第12話 やきもち
12.やきもち
有紗の郵便局のアルバイトの期間も終わり、又いつもの就活へと戻る。
「有紗は、何かやりたい事とか ないの?」
淳哉が聞く。
「別に・・・」
そう言ってから、少し後悔する。
「やりたい事とか目標が無いなんて、駄目だよね・・・」
すぐに相槌がない事に一瞬不安がよぎるが、次の淳哉の言葉が有紗を救う。
「きっと、自分で自分の可能性潰してるんだよ。多分出来ないとか、向いてないとかさ」
「そうかなぁ」
「そうだよ。一緒に考えよ」
学生時代、受験を控えた生徒に先生が 将来の事一緒に考えようと言ってくれた様な、頼もしさや嬉しさが胸に押し寄せる。
「得意な分野とか、好きなジャンルは?例えば音楽とか・・・料理とか」
有紗は首を傾げる。
「体を使う仕事?それとも頭を使う方?」
「私、運動音痴だから 体を使う仕事は苦手なんだけど・・・頭にも自信がないから、だったら体を黙々と使う方がましかな・・・」
「じゃぁ、掃除系は?」
「掃除?」
「ホテルのルームクリーニングとか、ハウスクリーニング。ビルの清掃は体力要るから無理だと思うけど」
「そういうの、バイトなら有りそうだけど、社員となるとなかなか無いでしょ?」
「初めはバイトで、その内社員登用有りっていう会社 結構あるみたいだよ。うちのお客さんでさ、ハウスクリーニングの会社やってる社長さんいるんだ。紹介しようか?」
「いいよ!だって・・・」
「でもさ、考えたら勿体なくない?会社の受付嬢やってたんでしょ?何か、そっち方面で探した方がいいんじゃないの?」
ドキッとする有紗。
「だから前も言ったけど、何で私が受付?っていう不思議な配属だった訳で・・・」
「本当に?じゃぁ ま、百歩譲ってそうだとしてもだよ、その経験を活かして接客とか案内嬢とか秘書とかは どう?」
淳哉の口から出てくる職種が、まるで異次元の話の様に聞こえてくる。
「ありがと。参考にするね」
そうは言ったものの、参考には出来ないものばかりだという事を淳哉に悟られない様に、有紗が必死に明るい声を出した。
いよいよ母が家に帰ってくる日だ。何回か一時帰宅で練習し、家での生活に慣れてから、外泊という段階に進む。
母の車椅子を押しながら有紗が玄関を入り、声を掛ける。
「おかえりなさい、お母さん」
家の中に入り、母は感慨深げに部屋の中を見回す。
「どう?久し振りの家は?」
「皆のお陰で 帰って来られたのね」
車椅子でも部屋の中を移動しやすい様にと 有紗が模様替えした甲斐あって、母に懐かしい家の中を見せて回る。
「ばあば~」
玄関から孫の声がする。姉の真理恵夫婦が子供二人を連れて、到着したのだ。
「ごめん!遅くなっちゃった。道が混んでて・・・。お母さん、おかえり。やっと帰って来られたね」
抱っこしていた二番目の子供 蓮を母の腕に渡す。
「ほら、ばあば おかえり~って」
少し不自由な手でしっかりと孫を抱く母。
「大きくなったね」
それを皆が微笑ましく見守る。お昼はお祝いにと寿司を取る。小さく刻んだ握り寿司をスプーンで懸命にすくい、母はゆっくりと久し振りの味を楽しんだ。和気あいあいの家族団らんの輪の中で、有紗がぽつりと言った。
「子供がいるっていいね。ね、お母さん。やっぱ孫は、子供と違って無条件に可愛い?」
ふふふと微笑む母。すると姉の真理恵が言った。
「じゃ、あんたも結婚すればいいじゃない。好きな人、居るみたいだし」
皆の目が一斉に有紗に向いた。慌てた有紗は、戸惑いながらも必死で両手を振って否定する。
「いない、いない!お姉ちゃん、適当な事言わないでよね!」
一番驚いているのは父だった。
「そうなのか・・・?」
「だから、お姉ちゃんが勝手に言ってるだけだってば」
姉も黙ってはいなかった。
「勝手じゃないわよ。髪の毛伸ばそうとしてんのよ」
今度は、皆が一斉に真理恵を見る。
「それだけ?」
「それだけじゃないわよ。ロングのゆるふわ目指してんのよ。おかしいでしょ?昔っから行ってる美容院で、お任せで切ってもらった髪型を10年変えない人がよ。服だって無頓着だったのに、急に見た目気にし始めちゃったりして」
あらためて そう自分の事を説明されると、恥ずかしくて返す言葉も出ない。
「段々にお洒落に目覚めてきたのかな。今は時間もあるから」
「お父さん。現実から目をそむけちゃ駄目よ。この子だっていい年なんだから、いつ『結婚したい人がいる』って連れてくるか分かんないよ。覚悟しとかないと」
まるで母親の様な口ぶりで父を諭す真理恵。何となく皆が頷いて聞いていると、母が口を開いた。
「どんな人なの?」
皆の興味を母が代弁した様な形となり、又話題の中心になる有紗。
「だから、そんなんじゃないってぇ!」
有紗が勢いでイクラを口に放り込む。すると、その様子を見ていた真理恵が言った。
「まだ微妙な関係なのかもね・・・」
反論したいが、口がいっぱいで喋れない有紗。
「ようやく春が来たみたいよ。良かったね。皆応援してるからね」
姉がからかう様に言うと、慌てて飲み込んで喉に詰まりそうになる有紗が、真っ赤な顔をしている。
「可哀想に・・・。真っ赤になっちゃったよ」
真理恵の旦那の守がフォローする。しかし、更に慌てた有紗がお茶を飲んで胸を叩く。
「違います!今お寿司が喉に詰まっちゃって・・・」
結局その日、その疑いは晴らされる事のないまま、母の初めての一時帰宅は終わった。
数回の一時帰宅も問題なく過ごし、隔週で外泊をする事となった。泊まりとなると、やはり大変なのは夜中のトイレだった。おむつをさせないという父の思いやりから、何週かは父親が夜中の世話取りをしたが、今週は有紗が夜中の面倒を見ると買って出ていた。明日また母が帰ってくるという金曜の夜、有紗は淳哉に電話をしていた。
「明日の夜、電話出来ないから。ごめんね」
「どっか行くの?」
「・・・そうじゃないけど・・・」
「じゃ、どうして?」
「・・・ちょっと用事があって・・・」
「夜中に、用事?」
言ってみるまで どうしてこんな会話位 想定できなかったんだと、悔やむ有紗。つくづく自分が嫌になっていた。
「・・・わかったよ。じゃ明日は掛けない」
言いたくなさそうな雰囲気を察して、淳哉が話に決着をつけた。しかし、決着をつけたのと同時に、会話も途絶えてしまう。口の重たい有紗に代わって、淳哉が思い出した様に口を開いた。
「そうだ。二週目の土曜日、またこの間のお客さんにゴルフ誘われてんだけど、行ってもいい?」
有紗はカレンダーを見る。2月14日・・・何かあった様な・・・そして、あまりに鈍感な自分にため息が出る。
「バレンタインデー・・・?」
「・・・ま、そうだけど・・・」
「それって・・・」
「別に深い意味は無いと思うんだけど、有紗が嫌なら断る」
仁美と店を訪れた時の光景が目に浮かぶ。
「バレンタインデーに誘うんだから、深い意味・・・あるでしょ」
「有紗がそう思うなら、やめよう」
「何か・・・私に決定権があるみたいなの・・・やだ」
雰囲気が悪くなる事を恐れていた有紗だったが、意に反して、淳哉は嬉しそうな声を上げた。
「そう?やだ?・・・やっぱ、やだよね」
その淳哉の態度を不思議に感じると同時に、有紗は からかわれている様にさえ感じて、すねた声を出す。
「何で嬉しそうなの?」
受話器越しに、淳哉の含み笑いが聞こえる。
「だって・・・。やだって、ちゃんと言ってくれたから」
「私、行くの嫌だって言ったんじゃないよ」
「分かってるよ。だけど、ちゃんと自分の気持ち 伝えてくれたから嬉しい」
有紗は頭を掻いた。そんな事で喜ぶ淳哉に、少し有紗の心が緩む。
「じゃ、バレンタインの日にゴルフ行ってくるね」
「・・・なんか・・・嫌な言い方」
「だって、決定権を委ねられるの 嫌なんでしょ?」
すると、有紗が大きな声を上げる。
「あ~!さっきのも誘導尋問だったんでしょ!」
返事がないから、有紗も続ける。
「わざとやだって言わせようとしたんでしょ!もう~」
有紗の膨れっ面を想像して、淳哉が笑った。
「え?じゃ、ゴルフの話も嘘?」
「それは本当」
有紗は少しばかり心が沈んだ。
「行かないで欲しいなって言ってくれるの、さっきから待ってるんだけど、俺」
有紗はふと、淳哉にとって本当にいいのはどっちなんだろう等と考えてしまう。行かないでと言いたいが、自分が代わりに会いに行ける訳じゃない。先の見えない自分に縛られるより、現実を一緒に生きているその人達の方が、よほど淳哉の将来の為になるんではないか・・・。
「ま~た余計な事考えてるみたいだから言っておくけど、有紗と会えないかなぁとか、そんな事考えてるんじゃないよ。ただ、やきもち焼いて欲しかっただけ。子供っぽいかもしれないけど」
有紗はただ『うん』とだけ相槌を打つ。
「そのお客さん達は俺に彼女がいる事も知ってるし、たまたまバレンタインデーだっただけで、仕事の休みに合わせたんだと思う」
「うん」
「モーニングコールも要らないって言っちゃうから、有紗 ちゃんと俺の事起こしてよ」
それまで『うん』だった相槌が、『一つだけ・・・』に変わる。
「何?」
「・・・車の中で寝るの、嫌」
「そうだ!思い出した。寝ないのキツイな・・・。でも、何で嫌なの?肩に寄り掛かったりとか、膝枕とか してないよ」
「うん」
「ドアに寄り掛かって、着くまでずっと寝てんだよ」
「・・・嫌」
「そうかぁ・・・。じゃあさ、寝ない様に頑張るけど、うっかりウトウトしちゃうかもしれないじゃない?そん時に、理由が分かってた方が頑張って寝ないでいられると思うんだよね」
じわりじわりと攻めてくる淳哉。
「殆ど寝ないで行くんだから、仕方ないよね。・・・気にしないで、忘れて」
すると淳哉が声を上げた。
「ずりぃ~!!」
悔しがる淳哉に、ふふふと有紗が笑った。
2月14日、ゴルフ場への行きの車の中で いつもなら即爆睡の淳哉が起きている事に皆不思議がる。
「淳君、今日はデートじゃなかったの?彼女いるんでしょ?」
「土日休みじゃないから」
「へぇ~、サービス業?看護師さんとかデパガとか?」
「ご想像にお任せしますよ」
「淳君も、そういう大人な事言う様になっちゃったんだね」
「皆さんこそ、バレンタインにデートの予定無いんですか?」
「失礼でしょう!もう、今日ハンデあげないからね」
ゲラゲラと笑い声が車中に充満する。それが少し落ち着くと、一人が助手席に座る淳哉に 身を乗り出して質問する
「淳君、今日寝不足じゃないの?」
「いつもと変わらないっすよ」
「じゃ今日寝ないのは、彼女の為?」
「・・・なんで?」
淳哉も後部座席を振り返る。
「だって、他の人に寝顔見られたら彼女嫌がるでしょう」
「寝顔?」
「そうだよ。寝顔知ってるのって、彼女だけの特権みたいなとこあるじゃない?」
「へぇ~」
淳哉が少し感心していると、言った一人が淳哉の顔を覗き込む。
「そのリアクションは・・・寝顔を見せる関係じゃ、まだなかったかな?」
「え~!淳君って、そんな純愛するタイプなの~?」
今度は運転席から声が加わる。
「いつからだっけ?彼女と付き合い始めたの」
「11月」
車内の女三人が皆12,1,2と数える間を置いて、
「3ヶ月じゃあね・・・」
「それ、どういう意味よ」
淳哉がまた振り返る。
「淳君、3ヶ月何もしないなんて出来ないでしょ」
「どんなイメージなんすか」
後ろの二人が顔を見合わせ、声を合わせて返事をした。
「ねぇ」
「ねぇって・・・」
すると、運転席から会話に相乗りする。
「寝るってさ、気を許してる証拠だもんね。それを他の人の前でされたら、ちょっとやきもち焼くよねぇ」
「そうなんだぁ」
「そういうもんよ、女心は。知らなかったの?」
「女心 勉強不足なんで・・・」
言いながら少しニヤニヤする淳哉の横顔に、すかさず突っ込みを入れる。
「思い出してニヤニヤしない!」
「え~、何思い出したの~?」
後部座席が黙っていない。しかしそのまま淳哉が餌食になった事は言うまでもない。
その日帰宅した淳哉が有紗にウキウキして電話を掛ける。
「ただいま。褒めてよ。寝ないで頑張ったよ」
子供の様な無邪気な言い方に、ぷっと吹き出す有紗。
「有紗以外の人に寝顔見せてないよ」
「・・・え?」
「俺が他の人に心を許してるみたいで、やきもち焼いちゃうんでしょ?」
「・・・・・・」
「違った?」
電話を握りしめたまま、有紗の頬はみるみる赤く染まっていく。
「あれ?俺、また女心わかってない?」
有紗の声を待つが、一向に期待する声に辿り着けない。そしてとうとう淳哉は独り言の様に勝手に話し始めた。
「今日さぁ、真冬のゴルフ場なんて皆来ないからがらがらだった訳よ。で、スコアも滅茶苦茶で酷かったんだけど、帰りに近場に温泉があってね。そこ寄って帰ってきたんだけどさ・・・」
「温泉?」
「そ。もちろん混浴じゃないよ」
「分かってるよ!」
慌てる有紗を小さくふっと笑う。ようやく返事をしてくれた有紗に、質問を投げる。
「有紗、温泉好き?」
「・・・ううん。皆でお風呂入るの、苦手」
「え~?そうなの?女の子って、温泉好きな子多いよね?有紗駄目?好きかと思った。のんびり派だから。何で嫌い?」
「皆でお風呂なんて・・・落ち着かないよ」
「そっか・・・。ま、いいんだけど。でさ、女子は長風呂じゃない?だから、俺 風呂出た後 どうしても眠くてマッサージチェアで爆睡した。あ、もちろん顔にタオル掛けたよ」
「・・・ごめんね」
「どう?今日は合格?」
有紗の返事がなかなか聞こえてこない。
「合格だよね?」
小さい声で、有紗が返事をした。
「ありがと。でも・・・」
「え?でも?」
「・・・ごめんね。疲れてるのに」
「だから、ごめんねは要らないって」
淳哉がふっと笑ってから言った。
「有紗がやきもち焼いてくれたって分かって、めっちゃ嬉しかった。だから俺も、めっちゃ頑張った。前ん時は、気付かなくてごめんな。行きも帰りも、何も考えないで無防備に寝たりしちゃって」
淳哉は息継ぎをしてから、また口を開く。
「で、今度は俺の番」
「ん?」
「何で、今日俺にチョコくれなかったの?」
「え?だって、甘いの苦手だって言ってたし、お客さんから沢山もらうと思ったから」
「え~っ!有紗からのは特別だよぉ。帰って来る時、ポスト楽しみに覗いたのに 何にもないし」
「ごめん・・・」
「お客さんに貰ったヤツ、全部マスターにあげてきちゃった」
「全部?」
「マスター、甘党なんだ。それにチョコ腐らないし。有紗から貰ったら、それは大事に食べようと思ってた」
「・・・どうしよう・・・」
有紗は髪をくしゃくしゃに掻きむしった。
「いいよ、もう。その代わり、ホワイトデーも無いからね」
住所を一方的に聞いておいて、未だ自分の住所を明かさない有紗への 淳哉なりの優しい配慮だった。
「バレンタインとか そういうイベントに不慣れでごめんなさい!」
必死に謝っている内容がおかしくて、淳哉は必死に笑いを堪えていたが、我慢できずにぷっと吹き出してしまう。
「ごめん、ごめん。『不慣れ』って言い方が可愛くて、つい笑っちゃった」
「・・・・・・」
「今まで好きな人とかにあげた事ないの?例えば高校生の時とか短大ん時とか・・・」
「高校も短大も女子校だったから・・・。そういう人も居なかったし」
「女子校か・・・っぽいね。じゃ・・・二年前の彼氏が、初めての彼氏?」
有紗の胸の古傷がギュッと胸を絞めつけた。喉が詰まったみたいになって、声も出ない。ぴたりと鳴り止んでしまった電話の声に、淳哉がわざと大きな声を出す。
「ってかさ、彼氏とかじゃなくても、好きな子ぐらい居たでしょ?」
まだ遠くに行ってしまった有紗が戻って来ない。一人の無駄に明るい会話が続く。
「じゃあさ、初バレンタインは誰?」
「・・・お父さんとお兄ちゃん」
「そうか、そうだね」
「ずっと、お父さんとお兄ちゃん」
「そっか。有紗は清純派だからね」
「そんなんじゃないけど・・・」
「今年もお父さんとお兄ちゃんにはあげたの?」
「お父さんだけ。お兄ちゃんは今は一緒に住んでないから」
「お父さんにはかなわなくても仕方ないな。俺も諦める。でも、来年は頂戴よ」
あっさりと来年の話をする淳哉に、有紗の胸は早い春が来た様に暖かくなった。
第12話、お読み頂きありがとうございました。
恋愛で味わう様々な感情を、有紗は少しずつ味わっています。