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嘘と愛のかけら  作者: 長谷川るり
10/24

第10話 見えない時間

10.見えない時間

 何をしていても、有紗の心が小躍りをしているみたいに止まらない。職安に行って仕事を探すのも、家で家事をしていても、心が明るく鼻歌まで飛び出してしまいそうだ。そしてまずは早速、恩人の仁美に報告のメールを入れる。その内容に驚いた証拠に、仕事中の身だが かなりの返信の早さだった。

『電話の恋人?!告られたの?』

『うん』

『まずはおめでとう。で、どうするの?』

『どうもしない。今のまんま』

『そりゃぁ 向こうはそう言っても、本音は違うに決まってんでしょ。どっかにデートだって行きたいだろうし、手だって繋ぎたいしチューだってしたい筈だよ。いずれにしても 会う気がないなら、なおさら罪作りだね』

仁美に一喝され、浮かれていた自分を恥ずかしく思う有紗。

『相手の気持ちが はっきり分かったんだから、実は嘘ついてましたって 彼の胸に信じて飛び込んで行ってみたら?』

『昨日の今日で?いきなり?』

『こういう事は、後になった方がもめる元だと思う。昨日の今日だからいいんじゃない』

仁美のその言葉に、正直に話す想像をしてみる有紗だったが、すぐに目を開け 首をブンブンと横に振った。そして独り言を言った。

「無理だ~!」


 いつもの夜の電話の時間に、有紗は緊張して受話器を耳に当てていた。

「ただいま」

「おかえりなさい」

「ただいま」

「・・・おかえりなさい」

何故か二回同じ言葉を繰り返した後で、淳哉の声が一瞬途切れる。そしてしみじみとした声が、再び聞こえる。

「いいね~。何か・・・おかえりなさいが近くなった気がする。ねぇ、有紗ちゃんもそう思わない?」

「そう・・・かなぁ」

「あれ?元気ない。どうしたの?」

「ううん。何でもない」

「ごまかしたぁ。どうしたのか教えてよ。・・・あっ、友達にまた大反対されたとか?そうでしょ?」

「そうじゃない」

「じゃ、何?」

「・・・昨日いきなり恋人同士なんて言われて、どうやって話したらいいのかなって・・・」

思わず吹き出した淳哉が、はっはっはっと大きな声で笑った。

「今まで通りでいいよ。有紗ちゃん、中学生みたいだね。可愛い」

恋愛に関して 正に指摘通り中学生レベルの有紗は、小さい溜め息をつく。受話器の向こうから他愛もない話をする淳哉の声も、いつもより弾んでいる様に聞こえる。

「有紗ちゃんは今日、仕事で何かあった?変わった事」

すると有紗は、胸いっぱいに息を吸い込んだ。

「・・・言ってない事があったんだけど・・・」

「何?」

「会社・・・少し前に、辞めちゃったの」

「え?!もしかして、それって俺と遅くまで電話してるから、寝坊しちゃってたとか?」

「ううん、そういう事じゃなくて・・・。だから、今仕事探し中なの、実は。ごめんなさい!言ってなくて」

「俺のせいでしょ?俺と生活の時間帯違い過ぎてたもんね。・・・責任感じるなぁ・・・」

「本当、全然関係ないの。だから、広瀬さんは気にしないで」

「ねぇ、その『広瀬さん』っていうの やめない?」

突然の提案に、声が詰まる。

「『あつや』とか『あつ』とか・・・」

「いきなりは抵抗あるよ。年上だし、名前の呼び捨てなんて」

またくっくっくっと淳哉が笑った。

「律儀だね。そういうとこも好き」

困っている有紗には、からかわれている様にも感じる淳哉の態度。

「じゃ、『あつ君』は?」

「それは嫌だ」

「はっきりしてるねぇ」

先日淳哉の店にこっそり行った時に、女三人組の客がそう呼んでいたのだった。誕生日にゴルフを誘った客だ。

「じゃぁ、何がいいかなぁ。・・・『あっちゃん』は?これならいけんじゃない?」

「・・・んん」

「よし、決まり。呼んでみて」

「いいよ、今は。その内、呼ぶから」

「一回だけ、練習してみよ。ね?」

有紗は渋々、蚊の鳴く様な声で『あっちゃん』と呼んだ。しかし、淳哉の合格は出ない。

「え?聞こえないよ。もっとちゃんと。はい、もう一回」

次はもう少し大きめの声で呼んでみる。が、まだまだOKは出ない。

「恥ずかしがらないで。俺しか聞いてないんだからさ」

そういう問題じゃない・・・と心の中で呟きながら、有紗が三回目の『あっちゃん』を呼んだ。

「な~に?有紗」

突然の変化球に、胸がドキッとして硬直する。

「俺も今日から有紗って呼ぶ」

これを世間はときめきと呼ぶのか。有紗は心臓のドキドキを止める様に、必死で胸に手を押し付けた。

「これから俺の事『広瀬さん』って呼んだら、その度に罰ゲームね」

「罰ゲーム?」

「一回間違える毎に、『あっちゃん大好き』って言わなきゃならないルールね」

「やだぁ!」

「じゃ、間違えないで呼んで」

こんなやりとりが永遠に続けばいいと思う程、有紗にとって 楽しく幸せで心穏やかな時間だった。


 11月の暦もめくられ、今年最後の一枚のカレンダーが顔を出す。相変わらず有紗の仕事は決まらない。職安で聞いた事があった。

「何が駄目なんでしょうか・・・?」

「やはり今はどこも即戦力になる経験者を欲しがる企業が殆どですからね・・・。でも未経験でも、一から育てますっていう企業も中にはありますから、まだお若いから可能性はあると思いますよ。女性は結婚や出産という一つのハードルがあるので、企業側も せっかく一から仕込んでもすぐに結婚や出産で辞められてしまうのを避けたいんです」

確かに早い子は23でも結婚していく。世間にはお母さんになっている人だって沢山いるのだ。自分には程遠く縁遠い結婚なんて言葉も、世間では日常に溢れていて、そんな事も有紗が世間の脇道をひっそり生きている様に感じさせる一つではあった。


「来年の1月から、土日の一泊でお母さんが家に帰らせてもらえるか先生に頼んでたんだ。そしたら今日許可を頂いたよ。土日ならお父さん休みだしね。そうなったらお前にも手伝ってもらえるか?」

父からの嬉しい知らせだった。

「もちろんだよ!」

「ただし、仕事は今まで通り気にせず探していいからね。初めは日帰り、そのうち隔週で一泊、それが慣れてきたら毎週土日って形にしていこうと思う」

お母さんが家に帰ってくる。大好きなお母さんに、約1年半ぶりに帰って来てもらえる。・・・その喜びが、有紗のやる気を体中に充満させた。


 就職先はなかなか決まらないが、ある日ポストに入っていた郵便局での年賀状仕分け作業のアルバイトの求人が目に留まる。12月~1月のある一定期間だけだったが、何もしないよりは遥かに良いと腰を上げた。すると、意外にも採用となり、少し安心する有紗だった。

 

街はすっかりクリスマスの雰囲気一色に彩られ、道行く人達が皆 ジングルベルのリズムに合わせて歩いてる様に感じる有紗だった。今まではそんな世間を他人事の様に隣を素通りしていた有紗だが、今年は少し違っていた。滅多に寄らないデパートに入り、売り場を眺めて歩く。そこで見つけたベスト。きっと淳哉に似合いそうだ。彼には未だに内緒だけれど、一度仁美と訪れた時に見た淳哉の仕事する姿。黒いベストと蝶ネクタイをしていたが、特別制服がある風ではなかった。有紗はそのベストを手に取って値札を確認する。無職の有紗には高額な買い物だった。もう少し安い物もあるが、やはりどっちが似合うかと聞かれれば、絶対に初めに選んだ方だ。悩んだ挙句、有紗は店を後にした。


 今日も淳哉との夜中の電話が待ち遠しい。帰って来た淳哉が有紗に電話する、それも日課になりつつあった。

「お疲れ様。・・・遅かったね」

「やっぱ12月は混むね。商売繁盛。有り難い事です」

声は多少疲れていたが、嬉しそうな淳哉。

「サラリーマンやOLさんは、皆ボーナス出てるからね。懐があったかいんだよ。店が一年で一番忙しい時。うちみたいな店は忘年会の2次会3次会から流れて来るからさ、遅くなってから混みだすんだよね。12月は営業時間あって無い様なもんだから。だから有紗も、寝てていいよ。バイトも始まる事だしさ」

「・・・わかった」

肩を落とす音が聞こえる様な返事に、淳哉がすかさず言った。

「『先寝るね』ってメールだけちょうだい。そしたら俺安心だから」

「・・・そうだね」

しかしその言い方が、淳哉の胸に引っかかる。

「しなさそうだよね」

「・・・・・・」

「ほんと、4時近くなる時もあるからさ。有紗が起きて待っててくれると思うと気になるし」

有紗がはっとする。待っている自分が淳哉に重たくなっているんだと気付く。

「分かった。ごめんね」

その『ごめんね』が、淳哉を立ち止まらせる。

「何でごめんねなの?何も有紗、悪くないんだよ。ただ、何時になるか分かんない俺を待ってると大変だからさ、言ってるだけだよ。実際、終わった後 お客さんとの付き合いで出掛けちゃう事もあるし」

「・・・そうなんだ・・・」

有紗の淋しそうな声色に、淳哉が提案する。

「じゃ、俺帰って来たら必ずメールする様にするからさ。起きてたら電話しよ。暫く返事がなかったら、寝ちゃったんだと思って、俺も寝るから」

「いいよ。そんなルールみたいなの作ったら、あっちゃん 窮屈になるよ」

「・・・じゃ、出来る時はする。だから有紗も、出来る時はして」

そんな曖昧な取り決めが、かえって有紗の行動を縛っていった。『先寝るね』とメールを送る事もなかったが、淳哉が『今帰ったよ』とメールをしても、電話を掛ける勇気も出なくなっていた。起きて待っていた自分が、淳哉には重たく感じてしまうのでは・・・。そんな取り留めもない思考回路が渦巻く有紗の頭の中だった。


「何で電話もメールもくれないの?」

冗談交じりだが、少し怒っている淳哉。今日は店のお休みで、早い時間の電話だった。

「寝ちゃってたから・・・」

「じゃ、次の日とか メール出来るでしょ?」

「疲れて寝てるかと思って。私も職安行ったりして動いてるし」

淳哉の小さいため息が、漏れる。

「俺達はさ、電話でだけ繋がってるんだからさ、正直に気持ち話そうよ。お互いに思ってる事隠してたら、普通なら会って埋められる溝が致命傷になっちゃうでしょ」

「うん・・・」

「俺がこの前、先寝ててって言ったの、変な風に取ってるでしょ?」

「・・・変な風に・・・?」

「そう。絶対誤解してる。俺は遅くなったって有紗の声聞いてから寝たいよ。だけど、毎日何時になるって約束出来ないから、ずっと待ってて心配するんじゃないかと思って言っただけなんだよ。伝わってる?」

「伝わって・・・ない」

「やっぱり・・・。じゃ、どう思ってたか言ってみて」

「え~っ?」

「言ってみて」

淳哉の強い口調に反論できず 渋々口を開くが、有紗の声も小さかった。

「毎日仕事終わるまで待ってる私は、あっちゃんには重たいんだなって・・・」

すると淳哉の大声が受話器いっぱいに響き渡った。

「ばーか!」

そして淳哉がもう一回言った。

「一回じゃ足りないな。ばーか、ばーか、ばーか。何でそうなっちゃうんだよ。重たかったら重たいって言うよ。重たいなんて思った事一度だってないし、むしろ物足りない位だよ」

先日からの有紗の中の灰色の重たい塊が、そのたった一言で嘘の様にすーっと消えていった。すると今度は 淳哉が急に黙って、大きく深呼吸をする息遣いが聞こえる。また怒られるんじゃないかと一瞬身構えてみるが、声は聞こえてこない。一向に黙ったままの淳哉に、声を掛けてみる。

「・・・どうしたの?」

「今・・・自分を落ち着かせてる」

感情が高ぶった淳哉に、有紗が責任を感じ申し訳なく思って おずおずと謝る。

「ごめんなさい・・・」

「違う違う。今自分を落ち着けてるのは・・・自分の気持ちを抑えてるっていうか・・・」

意味が分からず、もう少し淳哉が話すのを聞いてみようと 有紗は口を閉じた。すると、少ししてから淳哉が沈黙を優しく破った。

「こんな時さ、有紗の事ぎゅって抱きしめられたら それでお互い安心できるのにって思っちゃった。ごめん。そんな風に思っちゃった俺を、落ち着かせてたの。ごめんね。もう平気になった」

有紗の胸がぎゅーっとなる。謝りたい気持ちと、口が動かない自分とが重なって、ただの沈黙が流れる。責任を感じた淳哉が慌てて言葉を足した。

「ごめん。でも大丈夫。これ電話だから。有紗に指一本触れられないから安心して」

しかし、まだ有紗の硬直が解けない。

「こういう風に言うのも嫌?やめてって言うなら、もう言わない様にする」

有紗の返事がない事で、淳哉が喋り続ける。

「俺の事、怖いって思った?嫌だって思っちゃった?」

「ごめんなさい・・・」

ようやく聞こえてきた有紗の言葉に、淳哉が食い付く。

「どういう意味?それって」

「そんな風に思わせてごめんなさい」

「それだけ?それだけの意味のごめんなさい?」

「うん・・・」

「良かったぁ」

はあっと大きく安堵の溜め息をつく淳哉。

「もう嫌われちゃったかと思ったよ」

気を取り直した淳哉がはははと笑った。

「大概の事じゃ落ち込まない筈なのに、うっかり後ろ向きな想像しちゃったよ」

「私に似てきちゃったね」

「そうだよぉ。有紗が俺に似ればいいのに、俺が有紗の影響受けちゃってるね。まずいなぁ。まずい傾向だなぁ」

有紗がふふふと少し笑った後、それを聞いて安心した淳哉が はっはっはっと大きな口を開けて笑った。


 淳哉が帰りが遅い時も有紗は待っていて、『帰ったよ』というメールを合図に電話をする日が続いた。仕事の後の付き合いがある時は、淳哉がそれを知らせるメールを打つと、有紗が諦めて寝てしまうというスタイルが出来上がりつつあった。以前に比べると 淳哉の付き合いも多くなり、電話で話せるのも週に2~3回に減っていた。お休みの日も、昼間は寝ていて夜は友達と出掛けてしまう事が多く、社交的で交友関係の広い淳哉に淋しさを覚え始めている有紗だった。


「まだ駄目?まだ会えない?」

仁美の鋭いつっこみが入る。面接の帰り 有紗が仁美に連絡を入れ、ランチを共に取りながらの会話だった。もう公園でのランチは寒くなった為、今日はベーカリーのイートインコーナーでの昼食だ。

「仕事の事も嘘だったって告白したんだし、そんな感じであと幾つか打ち明けちゃえばいいんじゃないの?髪型なんか切っちゃったって言えばいいんだし、見た目は関係ないって言ってんでしょ?中身だけで好きになってくれたんだから、きっと平気だよ」

「えぇ・・・」

「クリスマスに会って来れば?」

煮え切らない有紗を仁美が脅す。

「さもないと、誰かに取られちゃうかもよ」

「え・・・?」

「そりゃそうでしょ。クリスマスは今や世間では絶好の恋愛のアピールチャンスだもん。このチャンスを狙ってる女は多いと思うよぉ。この前だって、お店に行った時にゴルフに誘ってた人達いたじゃない。あの人達、親し気だったし、女子力高そうだったし」

「・・・・・・」

「ほら、何とかって言うじゃない?ええっと・・・遠い親戚よりも近くの他人ってさ。あ、ちょっと意味違うか。ま、とにかくさ、電話でしか話せない好きな子よりも、傍にいてくれる自分を好きだって言ってくれる人になびいちゃうもんだって事。しかも、どれだけ待てば会えるのかって目処も立たないんでしょ。好きだっていうモチベーションが下がらない様な魅力、自分にあると思う?」

仁美の言う事は、全てごもっともだった。反論の余地もない。きっと淳哉とのこの関係も、そういう理由で終わっていくのかもしれない等と思えてしまう。

 

 その晩3時過ぎに 淳哉からメールが入る。

『これからお客さんとラーメン食べて帰る。遅くなるから寝てていいよ』

いつもなら『分かった。おやすみ』と返すのに、その日は何も返さずに起きている有紗だった。

(ラーメンなら、そんなに遅くならない筈)

そう思って起きていた。昼間仁美に言われた事がどうしても心に引っかかり、淳哉の声を聞いて安心したいと思っていた。本当に淳哉の気持ちは、将来そう変わってしまうのだろうか。そんな事淳哉にだって分からない筈だ。有紗自身も、自分の気持ちが将来どんな風に変化するかだって分からないのに。

 有紗の眺める時計が4時を過ぎる。・・・4時半を過ぎる。

『もう帰った?』

メールを送ってみる有紗。15分待っても返事がない。もうとっくに帰って寝てしまったのかもしれない。それとも・・・。淳哉の見えない生活が、有紗を不安にさせた。仁美の言う様に、会えない恋人なんて、彼氏を縛る拘束力もない。その日朝まで起きていた有紗だったが、淳哉から連絡が来る事はなかった。

 寝ずに迎えた朝だったが、眠たいとも感じない。いつも通り父親と朝ご飯を済ませ、会社に出勤する父を見送る。洗濯物を干し、家中の掃除機を掛ける。昨晩一睡もしていないというのに、不思議と眠気が襲ってこない。自分の体がどうにかなってしまったんじゃないかと、ぼんやりと考える。今日はバイトも面接の予定も無い為、一月に母が帰って来た時に 車椅子でも使いやすい様に部屋の模様替えをしようと思っていたのだ。12月のからりと晴れた日、家中の窓を開け放ち、有紗は黙々と家具を動かし、大掃除を兼ねて隅々まで埃を払った。その内に、段々と昨夜からの心の渦は軽くなり、気にもならなくなってきていた。お昼ご飯の時間も忘れて動き、少し体を横に休めると、睡魔が急に襲ってきて あっという間に熟睡の谷へと堕ちていった。


 プルルルルルル・・・プルルルルルル・・・

有紗を起こしたのは、淳哉からの着信だった。寝ぼけた目をこすり、それが淳哉からだと分かるのに少し時間が掛かる。もう家の中は薄暗くなっていて、時計を見ると4時半を指していた。

「ごめん。昨日メールくれてたんだね」

まだ現実に頭が戻りきらない有紗が、ろくな相槌もせずにいたが、淳哉が勝手にベラベラ喋る。

「昨日途中で電源切れちゃって、今まで有紗からのメール気が付かなかった。もう仕事行く時間なんだけどさ、今日は帰って来たら電話するから待ってて」

「うん・・・」

有紗の覇気のない返事に、気付く淳哉。

「すねてんの?ごめんね」

「ううん」

「ほんと悪かったって。ごめん。あ・・・淋しかったの?」

「・・・もう仕事行くんでしょ」

「またぁ、恥ずかしがって。淋しかったって言えば、大好きだよって言ってあげようと思ったのに」

「・・・・・・」

「夜絶対電話するから、待っててよ」

「・・・期待しないで待ってる」

「相変わらず可愛くないな」

それでもふふっと笑って、淳哉は『行ってきます』と電話を切った。


その晩淳哉から、約束通りの電話が掛かる。

「昨日はごめんね。もう機嫌直った?」

「・・・昨日、帰って来たの?」

「え?」

二人の間の空気が一変する。

「どういう意味?」

自分の言った言葉で あまりに空気が張り詰めた事に驚いて、有紗は口をつぐんでしまう。

「夕方言ったよね?昨日は最後までいたお客さんに、知り合いが近くにラーメン屋出したから一緒に行こうって誘われて、有紗にメールした後で充電切れちゃっててさ。気が付かないまんま家帰ってきて、充電して そのまんま寝ちゃったんだ。酒も飲んでたし、疲れてたし、電源も切れたまんまでアラームも鳴らないしで、夕方目が覚めて、慌てて仕事行ったの」

「・・・うん」

「『昨日帰って来たの?』って、どういう意味?俺帰ってないと思ったの?」

いつもの明るい調子と違う事に有紗も気が付いていて、返事が出来なくなっていた。

「帰らないで、何してたと思ってたの?」

「・・・・・・」

「俺の事、疑ってたの?」

「・・・・・・」

「黙ってないで何か言ってよ!黙ってるって、ずるいよ」

『ずるい』と言われた言葉に反応して、有紗が慌てて口を開く。

「ごめんなさい・・・」

「ごめんなさいって・・・認めたって事?」

暫くの沈黙を破って、淳哉が溜め息と共に静かに感情を吐き出す。

「・・・ひっでえ」

淳哉にそう呟かれた事で、初めて自分が淳哉を傷付けていた事に気付く。淳哉が大きく息を吸い込んで、話し始めた。

「分かるけど・・・。男なんか信用できないっていう有紗の気持ちも分かるけどさ・・・、そこだけは他の男と俺を一緒にしないで欲しい。有紗が過去の傷を話してくれた時から、俺なりに、そこだけは裏切っちゃいけないって思ってるとこだし。電話だけなんだから、お互い信じ合ってないと続かないでしょ」

有紗の胸が痛む。淳哉の優しさが、有紗の胸に棘を刺す。

「まぁいいや。信じてくれた?」

「うん」

「じゃ、もうその話はおしまい」

切り替えの早い淳哉は次の話題に移る。

「有紗、クリスマスは何してんの?」

「別に何も・・・」

「家族でご飯食べたりするの?皆集まったりとか」

「・・・もう皆子供じゃないし、しない」

「ふ~ん。友達と出掛けたりとかは?」

「別にない。あっちゃんは?」

「俺は・・・デートの約束してる」

「デート?」

「有紗と」

思わず息を呑む。

「だって暇でしょ?」

首をブンブンと横に振る有紗を、電話の向こうの淳哉には見えない。

「今 暇って言ったよね?」

有紗の目にじわじわ涙が滲んできそうになる。淳哉に感づかれまいと、必死で奥歯を噛みしめ息を止める。返事のしなくなった電話の向こうを案じて、淳哉が慌てる。

「ごめん、ごめん。冗談。冗談だって」

きっとこれが淳哉の本音なんだと感じる。仁美に言われた『会いたいしデートもしたい筈』という言葉に心の中で頷く。

「お~い!生きてるか~?」

暫く返事が何もしない事で、淳哉が大きな声で呼びかける。

「起きてるよ」

「今『生きてるか?』って聞いたんだよ」

「え?『起きてるか?』って聞こえた」

いつの間にか涙が笑いに変わっていた。いつも自分の心を明るく変えてくれる淳哉に、まだ会う勇気は出ないけど、まだ髪も伸びてないけど、少しは人並の恋人みたいな喜びをあげたい・・・有紗はそう思って、口を開いた。

「ねぇ、お願いがあるんだけど・・・」

「何?いいよ。言ってみて」

「住所・・・聞いてもいい?」

「住所?いいけど・・・家来るの?・・・んな訳ないか」

「プレゼント送りたい」

「えー?マジで?超嬉しい!あっ、じゃあ俺も教えてよ」

「・・・そうなるよね・・・」

「え?駄目?・・・行かないよ。会いに行ったりとか・・・もちろん覗きに行ったりとか、そんなストーカーみたいな事しないよ。ただ俺もプレゼント送りたい」

「・・・じゃ・・・いいや」

淳哉の小さなため息が聞こえる様で、有紗は頭を抱えた。

「住所も駄目か・・・。デートなんて、絶対ありえないね」

「ごめんね・・・」

「嘘、嘘。いいの、いいの。元々会わないって事で、電話の恋人になったんだから。住所言うよ。メモれる?」

淳哉から告げられた住所を書き取りながら、切ない気持ちになる。

「住所は教えるけど、プレゼントはいいよ。俺だけもらうの悪いから」

「・・・・・・」

どんよりとした雰囲気を一掃する様に、淳哉が再び景気の良い声を上げる。

「な~んてね。本当は有紗からのプレゼント欲しい。めっちゃ欲しい。期待して待ってる」

「え・・・」

「有紗も俺からのプレゼント欲しくなったら、住所教えて。今は教えてくれないから、あ~げない」


 イブの夜、淳哉が仕事から帰ると、ポストに少し大きめの包みが入りきらずに顔を覗かせている。それを抜き取り裏返して差出人を確認する。葉山有紗。住所なし。急いで鍵を開けて家に入る。包みをびりびりと破いて開けると、中からはベストと それと同じ生地の蝶ネクタイが出てくる。

「有紗!ありがとう。今見た。届いた。めっちゃカッコイイ!」

「良かった」

「明日から着る。これで店出る」

「うん」

有紗も嬉しかった。

「俺が店でベスト着てるの、良く分かったね。言ったっけ?」

有紗がハッとする。

「だって・・・バーテンと言えばベストに蝶ネクタイって感じでしょ?」

「まぁそうだけど・・・。うち制服も無いし、丁度いいや。ありがとう」


 次の日早速淳哉は 有紗からもらったベストを着て店に出勤する。その変化に店の常連客が反応する。

「それ格好いいねぇ。おニュー?もしかしてプレゼント?」

「はい」

ニヤニヤと淳哉が答える。

「その顔は彼女から?」

笑顔でその返事にすると、隣の常連客が加わる。

「彼女いたの?」

終始笑顔だけの淳哉だが、常連客同士で勝手に話が盛り上がる。

「ここに連れといでよ。俺がどんな子か見てあげるから」

「こんな所連れて来たら、皆に色々言われて嫌に決まってるでしょ」

「どこの人?」

ようやく質問が淳哉に飛び、一言だけ答える。

「横浜です」

「横浜山の手のお嬢様とどこで知り合ったの?」

皆が興味津々だ。また笑顔でかわす淳哉。今日はクリスマスとあって初めてのカップル客も数組いる。その接客に姿を消す淳哉。しかし夜も更け、終電過ぎる頃になると、やはり常連客が席を埋めた。この位の時間になると、終電でこの町に帰って来た人達が 帰宅前に寄って一杯飲んでいくという事が多かった。そういう類の人達の一人に、今日は美樹が入っていた。美樹とは、以前この店で淳哉と一緒にバーテンとして働いていた25歳の女だ。

「こんばんはぁ。お久し振りです」

店に入るなり、マスターに頭を下げる。常連客で溢れるカウンターの席を端から一つずつ皆がずれ、真ん中に自然と美樹の席が出来る。テーブルに着くや否や、脇の客が酒を勧める。

「ビールでいい?」

美樹がビール党なのを皆良く知っている。いつものアサヒスーパードライがグラスに注がれ、淳哉がテーブルに出す。

「お疲れ様です」

「どうも」

周りの客と乾杯の挨拶を交わし、ビールを一口飲んだところで、隣の常連が話し掛ける。

「今日はクリスマスだけど、今まで仕事?それともデートの帰り?」

「女子会の帰りです」

「彼氏のいない女子の飲み会?」

更に隣の席の客までが、身を乗り出して話に加わる。

「終電まで飲んだ上に 更にここに寄るんだから、まだまだ飲み足りないの?それとも、淳哉に会いに来たの?」

面白半分にからかう客もいる。

「久々に皆さんの顔が懐かしくなって」

「嬉しいねぇ。たまには顔出してよぉ。マドンナが居なくなっちゃったから、味気ないよ」

久し振りの再会に話題が尽きない。そこへ美樹の隣の客がオーダーしたチーズの盛り合わせを持って、淳哉が現れる。それを待ってましたとばかりに、淳哉を酒の肴にする。

「美樹ちゃん、淳哉 彼女出来たらしいよ」

「へえ~」

「横浜の山の手のお嬢様らしい」

「ふ~ん」

「このベストも、その彼女からのクリスマスプレゼントらしいよ」

美樹がベストをじーっと眺め、淳哉の顔を見た。

「格好いいじゃない。良く似合ってる」

にっこり笑顔の美樹に、客が視線を集める。

「元カノとしては、どう?気になる?」

「や~だ、やめて。もうとっくに過ぎた話持ち出すの」

「美樹ちゃん ここに居たの、何年前だっけ?」

「学生の時だから、4年位前か」

結局皆が懐かしく 美樹を引っぱりだこにした為、閉店まで残ってしまう。マスターが気遣う。

「明日の仕事大丈夫?」

敬礼をして返事を返す美樹。

「気を付けて帰ってよ」

ドアから送り出す直前に、マスターが呼び止める。

「淳哉に送らせようか?」

「大丈夫、大丈夫。いつもの道だし、彼女に申し訳ないです」

後ろ手に手を振ってドアを出て行った美樹を、心配そうに眺めるマスター。

「大丈夫かな、あいつ」

「ちょっと酔ってましたよね?」

淳哉もマスターと顔を合わせる。

「やっぱ心配だから、送ってってやってくれない?」

「わかりました。じゃ、送ったら戻ってきます。片付け結構残ってるんで」

「いいよ。もう今日遅いし、あと俺やっとくから」

片手でごめんの合図をするマスターにぺこりと頭を下げて、淳哉は店を出た。


 小走りで淳哉が追いかけると、美樹はまだすぐそこをのんびりと歩いていた。

「マスターが送ってけって」

「マスターに言われなかったら来ないもんね」

「・・・からむな・・・」

足元の小石を蹴飛ばしながら、ゆっくりと足を進める美樹に歩調を合わせる。

「同じ町に住んでるのに、意外と会わないね」

「そういえば、そうだな。通勤時間に俺が外歩いてないからね」

「久々だけど、あんま変わってないね・・・」

「そう?」

「あ、今の褒めてないからね。成長が見られないって意味」

「なんだよ・・・」

憎まれ口を叩く美樹の脇を 後ろからバイクが近付いて来る。道路の車道側に淳哉が並び、美樹を道の端に寄せた。何気ない一瞬の動作の後、バイクが淳哉の脇を通り過ぎていった。

「こういうとこも変わってないね・・・」

「石なんか蹴飛ばしてるから、バイクに気付かないんじゃないかと思っただけだよ」

美樹はチラッと淳哉の顔を見て、ふっと笑った。そして、次に美樹が蹴飛ばした小石が淳哉の靴に当たる。

「そういえば、彼女出来たって言ってたけど、最近?」

「あぁ」

「前にいたよね?年上の彼女」

「あ~、夏に別れた。・・・ってか、フラれた」

「へぇ~。モテるねぇ」

「何でだよ」

「で、今度の横浜の彼女とはどこで知り合ったの?」

「・・・いいだろ、どこだって」

「・・・ま、ね」

店の前からずっと蹴飛ばしてきた小石が 変な角度で当たり、道の反対側の暗闇へと姿を隠してしまった。仕方なく諦める美樹に、淳哉が声を掛けた。

「そっちはどう?仕事上手くいってる?」

「今ね、4年生の担任持たせてもらってるの。皆素直で一生懸命で、こっちが力もらってる」

「そっか。頑張って勉強してたもんな」

そして急に立ち止まって、淳哉が美樹の顔を見る。

「あれ?もう学校冬休み?明日もあんの?」

「冬休みだけど、明日も出勤だよ。ついこの間まで 通信簿付ける作業に追われてたから、今日は息抜き」

「そっか。学校の先生も大変なんだ」

美樹のアパートの前に着く。

「ありがと」

「じゃあな」

言いながら、淳哉が周りをぐるっと見回す。

「何?」

「変わってないなと思って、この辺も」

「懐かしい?」

「こっち来る事、滅多にないからね」

聞きながら美樹は、肩に掛けたトートバッグの中で鍵を探る。ガサガサ色々と手を掻き回してみるが、鍵が見つからない。

「あれ・・・」

「どうしたの?」

「鍵・・・ない」

「えぇ?!落ち着いて、もっと明るい所で探してみろって」

そう言って、外灯の下まで美樹の腕を引っぱる。立ったまま鞄の中身を探してもらちが明かない為、とうとう美樹はその場にしゃがみ込んで、中身を一つずつ道路に出し始めた。ノート、ファイル、手帳、財布、ポーチ、ハンカチ・・・それを出した途端チャリーンと暗闇に音が響いた。

「今、音した」

その音に二人で反応する。先に見つけたのは淳哉だった。

「あった!」

道路に置いたハンカチに挟まっていた鍵を つまみ上げる。

「良かったぁ~!」

鍵にぶら下がっていたのは、付き合っていた頃、二人で交換したM&Aというイニシャルのキーホルダーだった。それを美樹は隠す様に 物凄いスピードで手の平で鍵を包み込んで奪い取った。

「ありがとう、見付けてくれて」

「お前、物持ちいいなぁ。さっきの、あれだろ?昔買ったヤツだろ?」

美樹は鞄から出した中身をせっせとしまいながら、返事をした。

「そうそう。これ丁度いい大きさなんだよね。小っちゃいけど鈴もついてるしさ。すぐなくす私には、便利なんだよね。そっかぁ。これって淳哉に貰ったヤツだったっけねぇ」

「忘れてたんかい!」

軽く美樹の頭をど突く。

「もう鍵なくすなよ。じゃあな」

そう言って、淳哉は自分の家の方へと消えていった。


第10話、お読み頂きありがとうございました。

見えない時間を信じる事の難しさや自分の弱さに直面し始めた有紗ですが、少しずつ変わりたいとも思い始めているようです

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