらいたいわけよ」


 その日帰宅した有紗は、自分の部屋で鏡をまじまじと眺めていた。あの後 仁美に手取り足取り教えてもらいながらメイクした自分の顔が、前回とは何か少し違っている。確かにこの間は、見慣れないという事もあったが、兄の言う事も分かる気もした。しかし今日は そんなに違和感は無い様に感じる。これなら少し普通の女の子に近い気がする。これならほんの少し、女らしく映る気がする。淳哉へのハードルが少し低くなった様に感じる有紗だった。そこへドアをノックする父。

「風呂いいぞ」

「は~い」

そう返事を返してから、有紗は思い立った様にドアを開けた。

「お父さん」

「どうした?」

用件を言わずじっと父を見ている有紗を、不思議そうな目で父が見た。

「何?」

「あ~・・・何だったっけ?」

「お母さんの事か?それとも仕事の事?」

「う~ん・・・。何かあったかなと思って、変わった事」

様子のおかしい有紗に首を傾げながら、父は答えた。

「別に・・・。お前こそ何か変だけど、何かあったのか?」

「何か変って?」

「だって急にそんな事聞くなんて」

「あ、そういう意味?あとは別に何も・・・ない?」

「何だよ。気持ち悪いな。何か言いたい事があるなら 言えばいいじゃないか」

「気持ち悪い?」

「何か言いたいけど、言わないでいるみたいに見えるよ」

「気持ち悪いって・・・あぁ、そう言う意味か」

「何か変だぞ、今日。大丈夫か?」

「え?どこが?」

「だから、いつもそんな事聞いてこないだろ」

「あぁ・・・そっかな・・・」

噛み合わない会話に、父が小さく溜め息をつく。

「何もないならいいや。ありがと。お風呂入ってくるね」

結局何が言いたいのか分からないまま、父は小さく首を傾げながら居間へと戻って行った。

 その後お風呂に入ると言っておきながら、有紗は化粧を落として 今日仁美に教わった通りにもう一度下地から顔に乗せてみる。慎重に一つ一つ思い出しながら、有紗は鏡の中の自分を作り上げていく。口紅まで塗り終わったところで、ドアをノックする音がする。父だ。

「お風呂、今入るから」

そう有紗が言って慌ててドアを開けると、父はそこに立って さっきの続きの顔をしている。

「やっぱり、何かあったんだろ?」

「・・・どうして?」

「いい事があった様な顔してる」

「そう?」

にやけそうになる顔を必死で堪える有紗。しかし自然と声が弾んでしまう。

「さっきも今も?」

「さっきと今とで何か違うのか?」

「いや・・・そういう訳じゃないんだけど・・・」

「何があったか話したいんじゃないのか?」

有紗は大きく手を横に振って、否定した。

「ううん、そんなんじゃない。別に何があったって訳じゃないし」

そう話す有紗の語尾に、ふふふと笑い声が聞こえてきそうな程だ。有紗は自分一人でも同じ様にお化粧が出来た事も嬉しくて、またそれに 身近な父が違和感を感じなかった事にも喜びを感じていた。お風呂に入っても、髪の毛を乾かしていても、何故か気持ちが躍り出しそうになる。そして次の日から有紗は、メイクをして仕事に行く様になった。


 今日は土曜の早番で、有紗が帰宅すると母が家に帰って来ていた。今週は父に代わって、医療用の母のベッドの横に有紗が布団を敷いていた。

「お化粧する様になったの?」

母が有紗に問う。

「変?」

率直に聞いてみる。そして母はにっこりと笑った。

「綺麗よ」

嬉しそうに有紗が笑うと、母の質問は続いた。

「やっぱり好きな人出来たの?」

明らかに分かりやすい反応の有紗。まだ何も返事をしていない有紗の顔を見て、母が言った。

「良かったね」

「お母さん・・・」

ベッドの横に正座して、母の顔の近くで 有紗が話を始めた。

「まだ・・・会った事ない人なんだけどね・・・」

有紗は事の一部始終を母に話した。そして最後に付け足した。

「誰にも言わないでね、絶対」

母はゆっくりと笑顔で頷いた。そして一つだけ質問した。

「いい人なんでしょ?」

「・・・と思う」

有紗も慎重に頷く。

「応援するよ」

母がそう言ってくれただけで、有紗にとっては百人力の様な気持ちになるのだった。


 次の週、母の帰宅に合わせて 姉の真理恵が子供達を連れて実家に顔を出した。父は真理恵に留守番を頼んで、買い物へと出て行った。子供達が落ち着いて遊んでいるのを車椅子に座って眺めている母は、なんとも幸せそうだった。そんな母に近付く真理恵は、自然と有紗の話題になる。そして母が言った。

「あの子の髪の毛、可愛くしてあげて」

「可愛く?」

真理恵は母の言葉を確認する様に繰り返す。

「もう少し何か変えたら、可愛くなるでしょ?」

「髪の毛、伸ばしてるんだって。最近何だか変だと思わない?まさか本当に好きな人でも出来たのかな?」

真理恵は少し小声になって、母に顔を近付けて言った。しかし母は、首を傾げた。

「あんまり詮索しないの。いいじゃないの。とにかく、せっかく色んな事に前向きに頑張る気になってきたんだから、応援してあげてよ」

しかし真理恵の詮索は止まらなかった。 

「お母さんは何か聞いてるの?」

母は首を横に振った。

「そういうんじゃないんじゃない?新しい仕事に就いて、自分に自信を付けてきたし、資格も取って、本格的に頑張ろうって思ってるんだと思うよ」

「そっかぁ・・・」

真理恵は車いすの肘掛けに頬杖をついた。

「この前からかって、悪い事しちゃったな・・・」

母は真理恵の肩に手を置いた。

「お願いね」

真理恵はにっこり母に笑顔を向けた。


 有紗の休みの昼間、早速姉の真理恵が訪ねてくる。『髪の毛切ってあげるよ』と有紗にメールが来ていて、今日という日になったのだった。

「伸ばすにしても切り揃えながら伸ばした方が、髪にも良いし 早く伸びるからね」

そんな雑談をしながら、姉は手早く支度をする。

「伸びたね~。人生初のセミロングじゃない?」

姉は続けて話す。

「お任せでいい?私に」

「え・・・」

躊躇している有紗に、姉が考えてきた幾つかの走り書きの様なスケッチを見せる。

「どれがいい?」

姉が一番のお薦めだという一つに決めて、いよいよ有紗の髪の毛にハサミが入る。

「こうやってカットしとくと、動きが出て軽く見えるから」

そんな事を言いながら、真理恵はあっという間に切り上げていった。鏡で確認し、有紗の頬もほぐれる。すると今度真理恵が鞄からカラーリングの箱を取り出した。

「少し色入れるよ」

「え・・・」

「ちょっとだけ明るくしただけで、全然感じ変わるから」

あれよあれよという間に、すっかり真理恵のペースに乗せられ、有紗は人生初のヘアマニキュアを体験する。しかしやはり真理恵の言っていた通り、ガラリとイメージチェンジされた有紗が、鏡の中に映っていた。

「いいじゃな~い!思った以上にいいよ!」

真理恵が声を上げる。有紗も今まで見た事のない自分と対面し、戸惑い半分だが、嬉しさが確実に勝っていた。

 そして子供達を姑に預けて出てきた真理恵は、自分の役目を終えると 早々に帰って行った。姉が帰った後も、有紗は嬉しさで何度も何度も鏡を見ては髪を触ってみる。心が躍り出しそうになる自分を必死で抑えようとするが、堪らずにメイクをしてみる。今日はお休みで朝からすっぴんのままだったのだ。顔が出来上がると、益々女らしく感じる。そしてとうとう有紗は、以前に仁美と一緒に買いに行った洋服に着替えてみる。姿見の前に完成形の有紗が立っている。きっと凄い美人ではないのに、今までとの差を思うと、有紗は感激せずにはいられない程で,思わず仁美にメールしてしまう。

『髪切った。ヘアマニキュアした。メイクして この前の服着てみた。なんか普通の女の子みたい』

すると、すぐに返信が来る。

『そのまま出てきて。仕事終わったら会おう』


 その流れで、二人は5時半に待ち合わせる事になった。やはり会った時の仁美の驚きっぷりは想像以上だった。そしてやはり絶賛だった。

「いいよ~いいよ~。かわいいよ~。このまま会いに行っちゃおうよ。『有紗です』って」

「いやいやいや・・・それは駄目だって」

「どうして?行けるよぉ!」

「やだよ・・・」

「これならお店に行っても、前に来た客と同じとは思わないね。私はバレちゃうから無理だけど」

仁美は自分のいでたちを指さして笑ってみせた。

「これから一人で飲みに行って来たら?」

「何言い出すのよぉ~!無理に決まってんでしょ!」

半分泣き出しそうな有紗の顔を面白がって、仁美が更にけしかけた。

「知らん顔してお店に行ってさ、ちょっと気の有るフリしてみたら?どんな態度するか試してみたりして?」

有紗が頬を膨らまして怒る。

「もう!そんな事する訳ないでしょ!」

はははと笑ってから、仁美が仕切り直して真面目な顔で言った。

「自分でも なかなかイケてると思うでしょ?」

すると、言葉を探す様にゆっくりと有紗が口を開いた。

「う~ん。イケてるとまでは思わないけど・・・確かに今までとは違うなって」

「どんな風に?」

「う~ん。少し・・・女の子っぽいっていうか・・・」

「でしょでしょ?自分でもそう思うでしょ?」

「違う違う!少しは普通の人に近付いた様な錯覚を起こすっていうか・・・」

「いいよぉ、そんなに謙遜しなくて」

仁美はポンと有紗の腕をはたいた。


 淳哉が仕事から帰るのを待ち構える様に、有紗がメールを送る。

『お疲れ様。今日まだ起きてるの。帰ってくる?』

すると すぐに有紗の手に持っている携帯が鳴る。淳哉からの着信だ。

「『帰ってくる?』っておかしいでしょ?帰って来ない日なんかないでしょ?」

「ごめん・・・」

謝ってすぐ後に、我に返る有紗。

「今日もう終わったの?」

「うん。で?何かあった?」

「今日ね・・・」

鏡を見ると、また昼間のウキウキが甦る。

「髪の毛切ったの」

「切っちゃったの?!」

淳哉がすっとんきょうな声を上げる。

「切ったっていうか・・・髪型変えたっていうか・・・」

「どんな風に?」

「セミロングにして・・・ヘアマニキュアしてみた」

「染めたの?」

「うん」

「何色?茶色に?」

「少しだけ茶色」

「今までは何色だったの?」

「黒。染めたの初めてだもん」

「そうなんだぁ。初体験かぁ。どう?感想は?」

「なんか・・・違う人みたい」

はははははと淳哉が笑った。

「有紗と喋ってると、けがれてない感じが俺を癒してくれるよ」

「けがれてない?」

「あっ・・・、なんていうか・・・」

慌てて言葉を選ぶ淳哉。

「素朴さが・・・滲み出てる」

「あか抜けないって事?」

「そうじゃないよ~。だって23で初めて髪染めて『違う人みたい』って言うんだよ。かわいいでしょ」

「なんか褒められてる感じしない・・・」

すねた顔で口を尖らせる有紗。

「もう一個あったけど、言うの嫌になった・・・」

「何?何?」

「馬鹿にしない?」

「しない」

「絶対?」

「絶対。・・・っていうか、一回も馬鹿になんかしてないからね」

ようやく渋々話す気になる有紗。

「友達とプリクラ撮った」

「・・・で?」

「で?って・・・それだけ」

「あっ、髪の毛染めた記念に?」

「記念って訳じゃないけど」

有紗は夕方仁美と撮ったプリクラを眺めながら言った。

「初めて撮ったの・・・」

「そうなの?!」

またすっとんきょうな声を上げる淳哉。

「今日は初体験づくしだね」

「あっちゃんはプリクラ撮った事ある?」

「・・・あるかな・・・」

「『あるかな』って、覚えてないの?何か他人事みたい」

「・・・はっきりは覚えてない位昔。昔に一回位あんじゃない?」

「へぇ~。友達と?」

「・・・うん」

奥歯に物が挟まった様な言い方に、ようやく有紗がはっとする。

「彼女と撮ったの?」

「忘れたよ。昔だもん。誰と撮ったかなんて」

「ふ~ん・・・」

きっと自分との小さい一コマも先になったら忘れられてしまうんだろう等と、ふと有紗は悲しく思う。

「そういうのって、忘れちゃうものなんだね」

「・・・・・・」

「あっ、それとも私に気遣って『忘れた』って言ってるの?」

「違うよ」

「じゃ、私にとって大きな事でも、あっちゃんにとっては些細な事だったら忘れちゃうんだね」

「有紗との事は、覚えてるよ」

「じゃあ、質問するから答えてよ。覚えてるかどうか」

そう言って、有紗は第一問を出題する。

「あっちゃんと私が初めて電話で話したのは、何曜日だったか?」

「曜日?・・・えぇっと・・・金曜日?」

「ブッブー!」

「え~!有紗覚えてんの?何曜日か」

「覚えてるよ」

「何曜日よ?」

「水曜日!」

「すげ~。何で?第一問目にしては難しくね?」

「分かった。じゃぁもう少し易しい問題」

有紗が第二問目を出題する。

「あっちゃんが私の事、妹みたいに可愛くっていじめたくなるって言った日、電話切った後私のとった行動は?」

「え~?それって思い出じゃなくね?難しいよぉ」

「言ったのは覚えてる?」

「覚えてるけど・・・」

必死に当時の様子を思い出す淳哉。そして、自信無さ気に答える。

「ニヤニヤした・・・とか?」

「なんで?」

「可愛いって言われて嬉しかったとか・・・」

「・・・」

「答えは何よ?」

「当たったら教える」

「う~ん。じゃぁ・・・意外な所で『寝ちゃった』とか?もう遅い時間だったし」

「違う!」

「わかんないよ、教えてよ」

少し悩んだ末に、有紗がボソッと言った。

「泣いたの」

「泣いた?!本当に?ごめん。でも・・・なんで?」

「ちょっと・・・ショックだったから」

「そうなの?え?有紗も俺の事、好きだったの?」

「・・・」

急にくっくっくっくっと笑い出す淳哉。笑いが止まらない。

「そんなにおかしい?」

「おかしいんじゃない。嬉しいの。知らなかったから、めっちゃ嬉しい。俺さ、有紗に強引に電話の恋人なんて言っちゃって・・・。有紗は後から俺の事好きになってくれたんだと思ってたから、笑いが止まらない程今嬉しい」

有紗の頬も照れて少し紅色に染まる。

「じゃ、俺からも問題。去年の有紗の誕生日に、俺が有紗を花に例えたんだけど、何だったでしょう」

「カスミソウとすずらん」

「あれ?簡単すぎた?」

「うん」

「そうかぁ・・・簡単かぁ」

「あっちゃん覚えてないから、問題出せないでしょ」

「・・・悔しい。でも、忘れたって平気」

「え?」

ふと一瞬、悲しい空気がよぎる。

「俺が忘れても、有紗が覚えててくれるから。いつも横で思い出させてくれればいい。ね?」

心の中がふんわり温かくなるも、奥の方で微妙に切ない色が落ちる。返事がない事を、いつもの淳哉なら明るく突っ込むのに、今日はそのままだ。仁美と撮ったプリクラをぼんやり眺めながら、有紗が言った。

「プリクラって・・・顔が違う人みたいに映るんだね」

「そう?」

「だって・・・目とかパッチリでキラキラだし、何かお人形さんみたい」

「有紗がお人形みたいなんじゃないの?」

「まさか・・・。私は・・・」

そこまで言ってはっと口を押える。うっかり どれほど地味で冴えない顔かを説明しそうになる。

「・・・そんなんじゃないから」

「別人みたい?」

「うん」

「じゃ、それ頂戴よ、一枚。顔全然違うんならいいでしょ?」

「やだよ!」

「なんでよ。ケチだなぁ。誰にも見せないで、俺だけが持ってても駄目?」

「ダメ、ダメ、ダメ」

思わず持っていたプリクラを後ろ手に隠す有紗。

「あ~あ。つまんないの」

はぁと溜め息が小さく聞こえる。そして淳哉がもう一度息を吸った。

「有紗は、俺がどんな顔してるか 気にならない?」

有紗の胸の奥で、ざわざわする。

「こっそり店に見に行っちゃおうとか思わない?」

「・・・・・・」

「俺、有紗が受付嬢の時に 見に行っちゃえば良かったな」

苦し紛れに有紗が返事する。

「・・・だね」

すると、その相槌に淳哉が驚いた。

「だね?今『だね』って言った?」

淳哉がその意味を理解する空白の間を置いて、はっはっはっと笑った。

「新しいね、その返し」

「・・・でしょ?」

再び有紗の苦し紛れの相槌が聞こえる。

「・・・なんか、変」

有紗はドキッとする。勘のいい淳哉に、とうとう気付かれてしまったのかと、心の中でやきもきする。

「なんか変な感じ。有紗が俺に似てきたのかな?」

心配が外れ、少しホッとする有紗。

「そうかなぁ」

「そうだよ。今までは俺が冗談でも そういう事言ったら黙っちゃってたし。俺に対して免疫が出来てきたって事かな。それだけ有紗の心が強くなったんだね。嬉しい」

明るい声でそう言った後で、またすぐに淳哉は少し落ちた声を出す。

「でも・・・一個だけ残念だな」

「何?」

「今目の前に有紗がいたら、いい子いい子してあげるのに」

そして、有紗が何も言わず変な空気が漂う前に、淳哉が続けた。

「自分でしてね、俺の代わりに」


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