第11話 見えない顔と見える心
11.見えない顔と見える心
「ねぇねぇ、気付いてた?俺と有紗のイニシャル同じだって」
淳哉に言われて有紗が考えてみる。
広瀬淳哉・・・A.H
葉山有紗・・・A.H
「本当だ。でもどうしたの?急に」
美樹のキーホルダーを一瞬思い出す淳哉。
「ふとさ、イニシャル同じじゃん!って」
「・・・そうだね」
「感動薄いなぁ。もっと『えーっ!』とか『運命感じるぅ!』とか、『知らなかったぁ』とかさ、言い方があるでしょ?」
「私がそういうリアクションすると思う?」
「するとは思わないけど・・・して欲しい」
「そういうキャピキャピした感じじゃないもん、私」
「知ってるけど・・・聞いてみたい。きっと可愛いから」
「・・・」
「言わないよね。そういう頑固なとこも好きだけどさ」
何でも楽しそうに話す淳哉の声を聞きながら、有紗にふと不安がよぎる。
「今までって長く続いてる人?」
「何が?急に何の話?」
「あ・・・付き合った人と」
「どの位かなぁ。1年とか2年とか・・・かな。5年も6年も付き合った人は居ないけど、3ヶ月とかで終わったりも・・・ないか」
有紗の不安な心に淳哉が感づく。
「いつまで この関係が続くのかなぁって、不安になったの?」
「ううん。大丈夫」
「何で嘘つくの?」
「え?!」
「心配になったって言えばいいじゃない。俺には何言っても大丈夫って、思ってもらえる様になりたいなぁ」
有紗の胸が痛んだ。
「有紗はさ、自分の気持ちとか話すの、昔っから苦手?」
有紗が受話器片手に俯く。
「俺みたいに好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、淋しい時は淋しいって言ってると楽だよ」
有紗の返事はない。
「でもさ、有紗は正直だから、言わなくても分かっちゃうけどね」
有紗の胸が更に痛んだ。そんな事も知らず、淳哉が部屋に掛かっている昨日貰ったばかりのベストを見て思い出す。
「そういえば、このベスト 評判良かった」
電話越しの声でも、淳哉の表情が分かる様だ。
「じゃぁ、良かった」
「嬉しい?」
「うん」
「皆さ、横浜の子とどこで知り合ったんだ?って。言える訳ないよね」
「うん」
「『店に連れて来い』って ある常連さんが言ったらさ、すかさず他のお客さんが『皆に色々言われるから連れて来られる訳ないでしょ』って一喝されてさ。
今日はそんな話題で持ちきりだったよ。有紗、くしゃみ出なかった?」
「ごめんね。色々聞かれたって、分かんない事もあるよね、あっちゃんだって」
「俺は平気。聞かれた事全部答える訳じゃないし、分かんなかったら、帰って来てこうやって電話で有紗に聞くから」
少しして、有紗がふっと安心した様に笑った。
「あっちゃんて、なんかいつも楽しそう」
「そりゃ楽しいよぉ。有紗と話せてるんだもん。有紗はつまんないの?」
「つまんなくないよ!」
慌てて否定すると、淳哉が間髪入れずに聞いた。
「嬉しい?」
「うん」
「楽しい?」
「うん・・・」
「大好き?」
「・・・ドリカムでしょ!」
「あっ、分かっちゃった?」
二人は声を揃えて笑った。
「『大好き』の所は、有紗が言ってくれなくちゃぁ」
他愛もない会話が、今の二人を繋ぐ 大事な時間となっていた。そうやって織りなされていった小さな時間の積み重ねが、有紗の心を解き、二人の見えない絆を編み上げていった。
有紗の就活は頓挫したまま新年を迎えた。郵便局でのアルバイトもあり、お正月気分は味わえなかったが、淳哉も実家に帰り 地元の友達と過ごす連休に 手持無沙汰を忘れるには丁度良いのだと思っていた。そしていよいよ 正月休みが明けたら、週末には母の外泊の練習が始まる。何かと気持ちの落ち着かない有紗だった。
一方淳哉は、新宿高田馬場の昔からの住宅街にある実家に帰っていた。男三人兄弟という家の中は いつも何となく殺伐としていた。正月は父がいつもの様に昼間駅伝を見ながら日本酒をチビチビ飲み、母は正月も普段と変わらずに過ごす。大学4年の弟は、就職も決まり 友達と学生最後の冬休みを満喫しようとスキーに出掛けて居ない。すぐ近くに一人暮らしをしている兄は、朝顔を出した後 雑煮を食べているが、何故かどことなく落ち着かない様子だ。そんな皆バラバラの家の中を居心地が悪いとも感じた事もなかった淳哉だが、やはり自分も毎年通り、昼頃顔だけ出して『雑煮食べるか?』と聞く母にもそっけない態度を返し、中学時代の友達と遊びに出掛けてしまうつもりだった。しかし今年は違っていたのだ。兄の高文が雑煮を食べ終わると、テレビの前に座る父の脇へ正座した。
「今日会って欲しい人がいます」
父は首だけゆっくりと高文の方へ向ける。
「何だ?」
「結婚したい人がいます」
その言葉に、今まで台所にいた母親も 手を拭きながら部屋に出てくる。
「今日これから、ここに連れてくるから」
「これから?」
と一度驚いてから、母はもう一度口を開いた。
「いいよ、いいよ。連れてらっしゃい」
兄の話だと、もう駅に着いているらしい。急に母が慌てだし、出掛けようとしていた淳哉に言った。
「あんたも居なさいよ。お兄ちゃんの彼女が来るんだから」
「俺も?」
兄が彼女を迎えに出た後、家の中は急にせわしなく動き出し、半天を着ていた父も 脱いでセーターへと着替えた。
それから間もなくして兄は、すらっと背の高い美女を連れて家に戻ってきた。初めましての挨拶が玄関で聞こえ、母はデパートで買ってきたおせちの沢山並べられたテーブルへと 高文達を案内した。家の中に、今までにない空気が立ち込める。父もゆっくりと腰を上げ、近づいていく。
「父です」
彼女に『です』で話すあたり、兄の緊張がうかがい知れる。
「弟の淳哉です」
「どうも」
淳哉がぺこりと頭を下げる。
両親と兄と彼女が食卓を囲んで ぎこちない会話を繰り返している。淳哉はテレビの前であぐらをかき、呑気に雑煮をすすっていた。
酒の好きな父が、間を持たせようとしてか ビールを勧める。
「良かったらどうぞ。少し位飲めるでしょう」
すると、遠慮がちに断る彼女がちらっと高文を見る。そして高文は意を決した様に背筋を伸ばした。
「子供が出来ました」
一瞬の内に、その場の空気が凍る。まるで一時停止を押したかの様な絵だ。しかしその一時停止ボタンを解除したのは母だった。
「良かった良かった。おめでたいわね」
テレビを見ていた淳哉も、思わず振り向いてしまう程の光景だった。
短い正月休みが終わり、淳哉が有紗に電話を掛けていた。そして真っ先に実家でのエピソードを話す。
「あの秀才エリートがさ、でき婚だって。親父もお袋も ハトが豆鉄砲喰らったみたいな顔してた。ま、兄貴も30だし 結婚の話が出てもおかしくないよな、考えてみたら」
「そんな事があったんだぁ」
「そうそう、そういえばさ、その彼女っていうのが、兄貴の取引先の会社の受付嬢なんだって。すらっと背の高い美人でさ、モデルかと思う様な 一瞬目を惹く様な人だった。兄貴の一目惚れだなってすぐ分かったよ」
「・・・・・・」
「有紗もさ、OL時代 会社に来るサラリーマンに口説かれたりしなかった?」
ごくごく小さな会社の受付窓口の面接でさえ落ちた自分を恥ずかしいと思いながら、自分のついた嘘に後悔していた。
「ないない。受付嬢って言ったって、何で私が?って感じだし」
「そうなの?自分でそう思ってるだけでしょ。受付嬢は会社の顔だからさ、そうそう変な子置かないよ」
この話題を気まずく思い、有紗が本筋に戻す。
「で、お兄さん達、結婚するの?」
「腹の子が6月に生まれるとかで、その前に籍だけ入れるか とか、なんかゴチャゴチャやってたよ。俺はその後出掛けちゃったから 知らないけど」
「じゃ、あっちゃんもおじさんになるんだね」
「あぁ、そうだね。でも、ま あんまり会う事もないと思うけど」
その言い方から、兄弟仲が悪いと言った淳哉の育ちが垣間見れる。
「でも、ご両親は喜んでるんでしょ?」
「あぁ。だから、まぁ良かったんじゃない」
まるで俺には関係ないと言わんばかりの口調だ。そんな自分の家族の話題から逃れる様に、淳哉が明るい声で質問した。
「有紗の兄弟は?まだ皆独身?」
「お姉ちゃんだけ、結婚してる。子供も二人いる。一人はまだ赤ちゃんだけど」
「孫や甥っ子姪っ子は格別に可愛いって言うけど、そうなのかねぇ」
「そうだよ。絶対そうだよ。赤ちゃん抱っこして、じーっと見られてごらんよ。もう何でもしてあげたくなっちゃうから」
ふ~んと言いながらも、少し笑顔になった淳哉を 受話器越しに感じる。しかし すぐにまた淳哉が 冷たい声を出す。
「もし俺が同じ様な状況になったら、きっと親父もお袋も態度違うだろうなって思った」
淳哉の心の奥底に眠る 根の深い淋しさを感じ、有紗は掛ける言葉に躊躇していた。
「きっと俺がさ『彼女です。腹に子供います』なんて言ったらさ、きっと『まったくお前は何やってんだ』って怒られんだろうなと思ってさ」
「・・・・・・」
「今までも好き勝手やってきて 怒られんの慣れてるから、なんて事ないけどね」
開き直ってみせる淳哉だが、お正月のお兄さん達と接する両親の態度から、未だに頭の良し悪しで 人間性まで偏見で査定されているのを感じたのだ。有紗が思い出した様に口を開く。
「この間お誕生日の日にね、お母さんに『産んでくれてありがとう』って言ったらね、『人は生きてるだけで、誰かの役に立ってるんだ』って教えてくれたの。私が生まれた時も、お爺ちゃんが亡くなって 仕事も上手くいってなかったお父さんが元気になったんだよって話してくれてね。親の愛情って、こっちで思ってる以上に深いのかもしれないね」
「そんな親ばっかじゃないよ」
「子育ての価値観はきっとそれぞれ違うけど、自分から生み出したものを大事だと思う気持ちは皆同じなんじゃない?」
納得しないのか、素直に返事をしない淳哉だったが、ふと急に声を出す。
「それよりさ、お母さんに『産んでくれてありがとう』なんて言うんだね」
「うん。だって、本当にそう思ったんだもん」
「そういうのは素直に言うんだ?」
「お母さんには言える」
「へぇ~、羨ましい」
「言ってみたら?きっとお母さんも喜んでくれるよ」
「言わねえよ。口が裂けても言わない」
「えぇ~言ってみたらいいのにぃ」
「違うよ。羨ましいって言ったのは、言ってもらえるお母さんが羨ましいの。俺も有紗に言ってもらえる様に早くなりたい」
淳哉はベッドに体を横たえて、話を続けた。
「いいなぁ、有紗んちは。ドラマに出てくる家族みたい」
「そんな事ないよ」
有紗は、病院のベッドに横たわる母の姿を思い出す。
「そんな事なくないよ。有紗はその中に昔から居るから、気が付かないんだよ。俺も有紗んちに生まれれば良かったなぁ」
珍しくそんな弱音を吐く淳哉。
「あ、でもそれじゃ、有紗と兄弟になっちゃうから駄目だ。やっぱこれで良かったんだな」
はははと笑う淳哉が、少し淋しげに思えた。